違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し

最近妙に思い出されるのが野村克也さん(故・野村監督)の言葉。

 

一番好きな言葉は、

 

勝ちに不思議の勝ちあり、

負けに不思議の負け無し

 

 

野村さんの言葉だと思っていたが、江戸時代の剣術家の言葉らしく、つまり野村さんにとっては座右の銘となるようだ。

 

 

他に野村さんが言っていた言葉として好きなものに、

 

 

三流は無視される

 

二流は称賛される

 

一流は非難される

 

 

がある。

 

 

現代人は言葉遊びが好きだから、一流の上に超一流を置くようになり、超一流は称賛されることが多い。

 

野村さんの言葉を借りるなら、肩書きは何であれ称賛されているなら、あるいは称賛を受け入れてるようでは実は正体は二流なのかもしれない。

 

 

野村さん曰く、一流が非難されるのは他人と群れず常にマイペースで行動するからで、つまり付き合いが悪い、冷たい、となるかららしい。

 

一流になるための第一歩が群れないことだとすると、理屈でそのことを理解していても最初の懸念が、現代だと情報不足に陥るということらしい。

 

なるほど分からなくもない。

 

しかし、よくよく考えると、流通する情報とはほぼ何らかのフィルターを通過したものだ。

 

真に有益な情報ならば誰だって独り占めするか、伝える相手は厳選する、だから簡単には回ってくるはずがない。

 

つまり、世間を流通する情報のほとんどはどうでも良いものばかりと判断できる。

 

少なくとも発信者にとってはどうでも良い、あるいは手元で独占する価値を感じてないのだ。

 

 

それよりも大事なことは、自分にとって大事な情報は何かを独りで考えることだ。

 

その結果、自分が求めるべき情報が見えてくる。

 

求めるべき情報が見えるということは、必要ない情報が何なのかも見えてることになる。

 

この一連の作業は、群れてるとできない、雑音が多過ぎるから。

 

 

野村さんはこうも言っている、

 

孤独に耐えろとは言わん、『孤独』を誇れ

 

 

 

日本で要領良く生きてる人を見ると、まだまだ人脈やコネがある方が有利に見える場合がある、だから群れることに活路を見出そうとしたくなるかもしれないが、それは錯覚なのだ。

 

日本で生きる日本人には必要なのが野村克也さんの言葉かもしれない。

 

 

勝ちに不思議の勝ちあり、

負けに不思議の負けなし

 

文化としてのチップについて

次のツイートは本来は英語で発信されたもので、わたしは翻訳済みの状態で目にした。

 

 

 

 

おまけに、添付された写真がサッカーの日本サポーターと思しき人物なので、てっきり日本人が日本にチップ文化が根付かないことをdisってるとばかり思ってしまった。

 

念の為に付け加えるとアカウント主はパロディアカウントを標榜している。

 

しかしリプライを見ると翻訳済みばかりなので、反応してるのが日本人というわけではない。

 

もちろんわたしの辞書にもチップなんて載ってないので、文化としてのチップへの理解度は極めて低い。

 

こんな時にはChatGPTだと思い聞いてみた。

 

以下はその答えの要約。

 

① アメリカ型「チップ前提社会」

代表例:アメリカ合衆国、カナダ

  • レストランで15~25%
  • バーやタクシーでも支払う
  • ホテルのポーターやルームサービスにも渡す
  • ほぼ義務に近い

これは「感謝の気持ち」よりも、従業員の賃金制度と結びついています。

 

そのため払わないと「失礼」ではなく「給料を削った」に近い感覚になります。

 

② ヨーロッパ型「ほどほど文化」

代表例:フランス、ドイツ、イタリア

  • サービス料込みが多い
  • 必須ではない
  • 端数を切り上げる程度

 

例えば、

  • 18ユーロ → 20ユーロ払う
  • 47ユーロ → 50ユーロ払う

という感じです。

 

「良いサービスだったから少し上乗せする」が基本です。

 

 

③ 東アジア型「不要文化」

代表例:日本、韓国、中国

  • 原則不要
  • むしろ戸惑われることがある
  • 高品質サービスは料金に含まれる

 

特に日本はこの傾向が強いです。

 

 

 

ChatGPTやるじゃないかと思ったのは次の説明もされていたから。

 

 

実は日本にもチップに近い文化はあった

完全になかったわけではありません。

心付け(こころづけ)

旅館や芸者、引越しなどで渡すお金です。

例えば、

  • 仲居さん
  • 大工
  • 職人
  • 引越し業者

 

などに渡していました。

 

ただし、

 

良いサービスへの対価

 

