違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

褒めることが上手な人ばかりが亡くなっていく

昨日(4月24日)、二つのことがあった。

 

全く別々のことだが、なぜか私の中ではつながってしまった。

 

そのことについて書いてみた。

 

 

最初の一つは、

 

 

褒める指導で有名になった小出監督だが叱ることももちろんあった。

 

褒め方や叱り方には、小出監督流の持論があったようで、このように言っていたらしい。

 

『褒める時は無責任に褒めること、褒められて悪い気になる人はいないから、でも叱る時は責任をもって叱ることが大切』と。

 

 

 

褒めることが得意なのは、長所に気付くことが得意だからの裏返し。

 

 

『褒める』という指導は、口で言うほど(文字で書くほど)簡単なことではない。

 

なぜなら、長所は気付きにくいが、短所や欠点はすぐ気付くから。

 

指導とは、気になるものに向かう性質がある。

 

結果、指導とは欠点を指摘し、欠点を修正することに向かうことが多くなる。

 

長所に気付き、長所を褒めるという指導方と、短所に気付き、短所を修正するという指導方では、指導者に求められる資質が違うだけでなく、指導される側に与える影響も全く違ったものになるだろう。

 

結果が求められる世界では、結果が全てなので、結果が出た方が、結果を出した方が評価される。

 

しかし、この指導方の違いが最も大きな影響を与えるのは、むしろ結果が全てではないことに関してだ。

 

何気ない振る舞いにこそその違いが現れるだろう。

 

おそらく、指導の結果に対する反射的な反応ではなく、協力協調関係といったものがモチベーションに影響するような気がする。

 

 

 

さて、二つの出来事のもう一つとは、この事故(事件)。

 

 

事故の原因や、加害者の振る舞いなど、世間の関心は扇情的な方に向かっているようだが、わたしには一人残されたご主人であり父親が、昨日記者会見で語っていた家族関係にしか目が行かなかった。

 

亡くなられた二人への感謝の気持ちを表しながら、「妻と娘は人を恨むような性格ではない」と語っていた。

 

腎臓を患っていたご主人の食事への気遣いは病状を改善させ、結婚したことで生き方が大きく変わったと語っていた。

 

 

 

いろんな人間関係があるが、この方たちの夫婦関係や親子関係は、お互いの長所に気付き褒めあう関係だったと思えてくる。

 

そんなつもりは無かっただろうが、三人がお互いにお互いの指導者でもあったのだろう。

 

記者会見で、亡くなられた二人の写真を公開したからだろうか?

 

 

惜しい人ばかりが亡くなっていくような気がしてくる。

 

 

 

合掌

令和に備えてGW(ゴールデンウィーク)は断捨離を!

まもなくGW(ゴールデンウィーク)が始まる。

 

今年は10連休取れる人が多いということで、喜んでいる人が多いかと思えば、そうでもなさそうで、休みの多さを嘆く声も多いようだ。

 

5月1日からは、新時代の『令和』も始まる。

 

新時代の始まりを連続する休日で始められるというのは、かなり珍しい体験になると言えるかもしれない。

 

もしかしたら、一生に一度の出来事になるかもしれない。

 

だとしたら、何かをしてみたいものだ。

 

事前の準備がなくても、気持ち一つでできることがある。

 

 

断捨離だ。

 

旧い重荷を脱ぎ捨てるには最適なタイミングだ。

 

 

 

断捨離とは、『資産だと思ってるものは、実は負債だ』ということに気付くことから始まる。

 

 

 

資産の価値にも様々あるが、資産そのものの価値というよりも、資産に対する価値観の違いと言った方が良いかもしれない。

 

 

 

モノやことや人との関係を見直すことが広い意味での断捨離。

 

継続するにしろ、断つにしろ、大事なことはその理由や動機だ。

 

断捨離とは、心理学を駆使した資産の有効活用と言えそうな気がする。

 

 

 

断捨離できない人の代表的な意見を集めてみた。

 

 

 

断捨離できない人は、自分の持ってるものは素晴らしいものばかりでとても捨てられないと考えがちだが、実は素晴らしいと思ってる多くのものは過去にこだわる執着心。

 

 

心の問題だと気付ければ心理学の出番だ。

 

旧いから捨てなければいけないと考えるよりも、新しいことが入ってこないのは旧いもので埋め尽くされているからと考えると受け入れやすいかもしれない。

 

 

 

 

ただし、一度に全部やる必要はない、だからと言って先延ばしし過ぎると同じことばかり繰り返すだろう。

 

だから、今年のようなGW(ゴールデンウィーク)はありがたいタイミングだと言える。

 

予定が入ってない人ほどありがたいと思えることが、よりありがたい。

 

 

 

今年のGW(ゴールデンウィーク)は、かつてないほど断捨離には最高のタイミングだと気付けると幸せになれるかもしれない!

