違う見方

これから時代はどう変化するのかを時事ネタを交えて考察。考える際のヒント。気付くためのヒント。

思っているよりも遥かに水分補給はできていない!

今年は、夏の暑さ=熱中症の恐ろしさ、となっている。

 

Google Trendsで"熱中症"を2004年以降で見ると、今年は大きなテーマになっていると感じられる。

 

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熱中症の恐ろしさは、初期症状は大したことない、または、もう少し頑張れそうと見えてしまうし、当人もそう感じてる可能性が高そうという点にある。

 

連投ツイの一部を抜粋。

 

 

 

 

 

 

暑いことで起こるのが熱中症だが、もう少し具体的に恐れるべきは、この二つだ。

 

・脱水

 

・体温上昇

 

 

上記ツイートにあるように、頑張れそうに思えるところが怖いところだが、日本の夏では少し過剰に反応するくらいがちょうど良いかもしれない。

 

エアコンがない場合は、体温上昇を防ぐためには、日陰や風通しが良い環境を選ぶことが大事。

 

脱水を防ぐためには水分補給が大事だが、摂取する水分の種類については話題が多いが、補給するタイミングも大事で、のどが渇いた時では遅すぎると思ったほうが良い。

 

 

 

スポーツの世界でも、過酷なスポーツほど、水分補給のタイミングで発揮されるパフォーマンスが変化すると言われている。

 

運動時の水分補給、「喉が渇いたら飲む」ではパフォーマンス低下

その結果、両群ともに喉の渇きは感じなかったにもかかわらず、脱水群では非脱水群と比べてペダルをこぐスピードや出力が低下していた。また、深部体温も脱水群では非脱水群と比べて高かった。

 

今年は、熱中症が話題になることが多いが、その原因の一つに水分の取らなさ過ぎと補給のタイミングの遅れがある。

 

世間では、エアコンが話題になっているが、自分だけで対処できることとしての水分補給を意識することが賢明だ。

 

世間で熱中症が話題になる時は、慢性的に水分の摂取が不足していたという前提には立たないが、実際には、思っているよりも遥かに必要な水分量は摂取できていない!

 

 

女は実体、男は現象!

最近一部界隈で話題になっていた話がある。

 

インターネットは社会を分断するのか?

インターネットが登場した時、ネットによって人々は時間と空間の制約を超えて交流することが可能になり、体験と知見が共有され相互理解が進むと期待された。

 

しかしながら、現実には

 

(中略)

 

社会は分断されているという印象が生まれる。

 

 

分極化が起きるのは、ネットでは自分好みの情報ばかりを選ぶ一方で反対の意見には接しないという「選択的接触(selective exposure)」が起こりやすく、「エコーチェンバー」現象が加速するからであるとされる。

 

インターネットがあろうとなかろうと、興味が持てない話題だったら関心がわかないので、そんな話題があったことにすら気付かない。

 

反対に、興味を持ってる話題が世間で大きく取り上げられてるのを見た時は、みんなこの話題に興味があるんだなと思ってしまう。

 

"常識"も似たようなもので、誰もが知っていて当然と思われてることの多くは、選択肢が少ない中で選択権を与えられずに覚えさせられたから"常識"として機能してるが、決して中身や内容に共感してるわけではない。

 

 

 

Google Trendsで遊んでいると、素朴な疑問を持つことがある。

 

Google Trendsでキーワードの動向を確認できるようになったのは2004年からだが、その当時と今では、前提となるインターネット環境の違いはどの程度なのだろうかという疑問だ。

 

日常的に、検索する人の母数がそもそも違っているはずだ。

 

そういうデータを探してみた。

 

 

Google検索回数、年「2兆回」に、年間推移データも 2016/5/25

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私が、Google Trendsを用いる場合は、特定のワードが期間を通じてどう変化するかを見たいからだが、その場合そもそも検索されてる母数が年によって大きく違うかもしれないということが見過ごされるかもしれないと思うことが時々あった。

