AIが仕事を奪う、そういうことが現実的になった。
AIが事務作業や机上の企画作業を高いレベルで代替できるようになったから。
そんなAIは、不思議な現象も起こしている。
「生成AIは友人」増加 諸外国との認識の違いの理由は利用率、問題は 令和8年版情報通信白書発表
日本で生成AIを「友人」と考える利用者の割合は10.9%、「家族」は6.2%、「恋人」は2.8%でした。「カウンセラー」「先生・コーチ」は各12.9%、「同僚」は4.0%でした。AIを身近な存在として考える割合が高まっているのです。
一方で、他国ではこの傾向が強まり、「友人」は米国で25.3%、中国で39.9%に。「家族」も米国で21.5%、中国で22.1%。「恋人」は米国で9.0%、中国で6.6%でした。
記事では利用率に着目してるようだが、わたしは少し違うことを思った。
ロボット犬aiboは、機械なのかそれともペットなのか、aiboを購入した人のほとんどにとってaiboはペットとなった、それが証拠に壊れた時の喪失感が家族を失った人のそれと同じだった。
一方、同じロボットでも産業用ロボットにそのような感情を持つ人は少ないはず。
何が違うのか、どこが違うのか?
姿形や動きに感情移入するからというのはなんとなく理解できる。
単なるロボットとしてではなく、aiboにはもっと擬人化に似た意識を持つからだろう、自分との存在の距離感も関係してるはず。
では、生成AIに対して擬人化意識を持つのはなぜなのだろう、姿形を持たず動きや仕草を持ってるわけではないのに。
ChatGPTに質問すると、姿形を持たない生成AIだが言葉を上手に使うことができる、また相談者の話は最後まで聞き途中で遮ったりしない、当然と言えば当然のコミュニケーションだが、人間同士のコミュニケーションでは案外少ないのかもしれない、そんなコミュニケーションに対して人は生成AIに対して『心』に似たものを感じるからかもしれない、と答えた。
それも好意的な心をだ。
逆に考えると、現代人は常に自分の心の中を隙間風が吹き抜けているため、寂しさや虚しさを抱えているからかもしれない。
慢性的に心中に抱えている人間不信や不満や嫌悪を生成AIには感じないことが人を惹きつけるのかもしれない。
生成AIとどのような距離を取りながら付き合ってるかが分かると、その人が心の内に抱えてるモヤモヤが見えてきそう。