違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

地味で深刻な社会問題の〇〇年周期説!

社会問題と言って何を連想するだろうか?

 

最近だったら煽り運転なんて連想するかもしれない。

 

 

Wikipediaでは社会問題のことを、『一般に広くその存在が知れ渡っている未解決の普遍的な問題・懸案事項のこと。』と説明している。

 

Wikipediaの定義に加えて、当初は良いことだと思われたり、便利だと思われたりしたからこそスタートしたのにやがては社会問題になった事柄で現在の問題でもあるものを探してみた。

 

今日次のようなニュースを見た。

 

ペットボトル入り飲料水の販売禁止 ── サンフランシスコ国際空港で  Aug. 23, 2019

  • サンフランシスコ国際空港では、8月20からペットボトル入りの飲料水が販売禁止となった。
  • 搭乗者は、再利用可能な水筒を自分で持ち込むか、空港で購入することができる。保安検査場を通過した後のエリアに設置された「給水ステーション」での補給も可能。
  • フレーバーウォーター、ジュース、炭酸飲料などは、まだペットボトル容器のものも販売できる。水であってもガラスやアルミ缶などの容器であれば販売できる。

 

プラスチックゴミの海洋汚染が深刻な社会問題になったことを受けての措置で試行錯誤の第一歩の一つだ。

 

ペットボトルは1973年に特許が取得され、日本では1977年に醤油の容器として開発され、1982年に飲料用への使用が認められたとWikipediaには書いてある。

 

ペットボトルが出てくるまでは、液体の容器はガラス瓶が主流だった。

 

ガラス瓶に不都合があるとすれば、衝撃を与えると割れることであり、それなりの重量があることも輸送や運搬や取り扱いに不都合な影響を与えただろうと思える。

 

そんなペットボトルは、プラスチックという括りで大きな社会問題になっている。

 

現在顕在化してるのは海洋汚染だが、微細に粉末化したプラスチックゴミが体内に取り込まれた場合の不都合はまだ研究すら始まってなさそうだ。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降でプラスチックゴミを見ると、

 

GoogleTrends「プラスチックゴミ」2004年以降

 

最近急激に盛り上がっているのは、報道でプラスチックゴミが漂う海の映像が頻繁に出るようになったからだろう。

 

それ以前は、プラスチックゴミは分別収集やレジ袋が検索の中心だった。

 

このグラフに海洋汚染を加えると、

 

Google Trends「プラスチックゴミ」「海洋汚染」2004年以降

 

グラフから伺える印象だと海洋汚染というのは最近は大きな関心は持たれてないことが分かる。

 

海洋汚染という認識よりも、プラスチックゴミの問題と認識されているのだろう。

 

関連するキーワードを見ると、

 

関連するキーワード

 

東日本大震災以降は、海洋汚染と言えば放射能汚染で、都市部の人しか関心を示してないようだ。

 

ペットボトルに比べるとプラスチックは歴史は古いが、普及という意味では1960年以降。

 

世の中に便利を提供した新素材は、50年程度を経過すると負の側面が牙をむき出したと言えそうだ。

 

 

 

ペットボトルの普及とシンクロするように24時間営業が増えだした。

 

社会や生活のインフラが充実してくると、警察や救急や消防といった公的な存在だけでなく、民間でも裏方作業や保守やメンテナンスなど24時間体制が必要になってくると移動や輸送を支えるためにガソリンスタンドやドライバー相手の飲食店の24時間化も広まることになり、コンビニが24時間化した後は一般人のライフスタイルそのものが変化して行ったのが1980年代の半ば頃。

 

夜起きてるのは泥棒だけだと言われた時代はいつの間にか終わっていたのだ。

 

余談だが、24時間化が普及するとお化けや幽霊が怖いものではなくなったような印象がある。

 

夜は暗いのが当たり前だった時代には、お化けや幽霊だけでなく犯罪など悪いことも夜起きていたようなイメージがある。

 

24時間化の普及は、犯罪などの悪いことも24時間化させたが、もともと夜に生きていたお化けや幽霊にとっては居心地が悪くなっただろう。

 

それから40年超の現在、24時間化は見直しの動きが出ている。

 

きっかけは東日本大震災で電力が危機に瀕する中でエネルギーの無駄使いが嫌気を持たれたからであり、24時間化が人間の心と体に悪影響を及ぼしてると分かったから。

 

 

 

便利や快適で豊かを描いて取り入れたモノや仕組みが、40〜50年経つと反省と教訓の社会問題に繋がるのは興味深い。

 

ネット上にはさまざまな〇〇年周期説がある。

 

正しいと思ったことが間違いだったと分かるまでに50年かかる、人類はこのような歴史を繰り返しているのかもしれない。

 

『知識』に関する禅問答!

