違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

平成が終了間近でも生き続ける『昭和』!

まもなく平成が終了する。

 

新元号にはさほどの興味はないが、元号が変わることには興味がある。

 

平成天皇が亡くなられたことに伴う元号の変更ではないので、昭和から平成へ移った時のような突然の変化という感じは薄いが、それでも厳粛な「終わりと始まり」の体験となるだろう。

 

今日は、平成が終わり新しい時代が始まったとしても、まだまだ残るであろう昭和な話題を拾ってみた。

 

 

まだ昭和なのかな…働く女子に聞いた「平成」で終わらせたい職場の習慣

・職場の人に「お土産」を配ることをやめたい! 

 

・おごってくれた上司への「お礼参り」がイヤ!

 

・「お酌」はやりたい人がやる、じゃダメなの?

 

・風邪ひいたら休もう

 

・“みんなで”プレゼントするのをやめたい  

 

               

 

 

男のわたしですらこれらには疑問があったが、昭和の頃にわたしが感じていた不快感は、上記のような行動にはマナーが付きまとい、その振る舞い方がいろんな意味で評価の対象になっていたことだ。

 

今だったら、「やるかやらないか」の違いだが、昭和の場合はやるのは当然で、その上でやり方の「マナーや上手さ」が求められていたことを覚えている。

 

嫌な事の上にさらに嫌な事がプラスされると、最初の嫌な事は不思議なことに許容範囲に収まることがあるのだ。

 

ただ上司であるというだけで、ただお世話になってるからという理由で、お中元やお歳暮を贈るという習慣にも当てはまるだろうが、贈っただけでは終わらず、何を贈ったかや、贈り方はどうだったかにチェックが入っていたことを覚えている。

 

平成も終わろうという現代でも、まだこの習慣が生きている現場にいる人には相当なストレスがあるのは当然だ。

 

本来は、素直な気持ちで行動すれば良いイベントであっても、昭和というスパイスがふりかけられると、妙なお約束が暗黙のうちに出来上がる。

 

例えば同窓会。

 

暗黙のお約束が心地良い人は同窓会を楽しみにし、お約束が不快な人は同窓会へは行かない。

 

「懐かしい」という気持ちにも、マナーや格式などで評価付けするのが昭和の特徴と言えるかもしれない。

 

 

 

しかし、昭和を感じさせるものには習慣やマナーやしきたりなどの本来任意に変えることができるもの以外に、意志では変えられないものもある。

 

意志では変えられないものには、昭和を感じさせても不快感は無いどころか、良い意味でも正統さを感じさせてくれたりする。

 

昔の風景がそのまま残ってるような郷愁に似てるかもしれない。

 

 

わたしが男だからかもしれないが女性の顔にも郷愁が感じられることがある。

 

昭和顔だな~と思う平成生まれの美人女優ランキング 1位から10位

  1. 黒木華
  2. 二階堂ふみ
  3. 土屋太鳳
  4. 多部未華子
  5. 葵わかな
  6. 剛力彩芽
  7. 高畑充希
  8. 柏木由紀
  9. 有村架純
  10. 志田未来

 

 

映画「三丁目の夕日」は、昭和のノスタルジーを描いた映画だが、CGが多用されていて平成でなければ撮影できなかった映画でもある。

 

この映画は昭和生まれの郷愁をそそる映画だったが、おもしろい現象も生んでいた。

 

親に連れられて「三丁目の夕日」を見た平成生まれの子供が「懐かしいね」と反応することが珍しくなかったという噂がある。

 

もしそうだとするならば、人間にはDNAのレベルで過去の何かがインプットされていると言えるかもしれない。

 

 

郷愁をそそるものには音や音楽があるが、そこにテクノロジーが関係すると、テクノロジーはアナログになる。

 

 

こうやって、現代に生きている昭和を見ると、好ましい昭和と好ましくない昭和があることがわかる。

 

好ましい昭和には、郷愁やノスタルジーが関係してるとすれば、好ましく無い昭和には「郷愁やノスタルジー」の反対語が無関係では無いはずだと想像できる。

 

しかし、この反対語がなかなかピンとこないので検索すると、

 

ノスタルジア(=郷愁)の対義語(反対語) chiebukuro.yahoo.co.jp

コンテンポラリーという外来語がありますが、それを、日本語の会話言葉で言えば、「今風(いまふう)」「現代的」「未来的」。

「モダン、ナウ、コンテンポラリーな」。

または、視点を変えて、「現実的」「実存的」など。

 

<別の回答者>

 

強いて挙げるなら、『生産的』『建設的』でしょうか。。。

 

和英辞典によれば↓↓になります。

 

・◇生産的(な) productive

 

・◇建設的(な) constructive;positive.

 

 

昭和の嫌われる習慣には、人を幸せにしないというニュアンスが感じられるが、それが郷愁の反対語に宿るとすれば「生産性や効率」という現代のキーワードと同じ匂いが漂ってくることがおもしろい。

 

悪しき習慣には時代は関係ないのかもしれない!