 

そこで、話題になる期間が極めて短いワードを使って比較しようと考えた。

 

あれこれ試行錯誤したが、"亡くなった有名人"を用いてみた。

 

有名人の訃報に関しては次のサイトを参考にして、亡くなった時期での検索母数の違いが感じられるかを調べてみた。

 

結果、当初の目的と違う方向に進んでしまった。

 

各界の有名人を検索したが、私が思ってた知名度の印象とは違っていて、芸能人以外はあまりにも検索数が少ないので、グラフの山が大きく出る方を5名選んだ。

 

※閲覧注意【悲運・悲報】有名人の死。忘れてはいけない人…忘れたいくらい悲しい死を遂げた人…(国内編)

 

選んだ方は、

 

飯島愛さん  :2008年12月死亡

 

川島なお美さん:2015年9月死亡

 

小林麻央さん :2017年6月死亡

 

大杉漣さん  :2018年2月死亡

 

西城秀樹さん :2018年5月死亡

 

 

上記のGoogleの検索総数の推移から考えると飯島愛さんのグラフの山は母数に対して凄く大きいものに感じられる。

 

飯島愛さん以外は、皆最近亡くなられた方々で、検索数も多いが、それ以上に検索母数が増えていると考えられる。

 

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しかし、驚くのは小林麻央さんのグラフの反応だ。

 

2016年の6月に乳がんを患ってることが発表され、ここで最初の話題になっている。

 

その後、闘病生活に入るが、9月に闘病ブログ「KOKORO」を開設し、大きな話題になる。

 

その後、継続的に闘病に関しての情報発信を行うことで検索され続けた。

 

関連のトピックもキーワードも1位はブログだった。

 

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ブログ開設の理由を、病気になったが強く生きたい、と自身で語っていたが、後にテレビ局関係者から「治療費を稼ぐためだった」と暴露された。

 

小林麻央さんブログ「KOKORO」開設の裏事情!芸能人に収入が入る仕組みとは?

 

しかし、世間はそれに対し、ブログを見ることが応援になるならばと好意的に受け入れ上記のグラフの動きにつながった。

 

上記5名以外にも多くの有名人の訃報を比較したが、小林麻央さんのグラフがあると山を形成しないのだ。

 

先日、西城秀樹さんが亡くなった際にGoogle Trendsで確認すると200万+という検索数を記録していた、そんな西城秀樹さんも小さな山にしかならない。

 

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小林麻央さんがいかに多いかを物語っている。

 

 

同様に、2008年という時期を考えると飯島愛さんも大きな反応を得たと言えるだろう。

 

この5名の中で、小林麻央さんだけ少し"違う"ということにお気付きだろうか?

 

実は、"死"についての検索だったのだが、小林麻央さんだけは"生き方"を示しているのだ。

 

 

これらの結果を見て思い出した言葉がある。

 

『女は実体だが、男は現象である』

 

免疫学者であり作家でもある多田富雄のことばだ。

 

実体は無意識の存在であり、現象は意識的なものだといういう意味らしい。

 

東大医学部を退官後(養老孟司先生の元同僚)に脳梗塞を患い、ことばを発することができなくなった多田富雄は著作「寡黙なる巨人」の中で、こう言っている。

 

「私には、麻痺が起こってからわかったことがあった。自分では気づいていなかったが、脳梗塞の発作のずっと前から、私には衰弱の兆候があったの だ。自分では健康だと信じていたが、本当はそうではなかった。安易な生活に慣れ、単に習慣的に過ごしていたに過ぎなかったのではないか。何よりも生きてい るという実感があっただろうか。元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ。発作はその延長 線上にあった」

 

そういう人々が、この現代には大勢いるに違いない。手遅れにならぬうちに、ぜひ気づいて欲しい。自分がこの世に生きている、生かされているのは、なぜか。まずなにより、自分は本当に生きているといえるのだろうか。

 

 

※太字、下線を入れたのは私。

 

