「勤務先はIT(関連含む)企業です」、こんな会話が違和感無くなったのはいつ頃からだろうか?
日本で、IT(=Information technology)ということばが認知されだしたのは、インターネット・バブルがきっかけだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/インターネット・バブル
日本では、1999年2月から2000年11月までの景気拡張期を、景気の名称(通称)で、「ITバブル」の他に、「IT景気」や「ITブーム」などと呼ばれる。
当初は専門性の高い業務に対して使われていた言葉だし、最先端を意味することばでもあったが、今では何らかのネット接続されたデジタルデバイスを業務で用いていればIT関連と言ってれば当たらずとも遠からずとなる、そんな時代になっている。
ITの登場から普及のプロセスをリアルタイムで経験していたのだが振り返って全体像に思いを馳せると、一気に進んだように感じていた変化は、実は緩やかなものだったのかもしれない。
そんな変化を外から眺めるだけで、普及したら取り入れるという接し方を続けていると、いろいろな意味で実力に差がつきだした時期だった気がする。
その実力の差自体も変質化し、実力があるというのは従来はインプットが多いことを意味していたが、徐々にアウトプット重視にシフトした。
シフトしていたことは後から気付くことで、真っ只中にいるとアウトプットを行っていた人達は、流行りに飛びついてる人にしか当時は見えてなかった。
アウトプットが重要になると、組織やチームとしての行動でも、そのセンスや才能が個人に帰属するものであることが再認識させられる。
個人のセンスや才能に帰属するアウトプットはコンテンツと呼ばれるが、マネタイズを優先する場合そのコンテンツの帰属を権利で組織に移転させるような契約が行われる。
マネタイズが目的である場合は、権利が強みを持つが、そのことはエンドユーザーには全く関係がないので、エンドユーザーの中では、コンテンツを産み出した個人のセンスや才能が評価されるようになる。
マネタイズが第一の目的の場合、組織と所属する個人は一体のようでいて対立関係でもあるので主従関係ができる。
マネタイズが目的になると、大事なことは儲かるということになる。
今、ここに変化が起きているかもしれない。
儲かろうとするだけでは儲からない時代に移っていることに多くの人が気付きだしている。
日本の中で起きている変化に目を向けると、コンテンツの世界では、好きになってもらわなければ何も始まらないということを意識しだした。
「立ち読みしたら2時間くらいかかるものを作りたい」ギター・マガジンが超マニアックな特集を連発するワケ
ギター・マガジンは「音が聴こえる雑誌」にしたい
僕らも楽器を買ってもらいたいし、楽器を弾いてもらいたい。本はもちろん買ってほしいですけど(笑)
情報やコンテンツにはメッセージが必要になる。
そんなメッセージは、心があるから生まれる。
SNSの普及でブログやメルマガの役割が変わった 2016/11/18
「数年前と現代の状況は、ずいぶん変わった」っていうこと。
僕たちは毎日のようにアップデートされる世界に住んでいます。
だからその環境に対応して僕たちもアップデートしていかなければ、使い物にならなくなるか、効率がものすごく悪くなります。
さらにアップデートの間隔はどんどん短くなっている。
絶え間なくアップデートしている環境に対応するため、僕たち自身もアッップデートしましょう。
いずれにせよ、毎日僕たちは初心者なのですから、今からスタートしても遅くないんです。
絶えずアップデートを余儀なくされるようになると、常に初心忘るべからずとなる。
つまり、自分のことをベテランだと思い始めたら危険だ。
個人ブログの役割とは「公的なモノ」を「私的なモノ」に翻訳すること
「分かりやすく書かれた誰かの意見」を鵜呑みにすることは危険なので、個人ブログと、ニュースや学術論文との違いを理解する「情報リテラシー」が大切だと思う。
真実は何かということは大事だが、真実はいつも同じ顔をしてるわけではない。
自分に都合が良いように解釈することは、油断すると誰にでもあるので注意が必要になる。
時代の変化は、新しいものをもたらすことが多いが、その陰で消えそうになるものもある。
滞日27年、詩人アーサー・ビナード氏の「直感」 「日本語は消滅に向かっている」
ここは日本なのに、なぜあえて「和」と銘打たねばならないのか。日本人は自分たちの文化を「よそ者の目」で見始めたのでは。そんな仮説を立てると、いろんな事が納得できたという。
日本の魅力を発信する時に『クールジャパン』と呼ぶことのおかしさに気付かないのは日本人だからかもしれない。
先進国には既存インフラがあり、そのおかげで先に発展したのだが、さらなる発展を目指す時はその既存インフラが障害になるが、何もないところに、いきなり新しいものが登場すると、急激な革新という特別なことが起きる。