 

『ブーム』は仕掛けるもので、踊らされてはいけない!

日本人の人口が約1億2000万人。

 

このうちのどの位の人が動いたり反応するとブームは起こるのだろうか?

 

硬い分野でブームと捉えられてることを見ると、

 

 

 

このような話は、世間の一部の人しか関係しないのでブームと言われてもピンと来にくいが、多くの人に無関係で無さそうな話題としては次のようなものがる。

 

 

しかし、転職に関してはブームと言うよりはむしろ当たり前のエコシステムと言えそうなのだ。

 

3年で辞める若者たち 転職率、50年前から変わらず 海老原嗣生  2017/11/27付日本経済新聞

大学を出て新卒で就職した若者は、3年で3割も辞めている。

 

この事実を聞いて「最近の若者は」と怒るなかれ。

 

統計を取り出した1970年代から、多少の上下の動きはあれ、大卒はおおむね3年で3割も辞め続けた。今の若者の祖父の時代から変わらぬ傾向なのだ。

 

ちなみに高卒の方はもっと数字が高く、3年でおおよそ5割が辞める。中卒はなんと3年で7割辞める。

 

 

3割以上の人が、継続的に反応したり、行動すれば、それはブームと言うより定着した定番のものになるような気がしてくる。

 

と言うことは、ブームというのは大きな動きや反応のように見えても、実際は受ける印象よりは小さなもので、少しdisった言い方をすればショボいものなのかもしれない。

 

昨年末から年明けにかけて大きな話題になっていたブームとも言えそうなことに目を向けると、

 

 

PayPayの100億円還元、最終日は471万人がアプリ起動 ヴァリューズ調査

分析結果によれば、PayPayの100億円還元キャンペーンは、新規ユーザーの獲得にも大きく貢献。12月1日時点では10万人に満たなかった1日当たりのインストール数が、キャンペーン開始前日は約20万人、開始日は約50万人に膨らんだ。12月全体では約541万人の新規ユーザーを獲得したとみられるが、うち489万人がキャンペーン期間中に集中しているという。

 

 

100億円キャンペーン第2弾が登場: 赤字のPayPayが「祭り」を続けるワケ

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伝えられる情報では、日本中が熱狂していたように描かれていたが、反応していたのは日本人の30人に1人で、率にすると3%。

 

 

さらにもう一つ、2019年年明けの話題はこれだった。

 

ZOZO前澤社長、1億円お年玉でリツイート数史上最多に

5日、日本のファッション通販大手「ZOZO」の前澤友作社長は100名に100万円、計1億円を約束するツイートを投稿した。

 

2日後、この投稿のリツイート数は8日7時時点で550万回を超えた。フォロワーも50万から600万人に増加した。

 

 

この前澤社長をフォローするための条件として実名であることは義務付けられていなかったので、複数のアカウントを用いた人もいたであろうことを考えると、paypayの登録者とほとんどが同じであろうと想像できる。

 

そこで思い出されるのが、2017年の末から2018年の年明けにかけて熱狂していた仮想通貨だが、仮想通貨も定番になりきれずにブームで終わったような気がする。

 

ただの印象論に過ぎないのだが、GoogleTrendsで検索すると共通点が感じられた。

 

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期間は2017年の10月から本日まで。

 

 

この「お年玉」は、前澤社長のことだけを示すものではないが、関連ワードなどを見ると、昔ながらの習慣としてのお年玉ではなく、棚ぼたを狙った「お年玉企画」への反応だと分かり、ただの一過性のブームで終わるお金絡みの話に飛びつくような属性の人々がグラフの山の高さから共通しているだろうことが感じられる。

 

 

そして、そういう日本人が400万人+ほどいるのだろうと想像できる。

 

率にすると3%から4%に過ぎない人々の内訳は不明だが、踊ってる人と踊らされている人の2種類がいるはずだ。

 

率にするとこの程度のわずかなものでも、受け身で情報に接していると大ブームに感じられ、乗り遅れてはいけないと思ってしまうかもしれない。

 

ブームというのは実態は小さなもので、どうせだったらブームになる前に仕掛けて自ら踊るもの。

 

間違っても「ブームが来たぞ!、乗り遅れるな!」と踊らされてはいけない!

 

活路を見出したければ「削ぎ落とせ」!

