違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

サイバネティクスがおもしろい!(2019年4月24日更新)

2019年4月24日更新。

 

サイバネティックスと言われる技術的な考え方がある。

 

2017年のウィキペディアにはこう書いてあった。

 

 

サイバネティックス英語cybernetics)は、通信工学制御工学を融合し、生理学機械工学システム工学を統一的に扱うことを意図して作られた学問。

 

 

2019年のウィキペディアではこうなっている。

 

サイバネティックス英語cybernetics)または人工頭脳学(じんこうずのうがく)は、通信工学制御工学を融合し、生理学機械工学システム工学を統一的に扱うことを意図して作られた学問。

 

 

この2年間で、人工頭脳(AI)を意識した学問にシフトしつつあることが感じられる。

 

機械も頭脳も生理機能も、繋がることが重要になっていて、ネットワークや通信はそれ自体は主役にはならないが、ネットワークや通信を抜きには多くのことが価値を持てなくなっているのかもしれない。

 

 

情報化時代と呼ばれ始めた頃は、『知っている』ことに価値があったが、時代が進化しサイバネティクス時代になると、その情報は『何と繋がって』『どのように機能するか』、そこまで分かっていなければ情報として機能しなくなっている。

 

 

情報化時代では、価値がある情報は閉ざされた世界で独占されていたが、サイバネティクス時代の情報はオープンな環境で共有されることで機能し、価値を発揮するようになると期待したい。

 

2017年にサイバネティクスという概念を知った時には、大自然の理屈とも言えるエコシステムを説明するものだと感じていたが、2年の間にエコシステムと人工頭脳が結びつこうとしてることがおもしろさを増したように感じられる。

 

 

 

 

以下は2017年と同じだが、これはサイバネティクスの原点を示す内容になっていると思える。

 

サイバネティクスとは、現代及び近未来に関係するテクノロジーの原点と言えるだろう。

 

わかりやすく説明してるのが下記。

 

「渡り鳥とサイバネティクス理論」

サイバネティクスに該当する日本語は「操舵」ということばにあたります。「操舵」とは船を操ること“船の舵を取る”つまり操縦することです。あらかじめ決められた目標へ直線的に向って、最適コースをとるシステムと違って、行き過ぎたり戻り過ぎたりするが目標に向って進む――これが「操舵」でありサイバネティックスです。

 

人間活動に関して応用範囲が広いので、広く利用されてるが、一般的な認知は低い。

 

サイバネティクス理論とマーケティングの意外な関係

サイコ・サイバネティクス理論から発展した自己啓発プログラムと訪問販売が結びついたのがアムウェイやニュースキンに代表されるマルチレベルマーケティングなんじゃ。じゃからマルチレベルマーケティングの勧誘では必ず「あなたの人生の目的はなんですか?」「今のあなたの毎日は、子供の頃にあなたが想像していた毎日ですか?」という語り口で始まるし、親類や友人など身近な人たちを、その人のためと強く信じて勧誘する行動も自己啓発セミナーとそっくりなんじゃ。

 

人間が持ち合わせてるセンサーは、五感+第六感だが、センサーの精度も能力も動物より低い。

 

人間は、ゴールを持ってるようで持ってない。

 

 

その時時で、目標や目的を設定し行動するが、純粋な自分自身の自由意志で目標や目的を設定しているだろうか?

 

見えざる手としてサイバネティクス理論に操られているかもしれない。

 

古来、宗教家や占い師や指導者そして比較的新しくなってからは政治家などに操られながら行動させられてるだけかもしれない。

 

 

しかし最近になって、人間は自分の外部に高度なセンサーを多数持つことができるようになってきた。

 

テクノロジーの発達で体の外部にセンサーを設けることで様々なデータを入手し解析することで、精度の高い判断をすることが可能になった。

 

 

あらゆるものがデータとして記録されるようになると、嘘がばれやすくなり、特定の人間の思惑だけで大勢の人を操ることができなくなってくる。

 

 

「アッキード事件」と呼ばれ始めた「森友学園」問題 政治家への現金授受疑惑も浮上!

 

 

 

 

知りたいけど知る術が無かった情報が取得できるようになりつつある。

 

集められたデータは瞬時に処理され利用される。

 

最初は、軍事情報としてスタートしたかもしれないが、やがて社会生活を支えるための公の情報として、次に民間企業で活用するようになり、スマホの普及で爆発的になり、活用するかどうかは別にして、センサーが取得可能にした情報は桁外れに膨大なものになった。

 

人間を中心に考えると、外部の周辺情報が、増え続けたと言える。

 

情報の取得はセンサーからだけでなく、IT技術の発達でアルゴリズムも情報を取得している。

 

最近数年でアルゴリズムが取得するデータが、パーソナライズを可能にし始めだした、まだ大まかな傾向に留まっているが、目に見えないところで趣味嗜好が把握されている。

 

こういう状態を、怖いという人や気持ち悪いと思う人も多いだろうが、自分だけではないという意味では、「赤信号みんなで渡れば怖くない」かもしれない。

 

 

情報の活用が次の段階に移りだしてるのが今だ。

 

 

情報は、媒体(メディア)を介して媒体側から大衆の側へ、ごく僅かな例外を除き一方通行で発信されていた。

 

インターネットの登場が、一方通行だった情報の流れを双方向にし、かつそのやりとりにかかる時間の壁を取り去った。

 

そしてSNSの登場が、情報の双方向性を拡大し、網の目状に繋がり出した。

 

拡大した網の目状のネットワークは雑音も拡大させはじめた。

 

情報が一方通行の時代には、解釈に多様性がなかった。

 

正解がひとつという時代だった。

 

 

その正解に納得できない人は大勢いたかもしれないが、その大勢がお互いの存在に気付くことができなかった。

 

そのことは情報を発信する側に有利に作用し、情報に基づき大衆を操ることを容易にした。

 

機械化や自動化を促進したのは、「制御」技術の発達だ。

 

しかし、制御の有り様が行き詰まってるのかもしれない。

 

サイバネティクスは、行き過ぎたり戻りすぎた状態を修正しながら目的に向かう。

 

 

 