この発言は、医者の言葉だというところに意味がある。

 

インターネットが社会を分断するという話題から書き始めたが、分断の根本はもっと深いところで起きているように感じる。

 

『女は実体、男は現象』は、今や人間論になっている。

 

女であるか、男であるかという違いではなく、生き方の違いだ。

 

実体がある生き方、現象としての生き方、という分断が根本にありそうだ。

 

生きてる実感は、目指す方向の反対側にあるかもしれない。

 

ビジネスの取引形態には、大きく三つある。

 

B=ビジネス=法人、C=消費者(Consumer)=エンドユーザー、と表現した場合、

 

BtoB

 

BtoC

 

CtoC

 

の三つの形態が考えられる。

 

CtoCは、昔は個人売買と言われて存在はしていたが、市場を形成するほどではなかった。

 

しかし、インターネットの普及がC(=消費者)にビジネスチャンスの可能性を広げさせ始めた。

 

そして、スマホの普及とアプリの進化で、Cがビジネスの鍵を握るようになってきた。

 

CtoCの顕在化は、BとCの境界を曖昧にするようになった。

 

Bがプロであるのに対し、本来のCは素人(しろうと)で保護の対象であったが、現在では、Cはセミプロ化し、純粋な素人はリテラシー不足と言われるようになってきた。

 

この、素人のセミプロ化について考えていたら、発祥は男女の出会いの場のような気がしてきた。

 

あまり昔に遡ってもリアリティがないかもしれないので、インターネット普及直前の時期として90年台半ば頃をスタート地点にしてみたい。

 

その頃の『即物的』な出会いは、街角での直接ナンパとテレクラでアポイントを取り付けての待ち合わせがほとんどだったと思う。

 

この二つの特徴がわかるだろうか?

 

出会いが成立するための重要な要素がトーク力であり、しゃべり方など、声が作り出す世界観が決め手だったのだ。

 

私もテレクラは何度も経験がある。

 

仕事仲間に誘われて、営業トークを鍛える訓練だと言われ、最初はいやいやだったが、徐々に楽しさを感じるようになった。

 

おもしろかったのは、声のみが作り出す世界が全てで、本当とウソがごちゃまぜで話の内容だけでは判断できないことが多いのだ。

 

私は、キャラの使い分けなどウソを付くのが下手なのでしなかったが、仕事仲間は複数のプロフィールを準備し、相手の声を聞いてその声で使うプロフィールを変えていると言っていた。

 

テレクラを通じて出会えた女性は、ほぼ100%援助交際目的だった。

 

援助交際ということばは、1996年の流行語大賞になっている。

 

私は、出会った女性に必ず聞くことがあった。

 

どうして会ったのか?

 

怖くないのか?

 

これに対して、女性のほぼ全てが同じことを答えたが、声やしゃべり方で危険かどうかを判断してると言っていた、もちろん失敗することもあるらしいが。

 

また、1日に3回同じ女性と話をしたことがあるが、3回目にはお互いの声を聞いた瞬間に両方共笑いだし、その女性は「ごめんね、わたしサクラなんだ!」と言った。

 

このサクラの女性ともその後、待ち合わせて会ったが、会った理由は、「声の感じとしゃべり方が悪い人ではなさそうだったから」だった。

 

何が言いたくてこんな話をしてるかと言うと、しゃべってる内容で勝負してるつもりだったが、ポイントを上げていたのは、しゃべり方であり声質で、そこに安心感を感じてくれたから会えたのだ、トーク力というのはあまり問われてなかったのだと思う。

 

Google Trendsで"援助交際"と"売春"を見ると、

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インターネットが普及すると、出会いの場は"出会い系"と言われるようになり、声を使わずに文字でコミュニケーションを取るようになり、私には全く無縁の世界になっていった。

 

"出会い系"を加えて比較すると、

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この"援助交際"ということばの普及が、Cのセミプロ化を助長したのではないかと思えてしょうがない。

 