何でも検索すれば分かる時代では知識に対する評価が下がる傾向にあるが、それでも知識は高めた方が良いという話をしてみたい。

 

何を隠そう今日のブログを書くまでは、私自身が知識をバカにしていた、その理由の一つが昨今のクイズ番組ブーム。

 

高学歴の芸能人や現役の大学生がクイズに夢中になってる姿を見て、頭脳の活かし方を間違ってると感じていたからだ。

 

しかし、急にそんな私の考え方の方が間違ってるかもと気付いた。

 

 

 

例えば煽り運転。

 

今回煽り運転で逮捕された宮崎文夫は、逮捕後は「やりすぎた」と反省の弁を口にしているようだが、リアルタイムでは自分が何をしてるかに気付いてなかったのかもしれない。

 

世の中に煽り運転というものが存在してることは知っていても、自分がやってることが煽り運転だとは気付いてなかった(=知らなかった)のかもしれない。

 

そして、むしろ逆に自分の方が先に嫌がらせや煽りを受けたとすら思っていたのかもしれない。

 

類似事件や類似事故の再発防止のためには、知ることが肝心で周知徹底などと言われるが、それらは結果として呼び名を知ってる程度の単なる知識にとどまり、その中身までは理解されてないことが多いかもしれない。

 

煽り運転に関しても、世間の人は「またか」と思うが、煽る側は煽っているとは思ってないかもしれないので、実質的には全ては新規に起こる新種の事件や事故となる。

 

煽り運転ということばを知っているだけでは抑止効果は小さいのだ。

 

 

禅問答のようになるが、

 

知らないことは想像できない、

 

知らないことは調べられない、

 

知らないことは心配したり気にすることができない。

 

 

 

穴埋め問題に正解するだけだと正しい知識があるとは言えない。

 

問い)この著者の作品を三つ上げろ

 

この問いに正解を出せたとしても、その著作を読んだことがなければ本当の意味での知識にはならないだろう。

 

私たちが日常生活で知識と呼んでるものの多くは、それ単体では役に立たないことが多いのは、知ってるのが表面的なことで中身を知らない(=理解してない)からだ。

 

 

知るという簡単に感じられることは、理解することまで求められるとすればとてもハードルが高いのかもしれない。

 

知識なんか無くても検索すれば大丈夫と感じがちだが、実は知識が無ければ検索はできないし、検索にヒットしたものの中から自分が求めてるものを選ぶためにも知識は必要になる。

 

役に立つ知識とは相場感覚に似ている。

 

相場というと投資の世界の用語のように感じるが、状況が変化すると価格が変動するもの全般に当てはまる取り巻く環境を意味する。

 

取り巻く環境と言うと一目瞭然に思うかもしれないが、どんな環境が見えてるかは持ってる知識によって違うし、見えてる部分も別の見えてない部分と繋がっていることを考えると、見えてる環境とは人の数だけあることになる。

 

また環境とは別に、相場感覚に影響を与えるものに、心理の違いがあるが、売り買いに関して例を上げると。

 

  • 売る側は早く売りたく、買う側は間違いのないものが欲しい。

 

  • 売る側は高く売りたいし、買う側は安く買いたい。

 

  • (投資ならば)買う側は、買った後の値上がりを期待している。

 

 

これらの心理も影響を与える相場感覚を身に付けるためにも正しい知識が必要になる。

 

この場合の知識には経験や勘も含まれるが、そうなると数値化し定量化することが難しくなる。

 

経験や勘を除いた知識は情報なので常に過去のものになる。

 

 

学ぶことの語源は真似ぶで、真似をすること。

 

職人の世界では、技術は教わるものではなく盗むものだった時代が長らくあった。

 

日本では、知識や経験は真似をし盗むものだったのだ。

 

 

知識を高めるための作業を勉強と呼ぶが、勉強と同じような作業がパクると言われることが増えている。

 

現代は、アウトプットするものはオリジナルでなければいけないという暗黙のルールがある。

 

自分のアイデアや発想に基づくものであり、自分の表現であることが求められるようになっている。

 

つまりアウトプットに関しては、真似をし盗むというのはやってはいけないことになってしまった。

 

東京オリンピックの大会エンブレムのパクリ騒動を覚えているだろうか?