中国のあまりの変化に、驚きを隠せない〜世界が注目する中国の決済革命〜
かつて、『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』の中で、1955年当時に生きる科学者のドクが「日本の製品? そんなの大丈夫か?」と聞くと、1985年の未来からタイムスリップしてきた主人公はこう返した。「何言ってるんだい? 今や『Made in Japan』は、世界最高の品質を意味するのさ」と。
あのとき日本のことを誇らしく思うと同時に、アメリカに長い間見下され「日本といえば低品質」という誤った印象が長年の間存在し、それがいつの間にか逆転していたことに「ざまぁみろ」と幼心に思ったのがなつかしい。今の日本はきっと、この「ざまぁみる」立場なんだと思う。
絶えずアップデートを余儀なくされる時代に、いきなり完成形のようなものを与えられた人々は今後どのように振る舞うだろうか、良いことばかりではない何かが起きる予感がする。
これは一種の社会実験になるだろう。
時代の変化が、人間活動に及ぼす変化を語ってみたが、その基盤になる社会インフラも変化する、AIや自動運転はよく話題になるが、それ以外で現在予想されてるものを見ると。
村井純教授インタビュー全文公開 “30年かけた準備が終わり、これからが本番”
Q:これから先、10~20年ぐらいのスパンで考えたとき、村井さんにとって重要になる技術やテーマは何ですか。
1つは、3次元空間の位置情報です。飛行機や自動車、ドローンなど、今までになかったものが、これから3次元空間に広がっていきますよね。2次元は地球全体でカバーできたけど、高さの精度は低いので、そのための技術が必要になります。
それから分散処理。実は全然できてないのがこれなんです。さっき自律走行と交差点の話をしましたが、たとえばこの部屋にはノートPCやスマホなど、コンピューターが10台くらいありますよね。でも、インターネットにはつながっていても、自律的にお互いにつながって一緒に処理することはありません。この10台で並列処理をしたらすごい性能だけど、今はそれができない。
インターネットの普及で簡単に世界中にアクセスしコミュニケーションが取れるようになったことは革命だったと言われるし、私もそう思っていたが、どうやらそれは目的ではなく準備であったということが上記のインタビュー記事には書いてある。
村井教授はこんなことも言っている。
グーグルやフェイスブックに代わる新しいプレイヤーが次々に出てきて、「昔グーグルってあったよね」って懐かしむときが来ますよ。
そんなグーグルにはまだまだ見習うことがたくさんありそうだ。
グーグル社員が「労働時間」を問われない理由 —— 「時間で管理は愚かな考え方」だ
人が集中して何かに取り組んでいる状態のことを「フロー状態」と言いますが、ある研究によると、ホワイトカラーの人は一日8時間の勤務時間のうち、「30分」しかフロー状態にないそうです。
しかし、それを「90分」にするだけで、生産性は3倍になる。大切なのは労働時間ではなくて、このほんとうに生産性の高い「フロー状態にいる時間」をできるだけ長くすることなんです。
長時間労働やブラック問題の解決を対処療法的に処理しようとする日本と違い、そもそもブラック化しない仕組みが出来上がっているし、その背景にはそもそも論としての人間の能力への深い洞察がある。
これはアメリカだからできたのでははなく、最先端で理想を掲げながらも正解がないことに取り組む新しい企業だからこそできたスタイルだろう。
日本がこのスタイルを身につけるためには、既存の仕組みが一度崩壊される必要があるだろう。
修正や改善のレベルでは無理だ。
こんな時に思い出す大好きなロシアのことわざがある。
起こることは避けられないこと。
Чему быть, того не миновать.起こるべきことは起こる。必然的にそうなるようなことは、どうやっても回避不可能。
下記の記事では、中国が日本をどう見てるかが書いてあり、個々の企業の問題だけでなく、日本を繁栄させた社会の基礎にあったはずのものの変化を3つ指摘している。
不祥事多発の日本製造業、隠された真の原因とは?―中国メディア
まず、1960、70年代以降、日本の繁栄の要因となった企業家の精神が日に日に消えている。
次に、以前世界の先頭に立っていた日本の製造業の生産方法が時代遅れになっている。
3つ目に、日本の基礎研究の全体的なレベルが落ちており、各種人材の引継ぎが進んでいない。
日本を支えていた大企業が幸か不幸か、着々と壊れつつある。
政治は保守化を強めているが、日本企業の多くが求める正解は、繁栄していた過去にはもはや無い。
新しいことが起こらざるを得ないという前触れだろう。