プロにせよ、セミプロにせよ、コミュニケーションが文字中心になると、文字で表現されるプロフィールが重要になる。

 

声が膨らませた妄想は、文字に置き換わると、プロフィールを頼るようになる。

 

出会い系でプロフィールが重視されるようになると、そこは新たな狩場になる。

 

最悪!出会い系サイトやネットの出会いで起きたトラブル

 

 

新たな狩場が出現したことで、Cのセミプロ化だけでなく、Bが素人を装うことも増えたようだ。

 

個人情報と言われると警戒し、簡単に見せるものではないという認識が広まっているが、下心があったり、ビジネス上必要であれば簡単にプロフィールをさらけ出しているかもしれない。

 

街中やカフェで、ビジネスパーソンが電話をしていると、ついつい聞き耳を立ててしまうが、最近の傾向として、やたらに丁寧な言葉のオンパレードで結局中身は何だったの?という会話が多いような気がする。

 

明らかに、声でのコミュニケーションが下手になっていると感じる。

 

 

"プロフィール"と"声"を加えて比較すると、

 

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インターネットの普及が、コミュニケーションを文字中心にシフトさせたことで、現代人は実績を織り交ぜて絶えずプロフィールをアピールしなければいけなくなっている。

 

文字もことばもウソをつき出すとキリがないが、過剰に文字だらけの世界になったことで、「声」の潜在需要が増しているような気がする。

 

ちょっと違う、なんか違う

このエントリーは、ただのことば遊びで、なんのエビデンスもありません。

 

 

 

わからないことや知らないことがあった場合どうするか?

 

答えが知りたい場合や、考えるヒントが欲しい場合などがあるだろう。

 

また、そのことに世間がどう反応してるかが、知りたいことになる場合などもあるだろう。

 

具体的な行動としては、「検索」「調べる」「勉強」「研究」「調査」などがある。

 

Google Trendsで、これらのワードにどんな動きがあるかを見てみた。

 

期間は、検索可能な2004年以降で、

 

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「検索」が最も多いのは予想通りだったが、「研究」に対する反応がこんなに多いのは意外だった。

 

また、「調べる」と「調査」はダブリワードかなと思っていたが、区別されてる感じが得られる。

 

"少区域別のインタレスト"で確認するとこれらのワードは、日本全国ほぼ同様の反応が得られていて、地域差を感じない。

 

では、こうやって行動した結果に対する反応はどうなのだろうか?

 

結果にそれなり以上の満足が得られた場合は、目標に対して予定調和の結果が得られたということで、一瞬の満足はあるだろうが、すぐに沈静化しそうな気がする。

 

それに対して、得られた結果に不満がある場合は、いつまでも不満がくすぶりそうな気がする。

 

「なんか違うんだよな〜」、「ちょっと違うんだよな〜」という思いを持ちながら、それ以上どうすることもできなければ結果を受け入れ"日和って"しまうこともあるだろう。

 

これらのワードには、どのような反応が得られるのだろうか?

 

Google Trendsで比較すると、

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グラフのギザギザが大きいということは、絶対数が多いわけではないことを示している。

 

しかし、不満をくすぶらせている人々が常に一定数いることが感じられる。

 

そして、これらのワードに対する反応で最も興味深い点は、反応したのが都市生活者だけだという点だ。

 

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反応したのは、東京、神奈川、大阪。

 

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反応したのは、東京だけ。

 

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反応したのは、東京、神奈川、愛知、大阪。

 

自ら能動的に行動した結果に対して、ちょっと違う、なんか違う、と思えることは、相当に意識が高いということだろう。

 

ちょっと違う、なんか違う、これらの次にはどんな行動が待っているのだろうか?

 

このくすぶった思いをどこに持っていけば良いのだろうか?

 

 

そんなことを感じてる人は、都市型メンタルの持ち主だろう。

 

 

 

ps

 

ただのことば遊びで何のエビデンスもありません。

『手』は、口ほどにものを言う!