というより

 

よろしくお願いします

 

という意味合いが強かった。

 

欧米のチップとは少し違います。

 

 

日本人は「チップそのもの」が嫌いなのではなく、人によってサービスの質が変わる仕組みを嫌う傾向が強いように見えます。

 

 

 

 

これらを踏まえてツイートの状況を解説するとどうなるかを聞いてみた。

 

 

 

 

  • アメリカでは近年「自動チップ(automatic gratuity)」
  • 「サービスチャージ」
  • 決済端末で18%、20%、25%が最初から表示される仕組み

 

が急速に広がっているのは事実です。

 

この原因はチップを払わないことも含めた以下の総合的な対策としてのもの

 

  1. キャッシュレス化
  2. 人件費上昇
  3. チップ未払い対策
  4. 観光客増加

 

 

 

ではChatGPTとしてはチップに関してどう思うかを聞いてみた。

 

私自身は、

 

チップが事実上必須なら最初から価格に含めるべきだ

 

と思います。

 

実際、近年のアメリカでも「チップ疲れ(Tip Fatigue)」という言葉が生まれ、事実上の義務チップに対する反発が増えています。

 

結局のところ、

 

「チップ文化を守るべきか」ではなく、「客が支払総額を事前に分かるようにするべきか」が本質的な問題だと私は考えます。

 

 

 

 

海外(特に北米)に行く人は円安の心配に加えてサービスが発生する支払いは支払う度に支払い総額も心配する必要があるのは避けられなさそう。

 

タイパやコスパの正体

誰だって縛られてるものがある。

 

万人が等しく縛られてるのが1日は24時間という時間だ。

 

だから寝る時間がもったいないという発想に繋がりがち。

 

1日は24時間、その中で何にどのくらいの時間を割り当てたか、あるいは割かれてしまったかを気にするようになる。

 

それが得に繋がったか、あるいは成果に貢献したか、はたまた損に繋がったのか、あるいは無駄だったのか。

 

そういうことを気にすることがタイパの正体だ。

 

物理的に1日を24時間以上にはできないことをネガティブに捉えるからこその発想だ。

 

 

そんなことを次の記事に感じた。

 

「オールドメディアの仲間割れ」? “テレビ離れ”あおりが過熱化…「20代の7割が見ず」報道がはらむ《ミスリードの正体》

冷静に読むと、「あれ?  録画や配信で見た分はテレビ番組じゃないの?」と気付くのではないでしょうか。これは「リアルタイムでテレビを見た人」の調査であり、録画や配信での視聴は含まれていません。

 

 

テレビなんか見ない人とカウントされてる人が、テレビで流された情報を知らないわけでもなく、関心を持たないわけでもない。

 

情報の質は大事だが、それ以前のとりあえず情報を入手する第一段階はどこからでも何からでも構わない。

 

第一段階で興味を持てばより詳しく正確に知りたくなるし、それが自分にどう関係するのか、世間にどのような影響を与えているか、という第二段階に進む。

 

第二段階に進むと、情報はより高度になるので入手や解釈に時間を費やすことになる、情報と書いたが趣味や推しなどと置き換えても同じだ。

 

細かく見ると、1日24時間を何にどのくらい割り当てたかという時間の配分の制約は意識し始めるとキリが無くなるが、最小でも最大でも1日24時間なのだ。

 

 

コスパも同様だ。

 

個人としての考えと法人や組織としての考えはあれども質的には同じだ。

 

こちらは、タイパの時間とは違い、お金や資金は人それぞれに違う。

 

しかし、持ってるお金の範囲あるいは調達できる範囲という自ずと生じる限界点がある。

 

その限界内の範囲でやりくりし、そのプロセスや結果に対して一喜一憂するのがコスパの正体だ。

 

一旦意識し始めるとキリがないという意味ではタイパもコスパも正体は同じだ。

 

タイパにしてもコスパにしても、求めるに当たって前提になるのが、すでに知っていることの組み合わせに縛られることだ。

 

知らないことを前提にタイパやコスパという価値観は機能しない。

 

タイパやコスパを意識してそれに囚われてる人が結果や効率を求めれば求めるほど、そしてそれが低年齢化すればするほどトレードオフの関係になるのが極めて個人的なことだ。

 

本当は自分が何が好きあるいは嫌いなのか、何に興味があるのか、自分のテーマは何か、こういうことは失敗や試行錯誤の結果わかるもの。

 

しかし、タイパやコスパを意識するあまり失敗や試行錯誤を無意味だと思うと、自分が自分のことをよく知らないということに繋がる。

 