歴史的に見ると少し前まで日本でも、家で生まれ家で死ぬのが当たり前だった。

 

しかし気がつくと、病院で生まれ病院で死ぬのが当たり前になっている。

 

今の日本では、亡くなればほぼ火葬一択だが、少し前まで土葬も多かった。

 

サイバネティクスは、遺体の処理にも注目してるようだ。

 

世界各地では、気候風土に応じた遺体の処理法がある。

 

 

平均標高4500Mの岩と氷河の地チベットでは、日本の様に「遺体を燃やして骨にする」という文化がない、というより必要ない。

 

魂を看取った後は、単なる躯として鳥や他の動物の食物として供する。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥葬

チベット高地で鳥葬が一般的になった理由のひとつに、火葬や土葬は環境に対する負荷が大きすぎることもある。大きな木がほとんど生えないチベット高地で火葬を行うためには、薪の確保が困難である。

 

北極圏では夏になると地肌は出るが、永久凍土の地では、埋葬すると冷凍死体になり、そのままになる、だから、海に入れる。

 

砂漠の地では、遺体はミイラになり、年数をかけて風化させる。

 

インドシナ半島では、死体を櫓にのせジャングルに放置し、自然の営みに処理を委ねる。

 

 

 

根底にある考えは、死んだ人間の体を分解し、他の物質に変換させるということだ。

 

と言っても錬金術をやってるわけではなく土地の改良、活性化が目的だ。

 

 

死体を養分に木を育てる!? 新しい埋葬と森林計画の提案

もちろんエネルギーの循環や再生という意味でも非常に有効的なうえ、このような形での提案なら、人間の死を自然の流れの一部ととらえ、土にかえってまた新しい生命(=木)となって生まれ変わるという、ポジティブなアプローチとなるだろう。

 

今、地球は修正モードに入っているは明らかだ。

 

 

 

次世代のキーワードは「数学」が導く「美」

前回「数学」が要になって技術が発展してるという話を書いたが、書きながら頭に浮かんでいた映画がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/博士の愛した数式

あらすじ

家政婦紹介組合から『』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。

 

 

博士の愛した数式 [DVD]

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淡々と進む物語で、大きな盛り上がりがあるわけではないが、見終わった後の余韻が大きい不思議な映画だった。

 

「博士」は美しい数式や成り立ちが美しい数字にこだわる人だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/友愛数

友愛数(ゆうあいすう、amicable numbers)とは、異なる 2 つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数をいう。親和数(しんわすう)とも呼ばれる。

最小の友愛数の組は (220284) である。

220 の自分自身を除いた約数は、1, 2, 4, 5, 10, 11, 20, 22, 44, 55, 110 で、和は 284 となる。一方、284 の自分自身を除いた約数は、1, 2, 4, 71, 142 で、和は 220 である。

友愛数はピタゴラス学派の時代にはすでに知られていた(ダンブリクス Damblichus)。現在まで知られる友愛数の組は、すべて偶数同士または奇数同士の組である。

(220, 284) の次に求められた友愛数は (17296, 18416) である。この友愛数はそれ以前にも求められていたが、フェルマーにより再発見された。その後、オイラーにより 60 余りの友愛数が求められている。

なお、自分自身を除いた約数の和が元の数と等しい場合には、完全数と呼ばれる。自分自身を除いた約数の和を次の数として同じように計算していき元の数に戻る場合には、その組を社交数という。

 

 

人間関係を上手に結ぶことができない人だが、敵対関係をつくるわけではない。

 

そんな「博士」を中心にした人間関係物語で、接着剤の役目を「美しい数式」がはたしている。

 

数式が結びつけた人間関係は、ジグソーパズルのピースがうまくハマるようなしっくり感があり、そこにはゆっくりとした時間の流れが存在した。

 

ビッグイベントがなくても「美しい数式」のような「美しい人間関係」が成立することを教えてくれる映画だった。

 

 

数学が次代の要だとするとキーワードは「美」かもしれない。

 

人間の生き方に「美」が求められるのかもしれない。

 

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/美学

美学(びがく、aesthetics、またæsthetics、estheticsとも、Αισθητική (本文の2. 名称の項、参照)、「感性の学問」)とは本質や構造を、その現象としての自然芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。

 

 

なお、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて勝敗利害を超越した信念の持ち主を評するときに用いられることがある(「美学を感じさせる指し手」など)。

 

日常使用する「美」という単語は、反対語に「醜」が位置する。

 

今の時代だったら、男にとっては「かっこいい」だろうし、女にとっては「かわいい」という意味で使うことが多いだろう。

 

男にとって「かっこいい」を意味する言葉としてダンディズムという言葉がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンディ

アルベール・カミュは、1951年の『反抗的人間』で以下のように述べている。

ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。

 

 

ジャン・ボードリヤールは、ダンディズムは「ニヒリズムの美学的形態」であると述べている[19]

 

女のダンディにあたるものはクウェインチュレル quaintrelle である。クウェインチュレルは情熱ある生活、すなわち個人的スタイルや余暇の気晴らし、他人からの賞賛、人生の快楽の追求を重視する女である。

 

wikipediaとは違う考え方もあるようだ。

 

ダンディズムの対義語とは

ダンディズムの対義語ってなんだろう・・・?

調べました。

 

「フェティシズム」

意味:持ち物や体の一部などに執着したり、衣類・所持品などの事物に対し,

異常に執着・愛好する態度。

いわゆる「フェチ」

 

いやいや、ダンディズムの意味「「完璧なるジェントルマン」と比べて、

かなり対義語としてのニュアンスがかけ離れている!!失礼だわ~!

と憤慨し、なにかあるだろう!とポチポチ検索をかけること小一時間。

 

ダンディズムの対義語は、ほぼ無いのが現状。

これが今は近いのかな~と思ったのが「女子力」!

 

  

女のダンディズムを「女子力」と表現するのはうまいかも!

 

 

そもそもこのダンディズムという言葉は、チョット前まで男性ファッション誌などではよく見かけた言葉だったが最近は死語ではないだろうか?