美容の悩みのような、人間関係の悩み!

GoogleTrendsで遊んでいて面白いことに気付いた。

 

検索可能な2004年以降での比較。

 

GoogleTrendsで『美容』『健康』を比較した画像

 

東日本大震災の頃を境目にして、『美容』というジャンルは、不動のものだと思っていた『健康』というジャンルを上回る存在になっていたのだ。

 

1年の中でも変動をするがピークは毎年3月から4月にかけてなのが特徴だ。

 

新生活を意識してだろうか?

 

関連するキーワードやトピックを見ても、時期を感じさせるものは出ていないので、本当の理由が別にあるのかもしれないとも感じられる。

 

美容というテーマの場合、女性と男性で分かれるのか?

 

それとも、ユニセックスで共通するのか?

 

 

ところで、美容に気を使うということが何を意味するかを説明するのが次のツイートだ。

 

 

このツイートによると、やはり人それぞれのようだが、『清潔』は『美容』に属するものだと言えそうだと気付く。

 

 

意識が、『健康』から『美容(清潔含む)』へシフトしてることが分かると、一つ疑問が湧いてくる。

 

健康は、他人と比較するものでなく、過去の自分と現在の自分の比較であり、現在の自分と未来の自分の比較であるように、比較の相手が自分自身なのだが、美容となると、健康のように自分との比較という側面もあるが、他人の目線や評価を意識するもののようにも感じられる、そうだとすると美容には優劣が問われようにも感じられる。

 

つまり、健康と違って、美容は競い合うという側面があるのだ。

 

自意識が過剰になれば、泥沼のような自己満足を求めるだろう。

 

 

 

平成29年度厚生労働省のデータによると、

 

美容室の数(理容室含まず)は、過去最高で24万7500店を超え

 

美容師の数(理容師含まず)は、過去最高で52万3500人を超えた。

 

最近営業展開を巡って物議をかもすコンビニは、日本全国で約5万8000店。

 

美容室以外にもエステなど美容関連の店舗はあることを考えると、美容の業界がいかに過当競争を展開してるかが想像できる。

 

 

美容の世界ではエイジングケアという捉え方があり、全年齢がターゲットとであり、年齢層に応じてテーマが変わってくる。

 

しかし共通してるのは、皮膚の表面の状態を入り口にして、体の内側である内蔵の働きを意識したり、皮膚の表面を表情と捉える場合は心や気持ちの持ち方もエイジングケアに含まれるようになり、美容という領域は医学や心理学とも深く関わってくる。

 

また、エイジングケアは年齢相応を自覚した上での若さの追求から、老化に抵抗することに特化したアンチエイジングまで幅広く展開されている。

 

現代の美容には健康への意識も含まれていると言えそうだ。

 

ところで、美容に関しては今や女性も男性も関係ない共通のテーマだが、リードしてるのはもちろん女性だ。

 

なぜ女性がリードするかというと、古典的な言い方だが『女性の敵は女性』というのがあるが、一般的に女性は女性に対して厳しい目を向けると言われる。

 

外見に関することも女性同士はお互いを厳しくチェックし合っていると言われる。

 

厳しい目を持ってる女性ほど、自分も厳しい目で見られていることを意識するだろう、だから美容やファッションが気になるのだ。

 

健康に対する意識は理性的であることに対し、美容に対する意識は感情的だとするならば、健康意識は男性的で、美容意識は女性的と言えるがGoogleTrendsで見るように世の中全体が美容の側にシフトしてるとすれば、男性も理性より感情で反応する方向にシフトしてるのだろう。

 

 

美容の中には健康も含まれ、美容には感情で、健康には理性で対処してるとするならば、少し意識した方が良いことがある。

 

感情で強く反応することの裏側には、強い暗示があることが多いということだ。

 

 

 

4月20日のマツコ会議(日本テレビ)でのマツコの発言が話題だったらしい。

 

 

