すっかり日本語として定着したベスト(best)という概念は言語明瞭だが意味不明でもある。
goodの比較級がbetterで最上級がbest、昔は英語の授業で教わったことだが、今では幼稚園児でも意味を理解せずに使うことがあっても不思議ではない。
日本語だとベストは『尽くす』ものとされ、暗黙のうちに何か条件がつくことが多い、『現時点の』や『自分なりの』などと。
つまり、よくよく考えるとそれってベストではなく、あまたあるbetterの一つなのだ。
ベストは深く厳密に考えると概念上だけの存在でしかないのに、中途半端な人が使いたがるので巷には多種多様なベストが溢れている。
何事にも真摯に向き合う人だときっとベストという表現を用いることに抵抗があるはず。
しかし、日本人の多くに馴染みがあるのはベスト10などというベストと数字の組み合わせでの順位表現、誤用といえば誤用だがそのおかげでベストの大安売りが定着したのだ。
人を説得したい納得させたいと意図する時には通用する最上級の表現を使いたいのが人情だが、使うことに抵抗を感じてる人は使えない。
何も考えずに使う人あるいは抵抗なく使える人は自分の発言に自信を持ってると好感を持たれる、それが詐欺を成立させる要だとすると、やっぱり騙す側よりも騙される側に問題があると言えるだろう。
最上級表現が好きな人は危険だ。