よく使うのに、その意味をきちんと理解してないことばに「べた」がある。

 

理解してないというよりも、多様な意味と使いかたをされることばになっているのだ。

 

日本語俗語辞書

『べた』の解説

べたとはもともと「そのまま」という意味で使われた言葉である。ここから「特別でない」「ありきたり」といった意味を持つようになる(ベタ記事のベタはこの意)。更に「ありきたり」という意味から派生して「面白くない」といった意味でも使われる。ちなみに楽屋言葉の『べたネタ』とは特に面白みのないありきたりなネタ(関西芸人がツッコミで使う「ベタやなあ」はここからきている)、『ベタな客』とは大笑いするといった感情をあらわすことのない、おとなしい客のことをいう

 

 

「べた」には、『定番』に近い意味があるのに、使われる際には少し小馬鹿にした感じが付きまとう。

 

だから、「べたなものはおもしろくない」と言われたりすることが多いが、映画やドラマで大ヒットする作品が出た場合、「やっぱり、べた』が一番だね!」とも使われることがある。

 

大ヒットが「べた」と表現される場合、それは限りなく『王道』に近い意味が与えられている。

 

何かを作り出そうとする時、カッコよく「創造」と使いたくなり、「べた」を遠くに置こうとしてしまう。

 

創造とは、0を1にすることだと思いがちだ。

 

インターネットが登場し普及するまでは、創造するとは形作ることであり、それは「0から1」というよりも「無から有」を意味していた。

 

概念上の産物であっても、文字や絵や写真は印刷されることによって、音や映像は録音録画されることで、形にされることで流通していたので「無から有」という変化を実感できていた。

 

インターネットやデジタルの普及は、「無から有」を「0から1」への変化と同じだと捉えるようになった。

 

形あるものがデータへと質的に変化し始めると、創造物はコンテンツと呼ばれるようになっていった。

 

コンテンツと呼ばれるようになったデジタル化されたデータは加工が容易だという特徴があるので、加工されたものが新たなコンテンツとなるので、無限に増殖できることになる。

 

増殖が容易なことは、可能性の拡大のようでもあり、陳腐化の加速のようでもある。

 

そういう意味では、現代はコンテンツが増殖し、溢れかえっている状態だと言える。

 

リアル社会にごみ問題やゴミ屋敷が増えていることと共通点があるように感じられる。

 

ゴミやジャンクで溢れかえったリアル社会では、片付けや断捨離が新たなセンスや技術を活かす分野として顕在化してきている。

 

 

増殖し続けるコンテンツの世界でも同じことが起きているかもしれない。

 

コンテンツそのものの増加だけでなく、一つ一つのコンテンツの肥大化が起きてないだろうか?

 

実は起きているのだ。

 

気付きにくいのは、通信の発達が肥大化を許容できているからであり、通信環境が悪化すると肥大化したコンテンツはジャンクと化す。

 

通信に依存した肥大化したコンテンツの末路は、

 

 

コンテンツに関しては、「肥大化」の反対に目を向けざるを得なくなるのはそう遠くではないと思える。

 

コンテンツにおける片付けや断捨離に当たることは何になるのだろうか?

 

コンテンツの「スリム化」と呼ぶことは相応しそうだが、それだと言語明瞭だが意味不明でもある。

 

ここは、「べた」という観点から見てみたい。

 

「べた」が肥大化を促進させたとするならば、「べた」はユーザーを意識したマーケティング的な発想のもとに取られた方策の結果のはずだ。

 

上記のツイートには続きがあり、それを見ると「『べた』はコスパの追求に宿るのでは?」と思えてくる。

 

付加価値を上げようと「付け足す」ことが、コスパの良さにつながると考えるから肥大化を招いてると言えないだろうか?

 

過度に集中すると、180度反対の価値観に魅力を与えることになりやすい。

 

 

 

コンテンツの肥大化は、良かれとなされる懇切丁寧なサービスに通じるようにも思える。

 

付け足される付加価値は便利でありがたくても、悪い意味で「べた」になり印象に残らなくなりやすいのは、「予定調和」な空気感を漂わせるからかもしれないが、このことがコンテンツの作り手には見え辛いのは、情報やコンテンツの発信という行動は啓蒙的な意識がなければできないからだ。

 

啓蒙的であろうとすると、わかりやすく教え伝えることに価値を置く。

 

啓蒙的な意識があるから、ついつい肥大化するのは自然な流れとなり、予定調和的な「べた」になっていく。

 

 

しかし、だからと言ってコンテンツの贅肉を削ぎ落とすと、分かりにくさや、不親切な感じにつながりやすいが、その域まで削ぎ落とされると場合によっては、クールでカッコいいというような微妙な反応を獲得できることもある。

 

 

日本では「べた」なスタイルとしてポピュラーでも、知らない人には斬新に映る。

 

「知らない」や「気付いてない」に着目できることは「0から1」や「無から有」と非常に近いかもしれない。

 

デジタルが醸し出す「0から1」という感覚の場合、意味を持つのは「0」ではなく「1」の方だと感じる、「1」とは贅肉を削ぎ落としたものが持つ無駄の無さかもしれないと思える。

 

0から1」を想像する時に私がイメージするのが、原始的な火起こし。

 

摩擦の原理だけで、落ちてるものを拾って道具を作って行う火起こし。

 

できることは最低限かもしれないが、それがなければ何も始まらないというイメージだ。

 

「0」や「無」とは、何も存在しないというよりも、実質的には「何をやっても良い」や「何でもあり」の状態から何かを選び出すことに近い。

 

形作ることが「無から有」へ思えるということは実は錯覚で、よくよく考えると最初から元になるものがあり、実際には加工や表現を加えることで新しさを出すので、始まりは「無」ではないと気付くが、ではアイデアはどこから出たかと考えると、ここに「無から有」が感じられる。