 

ユニクロを始めとするファストファッションが主流になり、ファッションのユニセックス化が進んだことと関係がありそうだ。

 

ダンディズムとはやせ我慢であるという言葉があった。

 

ダンディズムに挑戦したい大人男子へ--嗜みとしての“やせ我慢”

 

 

ダンディズムが死語になってるとすれば、廃れた価値観は「やせ我慢」だろう。

 

ストレスが増大し、やせ我慢なんてしてる暇がないというか、キャパ的に受け入れられない時代になったということかもしれない。

 

美を巡っての振る舞い方が大きく変わってきている。

 

「ダンディズム=やせ我慢」が成立してた時代は、男も女も「かっこいい」や「女子力」を手に入れるためにやせ我慢を受け入れていたが、今やすべてがファスト化し、手に入れるためのトレードオフが金銭に換算されたものになっている。

 

つまりやせ我慢を買っているのだ。

 

やせ我慢をするということは、生き方を変化(シフト)させることだ。

 

一見合理的に見える「やせ我慢を金で買う」という行為がトレードオフしてるのは、変化を求めているけど、生き方は変えないという矛盾だ。

 

「やせ我慢を金で買う」という行為は、生産性と言われてる。

 

 

生産性が優先される現代が失いつつあるのが「美」だ。

 

生産性を加速させているのは物理だ。

 

東野圭吾のガリレオシリーズに出てくる天才物理学者の湯川学はこう言ってる。

 

『仮説は実証して初めて真実となる』

ガリレオ・湯川学教授(福山雅治)の名言・格言20選

 

 

物理の根底には数学がある。

 

数学は、真実であるだけでは不満だ。

 

数学は美しくあることを指向する。

 

生産性の追求を支えた「物理」は、真実であれば良かった。

 

結果、「美」が欠けた世界になりつつある。

 

しかし自然発生的に「数学」に焦点が当たりだしている。

 

次世代のキーワードは「数学」が導く「美」となるだろう。

完成度の高さの背後には数学がある

今から15年位前頃、省エネについて考えていた時期がある。

 

具体的には電気の使用量を減らす方法についてで、要になるのはエアコンの使いかただとわかっていた。

 

考えるテーマが大きく二つあった。

 

  • エアコンの効率的な使いかたは?

 

  • エアコンを必要としない環境とは?

 

「エアコンを必要としない環境とは?」について考えている時に、いつも基準にしていたのが「日陰」だった。

 

同じ日陰でも、涼しい日陰とそうではない日陰がある。

 

涼しい日陰を人工的に安く作れないだろうかと考えていた。

 

お手本は、木陰の涼しさ。

 

日差しを100%カットするわけではなく、木漏れ日があるにも関わらず暑苦しさを感じない。

 

温度や湿度を測れば、日なたと大きく違うわけではないのに涼しいのは何故だろうか?

 

この涼しさを人工的に作る方法はないだろうかといろいろ調べてみた。

 

似たような考え方は、立派な研究テーマとして存在してるらしいことがわかった。

 

結局この時考えたことは、雑学の知識を増やしただけなのだが、その時出会った言葉が「フラクタル」という言葉だった。

 

うろ覚えだが、木陰に似た環境を人工的に作ろうとするならば、正三角形または二等辺三角形状の小さな板を、高さを違え、隙間を設けながら互い違いに配置し、屋根状にすれば疑似木陰空間ができるとあった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル

フラクタルfractalefractal)は、フランス数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学概念である。ラテン語 fractus から。 図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル幾何

フラクタル幾何(フラクタルきか)とは、簡単に言えば「どんなに拡大しても複雑な図形」のことをさす。フラクタル図形とも呼ばれる。

フラクタル幾何に関する理論は、そのほとんどが一人の数学者ブノワ・マンデルブロ(Benoit Mandelbrot)によって創作された。彼は海岸線やひび割れの形、樹木の枝分かれなどに見られる複雑な図形を数学的に理論化した。

 

 

神様が作った無秩序に見える大自然にも、秩序が隠されていることに数学が気付いた。

 

 

人間が技術を発展させる時、他の生物や植物の構造をヒントにすることが多い。

 

軽さと強度が要求される航空機の翼や胴体に用いられるハニカム構造

ハニカム構造(ハニカムこうぞう、英語:honeycomb structure)とは、正六角形または正六角柱を隙間なく並べた構造である。ハニカムとは英語で「ミツバチ(=)」という意味であり、多くの蜂の巣がこのような形をしていることから名付けられた。

 

蚊が血を吸うメカニズムの解明から
世界で一番痛くない針の開発に挑戦

みなさんも不思議に思うでしょ? なぜ、蚊に刺されても痛くないのだろうか、って。

実は、そこには驚くべきメカニズムが隠れていたんです。

 

自然の力は人間の創造を超える!

「蚊が生み出した仕組みを、人間が自分たちの頭だけで考え出すことは難しい」と青柳先生は言う。実際、自然の力は人間の想像をはるかに超えており、そこから生物がもつ特殊な機能や不思議な能力を利用する「バイオミメティクス(生物模倣)」が近年、注目されるようになってきた。有名なのは、サメの肌に似た構造を採用してスピードを速めた競泳の水着だろう。カタツムリの殻がいつもきれいなことをヒントに、特殊な外壁材が生み出されたりもしている。

 

 

バイオミメティクスの研究が実用化されるためには、数学的な秩序が見出だせることが鍵になるだろう。

 

数学的に解析可能になれば、技術の応用と生産の容易さが実現できる。

 

一見無関係に感じられることの背後に数学が潜んでることが、ドンドン明らかになる。

 

 

楽器がアコースティックな時にはあまり感じなかったが、楽器が電子化してくると、音楽と数学の関係が密接なことがよく分かる。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/音楽と数学

 

数学と芸術。

 

一見正反対に感じるこの両者はコインのウラとオモテのようで実はメビウスの帯のような連続性の関係にあるかもしれない。

 

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新エンブレムに隠された法則とは? 「よくこんなの思いつくよね」と感嘆の声【東京オリンピック】

 

デザイナーの野老朝雄さんがどこまで意識してるかは不明だが、数学が潜んでることは言うまでもないだろう。

 

その前の佐野研二郎さんのデザインだって数学的な存在だ。

 

最近のデザインは露骨に数学色が強くなっている。

 

