わらしべ長者という昔話を知ってる人は多いだろうが、きちんと理解してる人はどれくらいいるだろうか?
わたしは中途半端な理解をしていた一人だ。
わたしが理解していたわらしべ長者とは、自分が持ってるモノを物々交換で価値を上げ続け最後は大金持ちになるというものだった。
現代で言うところの転売サーフィンの繰り返しのようなものだ。
しかし、実際のわらしべ長者の物語は、自分が持ってるよりももっと役に立つ人がいるから自分の持ってるものを上げその際に相手から感謝されそのお礼に相手が持ってるものを受け取る、あるいは相手からあなたの持ってる〇〇とわたしが持ってる△△を交換してくださいと持ちかけられるということを繰り返していたという物語で、やってることは転売風でも気持ちも状況もまるで違っていたのだ。
鹿野の昔話「わらしべ長者」
— ふみぞう@まちづくり応援団えーる団長 (@fumi_no_yell) 2024年4月22日
昔々、鹿野の山深い里に、信心深い男がひとりで住んでいました。
朝から晩まで、顔を真っ黒にして働き続けていましたが生活はなかなか楽になりませんでした。
男はそこで、観音堂で一心に祈り続けることにしました……。https://t.co/YpNBb2tW3e pic.twitter.com/AnjiU3NkxS
わらしべ長者の話でもっとも重要な点は、ただ相手に優しくしたというよりも、優しくするに値する人に優しくしたという相手を見抜く目を持っていた点だ。
これは現代にこそ必要な視点だ。
ついでに言うと、わらしべ長者の儲かり話はすべて未来に向かう話で、過去を高く評価させるという展開ではない。
わらしべ長者の話からの教訓を整理すると、
- 他人にとって価値があるものが自分にとって価値があるわけではない
- 他利を考えられる心の余裕は長所になる
- 意識は過去ではなく未来に向ける
そして現代ならではの要素として付け加えたいのが
- 困ってる人と困ってるフリをする人の見分けがつくか
- 助け甲斐のある人と助け甲斐のない人の見分けがつくか
付け足した項目は意地悪のようにも感じるが、これは結構重要なのだ。
そして不幸なことに取り違え判断は頻繁に発生するかもしれない。
だからこそ目利き力が必要になる。
目利き力は取り返しがつく範囲での失敗が役に立つ。
とかく現代人は人を利用することを考えたがる。
資本主義の行き詰まりの一つの理由はそういうところだろう。
利用したいが利用されるのはイヤ、何かの判断や決定をするたびに正しく利用できてるか、利用されてないかを常に考え構えるようになっている。
正しく利用できることは得や儲けで、利用されることは損。
そんな価値観で武装してるはずなのに詐欺被害は増える一方。
温故知新なわらしべ長者の話は新鮮だった。