違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

否定は簡単、肯定は簡単ではない

ようやく暑い夏が一段落したかと思えば、

秋をすっ飛ばしてやがて冬が到来すること

を感じさせるようになってきた今日この頃。

 

受験生は寒さを感じることで一層受験が迫ってきてることを感じるようになっただろう。

 

さて、受験といえば日本では今も昔も理系か文系かが話題になるようだ。

 

自分が受験生だった頃、こんな会話をしたことがある。

 

『国語は良いよな、答えが一つとは限らないから満点は取れなくても0点はないからな』と。

 

これは理系が文系に対して思ってた先入観であり、disりなのだが、今にして思うと理系としても低レベルな理系の話だが、こういうタイプは数の上では今でも多そうな気がする。

 

たった一つの正解を追う癖と強い思い込みが思春期から青春期に植え付けられるからだろう。

 

受験の正解は一つでなければいけないという思い込みは根強い。

 

この延長線上には、多様性の否定が生まれやすいだろう。

 

多様性の時代などと言われても、世間はどこかに唯一の正解を基準にしたがるように見える。

 

しかし、正解などない世界も最近は人気が高い。

 

十把一絡げにアートや芸術と呼ばれる分野で、日常の身近では俳句や写真、その他手作りのものなどだ。

 

これらは、上手下手という評価の対象にはなるが、唯一の正解なんて存在しようがない。

 

最初は誰でも下手でやがて上手になるものだという世界観がある。

 

そうなると、下手であることは否定の対象にならない。

 

下手であることを肯定しながら上手を目指せば良いだけだ。

 

多様性の時代を生き抜くコツは何事も肯定することだと、自分に言い聞かせてる。

取り上げる時事ネタは『鏡』になる

最近のイケメンとは顔やスタイルがイケてるだけでなく、

 

メンタルもイケてることが求められているらしい。

 

 

 

沖さんは、若手を好きになる理由と苦手になる理由には、共通項があると話す。

 

 「共通しているのは『清廉潔白さ』です。

 

ファンはドラマや映画で見る有名人に人間的で誠実な人柄を求めています。

 

一方、苦手になるきっかけも、不倫や素行の悪さなど、不誠実な印象を一度受けるとそれまでなんとも思ってなかった人でも、一気に苦手になってしまうようです。

好きな/苦手な「若手男性有名人」ランキング、佐藤健と菅田将暉が大接戦! 9/13(月)

 

この記事は当然ながら女性の意見で構成されている。

 

広範囲な年齢層(上は90代)まで調査対象にし、年代ごとの好きな理由嫌いな理由も挙げられていて興味深い、調査サンプル数が多いとは言えないので偏りはあるだろうが。

 

 

嫌よ嫌よも好きのうちと言われて久しい。

 

同様に、反感を買ってもバズればバズった者の勝ちなどとも言われてる。

 

しかし、そういう感覚は終焉に向かっているのかもしれない。

 

有名人の場合、犯した過ちを、小さな失敗や躓きだと過小評価してると命取りになって、後悔先に立たずになってるようだ。

 

 

具体的に何をしたらダメなのかというよりも、ネガティブな意味で時事の話題にされてしまうことが取り返しのつかないマイナスにつながるのだ。

 

 

同じ傾向はきっと有名人じゃなくても当てはまるだろうが、そもそも有名人でなければ少し環境を変えれば再起は容易だろうが、同じ過ちを繰り返せば悪い有名人になるだけだ。

 

 

新聞を読まない人や、テレビを見ない人が多いということはもはや大して話題性もないが、そういうことは大衆の劣化として取り上げられがちだが、時事ネタや時事問題がただのストレスになるだけだからかもしれない。

 

世間で起きる問題はどこかで自分にも関係してる、しかしもはや解決不能だと感じれば、知らない方が無用なストレスを感じなくて良いと思っても不思議はない。

 

一方、週刊誌ネタや芸能ゴシップは自分には関係ないので心穏やかにdisることができる。

 

世の中で何が起きてるかを知りたい人々は時事に興味を持つが、そういう人よりも、世の中で起きてることを知って何になると思う人の方が、今の日本には多いのだとすると投票率が上がらないのも当然の話だ。

 

上記で引用した記事は女性の意見をまとめて作られたもので男性の意見は入ってないが、コメント欄に意見を寄せてるのはおそらく男性ばかりだと思えるので、参考になるだろう。

 