この数学色が強いデザインは、完全にAI(人工知能)に置き換わるだろう。

 

AIがデザインすれば著作権の問題も発生しないだろう。

 

数学からデザインのインスピレーションを得よう!数学の美しさを楽しめるGIFアニメーションのまとめ

 

 

デザインと数学の出会いは、デザイナーと数学者の出会いでもある。

 

デザイナーと数学者の出会いは、「模様」を介して行われる。

 

模様に対して脳が、どう反応するかという研究が始まったのは1910年ドイツでだ。

 

ゲシュタルト心理学と言われる。

 

人間は、模様(パターン、形)に視覚的な単純さや規則性や対称性を求めるらしい。

 

現在のデザインには、ゲシュタルト心理学がデザインと数学を結びつけた結果の産物が多そうだ。

 

 

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書き慣れた漢字が、正しく書いているのに間違ってるように見えることがある。

 

このような状態を、ゲシュタルト崩壊という。

ゲシュタルト崩壊の発生要因については未解明な部分が多く、静止網膜像のように消失が起きないことなどから、感覚器疲労順応によるのではなく、「比較的高次な認知情報処理過程によって発生する」[2]ことがわかる程度である

 

ゲシュタルト心理学が見つけた脳機能の1つだ。

 

 

 

 

デザインが数学をリスペクトしている。

 

そうなってくると人間が手掛ける芸術やデザインの拠り所は、手書きや手作りしかなくなる。

日本のレコード業界は、コンテンツの生産ではなく切り売りをしてるだけ

日を置かずに出た二つの記事に、同じ匂いを感じたので取り上げてみたい。

 

最初はこの記事。

 

YouTubeで日本のMVの多くが海外から視聴できず 背景にはGoogleとの規約問題、国内レーベルの葛藤

動画共有サービス「YouTube」で日本の公式ミュージックビデオ(MV)の多くが海外で視聴できない事情がネットで注目を集めている。

 

国内音楽レーベルが販売戦略のために視聴制限を設けているという見方もあるが、背景にはYouTube側が自社の利益のために日本のMVを“お断り”している問題がある。

 

2015年の米TechCrunchの記事によると、「YouTube Red」の規約に署名した場合YouTubeパートナーに支払われる収益の割合は55%。これは当時の定額制ストリーミング配信サービス「Spotify」の70%、「Apple Music」の71.5%に比べてかなり低い数字になる。

 

 

金儲けのためにGoogleが収益の配分率を変え、日本のレコード業界がそれに反発し、海外のファンがそのとばっちりを喰ってるという記事に仕立て上げられてるようだ。

 

この記事のわかりにくさは、関係者の絡み方がややこしいからだ。

 

表面的には、Googleとレコード会社とファンの間で問題が起きているのだが、Googleの側には広告費を出してるスポンサー企業が含まれている。

 

そして、レコード会社の側には、コンテンツを作る社員ではない契約関係にある人がいる。

 

Googleとスポンサーの関係は外部から見ると一体だが、この両者は利害に関して対立関係でもある。

 

同様に、レコード会社とコンテンツ製作者は外部から見ると一体だが、利害は対立する。

 

ビジネスの問題の多くは、お客を巡って発生するが、この問題はお客であるファンが無視されたことで発生している。

 

更にややこしいのは、レコード会社からするとYou Tubeを見るファンはお客ではあるがお金を出してるわけではないので、今ひとつ大事にしないのだろう。

 

You Tubeを見る人が増えれば、CDが売れなくなるという被害妄想も膨らむのだろう。

 

一方コンテンツ制作者からすると、レコード会社がファンを大事にしてないと感じることは、巡り巡って自分たちが大切にされてないと感じるのだろう。

 

レコード会社は、今やファンとコンテンツ制作者の間を取り持つ仲介業にすぎないのに、かつてのようにファンとコンテンツを支配したいという思いが透けて見える。

 

 

 

もう1つの記事は、

 

「『DeNAのDNA』を持ち合わせていない者たちによって始められた事業」 DeNA、キュレーションサイトについての第三者委員会調査報告書を公開

  • 権利侵害記事は記事全体の1.9~5.6% 画像は74万件に問題
  • コピペ推奨マニュアル
  • クラウドソーシングサービスから採用されたライター
  • 記事単価の安さ
  • 記事に対するクレーム

 

 

昨年末から騒がれていた件の総括の発表だ。

 

内容的に新しいことが出てきてるわけではない。

 

しかし、You Tubeとレコード会社の問題に共通する臭いが感じられる。

 

 

コンテンツの収益を広告費として受取るビジネスモデルに企業が介在すると、コンテンツに接するエンドユーザーの存在をないがしろにするということだ。

 

そうなるのは当然で、エンドユーザーの顔が見えないからだ。

 

エンドユーザーの反応を理解できないから、コンテンツの良し悪しがわからない、客はコンテンツに集まるのではなく、アルゴリズムを活用し客をコンテンツに集める方が効率が良いと考えるようになったのだろう。

 

だとすれば、コンテンツに金をかけるのは効率的ではないという発想になる。

 

DeNAは、再開に向けて舵を切りたいようだが、社内にコンテンツを評価するノウハウ

 

が全くない状態からのスタートになる。

 

エンドユーザーは、感情を持った存在であることを考えると前途多難だろう。

 

 

 

誰でも価値を認めないものに、お金を払うのはイヤだ。

 

売ってるものであるならば価値を認めればお金を払うし、売ってないものならば払うのはお金でなくても良いが、言葉以上の行動があったほうが良いかも。

 

価値を認めてるのに、何も払わずに利用する人をフリーライダーという。

 

 

まちづくり関係者なら知っておきたい「オルソン問題とフリーライダー問題」解決方法!