極めて個人的なことの中にはタイパやコスパと馴染まないものが少なくない、本当は何よりも優先すべきことがあるかもしれないとすれば、実に残念なことをしてることになる。

 

 

 

何よりも優先すべき極めて個人的なことなんて全くないという人がいたとすれば、それこそが最も残念なことかもしれない。

 

 

 

年齢を経た人が、自分にとって優先度が低いことはしたくない、そういう意味のタイパやコスパならが幸せに近づくかもしれないが、若い人が夢中になる価値観ではないはず。

 

 

トクリュウ(匿名流動型)犯罪が増えるのはタイパやコスパと無関係では無い気がする。

 

 

サッカーワールドカップに感じるJTC

2024年の日経新聞の記事。

 

最近よく見る「JTC」とは? 古い企業体質、変革を模索

「JTC」という言葉をよく目にするようになりました。ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー(伝統的な日本企業)の頭文字で、上意下達の企業文化や硬直的な組織運営を皮肉る際に使われます。

 

 

 

JTCなんて知らなかったが、2014年を最後にサッカーのワールドカップの日本企業スポンサーはゼロだと知って調べてる中で出てきたのがJTCだった。

 

以下の図はTwitterから拾ったもの。

 

 

 

日本企業がスポンサーから撤退した時期というのは、主催者である国際サッカー連盟(FIFA)が贈収賄疑惑を盛んに取り沙汰されていた、そのことが撤退を支える理由となったとChatGPTが教えてくれた。

 

会社の業績や広告効果を考えると費用対効果はもはや低いが、止めるためには別の正当な理由を模索していたタイミングで、怪しげなFIFAとおさらばするという大義名分を見つけた、ということのようだ。

 

この、他人の顔色を伺うという行動こそ、がJTCの本質なのだ。

 

徒党を組んだり、村八分にしたり、名誉は欲しがるけど本質はセコいだけ、いかにも古き悪き日本そのもの。

 

と、見えるが、プロ野球やMLBと比較すると、違いも感じる。

 

 

スポンサー料がそもそも違い過ぎるという問題はさて置いて、スポンサーになるに相応しい企業のトップや決裁権を持った人から見て今だったら野球には頂点に大谷翔平がいる、それだけで応援する価値を感じられるかもしれないが、サッカーの頂点には誰がいるだろうか?

 

たぶん、日本人や日本企業にとって三浦和良が選手として中心にいた頃には、応援するための物語を描きやすかったかもしれないが、近年は平均点はずいぶん高くなったが物語には不十分な役者しか揃ってないと見えるだけかもしれない。

 

つまり、にわかファンがほとんどの数年に一度のビッグイベントでは象徴的な推しになり得る個人の存在が不可欠なのだ。

 

今日のブログはJTC的なものをバカにしようと思って書き始めたのだが、野球との比較で物語性という大義名分の有無が大きいと気付くと、そりゃあスポンサーにはならないよなとしか思えなくなった。

 

 

コスパという概念はさて置き、サッカーワールドカップのスポンサーに日本企業がなることのメリットって何がある?

 

 

逆に言うと、大谷翔平が引退後のWBCって魅力あるのだろうか?

 

そういえば、今年のWBCはその前の大会ほど盛り上がらなかったのは優勝できなかったことやNetflixのせいで地上波放送が無かっただけではなく、そもそも物語として出来が良くなかったのだ。

 

いや、2023年のWBCが一期一会だったのだ。

 

 

そう考えると、今年のワールドカップで日本が優勝したとしても、次のワールドカップでも日本企業はスポンサーにはならないよなと思えてくる。

 

ゴキブリ並みなのはクマか人間か

日本の学者や研究者はフィールドワークをしないと言われる。

 

汗をかいたり危険に近づいたり、身体を駆使することを嫌がり、大好きなのは椅子に座って机に向かうこと。

 

だから、現場を知らないし現場に興味を持たない、と言われる。

 

 

やっぱりな、と思わされる記事が出ていた。

 

 

岩手のクマ、5200頭か 推定数大幅増、捕獲強化へ

これまで推定していた3700頭を大幅に上回り、協議会は2026年度の捕獲数について、当初の上限とした796頭を超えて進める方針を決定。

 

 

 

推定の6倍以上『ツキノワグマ』8700頭生息 出没も過去最多ペース【新潟県】

2024年度は推定およそ1400頭でしたが、昨年度は推定8700頭。6倍以上です。

 

 

 

記事のコメントを見ると、これでも現実には過小評価でクマの生息数はもっと多いはずと地元の人や事情通は感じてるらしいことが分かる。

 

