違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

生きてるだけで複数のポジションを持ってる

生きてる人間は常にポジショントークをしている。

 

しかし、自分自身のポジションをはっきり理解しているわけではない。

 

多くの人にとって、今いるポジションは、そこに行こうと目指した場所と言うよりは、人生の波に揺られて辿り着いた場所であることが多いだろう。

 

 

 

お忍びで精神病棟に入院した医学生が見たものは…そして彼の選んだ道は?「怖い」「身につまされる」絶版本のツイートに反応多数

秘密裏に体験入院した医学生は、何故か日々しだいに元気を失い、六日目にはついに、柱にもたれてうなだれてしまう。著者は慌てて彼を退院させた。

そして数年後、再会した医学生は結核の医者になっていた。

「今なら話せます」と、彼はみずからの体験を語り始めた…。

彼は、偽患者として入院した病棟で、他の患者たちから思いもかけない暖かな歓迎を受けた。

食事、風呂、トイレ、果ては薬の副作用が辛い時、どうやってこっそり調整するまで、皆が親身に教えてくれた。

それに対して、看護師や医者の冷たさ、威圧感が際立って感じられたという。

それに加えて辛かったのは自分の正気を疑わずに入院したのに、次第にそれがあやふやになり、自分に「自分は正気だ」と言い聞かせなければならない心境になっていくことだった。

そしてそれは周りの患者も同じなのだ。彼らもまた、自分は狂ってはいない、と自分に言い聞かせ仲間にもそういうのだ。それなのに毎日“お前は狂っている”と言われる彼らはたまらないだろう…。あまりにも救いがなさすぎる…。

しかし、一番怖かったのは、ショックだったのは、退院してから、病棟を変えて医者として実習をした時だったと、彼は告白する。

彼は言うのだ。

“あれほど温かく、生き生きとしていた患者たちが、みるみるうちに薄汚れて、汚らしくグズに見えてきてしまったのです。”

患者自身は少しも変わっていないのに、立場が変わったら見え方が変わってしまった、そのことに彼は大きなショックを受ける。

“どちらの感じ方をするのが真の自分なのか。両方とも自分なのか。わからなくなってしまいました。ともかく、そのときは意味を考えるのもできず、怖さにうちひしがれ、逃げるように帰ってきたのです”

この体験を著者に語った後、彼は英国に留学し、公衆衛生を学んだそうです。以下、締めの文章の抜粋です。

“精神衛生のレポートに、このときの体験を書いて教官から絶賛されたという。

彼の体験は、患者が心を開く可能性と、そのために、我々がとるべきポジションを教えてくれたのである。”

 

このようなケースは教えてもらうまで気付かない事が多い。

 

しかし、教えられると「ああ、あるある、あるかも」となる。

 

聞いてすぐに理解することが出来るということは、難しいから気づかなかったからではなく、考えようとしなかったからであり、考えなかったのは”感じてない”ので気付かなかったからだ。

 

実社会では、ポジションが違うと対立したり無視したりが多い、だから企業が提携なんてするとニュースになる、珍しいことが起きたからだろう。

 

スポーツの世界では、異なるポジションの連携プレーというのがある。

 

トッププロが難なくこなす連携プレーは、アマチュアの領域では難易度が高くなる。

 

上記の精神病院の話は、患者側と病院側の連携がうまく行ってないと見るとおかしな話になる。

 

精神病院の話とスポーツの話をリンクさせようとすると、スポーツの世界では選手とファンの関係に置き換わるかもしれない。

 

スポーツの世界では、ファンは自らの意志でいつでもファンをやめることが出来るが、精神病院の世界では患者は自分の意志だけで患者をやめることができない、だからスポーツの世界では選手はプレーでファンをつなぎとめることが求められるが、精神病院では・・・・・・。

 

スポーツの世界では、選手とファンがともに気持ちいいスカッとポイントを一致させることが出来るが、精神病院では患者と病院の間に共通のスカッとポイントが存在するだろうか。

 

ポジションが違っても価値観を共有できる関係もあれば、ポジションが違えば価値観を共有できない関係もある。

 

夫婦関係は、スポーツの世界と精神病院の世界のどちらに似てるのだろうか?