今まで特に何も考えずに雪かきをしていた少年A。町内のみんなが「ありがとう、助かるわぁ」と声をかけていく。そこへ近所の若者Cが現れて話しかけた。

「A、えらいなぁ。にいちゃんも見習わんなんなぁ。毎日大変やろ?」

「いいえ特には。」

「こんな大変なこと毎日Aにだけやらせとるんは、にいちゃん気がひけるわ。町内のことなんだから当番制にしてみんなで交代でやろう。」

町内のみんなが集まる町内会で、その若者Cが「雪が降って大変だから、Aに任せっきりにするんじゃなく、みんなで交代制で雪かきをやりましょう!」

みんな快く協力してくれると思っていた若者Cだったが、町内の大人からは予想もしなかった言葉がたくさん返ってきた。

「Aが勝手にやっとることだから、わしゃ知らん。」

「毎日仕事に行かんとダメやから無理」

「腰が痛くて無理」

「誰も頼んでない」

今までは特に何も考えずに除雪をしていた少年Aだったが、こんな大人たちを見て一気に気持ちが冷めてしまった。

みんな「いつもありがとう、助かる」なんて言ってるのに、自分たちでは少しもやろうとしないんや...。

そんな人たちのために自分だけが何かやるなんてバカらしくなってきた。

もうやめよう...。

次の日から、Aは除雪しなくなった。

町の人たちは、毎朝自分たちで大変な思いで除雪をしている。

高齢者の家の前にはずっと雪が積もったままだ。

 

 

 

インターネットの普及は、コンテンツのフリーライドを促進したかもしれない。

 

どんな業界も最初は、善意に委ねてスタートするが、荒れてきたら、ルールが生まれる。

 

インターネットに強い規制は馴染まないが、ルールが必要だ。

 

法律が導くものではなく、アルゴリズムが導くルールが整う必要がある。

 

 

広告宣伝がエンドユーザーの気持ちと無関係に展開されてきた時代が終わりかけているかもしれない。

 

 

 



2014年当時GoogleのCEOラリー・ペイジが描く未来のためには、まだPCを始めとする必要なデバイスのスペックが足りないと語っている、それから3年経った現在、エンドユーザーとして接するITデバイスは大きく進歩してるようには感じない。

 

ラリー・ペイジは、Googleがやりたいことを実現するためには、コンピューターがユーザーを理解し、情報を理解する必要があると語っている。

 

もう少し時間がかかりそうだ。

 

ただ、ビジネスというゲームのルールは変わり始めている。

 

コンテンツの切り売りしか考えてないレコード業界と、コンテンツ制作者やファンとの距離は開くばかりだ。

 

今のままだと日本のレコード業界は消滅し別の受け皿ができるだろう。

ストレスが生み出す「癒やし」、「萌え」、「恨み」

「癒やし」や「萌え」という言葉が単独で意味を持ち、感情や気持ちを表す言葉として機能している。

 

ニュアンスは分かるような気がするが、いまひとつピンとこないところもある。

 

こういう時は、反対語を考えると意味することが浮かび上がるというのが持論だ。

 

 

 

癒やし

 

さっそく検索してみると、

 

「癒やし」の反対は、辞書的には病むということらしい。

 

実際の使いかたとしては、病気で病んでる状態の反対ではなく、病んでるのは「心」であり、状態としては「疲れてる」「緊張してる」に近そう。

 

「癒やし」は、リラックスに近い状態とも言えそうだ。

 

疲れや緊張を生み出す大元はおそらくストレスだろう。

 

 

だから、マッサージやアロマなど。体や心をリラックスさせるものが流行るのは理解できる。

 

しかし、おそらくこのストレスがすごく幅広い意味を持っている気がする。

 

「癒やし」は人を表現するときにも使われる。

 

 

「癒やしキャラ」で検索すると男性からの視線を気にする女性に向けての内容が多いことに気付く。

 

一緒にいると癒される!男性が好む理想の癒し系女性とは?

 

 

「癒やしキャラ、男」で検索すると、

 

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と出てくるので、男女どちらにも当てはまるようだ。

 

しかし、「癒やし」に関しては主導権は女性にありそうだ。

 

芸能界や美容師など女性が高い関心を払う業界にオネエと言われるキャラクターが増えているのは、「癒やし」と関係してるかもしれない。

 

癒し系の男子の条件を見ると、女性にストレスを与えないことが求められてるように見える。

 

癒し系男子からは、たとえ正論であっても厳しいことは言われたくなさそうに見える。

 

しかし女性の側も、厳しいアドバイスを求めてないわけではなさそう。

 

そういう役回りをオネエキャラに求めているかもしれない。

 

百花繚乱!ゲイ・ニューハーフ・女装家!オネエ系タレント名鑑!

 

 

 

オネエ系とは一線を画す、バラエティで高まるジェンダーレス男子の需要

「ここ数年、マツコ・デラックスを筆頭にオネエ系毒舌キャラがバラエティ界を席巻していますが、そろそろ飽和状態になっているようです。つまりはマツコさんが絶対的な存在となり過ぎてしまい、それ以外のオネエ系タレントが横並び状態なんですね」(キー局テレビ制作スタッフ)

 

「オネエの次に来る枠として、需要が高まっている」として注目したのが、ジェンダーレス男子である。オネエ系とは異なる、男性にも女性にも衝撃を与える不可思議な生態と発言。その場にいるだけでファッションやメイクが目を引き、イケメン要素も踏まえていたりする。さらに、SNSで鍛えた自己プロデュース力で、自分の“魅せ方”をある程度わかっているあたり、テレビ的にもフックになりやすい。 

 

癒やしの世界も進化してるようだ。

 

 

 

萌え

 

 

「癒やし」は、女性が主導権を持ってると書いたが、男の私でも理解しやすい。

 

しかし、「萌え」はいまひとつピンとこない。

 

この言葉は、どちらかというと男のほうがよく使ってる言葉のような先入観を持ってる。

 

さっそく検索してみると、

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/萌え

萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。

一方でサブカルチャー文化におけるスラングとしては、主にアニメ漫画ゲームソフトなどにおける、登場キャラクターなどへのある種の強い好意などの感情を表す言葉として使用されている。また、そこから転じた若者言葉では、同様の意味がより広い対象に対して用いられる[1]

 

 

架空のキャラクターに対する「萌え」には性的興奮の意味合いが含まれることもある[9]。「萌え」という単語が、「美少女やおっぱいがたくさん出てくる」という文脈で理解される場合もある[10]。かつての「萌え」はキャラクターに対する純粋な好意を意味していたのが、次第にそうした意味合いを強くしていったとも言われる[11]

 

 

 

社団法人コンピュータエンターテイメント協会(CESA)は2006年4月24日、一般消費者を対象とした「2006年CESA一般生活者調査報告書」を発刊した。「萌え」の認知度・利用状況については、全国の3~79歳の1103人を対象とし、萌えに関する調査を行った[24]。CESAにおける萌え定義は「マンガ・アニメ・ゲームの登場人物(キャラクター)などに愛情を抱くこと」とされる。この定義で認知度を測ってみたところ男女性別平均の認知度は男性548人中66.4%、女性555人中65.6%であった。「よく知っていて自分でも使っている」と答えたのは男性の場合20~24歳の8.9%、女性の場合15~19歳の12.1%が最高であった。

 

 

私が「萌え」を分かりづらいのは、若者ではないからだということがわかった。

 

 

 

オタクが使う「萌え」の対義語ってなんでしょう?