養老孟司先生がこんなことを言っていたのを読んだことがある。

 

「人間の解剖を、たくさんこなしても、"表情のある部分"はどうしても嫌な感じがするので慣れない。

 

一番嫌だったのは『目』と『手』で、腹や内蔵なんて何でもない。」

 

と。

 

目は口ほどにものを言う

 

こんな諺があるところを見ても、昔から目は表情を演出するパーツとして特別扱いされていたし、今でもされているだろう。

 

養老先生は、「なんで、俺は手が嫌なんだろう?」とその理由を自問自答し、こう結論に達した。

 

「そういえば、動いてねえな!」

 

解剖の対象になるのは死体だから、手が動かないのは当たり前だが、これに対して改めて考えないとピンとこないが、生きてる人間の手は常に動いている。

 

人間の体の動いているパーツには表情が宿るとするならば、目と口と手はトップ3だろう。

 

作法が厳密な習い事の世界では、手の作法という様式美があったりしそうだ。

 

調べてみると、"手フェチ"なることばもあるらしいとわかる。

 

 

 

手も、目と同じくらいものを言ってそうだ。

 

意味があるかは不明だが、Google Trendsで「目」、「口」、「手」を比較すると、「目」の圧勝かと思いきや、意外と拮抗してる印象だ。

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表情が宿る集大成とも言えるのが『顔』だが、死体には当然のごとく表情がない。

 

死体ではないが、表情がない顔として能面がある。

 

子供が能面を被ると不気味さが一気に高まる、しかし子供は喜んでいるらしい。

 

 

あるべき表情が見えないと、笑っている子供ですら不気味な存在となる。

 

人間の表情は、世界共通だと言われている。

 

言語や習慣の違いを超えていると言われている。

 

心理学者は、人間の表情の元になる感情である、「怒り」「恐れ」「喜び」「悲しみ」「嫌悪」は、学習によって身につけたものではなく、先天的に持っていると考える人が多い。

 

これらの感情を示す言葉を、Google Trendsで比較すると、

 

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程度の差はあれ、21世紀の日本には「喜び」よりも「怒り」や「悲しみ」が多いことがわかる。

 

そして、そんな感情は、きっと手の表情に現れているだろう。

 

 

きっと、手は口ほどにものを言っている!

 

 

『億万長者』VS『億り人』

秘め事だった収入や資産は、アピールの材料になり、今では格付けの対象になっている。

 

資産数億円では一般人?プライベートバンクや国税庁が定める富裕層の基準とは

日本では、野村総合研究所が公表している「純金融資産の保有額による階層分類」が富裕層の基準として定着しているようだ。

 

具体的には日本の全5300万世帯をマス層(純金融資産3千万円未満)・アッパーマス層(3千万円以上5千万円未満)・準富裕層(5千万円以上1億円未満)・富裕層(1億円以上5億円未満)・超富裕層(5億円以上)に階層化する。

 

 

億単位の収入を手にするという話に驚きも新鮮さも感じられなくなってずいぶん経つが、全員の平均を出すと、バブル景気の頃をピークにしばらく維持した後は下がり続けている。

 

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http://www.garbagenews.net/archives/2064608.html

 

 

億という単位が生活の身近な話題になった最初はプロ野球選手かもしれないと思い調べてみると、日本のプロ野球選手の年俸が初めて1億円を超えたのは、落合博満の1億3000万円で1986年の出来事だとわかった。

 

あの王、長島でさえ年俸1億を獲得してなかったのだ。

 

王、長島の時代からざっくり10年後に1億円を突破したのだが、実質的な価値は物価と照らし合わせて判断すべきかもと思い、物価の推移を見てみた。

 

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http://www.garbagenews.net/archives/2064125.html

 

1970年〜1990年の間に物価は約4倍になっている。

 

この物価が急上昇した時期は、プロ野球の人気は圧倒的だったので、選手の年俸は物価と連動すると言うよりも、年俸は人気や実力で『獲得』するというイメージがあったし、この理屈は今でも十分通用してるし、プロ野球だけでなくビジネス全般に通用している。

