外国人観光客の行動を伝える報道には二種類ある。
良い意味での賑わいを伝えるものと、予期せぬ迷惑を被る地元の困惑を伝えるものの二種類。
話題にしたいのは後者。
後者の話題になると無意識のうちに、日本人はマナーが良いからそう思うと思いがちだが、日本国内を旅行する日本人観光客だって同じことをしてることは多くの日本人が知ってるはず。
日本には、旅の恥はかき捨てという諺があるくらいなのだから。
誰も自分のことを知らない旅行先では犯罪はともかく迷惑な行為くらいはしてもしょうがない、そんな意味に捉えてる日本人が多いだろう、わたしもそうだった。
その理解は正しいのか?
そう思ってこの諺の由来を調べると、元々の意味は違っていた。
その土地にはそこにしかない風習や文化があり、旅人はそれを知らないので、行く先々で恥をかくこともある。
しかし、そのことを肯定的に受け止め、旅とはそういうものだと捉えていたのだ。
そこから派生して現在のように意味が変化してるのだ。
そういえばと、微かな記憶が蘇った。
日本人にとって海外旅行が身近になり出した頃の日本人の旅行先での行動がまさに派生した意味での旅の恥はかき捨てだといわれていたな、と。
今日本に来てる外国人観光客の顰蹙を買う行動は現在50歳以上の中でも高齢寄りの人ほど昔自分が取っていた行動によく似てるはず。
日本人のマナーに改革が起きたのは1964年の東京オリンピックのおかげだと言われている、当時の東京は公衆道徳などあってないようなものでさらに世界有数の臭いまちと呼ばれていたらしい。
そのため1962年当時の東京都知事が首都美化運動を呼びかけた、合言葉は「訪れる外国人に恥ずかしくない東京を」だったらしい。
その後1970年の大阪での万博など継続的に「訪れる外国人に恥ずかしくない〇〇を」は続きさすがの日本人も意識が変わったかもしれないがきっとDNAレベルで染み付いてるものは根っこに残ったままのはず。
旅の恥はかき捨ての意味が変化するのも当たり前だ。
日本人にもDNAレベルでの美化意識の上書きができてる人とできずにいる人の二種類がいるはずで、これはきっと年齢とは無関係なはずで、できる人はできるができない人はできないのだ。
近所ではしないことを離れた場所でだったらしてるという人は少なくないはず。
一事が万事にも通じる。
旅の恥はかき捨てに関連しそうな行動を観察すると、その人が進化の過程のどこに位置してるかがよく分かるはず。