今週のお題「ひな祭り」
下町の町工場が、その技術力を世界に発信するために、無償でボブスレーの開発をするようになったのは2011年からだ。
最初は、日本人選手のために行われていたが、2015年の11月にボブスレー連盟から2度めの不採用通知を受取り、それ以降海外チームへのオファーを行い、2016年1月にジャマイカチームに採用が決定され、その後正式に契約された。
1993年の映画「クールランニング」は、雪が降らない南国ジャマイカが冬季オリンピックにボブスレーで参加したことをコメディタッチに仕立て上げたものだ。
この映画のイメージでジャマイカのボブスレーチームを見てると、オリンピックに出ることは勝つことより参加することに意義を感じてるんだろうなと勝手に想像してしまいがちになる。
ボブスレーを無償で提供するために、地元大田区の支援を受けたり、寄付を受けたりしながら、そして実際には町工場の持ち出しもあり活動が継続されていた。
だから、下町の町工場に感謝することはあっても、不満を持つことは無いであろうと思っていたので、このニュースには驚かされた。
町工場の夢が暗転=下町ボブスレー、損害賠償請求へ〔五輪〕 2018/02/05
そりを無償提供していたジャマイカ代表チームから、9日開幕の平昌五輪では使用しない旨の連絡を受けたと発表
ジャマイカは下町ボブスレーを使った女子2人乗りで平昌五輪の出場権を獲得。しかし、昨年12月のドイツでのワールドカップ(W杯)に輸送トラブルでそりが届かず、ジャマイカはラトビア製のそりで好成績を挙げた。これをきっかけに、下町ボブスレーの品質への批判や改良要求が出るようになったという。
ここでは、ボタンの掛け違いのようなトレードオフが発生してる気がする。
ジャマイカ側にとっては、"勝ちにこだわる気持ち"と"無償"であり、町工場側にとっては、"無償"と"技術力を発信"と、私は感じるが違う意見もあるだろう。
私のような見方をすると、ジャマイカが求める勝ちへのこだわりを満足させる技術力を町工場が見せることができなかったとも言えるし、町工場が無償で提供できることには限界があるという見方も成立すると思う。
上記の記事によると、契約上ではジャマイカチームが下町ボブスレーを使用しなかった場合、損害賠償を請求できるらしい。
契約では、使用されなかった場合に推進委はそりの開発費と輸送費の合計額の4倍となる6800万円の損害賠償を請求できるという。
損害賠償を請求するのは、正当な権利であるとともに、両者の関係を完全に冷え込ませるものになるという意味では、捨て台詞を浴びせる行為にも感じる。
それと似たような話が、話題になっている。
はあちゅうさんの「金を出さない人はファンじゃない」発言にとても悲しくなった 2018/2/5
彼女が本当に「自分がクリエイターである」と思っているのなら、本当のクリエイターにとても失礼だ。本気で表現しようとしている人への愚弄である。
今の考え方のままなら、絶対に別の商売をやったほうがいい。ファンの気持ちを考えられない人に、クリエイターは向いていない。
私はお金を使ってくれない人はファンとは呼ばないと思う。クリエイターが活動を続けるためにはお金が絶対に必要なので、お金を使って才能を伸ばすことに貢献してくれる人がファンだと思う。本を「くれるなら読みます!」イベントを「タダなら行きます!」とか言われるの腹立つ。それはファンじゃない。
— はあちゅう (@ha_chu) 2018年2月4日
同様に最近一部で話題なった下記の話は、論点がチョット違うが印象は似ている。
「古本屋に売る」は悪なのか? 「著者のためには捨てるべき」説に議論百出 2018/2/ 4
古本屋で書籍を購入しても、作者に印税などの収入が入らない――この問題は、以前から議論されてきた。特にブックオフなどのいわゆる「新古書店」が台頭した2000年代からは明確に「脅威」と認識され、著作者団体などが新古書店での取り扱い中止を求める声明を出したり、使用料の支払いなどが議論されたりしたこともあったが、20年近くが経った今も明確なルールは整っていない。
こうした背景もあり、ネット上では「捨てるべき」論に、賛同の声も多い。
「古本屋に売るとその分、作家さんに入らないから」。一理あるけど、古書が再流通することによる文化の維持の側面も忘れちゃいけない。/「古本屋に売る」は悪なのか?「著者のためには捨てるべき」説に議論百出 https://t.co/193t5op7am
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2018年2月5日
この古本や中古本の扱いは、お金が誰に入るかを巡って議論されるが、この話題に図書館が加われば、上記の先に上げた2つの話題とも重なる。
一見正論だが、"お金"を口にする人達の口調は、冷たくきついトーンに感じる。
そんな時思い出すのは、イソップ童話の『北風と太陽』。
南国ジャマイカから吹いてくる冷たい悪意に満ちた北風だが、北風に北風を返すというのは作戦としてどうだろうか?
下町ボブスレーは、もともと"太陽"でありたいと思ってスタートしたような気がするし、その方が似合う。
今の日本は真冬で、今日は特に寒い、だから余計に太陽の有り難さを感じる。
夏だと北風にもう少し魅力を感じるのかもしれないが、"正論だけど北風"よりも"回り道でも太陽"の生き方を選びたいと感じた。