 

うまく行ってる話は表に出ないが、トラブルが多いとすぐに表沙汰になりがちな夫婦関係には謎が多い。

 

 

「トンデモ」健康情報で家庭が崩壊した男性が語る、元妻の「変化」

「価値観が合う人と一緒にいることが大事。合わない人とは一緒にいない方がいい。彼女は仲間にそうやってマインドコントロールされていきました」

 

「トンデモを信じることで、仲間からは“真実に気づいた”と絶対的に肯定してもらえるんです。彼女はそれを求めていたのかもしれません」

「トンデモを信じる人たちは団結力がある。止めさせようとする力より、抜けさせまいとする力の方が強い。私はその前で無力でした」

 

「トンデモの実践、伝道により、承認欲求が満たされ、自己肯定感が得られてしまうのだと思います」

 

 

 

アメリカの心理学者マズローが提唱した、人間の5段階の欲求。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論

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  • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
  • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  • 安全の欲求 (Safety needs)
  • 生理的欲求 (Physiological needs)

 

 

承認(尊重)の欲求 (Esteem)

自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

 

 

 

最近良く使われるようになった承認欲求ということばだが、マズロー2種類あると指摘したのは約50年前だ。

 

2種類のうち低レベルとされる反応は一言で言うと”お手軽な評価に一喜一憂するな、そして求めるな”ということだろう。

 

50年前から、人間が心理学的に陥る古典的な落とし穴だということだ。

 

なんでもお手軽になったのは、技術の進歩が可能にしたことだが、目に見えないトレードオフが発生してるのは言うまでもない。

 

最初は潜在化してるから気付かないが、最近一部の人は顕在化し始めたことに気付き出したように見える。

 

 

アマゾン以降 モノとの出合い方が激変 映画監督・想田和弘

例えば以前は、古本を探すときには古本屋を一軒一軒回っていた。出合うまでに時間とプロセスがあり、それ自体に学びの過程があった。アマゾンでは出合いまでが一直線です。そういったことが我々の精神や文化にどんな影響を及ぼしていくのか。もしかしたら大した影響を及ぼさないのかもしれませんが、それはまだ誰にもわかりません。

 

顕在化した”お手軽な評価”という市場価値は独り歩きを始め、全ての人に関係することになる。

 

承認欲求の次は自己実現の欲求になる。

 

欲求の段階を急速に駆け上がる人類は、神様の目にはバベルの塔を築いているように見えるだろう。

 

築いているのがバベルの塔ならば、いずれ破壊される運命だ。

 

 

最近増えてる大地震や地球温暖化に起因する災害は、神が人類に”安全の欲求”程度で満足してろと警告を発しているように思える。

 

第3回国連防災世界会議・防災の主流化の実現に向けて :外務省 2015年2月19日

ここ20年の間に,世界的に大規模自然災害が多発しています。自然災害の犠牲者の90%は開発途上国の市民であり,最も脆弱な人々が災害の矢面に立たされているという現状があります。

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先進国や都市に住んでる人が無意識のうちに「大災害の犠牲になるのは途上国であり、地方である」と思ってるだろう。

 

不思議なくらい都市部で大災害が起きていないが、次はわからない。

 

地球の上で生きているという意味では皆同じポジションにいることを理解したほうが良い。

 

自己実現や承認という欲求レベルは、俺とお前の立ち位置(ポジション)は違うということが前提になるので競争意識・対立が芽生えるが、安全欲求に関しては、私とあなたは同じ立ち位置(ポジション)だということが前提になり協力・協調が芽生える。

 

日常生活を送っていると複数のポジションを持ってることを忘れてしまうことがある。

 

幸せは安全が満たされるくらいが丁度良いかもしれない。