 

 

「べた」や「予定調和」につながるのは、ベースになる元のものを加工するわけでもなく、表現を加えるわけでもなく、ただそれに何かを付け足すという行為やサービスを展開することに宿ると言えそう。

 

現代のように、モノもコンテンツも溢れている時代には付け足すという発想はもう通用しないだろう、加工するのも簡単ではないとすれば、思い切って削ぎ落とすということが大事になるかもしれない。

 

削ぎ落とされることで、それまで気付かなかった、それまで知らなかった新しい何かが生まれることは決して珍しいことではない。

 

<以下余談>

 

久々にmacbookairでブログを書いたら、ipadとの違いが新鮮に感じられた、13インチはこんなに大きかったのかと改めて感じられ、下書きを清書する作業もこんなに簡単にできるんだと驚いている。

 

昨年の12月の途中からipadでブログを書くことを楽しんでいるつもりだったが、こんなに違いがあったんだと驚いている。

 

新しくipad proでも買って、今後はipadにすべてを集約しようかなんて考えていたが、また迷いだしている。

 

簡単なようで難しいのが『自分のために』という行動!

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 

 

似たことに、

 

「目的が先か、手段が先か?」

 

がある。

 

 

今日久々に、書きたいことが何も無い状態になってしまった。

 

日頃から、複数のネタをストックするようにしていて、ネタの準備はあるのだが、どれも「なんか違うな〜」という感じで気持ちが乗らないので、そんな自分の気持ちをネタにしてみた。

 

「良いものを作ろう」あるいは「完成度の高いものを作ろう」という気持ちによく似てるなと思うものに、「自分が納得できるもの」がある。

 

今日のわたしは「自分が納得できる(その気になる)ようなテーマ」がちょっと見つからないという状態なのだが、こうやって書き始めてるのは、最近は毎日何かしらブログを書くと言うことを自分に課してるからだが、そう考えると、この締め切りにも似た追い立てられる気持ちは内心悪くないと感じている。

 

不思議なことに、仕事で同じ目にあった場合は不快感しかないのだが、違いはなんだろうか?

 

答えは非常に簡単だ。

 

ブログは、わたし自身でもあるので、動機の全てがわたしの内側から出てくるからだ。

 

翻って、仕事はと言うと自分のためでもあるが、自分以外の誰かのためでもある。

 

その誰かが「お客」ならば、利害を一致させられれば頑張ることができるが、その誰かが「会社や上司」ならば気持ちが萎える。

 

仕事で何かを課される時、多くは自分以外に理由があって課される。

 

例えば、月末だからと言う理由で商談中の案件の契約の前倒しを求められたりする場合、相手の事情を考慮するからこそ月内の契約を先延ばしにしてることがあるにも関わらず。

 

このような場合は、その契約が歩合で自分の収入増につながる場合でもやりたくないし、やらざるを得ない場合は不快感がある。

 

同じことは子供に何かをやらせようとする場合によく分かる。

 

「〇〇しなさい」

 

「今しようと思ったのに、もうしたくない」

 

この定番のやり取りは、何十年繰り返されてるだろうか?

 

おそらく、昭和以降の文化だと思われる。

 

高度成長からバブル、そしてバブル崩壊後の30年、多くの日本人にとって、仕事をするということは「自分以外の誰かのため」にするものとなっていたように改めて思う。

 

不思議なのは、最初は誰もそんなこと思ってなかったはずなのにと言うことだ。

 

自分のために始めたことが、いつの間にか「自分以外の誰かのため」になってしまう。

 

それが幸せに結びつくならばなんの問題もない。

 

しかし、「自分以外の誰かのため」にと取る行動は、それが仕事であれ遊びであれ、歯車が少しズレると途端に全てが不快になるのは「自分のため」ではないからだ。

 

この不快感こそが、現代人が患うストレスの大元にあるのではと感じる。

 

 

制約を受けることがストレスだと思うことがあるが、自分のために好きでやってることならば、制約があるからこそ工夫の余地を見出すと言う作業を楽しむことができるということを、ふとした瞬間に感じることができる。

 

 

知らず知らずのうちに「誰かのために」生きることに慣れてしまうと、簡単なことのはずの「自分のために」が、最も遠い最も難しいことになってしまうだろう。

 

 

ブログのネタに困ったことがキッカケで、ブログを書くということがいかに「自分のため」になってるかが再確認できた。

 

【2019】最もストレスが少ないiPad Proの購入法!

