2005年6月のスタンフォード大学の卒業式で行われた故スティーブ・ジョブズの有名なスピーチの中に次のような一節がある。
先を読んで点と点をつなぐことはできません。
後からふり返って初めてできるわけです。
したがってあなたたちは、
点と点が将来どこかでつながると
信じなければなりません。
自分の勇気、運命、人生、カルマ、
何でもいいから、信じてください。
点がやがてつながると信じることで、
たとえそれが皆の通る道からはずれても、
自分の心に従う自信が生まれます。
これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。
スティーブ・ジョブズ 卒業式スピーチ全文(日本語・英語字幕) スタンフォード大学 Stay Hungry, Stay Foolish. by Steve Jobs
しかし悲しいことに、このスピーチに感動した多くの人が取る行動は、『自分が持ってる点』や『自分が関係した点』を未来に向かってつなげようと躍起になってしまう。
点と点が繋がるということは良いことばかりをもたらす訳ではなく、悪いことをもたらすこともあるだろう。
意志と無関係に点と点が結びつくことを意味する言葉は、日本語にもある。
- 果報は寝て待て
- 因果応報
因果応報の因果とは仏教では前世の行動を意味する。
今、良くない目に合ってる人は、実は前世の悪行のせいかもしれないとしたら、自棄(ヤケ)を起こしそうだが、自棄を起こすと来世にその"ツケが回ってくる"。
それが嫌だったら、今から行いを改めなければいけないと言う意味では仏教はよく出来ているなと感じる。
悪い意味で点と点がつながる"因果応報"とはカジュアルな言い方をすると、"ツケが回ってくる"となる。
良いことが回ってくることを意味する『果報は寝て待て』とは、ツキが回るのを待てという意味だ。
"ツケ"の元になる悪い行為は、おそらく積極的に行われた行為のはず。
"ツキ"は、消極的に寝て待つだけで良いのだろうか?
『果報は寝て待て』ということばには、対をなすような『人事を尽くして天命を待つ』ということばが存在する。
"人事を尽くす"とは、やれるだけのことをやれと言う意味。
悩ましいのは、"人事を尽くす"人は大勢いるのに、なぜ果報は訪れないのかということだ。
疑うべきは、"人事の尽くし方"。
日本人や日本企業の劣化が取り沙汰されることが多いが、今と昔(と言っても前回東京オリンピックの頃の日本)を比べて一つ顕著に感じる印象の違いがある。
昔の日本人は手先が器用だったが、今の日本人は手先が不器用になっている。
不器用になっている理由は、ただ単に手先を使うことが減り、それが積み重なった結果だろうが、これが"人事の尽くし方"に大きく影響してる気がする。
手先が器用だった頃の日本人は、細部へのこだわりで優位を築いた。
人力でアナログの時代には、枝葉末節へのこだわりは、全体の質を上げるためには欠かせなかった。
しかし、機械化とデジタル化が枝葉末節へのこだわりを不必要にしていった。
そして現在は、幹や根が重要視されている。
日本だけでなく、世界中が幹や根を大切にし、枝葉末節を大切にしていない。
それは時代が大きく変化しているからで、最重視されてるのは、プラットフォームと呼ばれる基幹・基盤システムだ。
それに加えて世の中は、『具体的』から『抽象的』に価値観がシフトしつつある。
"仮想◯◯"と表現されるものは、抽象的の代表だ。
誰でも分かる価値から、分かる人にしかわからない価値にシフトしている。
この大きな流れの中で、"点"を作ろうと皆が躍起になっているが、その"人事の尽くし方"が間違っているのかもしれないと感じてる。
過去40年で動物の半分以上が消えた:gigazine 2018年02月10日
現在の天然資源の消費ペースを保ったままで、人類全体が将来にわたって生活を維持するのに必要な天然資源を算出すると、
人類全体で地球1個と半分の量にのぼる「天然資源が必要」とのこと。
また、人類全体がイギリス様式の生活を維持するには地球2個と半分の天然資源が、
そして人類全体がアメリカ様式の生活をするのには、なんと地球が4個分もの天然資源が必要と算出されています。
人類は、点と点を繋げながら生きてきたが、地球全体のエコシステムは点と点を断ち切られ続けている。
現在発生している幹や根を重視する動きと抽象的な価値観という流れは暫く続くだろうが、持続可能性(sustainabillity)に関連して一波乱追加されるだろう。
"点"を未来に向けてつなげることは出来ないが、逆張りというのは博打の王道でもあるので、不必要だと判断し見捨てた枝葉末節へのこだわりに活路を見出すというのはありかもしれない。