 

なんとなく馴染みがある億万長者という言葉のイメージにピッタリ来るのが有名芸能人達だが、プロ野球選手ですら年俸1億円を突破したのが1986年だとすると、実質が伴いだしたのは最近なのだが、億万長者という言葉は、それよりもずいぶん前からあったような気がする。

 

もしかしたら、億万長者というのは、実現できるとは思われてない夢のようなものとして使われていたのかもしれない。

 

"億万長者"と検索すると、言葉としての由来というわけではなさそうだが、映画のタイトルにもなっていた。

 

億万長者

1954年公開の日本映画。監督・脚本:市川崑。出演:木村功久我美子山田五十鈴伊藤雄之助、信欣三、高橋豊子、岡田英次ほか。第9回毎日映画コンクール女優助演賞(久我美子)受賞。

出典小学館デジタル大辞泉プラスについて

https://kotobank.jp/word/億万長者-451831

 

 

 

 

レビューを見ると、億万長者として描かれているのは企業家や政治家だが、最も億万長者として描かれているのが税務署の職員という社会風刺ドタバタドラマらしい。

 

億万長者は、夢や憧れの対象というよりも、むしろ風刺や皮肉の対象だったのだ。

 

 

翻って現代は、自分自身は億万長者にはなかなかなれないが、知り合いの知り合い程度まで話を広げると誰か該当する人がいたりする程度の、さほど珍しくないものになっている。

 

最近は、億万長者のことを"億り人"と呼んだりする。

 

Google Trendsを使って、「一億円」、「億万長者」、「億り人」を期間を検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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面白いのは、2004年以前は「億万長者」は単語としてもっと勢いがあったであろうことが想像できる。

 

漠然とした「億万長者」は、やがてより現実味のある「一億円」に落ち着いてきたようにも見える。

 

「億り人」は、仮想通貨の流行で生まれた最近の言葉だと思っていたが、2007年頃から投資の世界で使われ始めていて、私が検索した範囲ではIPO(新規公開株)の世界で使う人が出ていたとわかった。

 

これら3つの言葉には、理由は不明だが、地域差が見られたことも面白い点だ。

 

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「一億円」に関しては、全国に広く浸透しているリアリティのある言葉だとわかる。

 

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「億万長者」は大都市および首都圏、関西圏という広域経済圏で反応が得られてるが、そんな中で例外的に宮崎県がかなり強く(色の濃さが示してる)反応してるのがおもしろい、不思議に思い調べてみると、既に閉店されてるようだが"億万長者"という名前の居酒屋があったとわかった、おそらくこれに反応していたのだと思われる。

 

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そして「億り人」は見れば分かるように東京でのみ反応が得られてる。

 

億り人の話題の中心は仮想通貨で、インターネット環境があれば基本取引はできると思うので場所は関係ないと思うのだが(私はよくわかってない)、"億り人"に反応しているのが東京だけだというのがおもしろい。

 

億単位のお金に縁がある人中にも、格差が広がっているだろうことが想像できる、言葉はオープンに広まるが、実際にはすごく閉ざされた世界がありそうだ。

 

悩みと脳と占い!

私の目には、『脳』が過大評価される時代のように見えてしょうがない。

 

そこで、"脳が過大評価される"と検索したら、恥ずかしい事実が分かってしまった。

 

そんなことを考えていたのは、私だけなのかもしれないとわかった。

 

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以前に書いた私のエントリーが一番に出てきた。

 

 

せっかくなので、脳にまつわる話を書いてみたい。

 

Google Trendsで"脳"を調べてみると。

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ピークは2007年の8月9月なのだが、何があったのだろう?