「萌え」の定義を子供っぽくて可愛らしげな女の子を形容する言葉だと思ってませんか。

その相手自身を「可愛い~」と誉めているんじゃないんです。

オタク用語としての「萌え」は基本的に、キャラクターとしてよくできている、

この私をよくぞ喜ばせてくれた、ナイスプロデュースだ、グッジョブ!という賞賛の言葉なんです。

あくまでも「作られたもの」に対する、その作られ方への評価です。

ですからその対義語は、一定レベルをクリアしていない、作りすぎ、センスがズレてる、バッドプロデュースだ、

という、落胆を表わす「萎え」になるわけです。

 

 

 

「癒やし」も「萌え」も、同じノリを持った人を探してるように見える。

 

それは、ストレスから逃避できる自分の拠り所になるコミュニティをつくるために。

 

 

恨む

 

昔は、ストレスから逃げる時に「恨む」ということが多かった気がする。

 

コミックでも大きなテーマだった。

 

古くは「魔太郎がくる!!」というのがあった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔太郎がくる!!

見た目も性格もパッとしない典型的「いじめられっ子」である主人公・浦見魔太郎。毎回様々な人物からいじめを受けるが、どうしても許せない行き過ぎたいじめや悪行に対しては自身の持つ超能力「うらみ念法」やオカルトアイテム、残虐な手段をもってして夜な夜な復讐しにまわる。

 

新しい所では(充分古いが)、「笑うセールスマン」というのがある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/笑ゥせぇるすまん

セールスマン喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)が現代人のちょっとした願望をかなえてやるが、約束を破ったり忠告を聞き入れなかった場合にその代償を負わせる』というプロットから成る一話完結のオムニバス形式。この作品の本質は単なるブラックジョークではなく、寓話的な意味合いを兼ねている。また、人間の本質であるいい加減さ、愚かさ、弱さが描かれた物語が多い。

 

どちらも藤子不二雄Aの作品。

 

「恨む」は、ストレスの元が無くなることを祈るのに似てる。

 

恨みを晴らそうとすることは、ストレスの元を絶とうとする思いと、同じストレスを味あわせてやるという復讐の二つがある。

 

 

人間は、合理的に考えて行動してるようで、実は原始的な脳機能に影響を受け行動する事が多い。

 

 

 

正しい恨みの晴らし方 (ポプラ新書)

正しい恨みの晴らし方 (ポプラ新書)

 

 

自分の利得は多少減少しても相手の利得を大幅に増やす親切行動や、

 

自分の利得を多少減らしても相手の利得を大幅に減らす意地悪行動が、

 

何かしらの感情や自己の金銭的利得を最大にする合理性に関わる脳領域が相互に

 

絡み合う形で意思決定が行われている可能性がある。

 

 

 

 

人間は、感情の振れ幅が大きい生き物だから、親切行動と意地悪行動のどちらも起こす。

 

「癒やし」や「萌え」も「恨み」もストレスからの逃げ場所かもしれない。

 

しかしストレスがなければ、そもそも必要ない。

 

ストレスの多くは、究極的には人に行き着く。

 

だから、誰か相手が存在する。

 

「人は一人では生きられない」とすると、たぶん生きることそのものがストレスだ。

 

 

もうすぐ、ストレスの逃げ場所を示す別の新しい言葉が生まれるだろう。

情報化時代の身の守り方は両極端化する

モノの時代からサービスの時代に移り、そしてサービスの時代から情報の時代へ移って行った。

 

モノやサービスが中心の時代にも情報は存在していたが、情報は上から下へ流れるものであった。

 

上とは、情報を取りまとめたり、集めたりする組織や集団や人であり、下とは、その情報を消費する立場全般を指す。

 

インターネットの使い勝手が良くなるまでは、情報はメディアと言われるテレビや新聞、書籍を媒介(=メディアの意)し伝わった。

 

また世間一般ではメディアとは位置づけられないが、知らないことを教えるという意味では教育全般もメディアとして機能しただろう。

 

教育という分野では、長いこと学問だけに取り組んだ人が先生を務めていたが、近年メディア出身者が大学で教えるようになってきたのは「情報」がより一層価値を持つようになったからだろう。

 

インターネット以前の情報には、陳腐化するまで比較的長い賞味期限があった。

 

一つの情報が行き渡るのにタイムラグがあったことも関係してるだろう。

 

しかし、現在は情報の伝達にタイムラグがなくなり、賞味期限が短くなっている。

 

昔の大学では、10年も20年も講義内容が全く同じで、試験問題も毎年同じという教授がいたりもした。

 

今の大学ではそういう教授には生徒が集まらないだろう。

 

 

 

「情報」は自らは光を放たないので、光を当てることで見つけるしかない。

 

どの角度から光を当てるかなど、光の当て方で情報は表す形や色を変える。

 

時には、光が生み出した影を情報と勘違いすることもある。

 

こうして「情報」は、ありのままを伝えても、真実と言われたり、嘘と言われたりすることがある。

 

情報には、このような不確かな側面が存在することに気付いた人や組織は、情報を加工し操作することを意図するようになる。

 

嘘をついて騙しても、善意の第三者を装えると考えるからだ。

 

情報を発する立場が権力者になる理由だろう。

 

オレオレ詐欺に代表される詐欺事件もニセ情報を演出することで成立している。

 