 

本題に入る前に、キッカケとなった話題から触れます。

 

昨年末から話題のpaypayですが第2弾を始めるようです。

 

赤字のPayPayが「祭り」を続けるワケ

2月4日にPayPayは発表会を開き、第2弾の100億円キャンペーンを発表しました。ここで公開されたのが、サービス開始からの4ヵ月で累計登録者数が400万人を突破したというデータです。

 

日本中が熱狂してように見えて盛り上がっていたのは400万人。

 

ZOZOの前澤社長の100人に100万円プレゼントのために前澤社長のTwitterをフォローしたのが600万人。

 

この大多数はおそらく重なっていると思われます。

 

冷静になって考えたいPayPay「100億円あげちゃう」に潜むリスク

「個人情報はどう扱われるのか」という視点。「手数料無料」や「ばらまきキャンペーン」の裏にはどんなリスクがあるのかを、自身のメルマガ『石川温の「スマホ業界新聞」』で紹介しています。

 

paypayでは、基本値引きがされないApple製品が割安に買えると言うことでよく売れたようです。

 

 

Apple製品の良さは誰もが知るところですが、定価販売が徹底されてることもあり、安く買えると非常に得をしたと感じられるし、賢い選択をしたと言う思いも持てるでしょう。

 

逆に言うと、定価で買うことは一番つまらない買い方にも思えます。

 

 

そこで、自分自身の備忘録としてApple製品、今回はiPad Proに焦点を当てて、ストレス無く買うためにはということを考えてみました。

 

 

 

ライバルと比較した場合の、Apple製品の良さは、

 

  1. 使い勝手の気持ち良さ
  2. サポートの良さ

 

と言えるでしょうし、わたしは実感できています。

 

リピーターが多いのは、使い勝手の気持ち良さが評価されての結果でしょう。

 

そんなリピーターですら買い替えを躊躇することが最近増えているようです。

 

Appleに限らず一般的な傾向として買い控えとも、買い替えサイクルが伸びているとも言える現象が起きてますが、もはや買い替える必要性はないと思う人も増えてるようです。

 

去年のスマホ国内出荷台数 4年ぶりに減少 2019年2月11日

去年1年間のスマートフォンの国内の出荷台数は、買い替えサイクルが長くなっていることなどから、4年ぶりに減少しました。

減少の理由について調査会社では、新型のモデルでも機能やバッテリー性能などが大きくは向上せず、購入者の買い替えサイクルが長くなっているためだとしています。

 

 

そして、王者Appleにも同じことが起きているようです。

 

iPhoneを4年以上使い続けるユーザーが増加傾向に、アナリスト分析 中古モデルから中古モデルへの買い換えも多いそうです

今年度は現在使用されているiPhoneの約16%だけが買い換えられ、新たに購入されたデバイスは少なくとも4年使い続けられると推定しています。

Sacconaghi氏いわく「現在の買い換え率は劇的に低下しており、投資家の予想を下回る可能性がある」とのことです。

 

 

 

Appleが直撃されたこの流れは、単に買い替えサイクルが伸びるだけでなく、型遅れを買い替えの対象にさせ、最新モデルの売れ行きに悪影響を及ぼすようになっていて、最大の理由は、最新モデルが軒並み高価格帯にシフトしたことであり、スペックやデザインが進歩しても、コストパフォーマンスが悪化したからだと伝えられています。

 

paypayに飛び付いた人が多いこともうなづけます。

 

もともと使い勝手の気持ち良さが売りだったのがApple製品でしたが、それだけでは足りないのでしょう、リピーターを満足させるためには、新しい気持ち良さを提供する必要があるのです。

 

この、新しさが一番詰め込まれているのがiPad Proの最新モデルのはずなのです。

 

Macは、そういう意味では変化が予定調和の範囲に収まっているのに価格帯だけが上がってしまっているように感じられます。

 

Appleの最新モデルに対する不満は価格のせいだと言って良いでしょう。

 

 

製造原価が上がったから高くなったのか?

 

どうせ、数が出ないんだったら単価を上げようという考え?

 

 

と勘繰りたくなります。

 

 

そして、「正規」に強いこだわりを持つAppleは、更にその締めつけを強化しました。

 

AmazonのApple製品の直販契約は小規模業者にとってはダメージに? 2018/11/20

先日AmazonAppleと締結したApple製品を直販する契約ですが、Appleの正規販売店でない中古のApple製品を販売している業者は2019年1月4日以降はAmazonでの販売ができなくなるという内容も含まれており、小規模業者の中には大きなダメージを受けている人もいるようです。

 

中古に関してですが、Amazonで売っているApple製品は、「正規」扱いになったということは、お客を選び出したということでしょう。

 

業績の悪化が噂されるAppleが、客を選ぶということは戦略以外の何物でもないでしょう。

 

 

では、客はどのように選ばれるのでしょうか?