 

関連するトピックやキーワードから調べてみると"脳内メーカー"というウェブサービスで、当時はまだスマホが普及してない時期だった。

 

ちなみに、"脳内メーカー"を加えて比較すると、

 

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見事に一致した。

 

『脳内メーカー』のリンクはここ。

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リリースから6ヶ月で6億PVというアクセスを集めたこのサービスで私の名前を漢字で姓と名の間を開けずに入力すると、

 

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姓と名の間を、半角英数1マス開けると、

 

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姓と名の間を、全角1マス開けると、

 

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一種の"間を保たせる"遊びとして流行したであろうことが想像できる。

 

 

この"脳内メーカー"の影響で、Google Trendsの"脳"の動きがよくわからないので、期間を直近5年にすると、

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脳というと、先入観では正確で精密な判断や制御を人体に対して行うものだと考えがちだが、実際の脳はもっと不安定であいまいな存在らしいので、脳科学者の活躍分野の一つに"占い"がある。

 

脳科学者が占いをするのではなく、占いはなぜ当たるのかを解き明かす際に脳科学が役に立つらしいが、その場合の脳科学は限りなく心理学の領域になる。

 

脳科学と心理学の共通点は、突き詰めると"曖昧"であり"不安定"であるものを相手にしてるという点にありそうだ。

 

 

"脳内メーカー"は、相性判断や占いとして使う人も多かったらしい。

 

Google Trendsで"占い"を加えて比較すると、

 

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脳科学者の茂木健一郎さんは、こう言っている。

 

現代社会を生きる上で、1つの「世界知」として、「占い」には根拠がないことを理解するのは有益だと思う。一方で、「占い」が根強く人気を保っているのは、進化論的にそれを信じる人に一定の利益がもたらされてきたからだと考えられる。

科学と迷信のあいだ

 

 

 

ところで占いで何を見てるのだろうか?

 

ウィキペディアの占いによると、

 

人の心の内や運勢未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう。

 

とある。

 

Google Trendsで"占い"、"運勢"、"未来"を比較すると、

 

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このグラフの動きだけ見ると、占いは今流行っているように感じられる。

 

検索すると今年の5月に下記のような話があった。

 

 

今は空前の占いブームと言われますが、占い師に依存してしまう人たちにも同じように「正解を外に求める」傾向を感じますね。「自分はなぜ生まれてきたのか」「なぜこんなに苦しい人生を生きていかなければいけないのか」という悩みを抱く人間は、もともと不完全な存在です。昔からそういう人間の悩みに応え、支えてくれたのが宗教なのですが、現代はそれがあまりリアリティを持たなくなってきた。

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/culture/2018-05-30/page/7

 

 

 

運勢や未来を占いに頼る時、その中心は人間関係のような気がする。

 

興味の対象がお金であっても、儲かる情報は人間関係からもたらされると考えられるし、お金でトラブルを起こす場合もどこかで人間関係に結びつきそうなことを考えると、お金の問題も人間関係と言えそうだ。

 

良いことをもたらしそうな人間関係として、"家族"、"友達"、"仲間"、"パートナー"、"恋愛"を比較してみた。

 

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これ以外にも"上司"や"部下"も調べたが"パートナー"より若干低い水準だった。

 

このグラフから察すると、人間関係とは家族関係であり友達関係や恋愛関係が大きな割合を占めることがわかる。

 

 

 

"占う"のは、心配事や悩み事があるからだ。

 

心配事や悩み事を抱える人々の悩みの多くは、人間関係に由来する言えるかもしれない。

 

占いに頼る気持ちは、脳が作り出してるとすれば、人間関係で悩むということは、脳が作り出した産物と言えそうだ。

 

 

生き物で悩みを抱えるのは人間だけのように感じるが、そうだとするならば生きるために絶対必要なこととは言えない。

 

つまり、悩みは脳が作り出す錯覚のようなものと言えるかもしれない。

 

 

"脳"を過大評価する現代人は、"悩み"も過大評価させてるかもしれない。

 

 

 

この調子だと、人間の悩みは、しばらく増え続けるかもしれない、だとすれば占いも当分流行り続けるだろう。