違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

謎が解決

買取大吉のことだ。

 

テレビのCMを見るたびに感じていた。

 

このCMにいったいいくら投じているのだろうか?

 

そして、それでも儲かるビジネスの仕組みってどうなってるのだろうか?

 

買い取りに持ち込む客はハッピーになれてるのだろうか?

 

そんな思いが拭えなかったから。

 

 

たぶんFC展開で、テレビCMをバンバン流すのは買い取り希望の客を募る以上にFC加盟を募ることが目的なんだろうなと感じる胡散臭さしか感じられなかったから。

 

しかし、買取大吉のサイトを見てもFC展開してる様子は感じられなかった、ザッとしか見てないからわたしが探せなかっただけでどこかに記載されていたのだろうか?

 

だから、何となくモヤモヤが残り続けていた。

 

しかし、今朝、X上で次のように話題になっていた。

 

 

 

わたしのモヤモヤ解消の参考になったXを以下に紹介。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実に興味深い内容が次々とここに来て暴露されている。

 

FCビジネスとネットワークビジネスって共通点が多そうだし、プレイヤーの多くはネットワークビジネスとFCビジネスを行ったり来たりしてそうにも感じられる。

 

 

まあ結論的には、買取店も質が悪いかもしれないが、持ち込む客も欲をかきすぎてるのだろうから、この両者の関係性は破れ鍋に綴じ蓋と言えそう。

 

 

モヤモヤが解消して朝から気持ち良い。

 

 

 

どこで『情報』が掴まれるのか

ちょっと面白い記事だった。

 

そこに書かれてることが全てのケースに当てはまるわけではないだろうが、構造は似てるはず。

 

元は朝日新聞の記事だが複数のニュースサイトともリンクしている。

 

 

 

なぜ匿流に狙われた? 流れた「情報」、捜査線上に浮かび上がった男

 

 

 

従来の解釈では、トクリュウ型の犯罪は目に見えるのは現場で実際に犯行を犯す複数の分業に分かれた使い捨て要員ばかりで、その使い捨て要員の上位にこれまた複数の見えない段階の立場がいるとされていた。

 

その最上位に位置する者は黒幕などと呼ばれていたが、上記の図に照らすとその黒幕は案件屋となるのだ。

 

上記のケースでは、ある会社の経営者が重機の置き場所を探して不動産会社と交渉した、結果的に交渉はまとまらなかったがその過程で具体的な資金計画なども明かしていたはず、その辺の情報がごっそり案件屋に流れたのだ。

 

交渉がまとまらなかったことに対する腹いせなのか、不動産会社の経営者自体が金銭トラブルでも抱えていたのか、そういう事情があれば持ってる情報で金稼ぎしたいという動機に繋がりそうだ。

 

 

思い出すのは、宝くじの高額当選者の情報は多様な業者に伝わっているという事実だ。

 

だから高額当選者の元には多様な売り込みや寄付を募る話が当選後すぐに持ち掛けられるらしいという話が多い。

 

この中には、当選者本人が浮かれて自慢したり匂わせ発言をしていたなんてケースも少なからずありそうだが。

 

ドラマでは家政婦やお手伝いさんから大金持ちの家の中の情報が漏れるなんて話も少なくない。

 

だいたい重要な情報が漏れる場合は、身近な関係だが信頼が一方通行の関係の元で起きるものだ。

 

 

便利だからと、自分に関係する情報をスマホで一元管理するような場合も要注意だ、特に金融資産等をアプリで管理するなんていうのは実は情報管理としては諸刃の剣であることはお忘れなく。

 

明らかに怪しい人物に対しては警戒心はすぐに発動するが、そうではない人物に対しては油断が発動される。

 

やっぱり、人を見たら泥棒と思えくらいがちょうど良いのかもしれない。

 

 

 

捨てたり拾ったり、捨てられたり拾われたり

実際に見ていて何も感じなかった、さらに言うと「随分久しぶりに見るな」とすら思った、ベッキーのことだ。

 

 

ベッキーの『イッテQ!』10年ぶり出演に賛否 根強い嫌悪感や反発をどこまで意識するべき?