 

 

どうせ買うなら、できるだけ安く買いたいと言うのがわたしの基本的な考えですが、高いか安いかが分かるのは実は買った後でしょう。

 

サポートを充分に受けるためには「正規」のルートと言うのが必要になると思った方が良いかもしれません。

 

 

 

ここからは、iPad Proを中心に話をしますが、いろいろな方が、たくさんのレビューやインプレッションを書いている中から共通して出てくることがあります、コンセプトに関わることなのでMacにも当てはまる点はあると思われます。

 

 

その前に、レビューを読む際の注意点を添えます。

 

 

 

何かと参考にするレビューですが、悪意や特定の意図を持っているものもあることを考えておく必要があります。

 

  

iPad Proの場合は、Apple Pencilを活用することで新しい体験がを味わうことができ、そして従来よりもそのパフォーマンスを上げているので、ApplePencilを使いたい方にとっては問答無用で良い商品と言えそうですが、目的がApple Pencilに無ければ悩みどころが多くなります。

 

各種レビューでネガティブな話として共通して出てくるものに、筐体の曲がりとバッテリーの持続時間への不満があります。

 

ジョブズの時代から続いた、イノベーションを形にすると言うAppleの社内文化の賜物と言えそうな「軽量・薄型」が実用の限界点に近づき始めたのでしょうか、トレードオフが顕在化し始めているように感じられます。

 

薄型化は、内部容積の減少を意味し、それに伴いバッテリー容量が減っていて、さらに若干強度が落ちることで、ラフな扱いを受け止められないことが出るかもしれません。

 

だから、扱いが乱暴な人には向かないかもしれません。

 

その辺をわかりやすく説明してるのが以下の記事です。

 

iFixit、新型iPad ProとApple Pencilの分解レポートを公開

Apple製品などを分解し、修理しやすさの評価をつけることで知られるiFixitが、発売されたばかりの11インチiPad ProApple Pencilの分解レポートを公開しています。

 

バッテリー容量は29.45Wh、7,812mAhです。2017年版10.5インチiPad Proの30.8Wh、8,134mAhよりも小さくなっています。

 

 

 

Appleが「ゆがんだiPad Pro」について公式見解を発表、これまで以上に平坦性には厳しい基準が採用されている

平坦な机の上に置くとカタカタ揺れるレベルの歪みのあるiPad Proを交換してもらうユーザーもいましたが、中には「交換してもらったiPad Proの方が歪みがひどかった」という運の悪いユーザーも現れました。

Appleによると第3世代iPad Proは5.9mmというこれまでにない薄さを実現するために強く軽いアルミニウムボディエンクロージャを採用しているとのこと。そして、ギガビットクラスのLTE回線を利用するために側面に小さな溝を掘ってアンテナを配置しており、プラスチック製のアンテナを高温のアルミニウムボディに注入し接着後に冷却することで継ぎ目なく結合する「co-molding」(同時成形)という特別な製造方法が採用されています。

 

 

持ち運びの際に使用するバッグにも少しこだわった方が良いかもしれません。

 

 

では、ApplePencilを目的にしない人はiPad Proに何を期待すれば良いのでしょうか?

 

パソコンが登場し、スマホが登場し、技術やアプリが進化することで「やりたいけどできなかったこと」を「やればできること」に変えていきました。

 

そして現在は、次の「やりたい」を求めているけど、まだ無いという状態と言えそうです。

 

だからでしょうか、新型のiPad Proに関しては過剰スペックが宝の持ち腐れだと言われています。

 

これは、従来と評価のされ方の順番が変わったと言えるのではないでしょうか?

 

先に、「やればできる」だけのスペックを準備したと、わたしには見えます。

 

アプリの開発をしてる人の中には、これまでのスペックのデバイスでは駆動させられないから断念していたものがあってもおかしくありません。

 

これまでデバイス側のスペックが不足していたからリリースできなかったそういうアプリが出てきたら、型遅れのスペックだと全く動かせなくなるかもしれない、昔Google Earthが登場した時、低スペックのPCでは動かすことができなかったことが思い出されます。

 

動かないアプリや、動きが悪いアプリは、「くそアプリ」と呼ばれますが、スペックの違いで動かせるデバイスと動かないデバイスが出てくると、動かないデバイスは、使ってる人から「クソ」と呼ばれるはずです。

 

もし、iPadの買い替えを検討していて、自分のことを好奇心が旺盛だと思うならば、今は少々高い買い物に思えても新型のiPad Proを買った方が長い目で見るとコストパフォーマンスが良かったと感じるであろう可能性が大です。

 

この数年トレンドだったクラウドから、エッジAIへという流れが生まれつつあります。

 

クラウドが無くなったり、クラウドと対立するわけでは無く、一歩進んだものとしてエッジAIの活用が広まったら、末端で動くデバイスにはハイスペックが求められます。

 

※エッジAIに関しては上手に説明するにはわたし自身が情報不足ですが、検索すれば多数出ますのでここでは割愛します。

 

選ばれる存在になるために、お客の側に求められているのは価値観であり好奇心でありチャレンジ精神と言えそうです。

 

ApplePencilに興味がある方には何も障害はありません。

 

ApplePencilを目的にしないでiPad Proを購入するためには、好奇心やチャレンジする気持ち以外に、少しくらい安く買えることがモチベーションになるでしょう。

 

 

怖いのは初期不良だと考えればサポートを受ける際の「正規」も気になります。

 

ビックリするほど安くなるわけではないですが、ケチが付かずに安く買えるのがamazonの良いところかもしれません。

 

なんだか、誰もが知っていることが結論になってしまいました。

 

 