マツコは、結婚観に対して言ったのかもしれないが、もっと幅広いジャンルに当てはまる気もする、もちろん美容に関することにもだ。

 

 

女性を縛り付ける古い考え方は、一般的には古臭い男社会が押し付けた名残りだと思われてるが、もしかしたら『女の敵は女』であるように、暗示にかかった女性同士がお互いに課し合ってるのかもしれない。

 

それが楽しいならば何の問題もないが、もし苦痛ならば問題は暗示にかかってることだと気付くことが大事。

 

そうすれば必要なことは心理学だと分かる。

 

感情的に反応し、感情で行動する多くのことは、心理学的に答えを見つけることができる。

 

関わってはいけない人と関わっていたり、関わり方を間違っていたり、美容の問題だと思っていたことは、実は人間関係の問題だったと気付けるだろう。

 

 

心理学的に対応できれば、苦痛に感じた課せられた重荷が嘘のように軽く感じられるようになるはずだ。

買い替えサイクルの変化に感じるライフスタイルの変化!

買い替えの基準はなんだろうか?

 

買い替えの必要の有無に関係なく物欲を刺激されれば買い足す場合は、旧いものを嫌いになったり不必要に感じてるわけではないので、蒐集やコレクション的になっていくかもしれないが、そういう場合を除くと、買い替えには物欲以外の動機が必要になると思えてくる。

 

買い替えサイクルが短くなれば、メーカーや販売店は売り上げが上がるが、旧いものが転売や譲渡されなければゴミになる。

 

買い替えサイクルが長くなれば、メーカーや販売店は売り上げが下がるが、旧いものが使用されてればゴミは増えない。

 

 

人間活動だけを中心に見れば、買い替えサイクルは短い方が良いことが多そうだが、地球全体で見るとプラスマイナスゼロのゼロサムゲームであり、環境に焦点を当てると、人間活動とのトレードオフが発生する。

 

 

個人の生活ならば、

 

  • 壊れる

 

  • 性能不足(絶対性能の不足で使い物にならない)

 

  • 性能不足(使用できるがもっと良いものがある)

 

  • デザイン(飽きる、嫌い、もっと好きなものがある)

 

 

法人になると上記の要素も関係するが、それ以上に減価償却が影響するだろう。

 

またいつの頃からか、故障しても、修理するという選択肢が大幅に減ってしまった。

 

もの全般に、修理するよりも新しいものに買い換える方がお得だという考えが定着したように感じられる。

 

そのこと自体は悪いと思わないが、修理するという文化や技術の高度なものの一部はすでに消滅した分野も出ているはずだ。

 

その代わりに、簡単なことは自分でするという広い意味でのDIYは拡大傾向にある。

 

 

 

ところで、買い替えのサイクルは全般的に伸びてるようだが、その中でも工業製品は伸びている。

 

その理由としては、設計思想の進歩とその思想を支える材料の品質の向上や加工精度の向上がある。

 

 

壊れないから使える→→ 使えるから使う(=使えるのに買い替えるのはもったいない)、とでもなるのだろうか?

 

 

詳しくはリンク先の記事を見て欲しいが、直近のデータではパソコンの買い替えサイクルは7年になっていて、故障が買い替えの最大の動機になっている。

 

パソコン以上に、買い替えサイクルが長いものとして洗濯機があり、買い替えの動機は圧倒的に故障が多い。

 

 

自動車の買い替えサイクルも、減価償却期間を超え9年以上になり、自動車は他と違い、買い替えの理由として故障をあげる人は25%に過ぎない。

 

このデータの注意点は新車と注釈が付いてる点で、そのことに対する説明がないことと、中古車の扱いがどうなってるかが不明。

自動車に関するデータはこのサイトから引用。

 

 

ものではないが、ペットになる生き物や動物の場合、寿命と買い替えサイクルは無関係ではなさそうだが、そこには多様な価値観があり、実際には分類不能だろう。

 

 

外飼いは寿命の短縮が考えられます。

一般的に猫の寿命は「室内飼いだと約15年前後」「外飼いだと約7年前後」と言われており、その差は約2倍。

(老衰だけではなく交通事故や病気によって亡くなる場合も含まれています。)

つまり、交通事故や病気になる確率が、かなり高くなるということです。

 

 

 

 

仲間としての道具やモノやペットとの関係は、時代とともに変化している。

 

一生もので、不具合が出れば修理しながら使い続けるものもあれば、現代で最も多いパターンは故障(≒死亡)が縁の切れ目となることだ。

 

中には自動車のように、故障する前に手離すものがあるのは、減価償却的な損得勘定と、故障が発生すると自分が困るだけでは済まない事態になるからという思いがあるのかもしれない、この思いはペットにも当てはまるかもしれない。

 

現代的な価値観の多様化はものとの関わり方にも如実に現れる、正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかということでなく、これこそがライフスタイルの違いだと思えてくる。

 

そして、ものとの関係と人間関係も決して同じではないだろう。

相次ぐプリウスの事故に感じる危機管理と事前の準備!?

