きっと21世紀の日本での筋肉の需要はダイエット目的が始まりだろう。
その後ダイエット需要に加えて健康需要も加わり、さらにスポーツにおけるパフォーマンスアップのための筋肉需要も加わって現在がある。
注目したいのは、スポーツ需要は後から生まれてるという点だ、日本の場合は。
成り立ちはどうであれ現代では筋肉信奉者は多い。
筋肉信奉者はほぼ例外なく筋肉を太く大きくしたがる、筋肉教筋トレ教の信者だからだ。
筋肉需要は筋トレ需要だというのは検索にも表れている。
そして、スポーツである程度以上のパフォーマンスを発揮できる人が更なるパフォーマンスアップを狙う場合には筋肉を増やすという筋トレはむしろ逆効果だと明らかになってきた。
この辺りに関しては誰をお手本にするか、あるいはどんな情報や指導者との出会いがあるかが大きく影響する。
情報の周りにはその情報の信奉者が集まる。
信奉者が多いコミュニティに属してしまうと、単なる情報を超えて自分を縛るものになり、その情報から抜け出すのは容易ではなくなる。
自分の価値観や意識が変化したとしても宗旨替えが容易ではないように。
ところで宗旨替えといえば、先日のAppleの新型iPad Proのプロモーション動画が非難を受けている。
内容はというと、昔からのAppleファンにとってはAppleらしいと評される内容が、やり過ぎや不愉快と映る人が少なくなかったからだが、不愉快に感じた人は無自覚な宗旨替えをしていたのかもしれない。
AppleファンはApple信者と呼ばれる人が多く、Appleがやることを無条件に肯定することが多かったが、たまたまなのかそれとも宗旨替えが起きているのかに興味があったが、今日になって次のような記事が出た。
Apple、新iPad Proの動画「Crush!」について「的外れだった」と謝罪
なんとあのAppleが謝罪したのだ、つまりAppleにとっても無視できない出来事と映ったからだろう。
Appleですら、Appleが時代をリードしてるという自信がないのかもしれない。
ずっと続けてきたことや打ち込んできたこと、それが仕事であれ趣味や遊びであれ、気がつくと以前ほど熱意もなければ楽しくもない、多くの人はそんな時老化や成熟のせいするだろうが、実は宗旨替えのチャンスなのかもしれない。
本当はやめたかったのにやめるにやめれない、人間関係やプライドやアイデンティティで雁字搦めになってるから。
生きるということはそういうものを多数抱え込むことかもしれない。
モノであるなら断捨離で簡単にどうにかなる。
多数あるようでも根は一つという場合には断捨離ではダメだ、ゼロになるだけだから。
だからこその宗旨替えだ。
自分教なのだから教祖も信者も自分一人、宗旨替えは宣言だけで完了する。
黙って宗旨替えするよりも宣言した方が爽やかに映るはず、切れる関係があればむしろラッキーなくらいだ。
他人の目など気にせずに新しい自分になれば良い。