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画像はダブルタップが必要な場合があります。

Amazonで扱ってるiPad Pro

 

池江璃花子さんの突然の白血病に思うこと

突然やってくるのが病気。

 

気を付けていても、気を付けていなくても、やって来るときは突然だ。

 

 

リプライには、多数の白血病経験者からの回復の報告が届いていて、励ますとともに、自分ごとのように感じている方が大勢いることが伝わってくる。

 

まだ18歳なんですね。

 

最も元気で体力のある時期にも関わらず、病魔は突然やって来ます。

 

 

 

池江さん自身が不調を自覚したのが年が明けてからのようです。

 

 

 

 

体調不良を隠せなくなったのが一週間前頃。

 

その前の池江璃花子さんの話題といえば、

 

 

本当に突然だったことがわかります。

 

 

 

生きてる人間は煩悩の塊です。

 

病気は、持っている価値観を激変させます。

 

体の不調が自分の手に負えないと感じると、思うことや感じることはたくさんあるでしょう。

 

わたしも5年前突然腎臓が不調になり入院しました、検査で心臓が健常者の半分しか拍動してない(心拍数が低いのではなく)ことが発覚し、難病かもしれないと言われた、原因不明で改善もしないが症状が安定してるからと2ヶ月弱で退院しました。

 

退院後1ヶ月もしないうちに何が幸いしたのか突然心臓は元の拍動を取り戻しました。

 

医者もさっぱりわからないと言ってました。

 

もともと体力に自信があったのですが入院中に体重が30kgほど落ち骨と皮になりましたが、今は昔以上に元気になりました。

 

 

突然の重病は、価値観や生きる意味を大きく変えます。

 

その違いを知らずに生きることと、違いを知ってからの生き方は全く違うものになるでしょう。

 

 

今後さらなる飛躍のために必要な試練だと思いたいものです。

 

 

 

GAFAMの影響力の正体!(追記あり)

アメリカでの話だが、おもしろいチャレンジを続けてる人がいる。

 

現代人の生活や活動には不可欠な、G: Google、A: Apple、F: Facebook、A: Amazon、M: Microsoftの5大IT企業を期間限定で日常生活から排除すると何が起こるかを実験してるのだ。

 

全部を同時に止めるのではなく、1つにつき1週間で、やり方は、

 

5大IT企業なしの生活って本当に送れるのだろうかという実験をおこなっています。「使わないぞー」みたいな感じではなく、技術的に思いっきり遮断してガチにやります。私のデバイスからGAFAMへのアクセスも、その逆にGAFAMが私に、そして私のデータにアクセスすることも遮断するカスタムで作った機械を使って...です。

 

2月11日の朝の時点では、Apple以外の4つが記事になっている。

 

 

 

 

 

当初は、5つ全部の記事がリリースされた後で書こうと思っていたが、Apple以外の4つが揃ったところで少し整理したくなった。

 

Appleに関しては、追記したい。

 

見切り発車で書きたくなった理由は、記事は一つずつの影響しか書かれてないが、相互の関連した見えない影響も考えてみたいと思ったからで、だとすれば材料が少ない時点で整理した方が良いと思ったから。

 

最初に実験したのは、Amazon絶ち。

 

Amazonを断つとはどういうことか言うと、

でもAmazonってただのオンラインストアじゃないんです。私にとってAmazonでも買い物をやめることが一番キツいことではなくて、実は大変なのはアマゾンウェブ サービス(AWS)をやめること

 

アメリカの政府サイトから、ありとあらゆるサイトがAWSを使っているのです。VPNでAmazonをブロックしていると、私のスマホアプリの多くは動かなくなってしまいました

 

 

次に断ったのはFacebook。

 

Facebookを断つということは、

 

Amazon断ちは他のウェブサイトやサービスまで使えなくなりましたが、Facebookは断ちは大丈夫そうです。Dhruvさんが作ってくれたカウンターシステムで、データをどれだけ通信しようとしているか数えられるようになりました。Amazonの時は異常な感じで30万回。そしてFacebookはゆっくりで1万5000回でした

 

技術的には簡単でしたが、心理的にはキツい実験でした。友達がどうしてるかを見ていたInstagram。スマホで時間を無駄に使っていたはずだったのに、なくなると寂しかったです。でもびっくりしたのはFacebookです。やっぱりなくなると寂しかったのです。

 

 

Googleを断つということは、

 

Google断ちって、実は2時間もあれば終わるんです。

さて問題はGoogle以外の「Googleの息のかかったサービス」です。これは表からはわからない。だから、やってみるまで影響はまったく読めない、という手探りでした。

 

 

で、実際やってみてどうなったか。インターネットそのものがモサ~ッと遅くなったんです!!!