プリウスが悪いのか?

 

プリウスは被害者(車)なのか?

 

 

ほぼ同じケースの事故が2年半前の福岡で起きていた。

 

この時は、事故を起こしたのは今回と同型のプリウスのタクシー。

 

タクシー10人死傷事故、元運転手に禁錮5年6カ月判決

2016年12月、福岡市博多区の原三信(はらさんしん)病院にタクシーが突っ込み、3人が死亡、7人が重軽傷を負った事故で、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)罪に問われた元タクシー運転手の松岡龍生(たつお)被告(66)の判決が27日、福岡地裁であった。平塚浩司裁判長は「被告がアクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違えた」と認め、禁錮5年6カ月(求刑禁錮7年)を言い渡した

 

 

今回の事故とよく似てるようで違いもある。

 

 

 

運転手の供述は自分に都合の良いものにすり替わるものなので話半分で聞くとしても、プリウス本体もしくは、プリウスを選択する人の何かが事故を誘発してるようにも思えてくる。

 

真相はともかく、多くの人にとって大事なことは、これらの事故を教訓に明日は我が身とならないようにすることだ。

 

明日は我が身とは、油断すると、加害者になり、被害者になるということだ。

 

 

事故やトラブルに関わらないためには、徹底的に悲観的に準備しなければいけない。

 

ここで言う悲観的とは、決してネガティブとは同じではない。

 

 

悲観的だがポジティブでい続けるためには、ネガティヴな情報に接しないようにした方が良いのか?

 

それとも、ネガティヴな情報を克服したり、無視する強さが必要なのか?

 

なんとなく、私たちが勘違いしてるのは、人口減少や若者のクルマ離れや“所有よりシェア”や高齢者の免許返納など、勝手に自動車の数が減ってる印象を持っているが、実際には総数では増えこそすれ減ってはいないのだ。

 

 

主要車種別自動車保有台数の推移グラフ

 

主要車種別自動車保有台数累計の推移グラフ

 

上記グラフの引用は下記のサイトから

http://www.garbagenews.net/archives/2031119.html

 

 

つまり、車の総数は増え、運転手の年齢だけが高齢化しているのだ。

 

そして厄介なことに、高齢者ほど、足腰が弱り、車以外の選択肢が極端に減るので、「運転させない」という施策だけでは不十分になる。

 

 

こういう事故を防ぐためにこそ、最も有効なのが自動運転だ。

 

車の運転が好きな人は自動運転を嫌がるが、危機管理的な観点で見れば、高齢者を否定的にネガティブに捉えるよりも、車の運転を人間に委ねること自体が危険だと捉えた方が良いのかもしれない。

 

まだまだ自動運転は不十分なので、当分高齢者が目の敵にされるだろうが、年齢の問題というよりも個人的な身体の機能の問題であり、自己管理能力の問題であることは明らかだ。

 

そうすると、外見では判断しづらくなる。

 

事故を起こさない、事故に巻き込まれない、そのために何ができるかというと、一人一人が自分自身のアンテナの感度を上げるしかない。

 

結局ここに行き着く。

 

 

 

 

悲観的に準備することを楽しめる能力(=センス)が大事になる!

他人の不幸は蜜の味!?

4月19日東京池袋で不幸な事故が発生。

 

 

その事故の被害遺族への取材に対して非難の声が上がっている。

 

 

このような突然前触れ無く発生する悲惨な事故が起きるたびに、取材を巡って繰り返される話だ。

 

取材する側の定番の答えは、昔から「読者の知る権利」を言い訳に使う。

 

しかし、取材する側が経験から得た本音では、そのような非難を受ける取材をした記事は売れるのだ。

 

売れるから繰り返されるし、売れる限り繰り返されるのだ。

 

では、なぜ突然の不幸の被害者の記事は売れるのだろうか?