 

 

こういう記事になったことで、「ああ、そう言えば一時期嫌われキャラになって、それ以降テレビに出なくなったな」と思い出した。

 

嫌われキャラになる直前までテレビを点けるとどんな番組でも見かけるいわゆるお茶の間の人気者だったことも思い出した。

 

テレビに出なくなって分かったのが、お茶の間の人気者と言っても実は女性からは年齢問わず結構嫌われていたらしいということだった。

 

ベッキーのような扱いを受ける女性タレントって意外と多いと思う。

 

人気者の座から転げ落ちる最初の一歩は身から出た錆だとしても、やったことに比べて厳しい扱いを受けるのは、反発してるのが女性だからでもあるのだろう。

 

 

不祥事で失った信頼や人気を取り戻そうと思う場合、一定期間の冷却が必要になる、そんな期間がほとぼりを冷ますとか禊などと呼ばれる。

 

 

記事に寄せられてるコメントを読むと、10年経っても受け入れられないという声もあれば、私のようにもう忘れたという声もある、10年経てば人だって変わるかもしれないが、それ以上に広い意味での環境も変化するはず。

 

ただし、やったという事実はついて回る。

 

 

10年ぶりにテレビでベッキーを見ても何も私が感じなかったのは、もともとベッキーに対して大した関心がなかったからでもあるだろう。

 

世の中には様々な事件が起きる、懲役〇〇年を経て法律的には清算が済んでることになったからと言って、世間が受け入れてくれるかは別の話だ。

 

捨てる神あれば拾う神あり、なんて言葉があるが、誰しも生きるということは捨てたり拾ったり、あるいは捨てられたり拾われたりの繰り返しなんだと感じる。

 

 

改めて、『捨てる』と『拾う』の漢字を見るとなんとそっくりかと気付く。

 

 

オープンの成れの果て

人間関係がクローズド(closed)と聞かされると封建社会のようなあるいは村社会のような閉鎖性が感じられる。

 

人間関係がクローズドだと嫌いな人間との関係性を受け入れるしかないと感じる。

 

それをネガティブに感じる人はオープン(open)な関係性の方に魅力を感じるはず。

 

昭和平成と時代が進むほどに多くの日本人はオープンな関係性に傾いたように感じるが、オレオレ詐欺のような身内や家族のフリをする詐欺に騙される事件が増えた背景に、オープンの拡大がそれまで成り立っていたクローズドな関係を壊すというトレードオフを起こしたとするなら考えものだ。

 

嫌(きら)いな人との関係を絶ったら、嫌(いや)な奴との出会いを余儀なくされたでは救われない。

 

そんなことを思ったのは次の記事のタイトルを見たから。

 

記事の内容はピンと来ないが寄せられてるコメントは興味深かった。

 

BeRealの次は韓国発のVlogアプリ「setlog」がブームに? Z世代の7割超が使う理由と「タイムリミットに追われない」クローズドな魅力

 

 

寄せられてるコメントを見てると、現代流のオープンにうんざりしたからといって求めるクローズドは、昔のクローズドとは違いあくまでもオープンを前提にした上でのクローズドなので所詮は中途半端なバイアスが掛かったオープンなのだと感じられる。

 

 

問題は、中途半端なオープンは是か非かだ。

 

 

ところでオープンとクローズドという対比で関係性を捉える話にはどんなものが過去にあったかなと調べると8年前の2018年頃に次のようなものがあった。

 

 

 

 

 

 

このツイートの話で思い出したのがどこかの誰かが、『誰もが本当に大事なことは自分の頭の中にクローズドな状態にしておけば、その本当に大事なことはAIだってリーチできないからAIは人間を超えられない』、と言っていたこと。

 

オープンは人間のあらゆる自己顕示欲や功名心を煽るので何でもかんでも喜んでひけらかすようになった、結果AIが猛威を振るうようになった。

 

なんだか最初は人間関係のオープンクローズドについて語っていたが、途中から知識や知恵のオープンクローズドについて語り始めたが、共通してるのはオープンは程々にするのが賢明だということだろう。

 

オープンの対義はクローズドだが、現実的にはフルオープンの対義を程々のオープンと位置付けるのが良さそう。

 

 

人はそれを中途半端と呼ぶかもしれないが。

 

 

 

沖縄県民以外には見えてなかった争点

多くの人は基地が争点だと思っていただろう。

 

正直言って私もそうだったし、もっと言えば限りなく無関心に近かった。

 

そして、次の記事のように高市支援派の候補だったと知って、沖縄県民は何考えてるんだろうと思ったりしていた。

 

 

 

 

 

しかし、何気なく見たあるツイートを見て「なるほど」と納得した。

 

 

 

 

 

過去2期知事を務めたデニーさんは期待されていながら期待を裏切っていたのだ、そしてその期待は決して基地ではなかったのだ、むしろ基本的なインフラ整備だったのだ。

 

 

 

 

 

このツイートに寄せられてる沖縄を知る人の賛同の声を見ると、選挙戦を報じていたマスコミの質の低さがよく分かる、それと同時にこの結果が高市政権に追い風と判断することが如何にピント外れかがよく分かる。

 

 

逆に言うと、古謝さんが基地を争点にして勝ったなんて思っているようだったら同じことが繰り返されるだけだ。

 

沖縄県議会は機能してるのだろうか、機能してるというのは意識が県民に向かっているかということだ。

 

 

 

 

 

もし、沖縄県議会が福岡県議会と同じレベルならば沖縄県民はまた裏切られるのかもしれない。

 

 

 

 

最低限の常識すら無いと

次の話を聞いてどう思う?

