断捨離というワードが流行ったのは2009年、その名を冠した本がヒットしたから。

断捨離とはヨガの用語でウィキペディアには次のように載っている。
断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
先日、『徹子の部屋』に出ていた磯野貴理子さんを見た。
脳梗塞の経験者でもある磯野貴理子さんは、60歳を迎えて終活を意識するようになり、洗濯機を使わない生活を始めたらしい、きっかけは洗濯機が壊れたからだが、一人暮らしだと手洗いで十分だと気づいたからで、大物の洗濯が必要ならばコインランドリーを使えば良いと気づいたから、と言っていた。
さらに、直接の関係は無いのだが、終活を意識するようになった頃から鳥を愛でることを覚えて、囀りを楽しんだり、鳥を探すための旅行や写真撮影を楽しむようになり、結果として山歩きも好きになり、人生で今が一番楽しいとも言っていた。
歴史家の中には人類の歴史は蒐集の歴史という人もいる。
そのせいか、モノに執着する人は多い。
モノを資産と呼ぶといかにも現代風になる。
資産家には二種類ある、一つは現金もしくは換金流動性の高い資産しか評価しない人と、もう一つは高価であればあるいは世間の評価が高ければ何にでも関心をそそられるタイプ。
賢い資産家はもちろん前者で、そういう人はお世辞やおべんしゃらを嫌う、一方で後者は褒められたり持ち上げられることが大好き。
様々な分野で転売やオークションが盛んなのは、世間にモノという資産が溢れていてかつそれらを欲しがる人が次々と湧いてくるからこそなのは言うまでもない。
断捨離というワードが世間に浸透して15年を超え、静かにしかし確実にモノとしての資産に対する評価が大きく分かれ始めたように感じる。
ただ単に所有するのはストレスだと気付く人が増えている。
欲しいという気持ちだけで飛びつくことは愚かだと気付いた人は、本当に必要かというハードルを自らに課す。
現代の投資ブームの背景には、お金以外あるいは換金流動性の高い資産以外は価値がないと気付いた人が多いという事情があるはず。
ただ、投資で成功した人の中にはモノとしての資産に目覚める人が少なくないのは、ある意味歴史は繰り返すでもあるだろう。
蒐集欲は煩悩の中でも強力なのだろう、だから取り憑かれるとなかなか抜け出せない、抜け出せる人には少しばかり不幸なあるいは残念な現実が必要かもしれないが、新しい価値観に目覚めるときには必ず必要になるプロセスでもある。
猛暑だから余計にそう感じる。