 

それを考えてみた。

 

最初に、取材を非難した人達の気持ちから考えてみると、間違いなく被害者側に感情移入するから、取材を許せないのだ。

 

もし、被害者が自分の家族だったらと想像できるような人だからこそ許せないのだ。

 

そんな想像をする時、心の中では何が起きるのだろうか?

 

今回の池袋の事故のようなことが自分や家族に降りかかったらと想像すると、事実をありのままに受け止めきれないと感じるだろう。

 

心の平衡バランスを取るために、何があれば良いのかが全くわからないし、バランスが取れるようなものなど何もないと感じるからだ。

 

 

しかし、実際にはこのように感じる人よりもはるかに多くの人達が、取材された記事を読みたがるから、それが数字として現れるから取材は行われるのだ。

 

そして、そんな取材は道義的には責められても、法的には許容されるのだ。

 

道義的にも法的にも責められることをすれば支持をする人は表面的にはいなくなるだろうが、法的に許容されるとある種のバランスが生まれる。

 

一般的には、取材する側の倫理観やモラルの問題だと捉えられるが、実態を見ると、ビジネスとして儲かるからやっているという動機が最も強いように感じられる。

 

つまり、求める人がいるからで、需要があるから供給されるという単純な理屈が機能してるのだ。

 

 

不幸で「誰得?」な取材を許容するバランスの向こう側には、何があるのだろうか?

 

 

バランスという観点で恋愛を例に取ると、

 

 

恋愛が初期の段階ではシーソーのように揺れるが、一旦決着がついて、どちらかに傾くと、別のバランスが成り立ってしまう。

 

 

人間の感情は、シーソーのようにフラフラとしたバランスの上に成り立っている、実際には恋だけではなく、全てのことに微妙なバランスの力学が働いているのだ。

 

そんなバランスを取るために、自分にのしかかってる重さに見合う重りを、自分勝手な理屈で作り上げる癖が人間にはある。

 

勝手な理屈であっても、世の中は結果オーライが通用するので、「ストレスをバネにして頑張った」と言えば賞賛されることもあるが、結果が良くない場合は、「筋違いな逆恨み」と受け取られる。

 

「失敗は成功の母」は、発明王エジソンのことば。

 

「成功から得るものはないが、失敗からは多くのものが得られる」ということばがビジネスの世界にはある。

 

本来の意味とは全く違うが、理不尽な取材というどう考えても失敗事例から多くのことが得られる、そのことが理不尽な取材をする側には見えてるのだ。

 

大衆には明確な意思がない。

 

自分の意思が明確ではない人は、他人と自分を比較することで、自分を評価する。

 

周りの人より「できたり」「持っていたり」することが確認できると、安心したり、幸せを感じたりすることができる。

 

インターネットの普及で、自分より幸せそうな人の姿が嫌でも目に付くようになったせいで、自分のことを不幸だと思い込む人が増えている。

 

ポジティブなことよりもネガティブなことの方が、強いモチベーションになることがある。

 

 

ネガティブなことに吸い寄せられることは、油断すれば誰にでも起こること。

 

他人と比較するから生まれる感情がネガティブ。

 

他人と比較しないで持てる感情がポジティブ。

 

ボーッとしてると持つ感情がネガティブ。

 

意識をしっかり持つ感情がポジティブ。

 

頑張らなくても持てるのがネガティブ感情で、頑張らないと持てないのがポジティブ感情。

 

しかし、真にポジティブな人は、自分が頑張ってるなどとは思っていない。

 

頑張ってるという自覚がある人は、ポジティブ寄りのネガティブと言えるかもしれない。

 

そう考えると、世間には、真にポジティブな人は少数派だと分かる。

 

 

ネガティブな人にとっては、他人の幸せは面白くないし楽しくないが、他人の不幸は大好物!