 

この構造に革命を起こしたのがインターネットだ。

 

上から下に流れていた情報が、横に広がるものになった。

 

インターネットになっても、情報が玉石混交なことは変わりない。

 

しかし、変化が起こった。

 

インターネット以前の情報の価値は、直接金銭に換算されたが、インターネットの普及は情報の価値を、「もたらす評判を評価する」に置き換わりつつある。

 

この価値の置き換えは、現在進行形でかつ発展途上中だ。

 

評判の評価の指標にアクセス数が用いられてる。

 

テレビの視聴率と似ている。

 

テレビの視聴率調査と違い、インターネットは野放しに近かったが、そこにメスが入り始めた。

 

グーグル、検索順位の強制下げ続々 不適切な手法横行で

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/検索エンジン最適化

検索エンジン最適化は、ユーザーに重点を置いてサイトを改善するホワイトハットSEOと、検索エンジンを騙してサイトの掲載順位を引き上げようとするブラックハットSEOの二つに分類される[1]。Googleは、自社が公開しているウェブマスター向けガイドラインに準拠している手法をホワイトハットSEO、準拠していない手法をブラックハットSEOと定義している[1]。GoogleはブラックハットSEOを行うことをバッドプラクティスであるとしており[1]、ブラックハットSEOを行った場合、Google検索でサイトの掲載順位が下落したり、Google検索から排除されたりすることがある[3][4]。

 

日本では、2002年後半から検索エンジン最適化を行う業者が台頭し始めた[要出典]。 2007年以降、競争の激しい分野では、特に中小・個人サイトは検索エンジン最適化なくしての上位表示は非常に難しくなっている[要出典]

 

 

情報を加工することで有利な立場を作り上げた人や組織は、自分が嘘をついていることを自覚しているので、嘘がバレないように画策する。

 

また、自分が嘘をつかれるのは嫌なので、全てに対し疑心暗鬼になる。

 

大義名分として、テロ対策などセキュリティや正義の看板を掲げるが実態は疑心暗鬼の払拭のため全てを管理監視したいのだろう。

 

ウィキリークスがCIAの極秘ハッキング計画を暴露!世界で電話やテレビを盗聴、自動車の遠隔操作も!

 

国家や大組織が、管理監視の強化に活路を見出そうとする一方、個人は正反対の動きで自らを守ろうとする。

 

 

ストーカになるのは実は身近な人なのだが、多くの人にとって災いをもたらすのは見知らぬ第三者というイメージが強い。

 

当てにならない先入観がもたらすイメージだが、だからといって不用意に第三者に門戸を開けるべきではないだろう。

 

自分のテリトリーならぬ、自分のコミュニティを持ち、そこを拠り所にしてる人は思ってる以上に多いかもしれない。

 

自分を守るために、コミュニティ外からのアプローチに神経質になるのは健全な証かもしれない。

 

電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚くイマドキの就活生

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナンバーディスプレイ

1997年1月28日より横浜(045)名古屋(052)福岡(092)の3地域において「発信電話番号表示サービス」という名称で試験サービスを開始(6月30日まで)し、10月1日よりサービス名称を「ナンバー・ディスプレイ」に改めた上で先述の3地域で本格サービスを開始、その後1998年2月1日より全国サービスを開始した。

 

かかってきた電話番号を知る術がない頃は、全ての電話に出るしかなかった。

 

昔は、見知らぬ人との電話の話し方なんていうノウハウ本があったような気もする。

 

 

上から下に動いていた情報が横に動くようになって、便利にはなったが、安全安心が脅かされるようになり、コミュニケーションを限定するという自衛手段に頼る人も増えている。

 

 

まだ人間は、コミュニケーションに関しては発展途上中のようだ。

「評価経済社会」の著者岡田斗司夫が安倍総理夫妻に似てる

先日、図書館で面白い本を見つけた。

 

面白いと思った点が3つある。

 

  • 内容が面白い(内容が伴っている)

 

  • 意外に社会に影響を与えていそう

 

  • 著者が面白い(ネット検索するとボロカスな評価が出る)

 

 

「評価経済社会」と言うタイトルで著者は岡田斗司夫。

 

 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

 

 

 

著者の岡田斗司夫のことは名前を知ってる程度で、ダイエットに成功したと言うことくらいだ。

 

レコーディングダイエットはリバウンドする?岡田斗司夫が語る真実とは!?【バイキング】

 

 

「評価経済社会」この本を手に取った理由は、装丁が目を引いたからだ。

 

この装丁に関しては意図があったことが本の中でも書かれてる。

 

 

読んだ後、ブログのネタにしようと検索してわかったのが、この本は出版された時に結構世間の話題になっていたらしいということ。

 

 

内容の面白さに関して

 

 

2011年、東日本大震災の直前にに出版されたこの本に書かれてる内容に古臭さは感じない。

 

資本主義が終わると言う観点でいろいろなものを見てしまうが、「評価経済社会」は、終わるという話ではなく、シフトするという話。

 

シフトするのは、「貨幣経済競争社会」から「評価経済社会」へ。

 

 

人々のニーズを掴み、最も効率良くそれを生産して販売することによって、多くの富を得られるのが、「貨幣経済競争社会」。

 

それに対し、人々の不安や不満を掴み、最も効率良くそれを解消する方法を提案することによって、多くの人に影響を与え、尊敬と賞賛を得られるのが「評価経済社会」。

 

得られる利益は貨幣的利潤ではなく、評価利潤、つまりイメージであると定義している。

 

 

 

出版された2011年から6年経つ現在も、世の中の基本は貨幣経済競争社会だ。

 

2011年は、SNSの勃興期であり評価経済社会という概念が生まれやすい背景があっただろう。

 

それから6年後の現在、ネットやSNSを取り巻く環境では評価経済社会は浸透し定着しつつあるように見える。

 

ネガティブな要素としては、フェイスブックやLINEなどで「疲れ」と言われる人間関係に疲弊する現象があったり、ツイッターが「バカ発見器」と言われる

 

ような現象が起きたり、広告費を稼ぐためアクセス数を増やそうとする戦略が過度になったりという現象が起き、社会問題化しながらも改善も進んでいる。

 

