違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

恐ろしい美学!

ふと思い出した。

 

ダンディズムとは痩せ我慢だ

 

なんていう言葉があったなと。

 

VANの創業者石津謙介氏が

言った言葉だと記憶している。

 

田舎の男の子を

ファッションに目覚めさせた元祖が石津氏だ。

 

2005年に亡くなられた石津氏は、

最期までダンディズムを貫いたようで

Wikipediaにはこんな話が載っていた。

 

2005年5月24日、肺炎のため東京都青梅市の病院で死去。93歳没。ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになってもパジャマを着ることを拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま息を引き取った。

 

 

 

ダンディズムなんて

すっかり聞かなくなった言葉だが、

由来は騎士道らしい。

 

レディファーストという文化は

騎士道から生まれたとされている。

 

 

騎士道精神やダンディズムなど、

人間が生き様に頑なな拘りを持つ場合、

そこには美学が存在する。

 

美学の原点には、

『美しいとは何なのか?』という永遠の問いがある。

 

 

 

世の中には

本当は美しくないのに

美しく見えるものがある。

 

そういう場合、

思考や感受性の前提に

歪んだ美学があることが多い。

 

 

美しくないものを

美しく見せるために

美学が悪用されるのだ。

 

ヒトラーの大衆扇動術にも共通するだろう。

 

 

自分自身で辿り着いた美学であれば構わないが、

他人の言葉だったり先人から受け継いだ場合は

呪いと紙一重になりかねない。

 

 

最近急速に盛り上がる

メンタリストの話題を考えていて、

昔ダンディズムに惹かれていた時期を思い出していた。

 

 

例えば、

石津氏の場合は

自身が提唱するダンディズムを自身が貫いていたが、

これは

修行僧が自らに苦行を課すことを思わせる生き方だ。

 

だからこそ

ファンが信者になることは共感できる。

 

 

しかし、

メンタリストを見てると

修行僧には程遠い

愉快犯や快楽犯にしか見えない。

 

 

メンタリストに惹かれる人はもちろん、

そんなメンタリストと連んで行動する人物も

愉快犯や快楽犯志向の人物に違いないはずだ。

 

 

メンタリストが非難される様を

いじめやリンチのようだと例える人がいるが、

それは違うだろう。

 

 

メンタリストは今や

人物判断の基準となるリトマス試験紙になったのだ。

 

 

美学が背後にチラつく話を展開する人が、

修行僧側の人なのか、

それとも愉快犯や快楽犯の側なのかを

見極めることは重要だ。