次のツイートに添付されてるマンガを見て思った話。
#政権打倒御百度参り 七十四度目 pic.twitter.com/NsQ3vCwnSm
— ぼうごなつこ (@nasukoB) 2026年7月23日
いつの頃からだろうか、プレゼンをする場合、相手がどんなに偉かろうがあるいはどんなに賢かろうが、内容は極力分かりやすくすること、相手は小学生だと思ってプレゼンを展開するくらいがちょうど良い、という話を聞くようになった。
記憶では90年台の半ば過ぎ頃のような気がする、Windows95の登場と普及でバリエーションに富んだ資料作りが個人レベルでできるようになった頃だと思う。
しかし、プレゼンをする側は自分の賢さをアピールするかのような資料作りに夢中になった、今でもその傾向は残っているはず。
分かりやすさとは、単純でシンプルでそれでいて指摘されるまで気付いてなかったようなこと、あるいは分かりすぎるくらい分かっているが故に盲点になってるようなことを再認識させれるような場合に宿り、相手に強いインパクトを残す。
誰も知らないようなことを教えてあげるというスタンスだと多分伝わらないのだ。
特に現代のような詐欺や騙しが溢れる世の中だと。
自分に有利になるように分かりやすく伝えるということは案外難しい、なぜなら自分の欲を隠そうとするからだ。
一方で、困りごとを抱えた人の行動は分かり易い。
自分に必要なことに一直線に向かうからだ。
しかし、その姿勢は概ね否定的にしか映らない。
分かり易い、ということは諸刃の剣なのだ。
分かり易いを意識しての行動は分かりにくいのに対し、分かり易さに対して無自覚な場合の行動は周りの人にその真意がとても分かり易く伝わる。
意識的に、分かり易いをテーマに取り組むのは、とても高度な作業なのだが、それができた場合の分かり易さは一瞬で伝わり即座に納得が得られる。