違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

注文が多いメガネ選び

わたしの事だ。

 

10日前に実験を兼ねてメガネを注文した。

 

今日出来上がって色々と見え心地のチェックをしてみての感想が以下だ。

 

おそらく老化が原因なのだろうが、検眼の結果が最適だとは思えなくなって5年以上経つ。

 

最初は乱視の程度が関係してると思っていたがどうやらそれだけが理由ではなさそうで、試行錯誤を始めたのが2年前から。

 

詳しい経緯は省くが、JINSとの出会いがあったからで、それ以前のメガネと比べて安くメガネを作れるようになったことが大きい、

 

 

試行錯誤の中心はフレームの形状で3本ほど作った。

 

その結果一応の満足は得られていたが最近はその状態に不満を感じるようになったというか、更なる試行錯誤をしたくなったのだ。

 

今回はフレーム形状、正確には形状というよりも寸法に拘ったのだ。

 

 

 

 

上図の②の寸法(ブリッジ幅)を最初に意識してフレーム選びを行った、途中からはChaGPTにも相談したりして他の寸法も選択肢に加えた、尚わたしは可視光調光レンズを使っているので選択できる1.67という通常より一段薄いレンズを選んだ。

 

その結果が今日なのだが、フレームの変化とレンズを薄くしたことの効果だがどちらも僅かながら好感触に貢献してる気がする、どちらがより貢献してるのかは現時点では不明。

 

以前のフレームの時には左右に首を振ったりすると見え方に不満が大きかったのだが、それがずいぶん減少した、ただゼロになったわけではないので時間の問題でまた試行錯誤したくなるかもしれない、当面の試行錯誤は鼻当ての調整などのフィッティングに限られるだろうが。

 

小さな事が気になるタイプなのでめんどくさいと言えばめんどくさいが、小さな変化を楽しめるタイプとも言えそうだと自分をなぐさめるしかない。

 

 

何でもあるけど〇〇だけが無い

かつて日本の小売業界でNo. 1だったダイエーが衰退期に入った頃よく言われてたのが「何でも売ってるけど欲しいものだけが無い」だった。

 

欲しいものが売ってなければ業績が下がるのは当然で、その後イオンの完全子会社になった。

 

20世紀から21世紀へ移る頃に始まった話だ。

 

ものに執着する気がなければ、ダイエーで売ってたものがそんなに魅力が無いとは思わないと思うが、これはこれで空気のなせる業だったのかもしれない。

 

 

こんなことを思い出したのは、先日亡くなられた村上龍さんに関する次の記事を見たからだ。

 

作家・村上龍さん(74)死去 「経済的な勝ち負けだけが充実した人生の基準ではない」news23の取材に語っていた不確かな時代の“希望”

 

2002年に『news23』に出演した際には、次のように語っていました。

 

筑紫哲也キャスター(当時):

「村上さんは前の作品で、この国には何でもあるけども『希望』だけがないと書かれた」

 

村上龍さん:

「希望というのは、ある集団なら集団における、きっと明日・2か月後・1年後には、今より良くなっているだろうっていうような思いがないと、今を生きるのが難しいということなので。日本という大きな括りで、希望が今ないのか、あるいは必要なくなったのか」

 

 

 

その上で求められるのは、自分なりの“希望”だと教えてくれました。

 

 

 

村上龍さん:

「この前は、地方公務員と話したんですけど、『年収500万でいい』と言っていた。『とにかく残業したくないんだ』と、『8時に行って17時に帰りたいんだ』と、『休日はサッカーをしたい』と。大事なのは、そういった一種の経済的な勝ち負けだけが充実する人生の基準ではない。それが僕が一番大事だと思うんですよね」

 

 

 

『何でもあるけど〇〇だけが無い』、このような言い分が成り立つ場合の〇〇とは、みんながあるいは万人に共通した〇〇という存在があることが前提になりそうな気がする。

 

 

一人一人が自分が納得できるあるいは自分だけが満足できれば構わないと本気で思っていればダイエーの商品にさほどの不満は感じなかっただろうと思うと、20世紀は今よりもはるかに世間や周りの目を過剰に意識していたのだろう。

 

 

最近は『何でもあるけど〇〇だけが無い』というような話はあまり聞かない。

 

 

きっと多くの人が、少なくとも心の中では『自分なりの〇〇があればそれで十分だ』と思うようになってるからだろう。

 

『推し』なんていうのは典型的な自分なりの価値観や世界観だけで成り立つ、他人と共通する必要なんてない。

 

 

もし、何でもあるけど〇〇だけが無いという不満を抱えてる人がいれば、自分なりの価値観や世界観に目覚める必要がある。

 

付き合う人間関係も『自分なりの』基準をパスした人を中心にした方が良いということなのだろう。

 

 

お前の代わりはいくらでもいる

間違いなく存在していた価値観が無くなる(薄くなる、消える)という事がある。

 

上記で『価値観』と表現した部分は、『企業』や『業界』や『業種』などとも置き換え可能だし、もちろん特定の個人名が似合う場合もある。

 