 

何にも似てないオリジナルのデザインで高評価を得るというのは素人が考えてもとてつもないハードルの高さを感じるが、現代のデザイナーにはそれが要求されているのだ。

 

発明や研究開発をしてる人が「こんなことを考えてるのは私だけだろう」と思っていても、すでに似た内容で特許や実用新案などが取得されてるというケースはいくらでもあるだろう。

 

自分一人で思い付いたオリジナルであっても、オリジナルであることを主張したければ、前以て確認しておかなければならない。

 

この前以ての確認や調査も広い意味での知識になるだろう。

 

 

スポーツ選手が誰かお手本になる選手の動きを真似て(=パクって)活躍しても咎められることはないだろうが、芸人が別の芸人の動きを真似たらおそらく咎められるだろうが、真似をする相手が別業界の人ならばモノマネ芸として許容されるだろう。

 

スポーツ選手の場合は、結果やパフォーマンスで勝負してるので市場の取合いが起きないが、芸人の場合はやり方によっては市場の食い合いが起きるので揉めるのだ。

 

デザイナーがデザインで揉めるのは市場の食い合いが起きるから揉めるのだ。

 

知らなければ揉めないのに、知ってしまうと揉めることの多くには名誉や利害が関係する。

 

不満を持つ側は、自分が蔑ろにされたと感じたり、本当は自分が儲かったはずなのに、と思うから揉めるのだ。

 

このように考えていくと、知識の中には経験が含まれることはもちろんのこと、マナーや処世術も含まれると分かる。

 

 

このように考えていくと、知らないということの恐ろしさが感じられるとともに、知識というのは辞書を引いたりネットを検索するだけのものではないことが分かる。

 

 

未来に向かうための答えはどこにもないかもしれないが、最初の一歩は知識(経験や勘を含む)から始まる。

 

データサイエンティストはどこで活躍してるのか?

ウィキペディアによると、『データを用いて新たな科学的および社会に有益な知見を引き出そうとするアプローチのことであり、その中でデータを扱う手法である情報科学、統計学、アルゴリズムなどを横断的に扱う』ことがデータサイエンスだと書いてある。

 

そんなデータサイエンスに従事する人はデータサイエンティストと呼ばれ、2012年ハーバード・ビジネス・レビュー誌で『21世紀で最もカッコいい仕事』と持て囃されたこともある。

 

GoogleTrendsでデータサイエンティストとデータサイエンスを検索可能な2004年以降で見ると、

 

GoogleTrends「データサイエンティスト」「データサイエンス」2004年以降

 

データサイエンスは昔からあるが、データサイエンティストは最近のことばだと分かる。

 

さて、こんな記事があった。

 

文系記者が「データサイエンティスト育成スクール」に通った結果   2019年8月20日

「スクールはデータ分析に価値があると思っている人たちが集まっている」という事実を忘れてはいけない。授業の中では「そもそもデータ分析をすることに何の意味があるのか」を問われたり、「データ分析をする意味がない問題を分析する」こともない。しかし、実務ではそうした壁にぶち当たることも多いはずだ。

 

データと呼ぶとカッコいいが、要は過去の情報だ。

 

実際には現在の情報を連続的に収集し一定量を分析するので、行動やプロセスが発生し時間差が生じるので、結果的には過去の分析になる。

 

上記の記事に対してネット上では、儲かるのはデータサイエンティストではなく、データサイエンティスト育成業界だと揶揄する声も多く上がっていた。

 

データサイエンスが統計学を利用するということで思い出したのがテレビの視聴率調査。

 

テレビの視聴率調査もデータサイエンスに違いないと感じた。

 

日本ではテレビの視聴率調査は、2000年の3月以降ビデオリサーチ1社が視聴率測定を行なっている。

 

そんなビデオリサーチ社は、データサイエンス事業に特化した新会社「株式会社Delta Values (デルタバリューズ)」を2018年4月2日に設立した。

 

さぞかし話題になってるかと思えば検索しても大した話題は出てこない。

 