そういえば、ひろゆきさんが『芸能人が政治や時事ネタを扱うと変な色がつくので要注意』と言ってたが、これってネタとして話題にするだけでも要注意なのに、事故や事件などの不祥事の当事者になってネタとして自分が話題にされたらもうどうしようもないということにつながるのかもしれない。

 

芸能人や有名人ほどではなくても、この傾向は一般人にも当てはまるはず。

 

時事はネタの宝庫で、話題に困ったら時事を語れば体裁は整うことが多いが、思った以上に色がついてしまうということも忘れてはいけない。

 

扱う時事ネタは、わたしやあなたを映す鏡なのだ。

システムの賞味期限

かつてアナログ時代、企業が展開する事業の寿命は30年と言われた。

 

 

一方デジタル化した現代では、システムの賞味期限は3〜5年と言われる。

 

一般的には社会の裏方がシステムだが、日常生活に近いところでも意識できる。

 

 

 

 

最初にあるシステムを築いて業界や世間をリードしても、そのリードが通用するのは3〜5年だとすると、リードが有効なうちに有効性を維持した上でその次をリリースできなければ、フェードアウトするか他社に追い抜かれることになる。

 

飽きられることとは違い、要求水準を満たせなくなるイメージだ。

 

そのシステムに基づくアウトプットに不満が出るという意味では、アウトプットに満足できる限り陳腐化は起きないのだ。

 

システムの賞味期限の短命化を逆手に取って、リードの長期化を目指すのがサブスクリプションやクラウドの長期自動更新型のシステム。

 

いつもと同じように使ってるうちに、勝手にどんどんリニューアルされ、アップデートされていくので、常に今使ってる状態が最新となる。

 

本当はシステムは度々変化していても、使い勝手は変化を感じないシームレスでストレスフリー。

 

一度このシステムに馴染んでしまうと簡単に浮気心は動かなくなるだろう。

 

もっともこの場合は、長期的な視点や視野を持ち合わせてなければその良さには気付けない。

 

 

しかし、一旦受け入れて馴染むと、新たに別に良いシステムが現れても、乗り換えるにはさまざまなストレスが生じる。

 

比較して少し良い程度ではお客は動かない。

 

 

 

翻って、顧客を囲い込むためには、今馴染んでるものを継続することが最良だと思わせることが有効だ。

 

 

そういう意味ではドイツ車は昔からコンセプトが明快だ。

 

一旦顧客になったら次の買い替えは自社の上級モデルを選んでもらいやすいようにデザイン的な共通点を多く設け、乗り換え直後から基本操作に違和感が生じないように統一されている。

 

こういう仕組みはビッグブラザーコンセプトと呼ばれていて、ベンツやBMWが典型で、わたしは80年代の半ば頃に教えられた。

 

 

 

こういう明快なコンセプトは、21世紀だとAppleが得意だ。

 

 

 

 

こういうことは、日常さまざまな場で展開されてる営業活動にも影響を及ぼしてるはず。

 

 

昭和から平成初期までは営業マンの熱意は非常に重要で有効だった。

 

いわゆる情に絆(ほだ)されるという現象で、やり方として間違ってたり強引な部分があっても『昔の自分を見てるようだ』と経営者など決裁権を持った人のウケは悪くなかったのだ。

 

商品やサービスの良さをアピールしようと、ライバル商品との比較資料などを用いることは当たり前で、ロジックに訴える手法も王道だった。

 

 

しかし、現代ではそういうことでは人の心は動き難いと、自分を見ててもそう思う。

 

ロジカルな展開や理解は必要だが、それだけだと動機やモチベーションが弱いのだ。

 

 

営業される立場として相手の話を聞いていて『そうじゃないんだよな』と思うことは少なくない。

 

ひろゆき人気で論破に注目が集まるが、論破は無用なストレスを生むだけなのだ、してもされても。

 

 

何かを売り込む場合には、相手が感じてるであろうストレスに敏感になる必要がある。

 

 

最近いろいろな料金を一つの窓口にまとめるというサービスが増え、多くの場合まとめることで総額が安くなるとアピールしてるが、それよりも支払い先が一か所になることの方がストレスを減らすことに一役買っているかもしれない。

 

 

世の中には、なぜか分からないがうまく行ってる(回ってる)ことがある、きっと目には見えないがシステムとして機能が成立してるからだ。

 

 

 

 

 

心理学は相変わらずブームだが、心に寄り添うよりも、ストレスに寄り添うことを考えた方が効果的なのかも。

成長が先か、分配が先か?