 

ここまでは、世間でよく言われてることだが、こういう習慣を持つ人は上の指原莉乃さんのツイートにもあるように、自分のネガティブ感情が他人だけでなく自分にも向かい出すのだ。

 

 

他人の不幸を詳しく知りたいと思う気持ちに気付いたら、それは危険サインだと気付いた方が良い。

 

私自身も気を付けなければいけないと感じている。

 

感じるだけでは心もとないからブログに書くことでもう少し強く戒めたい、そう思って今日のエントリーを書いた。

競争しないという戦い方(3)

前回のエントリーで取り上げたニッチに関する補足。

 

ニッチの目安としてターゲットを1万人に1人を設定するというのを上げたが、これは一般的には専門性を持たせたり、カバーする領域を限定することで実現しようとされるだろう。

 

あるいは、汎用品に対するオーダーメイドのように。

 

時には、商品より先に、集うためのコミュニティが作られたり。

 

ニッチをビジネスとして捉える場合には、ただの狭い領域の小さい規模ではなく、定義を明確にし、何があっても手を出さないというトレードオフを設ける必要があり、その定義に強さの秘密が宿る。

 

そういう意味では、何でも屋のような存在はニッチビジネスではないと分かる。

 

トレードオフは、専門性や特殊性の裏返しでもあるのだ。

 

機械化や自動化は、専門性や特殊性を汎用化させることになる。

 

機械化や自動化で、専門性や特殊性を活かして勝負したいと思えば、超高度なプログラムなど簡単に再現できないことを武器にする必要がある。

 

他には、馴染み深い言葉になったが、『No. 1よりオンリーワン』などもある。

 

生産性や効率を重視するという考えが浸透したおかげで、コスト削減や外注が増え、できないことは任せるという価値観にシフトし、専門性や特殊性といったオンリーワン要素があれば、安売りしなくても成り立つ市場は増えてるかもしれない。

 

最近だと、セキュリティは付加価値が付くので、『ニッチ+セキュリティ』でより強固なニッチを展開できるかもしれない。

 

セキュリティは、安心や安全を広くカバーするのでアイデア次第でいろいろなことと結び付けられるだろう。

 

商品やサービスを展開するためには、流通の仕組みと料金や代金の決済や回収といった手間暇も発生するために、小規模なニッチであっても課題は発生するが、インターネットやITを活用すればこれらはコストを掛けずにクリアできるし、障害になるような「人やモノやこと」はトレードオフとしてターゲットから外せば良いだけだ。

 

ニッチのおもしろさは、衰退していく流れにあるものでも魅力を打ち出せる可能性があることだ。

 

 

その逆に、時代を味方につけると、ニッチ戦略を変えることなく最もメジャーな存在になれることもある。

 

今やメジャーなスターバックスは、日本に進出した96年当時ライバルはドトールで、ニッチ戦略を展開した。

 

ドトールよりは高い価格設定で、当時喫煙率が高く嫌煙運動も活発でない日本にも関わらず店内禁煙というニッチ戦略を展開したが、その後を見ると、ニッチ戦略は先見の明と紙一重とも言えそうだと気付く。

 

一般的には、ニッチビジネスで勝ち続けるためには、徹底的にクローズドであることが求められる。

 

さらに勝とうとクローズドな戦略をオープンに転じるタイミングを間違うと足元を掬われることが多いので、スターバックスのようなケースは例外的だと思った方が良い。

 

ニッチ戦略を取った場合は、ビジネスの成功が岐路になる。

 

競わない戦わない戦略が功を奏した途端に、競い戦う戦略を取り出そうとするからだ。

 

ニッチ戦略はビジネスだけでなく、と言うよりもむしろ個人がキャラクターやセンスで勝負するような場合にもっと当てはまるような気がする。

 

失敗事例としては、お笑いセンス抜群だと言われるクラスの人気者がお笑い芸人を目指した途端に、おもしろくないということが発覚するのと同じだ。

 

甲子園で活躍した選手がプロ野球に進んでも、それがドラフト1位であっても、人に知られることなく引退していたということは珍しくない。

 

どの世界でも、ニッチな世界で通用してる人は戦う戦略は取っていないのだ、戦ってるとすれば自分自身とであって他人とではない。

 

他人と競い戦ってる時点で、ニッチの世界では敗者となる。

 

通用する世界を間違えたら意味がないのだ。

 

しかしニッチな戦略は、組み合わせることで拡大することができる。

 

歌って踊れるサラリーマンのようなものだ。

 

優秀なサラリーマンが歌って踊れれば、歌や踊りは上手ではなくても活躍できるように、ニッチな成功が一つあれば、別の要素を付加することで唯一無二の存在領域を拡大できる。

 

 

競争しないで戦うというニッチの世界観は、令和っぽい気がする。

 

 

次は、ニッチ以外の競争しないで戦う方法を書いてみたい。