サイトを見るとクライアントは、大手広告会社 / 大手媒体社 / 医療関連機関 / 大学 etc.、となっている。

 

出来たばかりの会社だから業績云々はどうでも良いと思うが、出てくるのはこんな情報ばかりで、世間の注目を集めてるとは言い難いものばかり。

 

 

そう言えばと思い出したのが、最近話題になっていた内定辞退率の予測

 

これこそデータサイエンスで、データサイエンティストが導いたデータ活用だとすると、世間の陽の当たる場所が活躍の舞台ではないのかもしれない

 

 

 

 

ところで、内定辞退予測はどのように分析されたのかというと、

 

ある人が就活の時期に、リクナビのサイトで各社のサイトを閲覧したとして、「内定が出て実際にその会社に就職した場合、その会社の閲覧パターン」「内定したが辞退した場合、その会社の閲覧パターン」などをAIを使って、つまり相当に大きなデータを統計処理する形で集めていったのでしょう。その上で、全体的なパターンを分析していったのだと思います。

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/08/post-1106.php

 

 

と推測されている。

 

 

内定辞退予測に関してはデータを駆使してまで知りたいことは、ターゲットとなる人物の「知られたくない情報」だと言えそう。

 

知られたくないと言っても、別に汚点や恥ずかしいことではなく、他社への関心の度合い。

 

まるで浮気を疑って興信所に調査を依頼するような感じだ。

 

そういう意味では、ニーズは古典的だと言える。

 

古典的な分野にこのようなデータの活用が進むと、そんなつもりがなかった人はトバッチリを受けることになるだろう。

 

 

真のデータサイエンティストは日陰の裏稼業で活躍し、陽の当たる表舞台ではデータサイエンティスト育成事業が活躍しているのかもしれない。

 

『プロパー』に拘る人とは?

よく目にしたり耳にすることばにプロパーがある。

 

わたしの場合、このことばを直接会話や文書の中で用いたことは過去に無く、今日初めて用いている。

 

当然、意味は文脈から判断していただけできちんと理解していたわけではなかった。

 

今日プロパーを取り上げたいという気になったのは次の記事を見たから。

 

 

プロパー至上主義の実態、新卒と中途で会社への評価はこんなに違った

今回はOpenWorkの社員クチコミデータを用いて、年代別に会社への評価がどのように変わるのか、新卒入社者と中途入社者によっても異なるのかを分析し、知られざる両者のギャップを明らかにします。

 

 

この記事の中ではプロパーは、新卒で入社しその後も同じ会社に勤め続ける人のことを意味していて、中途入社がその反対語に当たる。

 

プロパーということばの意味をややこしくさせるのは、製薬会社の社員で病院に営業する人の呼称にも用いられること。

 

新卒入社社員を意味するプロパーは、英語のproperで『適当な,正式の,特有の,適切な,ふさわしい,似合う,正しい,礼儀正しい,上品な,正常の,固有の,独特の』という意味で使われていて、研究開発の分野における専攻を意味することにも使われる。

 

それに対して製薬会社の社員に用いられるプロパーは、(悪い意味で)広告宣伝する人を意味し、英語のpropagandistから来ているらしいので、プロパーの使われ方としては例外になる。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降でプロパーを見ると、

 

GoogleTrends「プロパー」2004年以降

 

2004年にはそれなりの認知と需要があることばだったと分かる。

 

ではプロパーに関連するトピックやキーワードはと言うと、

 

Google Trends「プロパー」関連するトピックおよびキーワード

 

ご覧のようにカードやローンが出てくる。

 

その他に、高級品の取り扱いや金融の世界でもプロパーが使われることが多いが、誤解を恐れずにザックリ言うと正規という意味で使われ、得をするというよりも、信用や信頼の証としてステータスが高いという自己満足が得られるという効果に留まることが多い。

 

プロパーには、日本人が好きな『伝統的な』『由緒正しい』『無垢で汚れを知らない』というニュアンスが感じられる。

 

プロパーには、血筋の良さや名誉に本当は拘っている人に訴求力がありそうだ。

 

カードの世界の『ゴールド』や『プラチナ』や『ブラック』などもプロパー戦略から生まれているのだ。

 

 

これまで、分かるような分からないようなことばだったプロパーだが調べてみると、マズローの欲求5段階でいうと4段目の『承認の欲求』を満たすために存在してるように感じる。

 

マズロー欲求5段階

  • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
  • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  • 安全の欲求 (Safety needs)
  • 生理的欲求 (Physiological needs)

 

自己実現理論 - Wikipedia

 

 

プロパーに拘る人は、他人の目や、他人からの評価を気にしているはずだ。

BMWのドライバーは、宮崎文夫の予備軍か?