世の中には考え始めるとキリがないことが多く、その中にはそもそも考えるための起点すら分かりづらいものが珍しくない。

 

そのようなケースは、一般的には、卵が先か鶏が先かなどと喩えられる。

 

最初の人間がアダムとイブだとすると、アダムとイブはどこから生まれたのか、などもある。

 

 

これらに似てることとしてまもなく行われる衆院選を前にして、成長と分配はどっちが先なのかがクローズアップされてるように感じられる。

 

 

Twitterから個人的に琴線に響いたものを紹介。

 

なお、わたしのスタンスは結果オーライであり是々非々。

 

 

 

 

 

 

発された時期は違うが根は同じだと思えるものとしてはこのようなものもある。

 

 

 

成長が先なのか分配が先なのかで議論されてるかと思いきや。

 

 

 

 

 

 

水不足で給水制限されるような事態になると、解決するためには雨が降ってくれなければいけない、これは成長しなければ分配できないという理屈につながるだろう。

 

一方で、大雨による水害は局所的な成長を上手に分配できないことで起きているとするなら、上手に分配できなければ成長は持続しないし、自らの首を絞めることにしかならないのに。

 

成長と分配、どっちが先か、暇つぶしにはもってこいのテーマだが、忙しい人には考えられないテーマだし、忙し過ぎる人にはもうどうでも良いテーマだろう。

刺殺されないように気をつけよう!

最近刺殺事件が多いなと感じてる人も多いことだろう。

 

ほんの僅か数日で何度刺殺というワードを見聞きしたことか。

 

最初は『ああ、それ知ってるよ』と思っていたら別の事件ということが立て続けに起きていたのだ。

 

やっと束の間かもしれないがコロナに一段落の兆しが見える中で刺殺も伝染病化してるかのように。

 

 

最初の事件の発生は13日の夕方。

 

 

 

ネットニュースに電磁波攻撃と書かれていてもあまりインパクトを感じないが、実際の紙の新聞記事に電磁波攻撃と書かれてるとそれなりのインパクトを感じる。

 

 

 

 

上野駅刺傷「間違いない」 通り魔的犯行か 10/15(金)

警視庁によりますと、15日午後3時すぎ、台東区上野のJR上野駅で、「刃物を持って振り回している男がいる」とパトロール中の警察官に届け出がありました。

 

 

 

これらのニュースが入れ替わり立ち替わりいろいろなメディアやSNSで流れてくるので、世間の悪意を抱えた人々の刺殺スイッチを押したのかと感じられるくらいだ。

 

アイドル系の有名人が自殺するとファンの後追い自殺が増えるのとイメージが重なってしまう。

 

 

次の記事は10月15日だが発生は6月なので関係あるとは言えないが、印象には大きく影響する。

 

 

ところで刺殺という言葉は日常にあるといえばあるのだ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/刺殺

刺殺(しさつ、英:put out)とは、野球・クリケットなどにおいて、守備側プレイヤーが打者や走者を直接的にアウトにすること、またはその野手に記録される守備記録のことである。

 

 

刺殺は、殺意が強くて確実に殺そうと思うなら不意打ちや待ち伏せなど油断を狙うはず。

 

通り魔的なものまで警戒しようとするなら、当分は外にいる時はイヤホンを使わないようにし、ゴルゴ13のように自分の背後に人を立たせないように気を使うべきだろう。

『嫌い』を減らそう!

考えさせられるツイートが流れていた。

 

 

 

主義主張がはっきりすることは良いことだという思い込みがある、わたしには。

 

なぜそうなったかというと、もともと万事に関してあまりこだわりがないタイプだったが、それを優柔不断だと指摘されたからだ、ずっと昔の話。

 

そのことにかなりコンプレックスを持っていたような気がする、もう忘れたけど。

 

そういうことがあったからだろうが、自分自身のこだわりを出すために好きと嫌いのリアクションの違いをはっきり付けるようになった。

 

 

こういうことをやり始めると、人間関係も好き嫌いで色分けし始めるし、人間関係の部分は持ってる価値観や考え方と置き換えても似たような意味を持つだろう。

 

こういう振る舞いは、人間関係が介在しない純粋に個人的なことだったら問題はないかもしれないが、それ以外では疑問だ。

 

はっきりとした嫌いを設けることは、コミュニケーションとしては敵を作ることになりやすい。

 

わたしの場合、ラジオやテレビで音楽番組を聴くと、だいたい流れる曲の半分以上は嫌いなのだ。

 