 

ゴキブリは一匹見たら百匹はいると思えと言われる、きっとそれと同じことがクマにも当てはまると思わざるを得ないのが現実なのかもしれない。

 

 

田舎や里山付近の人口が減少したことでクマの活動領域が拡大したなんていう説もあるが、単純にクマの生息数が増えたことで山から追い出されてるクマが増えてると考える方がしっくりくる。

 

 

人口減少中の日本だが、それでもクマから見るとゴキブリ並に次から次に湧いて出るように見えるのが人間なのかもしれない。

 

 

本当は嫌いだった

糸井重里って好きではないのだが、次の記事には賛成。

 

糸井重里氏、巨人のヒーローインタビューで「最高でーす」連発に苦言「めっちゃ嫌い」ネットも賛同

何を聞かれても『最高です!』を連発していました。ファンは盛り上がりますが、巨人ファン以外は理解できない人も多いのも事実です。

 

 

 

さらに興味深かったのは、寄せられてるコメントのほとんどが同じことを思っているというものだったこと。

 

みんな思ってることだとしても、敢えて話題にするほどでもない、その程度のどうでも良いことだとしても、繰り返し聞かされると結構なストレスになる、そんなストレスを感じてる人は少なくなかったということが分かって安心した。

 

 

記事に書かれてる内容は、阿部元監督が事件を起こしたからこそ言えたのだろうし、人間って評価される時はそれも厳しく評価される時は、どうでも良さそうなことが一事が万事のように付き纏うのだ、自分の愚かで不用意な言動が自分のストーカーになるのだ。

 

 

事件を起こしたり、過ちを起こした時に、その人を直接間接に知る人がどのような反応をするかは、結構的を射てるものだ。

 

日常ではなんとなく許容されてるかに見えることが、本当は周りの人を不快にさせていたなんてことは実は多いはず。

 

そんな不快さに声が上がるのは許容を超える失敗を犯した時で、表面的にはたった一度の失敗のように見えても、周りの人には積もりに積もった不快がダムが決壊するように溢れるのだろう。

 

 

類似したものにプロ野球では審判への態度で退場を命じられる選手もある。

 

退場させられたその時の理由だけでなく、それ以前からの態度の積み重ねの結果でもあるのだ、まあいわゆるブラックリストに載ってるというやつだ。

 

 

なんとなく許容されてると思っていても、本当は周りを不快にさせてる、そういう事には注意しよう、なんとなくでも本人は気付いてるはずだから。

 

 

許容されてると感じることで生じたかに見える所与性は、ある日突然消えるかもしれない。

 

 

周りから一斉に声が上がってからでは自業自得でもう遅いのだ。

 

回避困難な危機からどう逃げる

TwitterにJAFの広告が出ていた。

 

その広告に惹かれてリンク先に入った。

 

以下はその広告のスクショ。

 

 

 

ずっと以前から、逃げようのない危機やピンチにどう対処するべきかは、何もない平常時に策を考えておかねばと思ってはいるが、本当に逃げようが無いシチュエーションは確実に存在する。

 

 

記事から引用すると、

 

自動車同士の交通事故において、過失割合が「100対0」となるケースは、主に「追突」と「センターラインオーバー」です。その理由は、いずれも被害者側に落ち度がなく、かつ逃げ場もないため、衝突を回避することが困難だからです。

 

 

報道などで伝えられる事故には中央分離帯がある反対車線から突っ込んで来るなんて事故もある。

 

JAFのレベルで訴えることができるのは、

 

唯一取れる対策は、やはりできるだけ車間距離を取るということになります。

 

 

 

しかし、これでは本気で万能の対策を探してる場合の答えとしては不十分なのは当然だ。

 

やっぱり、車の挙動や運転の仕方などから怪しさにいち早く気付く能力を持つしかないような気がする。

 

勘が外れたって構わない、変だなとか怪しいなと思ったら遠回りになっても同じ道を走らないようにするとか、必要がなくても休憩を取るとかして、同じ時間帯に同じ道に存在しないようにするしかないだろうが、それだけでも不十分だが後は運しかないのだろうか?

 

運転手が居眠りとか気を失ってる場合だと、本当に避けようがないが、前兆現象として煽り運転を感じるならば、もし煽りの対象として自分が狙われてるならば下手に逃げようとしても追い回されるだけだろうが、その場合には自分自身に過失があると思うべきだろう。

 

そういうつもりでの事前の心の準備は必要だ、くらいのことしか思い付かない。

 

 

回避困難な危機なんて無限にあると思うと、油断する暇なんて無い。