インターネットやSNSを利用する人の側にはリテラシーと言われるモラルとルールがセットになった概念がが持ち込まれ、運用する側は問題を受けアルゴリズムやプログラムを変更し整備されている。

 

少しづつ岡田斗司夫が言っているような世の中になってるように見える。

 

時代の変化を掴んでいるように見えるところが面白い。

 

 

評価経済社会とは

 

評価経済社会では、価値の中心にあるのは「自分の気持ち」。

 

現代は高度情報化社会だが、その特徴は情報の数が増えることではない。

 

一つの情報に対する”解釈が無限に流通する”社会であるとしている。

 

「自分の気持ち」が大事だからこそ成立する。

 

 

評価経済社会では、利潤は追いかけるものではなく、後から付いてくるものであると考えられる。

 

人々の心に影響を与えるイメージを「評価資本」と言う。

 

高い評価資本を得ながら明暗を分けたSONYとappleの例が示されてる。

 

ここで語るappleはジョブスがいた頃の話だが、熱狂的なファンを持ち、高い評価資本がある両社だが、評価資本から得られた金融資本の使いかたが明暗を分けた。

 

金融資本を更なる評価のために投じたappleに対し、結局ウォークマンから抜け出ることができず、得られた金融資本を儲けのために投じ評価を失ったSONYと捉えているようだ。

 

情報強者と情報弱者を分けるのは リテラシーではなくコミュニティ

 

評価経済社会のキーワードとして3つが挙げられてる。

 

  1. 他人を、その価値観で判断する
  2. 価値観を共有する者どうしでグループを形成
  3. 個人の中に、複数の価値観があり、それをコーディネートする

 

 

「評価経済社会」は、出版時に注目されたようで下記のような対談も組まれてる。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(第1回) 世界は“お金”から“評価”の時代へ

 

――堀江さんって、貨幣経済の最先端にいた人じゃないですか?

 

岡田これまで国家には領土があって、国民がいないといけなかった。でも国家のサイズが大きくなりすぎたので、企業が肩代わりするようになったんです。どの通貨を使うのか=どの国家に所属するのかと考えると、携帯のプランを選ぶくらいの気軽さで、国家を選ぶことができる。実は堀江さんはベンチャー型国家を作ろうとしていたんです。いわば国家転覆計画ですから、それは潰されるなって思いましたよ。

 

堀江取り調べ中にそんな話をしていたら、「国家には軍事力とか警察力がないとだめだよ」って言われましたけど、僕はさらに「ロケットがあったらどうなんだ」って話を振ったんです。ほんと、ただの暇つぶしのトークですけど(笑)。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(第2回) テレビに出たい人はお金を払えばいい。 

 

――さて、FREEexは、アナログの時代にもすでにあったという話でしたが、これからコンテンツはどんどんフリーになっていくんですか?

 

堀江震災のときに感じたことがもうひとつあって、僕はフォロワーが多いので、いろんな安否情報とか有用な情報をリツイートしていたんです。放射能漏れがあったとき、最初は自治体が発表する数値は文字でUPされていたんですが、「これ、グラフにしてくんないかな」って言ったら、それがすぐグラフになる。アクセスが集中して見られなくなったら、有志がどんどんクラウド化していってくれる。

 

堀江ほんとそんな感じ。僕が見たいものが、すぐにできてくる、これってまさに評価社会なのかなって。もうでかい会社はいらないなって思いましたね。

 

堀江お金払って雇っている社員よりずっといい。ほんといい。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(最終回) 国民の95%が失業する時代がくる!? 

 

――たとえば、誰をフォローしているのかみたいな話ですかね。自分が情報経済社会のどこに属しているかってことで決まるんですね。  

 

堀江そういえば、震災のときには、すごい数のメールが来ましたけど、僕のところにはチェーンメールのたぐいは1通しか来なかった。デマっぽいのは僕が怒るから、みんな遠慮するみたいで。 

 

 

一部で話題になった下記の話。

 

コンテンツを無料で提供することの是非がクリエイターを取り巻く界隈で否定的に取り上げられていたが、この戦略が岡田斗司夫が「評価経済社会」の中で提唱してるFREEex に酷似している。

 

『えんとつ町のプペル』を無料公開したらAmazonランキングが1位になった。 キングコング西野

 

社会に与えてる影響の度合いは小さいかもしれないが、印象に残る。

 

 

 

冒頭で、本の装丁に仕掛けがあると書いたがその仕掛けがFREEexだ。

 

著者印税を0にすることで、印税分を装丁と広告宣伝に回し、一般的な初版本より見映えが良かったのだ。

 

 

 

評価経済社会では、問題行動は致命的

 

出版から6年経っても内容に古さも感じないし、当たらずとも遠からずの印象を受けたが、内容に魅力を感じたので著者を検索したらボロカスな情報が出るわ出るわ状態なのが面白い。

 

岡田斗司夫事件まとめ (愛人80股、セックスボランティア、愛人リスト流出、「自分以外は犬か虫」発言)

 

本を読む限りでは、そういう人には思えないけど、これがネット社会であり評価経済社会の怖いところだろう。

 

嘘をついたり隠し事ができないし、隠していたものが出てきた時のダメージが大きくて倍返しされてしまう。

 

なんだか岡田斗司夫と安倍総理夫婦が同じに見えてきた。

 

安倍晋三・昭恵夫妻の増長に止めを刺した週刊プレーボーイ

因みに、これは週刊プレーボーイの記事には書かれていないのだが、昭恵夫人は2014年4月の時点で塚本幼稚園を訪れ、園長が「安倍首相ってどんな人?」と問いかけると、園児が「日本を守ってくれる人」と答えるのを見て、涙ながらに感動し、主人(安倍首相)に伝えると答えたと報じられていた(日刊ゲンダイ2月15日号)。

 つまり、安倍夫妻と森友学園の結びつきは、今始まった事ではなく、しかも確信的だということだ。

 

 

発言も大事だけど、行動も一致させなければポイントにならない。

 

 

人のふり見て我がふり直せ!

 

されど、

 

後悔先に立たず!

 

反省が通用しない、怖い時代になったもんだ。