TwitterでBMWと検索すると、同時検索の候補に風評被害と出てくる。

 

宮崎文夫のおかげでBMWが悪者扱いされるという現象が起きているらしい。

 

しかし次のような記事も出ているので宮崎文夫が現れる前から傾向としてあったようだし、今となっては日本だけでなく世界共通の傾向と言えそうだ。

 

なぜ「BMW」は叩かれるのか “自己チュードライバー”のアイコンになる日

事件前からTwitterでは「BMWって運転マナーの悪いドライバーが多い印象」という声が寄せられ、YouTubeでも、悪質な運転をするBMWの動画がアップされている。

 

 

世界各国で展開する自動車メディア『Motor1.com』の「BMW Drivers Are The Worst On U.K. Roads」(2018年10月5日)という記事によれば、英国の保険比較サイト「GoCompare」が、2000人のユーザを対象に「英国にて最も迷惑な運転をするドライバーの車は何?」というアンケートを実施したところ、1位に輝いたのは「BMW」(24%)だったという。

 

 

6年前のウォール・ストリート・ジャーナルでは、「BMWのドライバーは本当に自分勝手=英米の調査」(2013年8月15日)という記事で、2つの興味深い調査を紹介している。

 

まず1つ目は、カリフォルニア大学バークレー校の性格・社会調査研究所が行った調査で、歩行者が横断歩道の端に立って渡ろうとしたところ、どれほどのクルマが法令通りに一時停止をするのか調べたところ、「高級車は歩行者が渡ろうしている横断歩道の前で止まるクルマは少なかった」「BMWのドライバーが最悪だった」(同紙)という。

 

2つ目はやはり英国で、ドライバー2837人を対象にしたドライバー同士のトラブルを調査したところ、「乱暴運転などが原因のトラブルを起こす最も多い車種はBMWで、車体の色はブルー」「ドライバーの年齢は35~50歳の男性」という結果が出た。

 

 

 

 

BMWが悪者扱いされるのは、走ってる車の絶対数が多いからとも言えるが、BMWと同じ傾向を示す車にFerrariがある。

 

Ferrariは、乗用車というカテゴリーではなくスーパーカーに属するが事故が多いことでも知られ、保険会社も余程の大口取引のVIPでない限り車両保険は引き受けないことが多い。

 

Ferrariに事故が多い理由も世界共通だと言われている。

 

その理由は、エキゾーストノート(排気音+エンジン音)が気持ち良いかららだと言われている。

 

Ferrariのエキゾーストノートは、運転者にとっては官能的で陶酔すると表現されることが多い、つまりアルコールや薬物を摂取してなくても酔ってるというかラリってる状態になるらしいのだ。

 

エキゾーストノートに酔いしれるとアクセルを緩めるのが嫌になり、ブレーキを踏むタイミングが遅れるので、結果として事故が多くなると言われる。

 

ただの判断を誤ったムチャな運転とは違うメカニズムが働いているのだ。

 

 

BMWやFerrariに共通してるのは、運転する喜びや楽しさや気持ち良さを追求してることで、スペックのみの高性能を求めてるわけではない。

 

乗らなきゃ分からないが、乗れば分かる違いが、ドライバーの感性とシンクロしたら独り善がりな世界に突入することがあるのだ。

 

 

 

そう言えばと思い出したのがこの事故。

 

ついこの前の出来事だと思っていたらなんと8年前だった。

 

フェラーリやランボルギーニ…13台が事故 中国道  日本経済新聞

高速隊によると、フェラーリが緩い上り坂の左カーブでスリップし、中央分離帯にぶつかって停止。後続車が接触したり追突したりし、現場には約400メートルにわたって部品などが散乱した。

 

個人的には、音の魔力が事故を誘ったと思っている。

 

この種の事故は傍から見ると、ストレス解消に見えたり、エンジンのパワーを自分のパワーと勘違いしているなどと捉えられるが、実際には少し違うメカニズムで動いていることもある。

 

もっとも、宮崎文夫の運転はまた別のメカニズムに支配されていたように感じられる。

 