ほんの数時間使っただけで、前の週のFacebook呼び出し回数15,000回/週を軽く超えてしまって、けっきょく1週間で100,000回ちょっとでした。Amazonの293,000回に比べたら少ないけど。Googleはとにかくトラッカー、広告、情報で呼び出されまくりであることがわかりました。

 

 

Google断ちの週はずっとどのサイトも遅くて、これはGoogle Fontsを使ってるサイトが多いこととも関連があることがわかりました。

 

 

実際の生活(アメリカだが)に与えた影響はというと、

 

朝は早めに家を出ました。でもUberも使えないし、Lyftもだめです。どっちもGoogle Mapsをカーナビに使ってるので、 目的地が打ち込めないの! タクシーも拾えず、けっきょくバスに乗って、会議に遅刻してしまいました。

 

地図はほぼGoogle独占です。

 

 

 

GAFAMの中で一番影が薄いのがM(マイクロソフト)。

 

マイクロソフトを断つということは、

 

スマホ、パソコン、スマート端末はDhruv Mehrotra君特製のVPNで100%遮断。ブロックしたMS支配下のIPアドレスは計21,573,632件にのぼりました。Mac使いなのになんでや!ってなりましたけど、仕事系はLinkedInもSkypeもGithubもマイクロソフトだし、遊び系はXboxもあります(自分は使わないけど)。今回は以上すべてに加え、クラウドで最近じわじわ勢力を伸ばしているMicrosoft Azure支配下のウェブサイトも使えない、ということになります。

 

Microsoftはリアル世界の支配者

 

Dhruv君に報告したら、そうなんだよね、Microsoftって知らず知らずのうちに使ってたりするんだよって言ってました。コーヒーを買ったら、店の決済システムがMicrosoftのOSだったり。電車やバスに乗ったら、そこのバックエンドがMicrosoftのサービスだったり。なにしろMicrosoftの得意先はビジネスカスタマー(店舗・企業)。末端の消費者じゃないんですね。

 

 

 

 

 

 

Apple以外のネット界の巨大企業の生活への影響について事情が分かると、電気の流れに似てると思った。

 

一般的には電力は、最上流に発電所があり、そこから変電所を経由し段階を経ながら下流に流れていくと思われがちで、下記の図のようなイメージが浸透してるだろう。

 

 

f:id:chigau-mikata:20190211131621g:plain

 

http://www.fepc.or.jp/enterprise/souden/keiro/

 

この図のように捉えると、発電所の存在を過大評価することにつながりやすいが、電力の実際の使われ方を示す図としては、下記の図の方が実態を示していると言えるだろう。

 

f:id:chigau-mikata:20190211131848p:plain

 

http://www.neat21.co.jp/mbd/smart_grid/eps/index.html

 

 

 

一番の要は、裏方のように見える『送電網』で、発電所も変電所も、工場やビルや住宅などの電気の利用者も、すべて送電網にぶら下がる末端に過ぎないのだ。

 

 

この電力網の図にApplesを除くGAFAMを当てはめると、

 

Googleは、送電網の大半を抑えてると言えるのだろうか。

 

Amazonは、ショッピングサイトとしての巨大さ以上にAWSの浸透でサーバーの多くを支配できてる点が強みの真相のようで、これは電力網で言えば発電所や変電所を押さえてるということだろうか。

 

そしてマイクロソフトは、工場やビルを始め電力利用者のシェア率が圧倒的なのだ。

 

Facebookに関しては、拍子抜けするほど影が薄く感じられるのは、電力網に例えると位置付けがピンとこないところに存在してると思われるからで、つまり小さなところに存在してるということだろう、電気に例えるとマイクロソフトの逆で個人宅のような小規模な存在を高いシェアで押さえているのに近いだろうか。

 

 

そんなつもりで狙ったわけではなく、結果的にそういう棲み分けが成立したと言った方が正解だろう。

 

では、Appleはどこに位置するのだろうか?

 

記事が待たれるが、想像すると、マイクロソフトとFacebookの隙間の一部を高いシェアで押さえてるのではないかと思えるが、記事が出たら追記したい。

 

デジタルの世界は、完全に網で網羅されているので、グローバルという呼ばれ方をするが、それよりもローカルという概念が消えつつあると言った方が相応しいかもしれない。

 

ローカルや地産地消という概念は、アナログの世界のものになりつつあり、そうさせているのがGAFAMだ。

 

 

 

追記(2月16日)

 

 

Appleに関しては、他の4つとは違った面がありそうだ。

 

何ができて、何ができない、という違いが出るというよりは、最近風な言い方をするならば、エモさ(エモーショナルな)に影響するという感じらしい。

 

Apple製品を使っていてかつ好きな人だと分かるが、できるできないよりも気持ち良いから好きになれるのだ、これはわたしも実感できている。

 

この気持ち良さがスティーブ・ジョブズの功績なのだ。

 

その気持ち良さは、痒いところに手が届く気持ち良さに似てる。

 

だから、代わりを準備しただけでは、痒いところは痒いままなのだ。

 

Apple製品には、そのような数値化し難い魅力があるのだ。

 

テクノロジーをベースにしたものは、出来ないことを出来るようにすることを目指すことが多いが、それとは違って「使って気持ち良い」のためにテクノロジーを活かすという道があることをAppleは教えてくれる。