違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

天災よりも怖い人災!

千葉県で発生した大停電は強力な台風の進路の右(東)側の恐ろしさを示す典型的な天災のせいだと思っていたが、いつまでも復旧しない様子を見てると人災にも見えてくる。

 

当初見えてた人災は、国や県を含めた自治体と東京電力の連携の悪さに感じていたが、徐々に実態が明らかになってきた。

 

分かってくると、人災としての見え方も変わってくる。

 

自治体や東京電力など現場の人の人災に見えていたことは、政治の人災でありしかも過去の施策のせいであり、過去と現在が繋がっていない(=繋げられていない)という無策のせいだという側面が見えてくる。

 

詳しくは下記のサイトを読んで欲しい。

 

千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る

ここで樹木の伐採の難しさを少し説明しておこう。

(中略)

次に気になるのは、倒木の種類だ。

(中略)

今回の災害は、風があまりに強かった台風が引き起こしたものだ。しかし地域に合わせた林業技術を捨て、多様性を失わせた末に放置を招いた林業政策も、処理の難しい倒木を大量に発生させた一因かもしれない。

 

 

 

今年の夏は、千葉の大停電の直前には佐賀の水害があった。

 

直接の原因は大雨で、地域の排水能力を超えた水が押し寄せることで水害になったと思われていたが、

 

 

 

 

時代とともに技術的、文明的に進化したはずの人間は、実はバカになっているのかもしれない、だから天災を人災にしてしまうのかもしれない。

 

 

1995年に発生した阪神淡路大震災で壊滅的に被災した神戸は当初回復不可能かもと言われたこともあったが順調に回復していった。

 

もちろん震災前の神戸を知る人からすると物足りない部分は多々あっただろうが。

 

神戸が順調に回復できたのは被害が地震という天災だけだったからだ。

 

それに対して東日本大震災では、津波被害という壊滅的な天災被害があったが、その後の回復復興を妨げたのは福島原発事故という人災による直接の被害と噂による風評被害の人災ダブルパンチを受けたからだ。

 

探せば、天災だと思われてる被害の中には、キッカケは天災だが大事に至った理由はその後に人災が追い討ちをかけたからだと言うことがたくさんあるだろう。

 

知識が増えれば増えるほど反比例するかのように知恵を無くしていくのが今の日本人なのかもしれない。

 

知恵を無くした人間を見分ける方法がある。

 

知恵を無くした人間は想像力が欠如するので、現場で何が起きてるのかを理解できない、そういう人種は想定外ということばを好んで使っている。

 

人前では想定外ということばは使わない方が賢明だ!