宮崎文夫の場合は、感性の赴くままに行動したというよりも、薬物中毒のような刺激で我を見失ったように見えるが、報道で伝わる内容を見てると、我を見失った状態が日常の我になっていたように見える。

 

宮崎文夫は、ディーラーから3日間の約束で借りていたがその後約3週間返却しないでディーラーには「この車が気に入った」と言っていたところを見ると、BMWと宮崎文夫の感性はシンクロしていたのだろう。

 

宮崎文夫が薬物をやっていたとすればBMWにとっては風評被害と言えそうだが、薬物をやっていないとすれば風評被害とは言えないかもしれない。

 

BMWが好きで気に入ってるドライバーには、大なり小なり宮崎文夫的な要素があると思った方が良いかもしれない。

 

誤解だらけの日本人!

昔言われていたことや、子供の頃に聞いた話は、どんどん変わっている。

日本人は貯蓄が大好きな国民だと言われ、他国よりも貯金に勤しんでるように思われてるが実は現在の日本は低貯蓄率国。

 

主要国と比較した日本の貯蓄率

 

 

もう少し長期間の日本人の貯蓄率の推移を見ると、

 

日本の貯蓄率の推移

 

 

上記の二つのグラフの引用はこのサイトから

https://president.jp/articles/-/29440

 

 

日本人の貯蓄率の上昇は高度経済成長とリンクしてることが想像できる。

 

グラフの上昇と下降の様子を見てるといくつもの解釈ができることに気付く。

 

私には貯蓄率の上昇の背景には消費は悪徳(≒贅沢は敵)という価値観も関係してるように感じられた。

 

しかし、徐々に消費は美徳にシフトしたがバブル崩壊以降は貯蓄したいが貯蓄できない層が増え、更に高齢化が関係してると思うが、貯蓄の取り崩しを余儀なくされてる層も徐々に増えていると思われる。

 

この貯蓄の取り崩しの中には、景気対策のために子や孫の教育資金や住宅購入資金のための援助に対して贈与税の非課税枠の拡大をしたことの影響もあるだろう。

 

今の日本人は貯蓄には関心があるかもしれないが、貯蓄好きとはいえないし、データ的に貯蓄好きだったのは過去の一時期だったと言った方が良いのかもしれない。

 

 

さて話題を変えると、日本人は正直だと言われる。

 

財布などの落し物がかなりの確率で盗まれずに届けられることは今の日本でも珍しくない。

 

落ちてる財布を拾った時に、私も拾ったことがあるが、周りの目が気になる。

 

「あっ、コイツ財布を盗もうとしている!」、そういう目で見られてるような気がする。

 

周りに人目がなかったとしても、「お天道様が見てるかも(≒ご先祖様が見てるかも)」と思う日本人は今どのくらいいるのだろうか。

 

日本人が正直ということを考える時は、嘘をつかない、悪いことをしない、と考え判断の拠り所は自分自身の良心になることが多い、お天道様が出てくるのはそんな時だ。

 

2015年の話だが、15カ国1500人が参加して正直さの実験が行われてる。https://irorio.jp/daikohkai/20151120/278834/

 

そのなかで行われたコイントスで日本人は14位だった。(=正直度が低い)

 

実験の方法は、

 

被験者は表が出ると3ドルから5ドルの報酬がもらえるとあらかじめ教えられ、コインを投げて表か裏かを申告する。

研究者らは表が出たと答えた人の割合が50%を超えた場合、正直ではないと判断してデータを比較した。

 

 

これを以って日本人の正直度が低いなどとは言えないが、日本人が抜きん出て正直とは言えないと言って良いだろうが、お天道様の目を気にする人は正直に振る舞うことが多いだろう。

一方、キリスト教の場合だと悪いことをしても懺悔すれば赦(ゆる)されるので、後で懺悔すれば良いやと正直に振る舞うモチベーションが低下するかもしれない。

 

個人としての日本人は、多くの人が正直で嘘をつきたくないと思っているだろうが、ビジネスにおける顧客や上司や同僚との関係を含めて人間関係が複雑になり、ブラックやハラスメントが出てくると正直に振る舞うことが許されない空気が生まれやすくなる。

正直に振る舞うという単純なことですらハードルが上がると心を病みやすくなる。

 

世間で言われる日本人像と、実際の日本人像はズレて来てるのかもしれない。

来年の東京オリンピックに関しても素直に喜べそうにない話が多数上がっている。

どこかで誰かがついた嘘が隠せなくなっているのかもしれないが、それは日本がついた嘘であり、日本人がついた嘘になる。

 

今日は二つの話題だけ取り上げたが、他にもいろいろありそうなので続編も考えてみたい。

研究や接客が虐げられている!