特定の個人の場合は、間違いなく人気や権力を持っていたはずなのにそれが消えてしまう、神通力を失うとでも言えるだろう。

 

まあ、化けの皮が剥がれると言った方が分かりやすいかもしれない。

 

直近で言うと次の話になる。

 

 

 

 

ルール違反や不祥事がきっかけのようでもあり、ずっと嫌われ続けていたからのようでもある。

 

個人的には次も構造は似てるように感じる。

 

 

 

 

 

これらの話題を一般論のレベルで総括すると次のようになるのかも。

 

 

 

 

 

強者が弱者に転落するような価値観の転換が起きるような場合、強者時代には『お前の代わりはいくらでもいる』と周りに猛威を振るうが、いつの間にか同じことを自分が言われるようになるという逆転現象が起きる。

 

 

『お前の代わりはいくらでもいる』という表現はビジネス界隈の上下関係や主従関係の中でよく使われるように思われがちだが、人間関係が発生する現場全般で大なり小なり起きている。

 

離婚や絶交なんて典型だろう。

 

 

『お前の代わりはいくらでもいる』と言われてる人は、言ってくる相手に思い切って『お前の代わりはいくらでもいる』と言い返すくらいがちょうど良いのかもしれない。

 

 

群れの中でしか生きられない人は大変。

 

 

新たな自己責任

最近情報漏洩の話題が多い。

 

『情報』と大袈裟に表現するとお宝感が満載だが大抵の場合は名前とメルアドくらいかもしれないが、それが原因で変なメールが来たら気持ち悪いのは間違いない。

 

中にはタイムズカー(パーク24)のように顔写真付き運転免許証情報を含めたものが660万件も漏洩すると、該当者は心穏やかではいられないだろう。

 

少し驚いたのは焼肉きんぐの漏洩件数が1078万件にも達するということだ。

 

漏れた情報は会員番号、氏名(アプリ登録名)、メールアドレス、電話番号にとどまってるらしいが、何より驚いたのはその件数の多さだ、ちなみに私は焼肉きんぐなんて使ったこともないし、あああそこにあるななんてすら分からない、だから会員登録してる人だけで1078万あるということは、会員にはなってないが利用したことはあるという人まで含めたら一体どのくらいのユーザーを持ってるのかと驚く。

 

 

様々な種類の情報漏洩が起きてるが、どれにも該当してない人もいれば10も20も該当してる人だっているのだろうと思うとピンキリの世界観が感じられる。

 

 

つい先日(10月6日)、デジタル大臣がこんなことを言った。

 

不正アクセス頻発「自分の情報は自分で守って」 古川デジタル相

 

 

言ってることが間違ってるなんて思わないが、それをお前が言っちゃあおしまいだろうとも感じた、なぜならデジタル庁も情報漏洩してたから。

 

職員の個人情報の漏えいについて
公開日:2026年8月7日

 

アナログ時代には、自分こそが自分だと誰もが信じられていたが、デジタル時代の自分は情報なのだ、しかし自分の情報の管理や内容把握を徹底できてる人はどのくらいいるのだろうか?

 

そう思うと、現代の自己責任は自己責任の範疇を超え始めてるなとゾッとしてくる。

 

 

ボケてる暇なんか無いと思うか、それともいっそボケたら楽になると思うか。

 

 

いずれにせよ自己責任にされるのだ。

 

先が見えやすい、みんな知ってるから

「ふ〜ん」と思いながら読んでみた。

 

井上貴博アナ、生放送で人材募集「『Nスタ』も深刻な状況でして」人手不足を赤裸々告白

「テレビにご興味のある方、お待ちしてます」とカメラ目線で呼びかけると、スタジオから笑いが起こっていた。

 

 

記事を読んでるだけで実際のシーンを見たわけではないが、スタジオから笑いが起きたわけは記事のコメントが分かり易いし、今となっては誰でも容易に想像できるだろう。

 

スタジオで起きた笑いはきっと失笑であり自嘲だと想像できる。

 

 

コメントの一部を引用する、すでにみんな知っていることだが。

 

子どもの友人が何人か派遣でテレビ局で働いています。もちろん裏方です。テレビ報道ではよそのセクハラパワハラには大変厳しいですが、身内ではやり放題だそうです。 1人の子は体を壊してやめました。

 

 

NスタのディレクターやADなんて9割以上が、外部制作会社の派遣スタッフ。 信じがたいほどの薄給で働く彼らのおかげで、局アナや局社員がべらぼうな高給をもらって甘い汁を吸っていることくらい井上アナは知っているでしょう。

 

 

同じTBSの安住さんが仰っていた。帯の1~2時間情報番組、概ねスタッフは300人はいるそうです。しかし、TBSの社員さんは10人もいないと。下請け・孫請け・その関連会社の人ばかり。なので、timeの様な新番組が始まると「この人誰?何の係?ホントに番組スタッフ?」という疑心暗鬼が湧き出るそうです。

 

 