 

JAF呼ぼうと思ったら…来たのは“トクリュウ”

車が故障した20代男性がJAFを呼ぼうとスマホで検索しました。男性は出てきた連絡先に電話したといいます。

 

「JAFの関連会社だと思ったが、違うのでキャンセルしたい」

 

「お前が呼んだんだよな。電話でも言ったよな、料金の話はしたはずだ。どうやって金払うんだ。いくらなら払えるんだよ」

 

 

 

 

車を運転する人が持ってる常識は昔だってピンキリだったのだろうが、今はそのピンキリの幅がもっと広がっている。

 

上記の20代男性はきっとJAFが何なのかを知らなかったのだろう、ただ車の緊急時にはJAFを呼べば良いとだけ知っていたのだろう。

 

 

そして、それ以前に任意保険に加入してればたとえ車両保険には加入してなくてもロードサービスが付保されてる保険はあるし、そうじゃないとしても加入してる保険会社に情報を求めることが頭に浮かぶはず、そう考えるときっと任意保険には加入してなかったと思う。

 

また、任意保険とは別に新車であろうと中古車であろうとメーカー系のディーラーで購入してればディーラーに相談するということも頭に浮かぶはず。

 

任意保険にも加入しないし、メーカー系ディーラーではないところから車を購入するならば、それを補って余りある人間関係あるいはより高度な知識や経験が求められるのだが、おそらくそういうものはないはず。

 

もっともこの20代男性がどのような理由からにせよ、連絡を取った相手は筋金入りの悪党だったのだ。

 

 

 

このキャリアカーを手配したのが秋元容疑者です。

 

 レンタカー会社から1年近く借りておきながら、レンタル代を支払っていない疑いが持たれています。

 

 

 

 

朱に交われば赤くなると言うが、この場合、持ってる常識が欠如した者同士は出会うべくして出会うとでも言うのだろうか。

 

被害を受けた20代男性はおそらく何ら法律的には問題無いのかもしれないが、最低限の常識を持ってなかったがための自己責任としか思えない。

 

車が故障したと言うが、その原因はというときっとメンテなんてまったくしてないからという気さえしてくる。

 

私生活の切り売り

有名人の憂鬱が吐露されていた。

 

 

 

 

生きていると、総論賛成しかし各論反対という壁に直面することがある。

 

どちらを選んでも矛盾からは逃げられない。

 

本当は嫌だけど給料(あるいは報酬)のためにはしょうがない、そんな思いを抱えて生きてる人は大勢いるはず。

 

河相我聞さんの呟きを見て、Facebookを思い出した。

 

一気にブームになった、多くの人は会社からFacebookをやれと指示されたから始めたと聞いたことがある、わたしもやろうと思ったが(自分の意思のみで)実名でしかアカウントが作れないという点が克服できなかった。

 

実名でやるしかないという時点で、それは私生活の切り売りになることが避けられないと感じたから。

 

逆に言うと、会社の指示あるいは自分で良いと判断したにせよ、やり始めて『こんなつもりじゃなかったんだけど』という思いを味わった人は少なくないんじゃないかと思っていた。

 

リア充ブームともリンクして表面的にはFacebookは仕事も私生活も充実した人がやっているというイメージが定着した。

 

しかし、今となってみると、ブームになった頃に始めた人たちを見たその下の世代には魅力的には見えなかったようだ、だから若い人ほどFacebookを嫌がるようになった。

 

きっと、何をどう表現しても社畜アピールや私生活の切り売りにしか見えなかったからだろう。

 

 

しかし、ここに来て、私生活の切り売りを喜んでやっている人たちもきっと憂鬱を抱えるようになっているはず、なぜなら生成AIが登場したからだ。

 

切り売りする私生活のネタがおもしろいならば結構だが、そうでないならたぶん評価されることはないだろうから。

 

 

私生活の切り売りって大抵の場合、リア充アピールか失敗談のような自虐ネタで構成される。

 

良い意味で人の関心を引ける私生活の切り売りにはどんなものがあるのだろうか?

 

そんなことを日夜一生懸命考えてる人が少なからずいるんだなと思ったら………。

 

その結果が喜べるものならば悪くはないかもしれないが。

 

 

クワバラ、クワバラ。