パソコンが普及し始めた頃よく言われていたことに、「パソコンに向かい合ってるだけで仕事した気になるな」というのがある。

 

やってる本人以外の人には何をやってるかが分かりにくかったからだ。

 

そういう時代を経て今に至ると、その傾向はますます強くなっていて、多くは時間の使い方であったり、コミュニケーションを巡ってだ。

 

時間が無いと言いながら、ゲーム等の時間潰しに余念が無い人々がいたり。

 

時間の有効活用を口にするが、実際の行動は生産性が低い人だったり。

 

コミュニケーションが大事だと考える人も、誰とコミュニケーションを取るかよりも、どんなコミュニケーションだったかだけを気にするだけになっている。

 

 

「忙しい」が口癖の人は忙しいのではなく、要領が悪い場合が多い。

 

要領の悪さは、本来の本質を避ける流れを作るのかもしれない。

 

 

次の話は、一見正当な自己主張の体を取っている。

 

 

〝本学は、あくまで教育に特化する〟〝高度な研究機関として評価される大学は目指さない〟と掲げている。

 

その上で、〝本学が求める大学教員像〟が示され、一番下には〝従来の日本の大学に見られる典型的な「研究者教員」を望む人は、今後、本学とのマッチングはない〟と明記されている。

山梨学院大学で異常事態…「非常勤講師切り捨て」とモラルの崩壊 「もう研究者はいらない」?

 

 

 

文部科学省が学術研究の意義の学術の役割の中で次のように書いている。

 

教育と研究は切り離して考えることができず、研究の衰弱が、急激な教育の危機的な状況を生み出している。また、科学者の社会的責任についても議論が必要。

 

山梨学院大学は、理事長と学長が兼務なので独裁がまかり通りやすいのだろうが、今の方針だと大学ではなく専門学校だと思える。

 

 

同様に、本来の本質とは何だったのかを考えさせられる出来事が今年の夏起きていた。

 

 

従業員が社長の人事や会社運営に反発しストライキをしたら、社長が新たに別の従業員を新規に雇ったのだ。(※)

 

ストライキは労働者の権利とされ、ストライキ中に働くことがスト破りとされ、働いた社員がその後不利な扱いを受ける可能性が高くなる。

 

しかし佐野SAの場合、ストライキをした社員とは別に新規に社員を雇用してるわけで凄く変則的な出来事が起きているのだ。

 

従来のストライキがなぜ有効だったかというと、従業員は時間とコストを掛けて教育育成され、さまざまなトラブルを経験し、それらを解決するというノウハウを持っているので簡単に替わりが見つからないと考えられていたからだ。

 

ノウハウを身に付けることは、学術の世界で言うならば研究の成果と言えるだろう。

 

佐野SAの変則スト破りは、社員の持つノウハウはマニュアルに置き換わるものだと思われてるから成り立つこと。

 

従業員と客のコミュニケーションが重要でない客商売が増えているのだ。

 

常連客ですら誰が従業員であっても構わないと考えるような業態が増えている。

 

だから従業員が頻繁に替わっても、受けるサービスに不満が無ければそれで良いとなる。

 

このような変化は、接客で働く側も感じてるだろう、と言うよりも二極化が進んでいるのだろう。

 

 

教育を重視するといえば耳触りは良いが、それはマニュアル化と同じで、誰がやっても同じ結果が得られることを目指す。

 

 

それに対して、研究を重視することは独自のノウハウを身に付けること。

 

与えられた方法に満足せずに自分なりの創意工夫を目指す。

 

 

この二つは離れているかもしれないが、実際には車の両輪のようなもので、どちらかに過度に偏ってしまうと同じところをグルグル回るだけで、真っ直ぐ進むことが出来なくなる。

 

曲がりどころで曲がるために偏っているのだったら構わないが、ハンドルが効いてないのだとすると怖いことだ。

 

(※)実際には新規の雇用ではなく、関連会社の未経験の社員らしい。