もし、わたしに音楽番組のMCやDJのオファーがあったとしたら、かなり癖の強い番組しかできないだろうし、わたしと似たような感性を持つ人しか楽しめないだろう。

 

同様に、食べ物に関して海の生ものが食材として苦手なので、料理番組で海の生ものが出てくるとゾッとするので、もしわたしがそんな番組の司会をしていたら最悪だろうなと思う。

 

そんな自分をはっきり認識すると、音楽番組や料理番組でどんなものが出てきても、それらの全てを好意的に受け入れられる司会の姿を見てると、本気で好きなら、好きのジャンルの幅が異様に広いんだろうなと感心するし、職業意識で割り切ってやってるとするならそのプロ意識も大したもんだと思ってしまう。

 

 

理由はどうであれ、好き嫌いがはっきり分かれると、嫌いに遭遇するとアドレナリンがドバドバ出てくるイメージがある。

 

アドレナリンは、危機に際して闘争か逃走かの判断に影響すると言われるが、闘争心に着火すると怒りや攻撃性として作用する。

 

 

こんな時代だからこそ、嫌いを減らすことには価値があるかもしれない。

 

嫌いなものを好きになれというのは無理だとしても、嫌いゆえに生じる敵意に対して無関心でいることは練習すればできるような気がする。

 

 

おそらく、好き嫌いがはっきりし過ぎて自己嫌悪を持ってる人は意外と多いような気がする。

 

好き嫌いがはっきりすることは、優劣意識につながりやすく、無意識の差別につながる。

 

 

嫌いを減らすともう少し楽になるのは明らかだ。

 

特許や著作権の不都合な真実

検索のキーワードレベルでは、

 

特許の需要や関心が落ちていることを

 

ご存知だろうか?

 

GoogleTrendsで遊んでいて気が付いた。

 

 

GoogleTrends『特許』2004年以降

 

 

少し実態を示すデータを探してみた。

 

次の記事は2021年のもの。

 

日本はピークの2/3に減少 データに見る特許出願・審査状況

 

 

かつては日本は特許の出願件数が世界一で、素人発明も盛んだった。

 

しかし、現在は上記のグラフで見るとなだらかな推移に見えるが確実に下がっている。

 

 

下がりっぷりが顕著なのは電機業界のようだ。

 

 

 

 

特許といえば素人発明で、その中からものになりそうなものを大企業が買う(≒大企業に売る)ものだという先入観がわたしにはいまだにある。

 

最近では特許を含めて丸ごとM&Aとなるだろうか。

 

 

次のツイートはメーカーで知的財産を担当している方のもの。

 

 

 

 

 

そう言えばと思い出すのが、90年代は『これは特許を元に開発されたものです』、あるいは『現在特許申請中です』なんて得意げに営業する人が多かったことだ。

 

聞かされる側は、『なんだよ、どいつもこいつも特許特許って』と思っていた。

 

少々インチキ臭く感じていたあの売り込みは、今にして思うと熱意や勢いの表れだったんだなと、ちょっと懐かしくなる。

 

 

日本の特許出願のピークは2001年で、以降は減少傾向。

 

最近ノーベル賞の時期になると、日本が研究開発に予算をかけないことを嘆く話が必ずセットで出てくるが、特許の出願件数ともリンクしてそうだ。

 

日本の特許出願が多かったのはアナログ時代で、おそらく手先の器用さを活かして、あるいはアイデアを形にしたいという投資としてのものだったように感じられ、決して最先端分野ではなく、ちょっとした盲点を突くようなものが多かった気がする。

 

 

しかし、21世紀に入ると全世界的に知的財産投資は最先端分野に集中し、それとは別の単なる投資は直接金銭の運用に向かい始めたのだ。

 

翻って日本では最先端分野の研究開発が減っているということがよく分かる。

 

 

ところで特許といえば、本当の話なのかそれともフェイクなのか不明だし調べる気もないが、こんなのを見かけて、今風だな〜と感じた。

 

 

 

 

特許と同じく世間では、ことばとしてだけは認知度が高いものに著作権がある。

 

GoogleTrendsで見ると、特許と似た動きが感じられる。

 

GoogleTrends『特許』『著作権』2004年以降

 

 

著作権といえばこんな話を見かけた。

 

 

 

 

その理由とは、

 

 

 

 

 

 

話題になるときは不祥事ネタが多い教師や先生だが、苦労とは思ってもらえない苦労や苦悩は多いのだ、身近に教師や先生がいる方は優しく接してください。

 

 

日本では、現場レベルでは特許も著作権も魅力が感じられないものになったのかもしれない。