今職探ししてるんですけど、ずーっと残っている求人は介護とか看護助手、給料が安いとこばかりです。あとラーメン屋とか。人気ありそうだなってとこは給料そこそこでも年間休日125日はあるとこで、そういうとこはすぐ求人が殺到するのかすぐ求人消えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今や多くの人が知っているのが、人手不足に陥る企業や現場は働きたい人ですら働きたくない環境だからということ。

 

ここでいう環境には様々あるが、実際には働かなければ分からないはずの人間関係すら働く前から透けて見えることも大きいはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

今、フランスのパリでは高校生が暴動を起こしている、学校の環境が劣悪だから、なぜ劣悪になってるかというと政府の教育予算の削減に伴う教師不足や学校の備品不足や校舎の老朽化に対応できないなどが原因で、一方日本でも教師不足は起きている、こちらは教師のなり手が少ないから。

 

ひとえに忙しいから、若い人の多くはつい最近まで学生だったわけだから先生がどんな生活を強いられるかを知っている、生徒にもその親にもモンスターが少なくないことを知っている。

 

そんな中で教師になると、付いてくるのは授業以外に「部活+保護者対応+事務+校務+雑務」、しかもこれを教師全員で分担するわけではなく、どちらかというと若手教師に押し付ける傾向が強いことをみんな知っている。

 

昔の人手不足は、その業界や業種が拡大してるからあるいは人気があるから起きるものだったが、今の人手不足はその逆の理由で起きている。

 

どんなバクチであっても逆張りという戦略は成り立つ、人手不足を取り巻く環境をどのように捉えれば逆張りは成り立つだろうか?

 

 

自分を守る武器

誰しも自分なりの相場感覚を持ってるはず、あらゆることに関して。

 

この相場感覚があるから損だ得だと一喜一憂することになるとともに、生じた結果に対して一定の納得感も得ているはず。

 

スーパーのチラシで安い商品を探すのも相場感覚ならば、いつ買っても同じ値段だからコンビニは買いやすいと思うのも相場感覚だ。

 

日常的にスーパーで買い物をする人とコンビニで買い物をする人が同じ商品あるいは類似した商品を買い続けた場合、支払いの累計額はかなり違うことになるはずだが、両者はその違いを知れば驚くかも知れないが、一定の納得感が崩れることは少ないはず、それが身についた相場感覚の為せる術だ。

 

先日、買取大吉の買取価格の低さに不満を訴える人が多いという話題を取り上げたが、中古品になると相場感覚は養うのが難しくなるはず。

 

世間には得した損したという情報が溢れている、しかも本当か嘘かも曖昧な情報が。

 

しかし、それらを含めて接した情報は自身の相場感覚に確実に影響を及ぼす。

 

相場感覚の場合、直接的にはほとんどの場合が金銭的な価値や評価を意味するが、間接的には安全や安心に対する価値や評価も示す。

 

怪しそう、危なそうと感じたら近づかない、あるいはそれが分かった上で近づく、そういうのも相場感覚だ。

 

そして、後者の相場感覚は現代ではますます重要だ。

 

訳の分からない事件や事故が多い。

 

そういう事件や事故に遭わないあるいは巻き込まれないために何が必要か?

 

事故や事件の概要や全貌を知るほど、直前にできることは何もないという場合が多い。

 

つまり、事が起きる直前より前が分かれ目なのだ、前兆現象をどこに感じるかだ。

 

そういう場合は、その時間帯にそんな場所に近づかないという説明し難い相場感覚が重要になる。

 

命を守るための相場感覚だってあるのだ、その場合相場感覚を持ち合わせてなければ損では済まない。

 

 

そういう場合の相場感覚は嗅覚なんて呼ばれることも多い。

 

 

人としてどんなセンサーを持ってるか、あるいはその感度をどこまで高めたかが自分を守る武器になる。

 

謎が解決

買取大吉のことだ。

 

テレビのCMを見るたびに感じていた。

 

このCMにいったいいくら投じているのだろうか?

 

そして、それでも儲かるビジネスの仕組みってどうなってるのだろうか?

 

買い取りに持ち込む客はハッピーになれてるのだろうか?

 

そんな思いが拭えなかったから。

 

 

たぶんFC展開で、テレビCMをバンバン流すのは買い取り希望の客を募る以上にFC加盟を募ることが目的なんだろうなと感じる胡散臭さしか感じられなかったから。

 

しかし、買取大吉のサイトを見てもFC展開してる様子は感じられなかった、ザッとしか見てないからわたしが探せなかっただけでどこかに記載されていたのだろうか?

 

だから、何となくモヤモヤが残り続けていた。

 

しかし、今朝、X上で次のように話題になっていた。

 

 

 

わたしのモヤモヤ解消の参考になったXを以下に紹介。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実に興味深い内容が次々とここに来て暴露されている。

 

FCビジネスとネットワークビジネスって共通点が多そうだし、プレイヤーの多くはネットワークビジネスとFCビジネスを行ったり来たりしてそうにも感じられる。

 

 

まあ結論的には、買取店も質が悪いかもしれないが、持ち込む客も欲をかきすぎてるのだろうから、この両者の関係性は破れ鍋に綴じ蓋と言えそう。

 

 

モヤモヤが解消して朝から気持ち良い。