違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

帝王学を学んだ者は排除したがる!

おもしろいツイートがあった。

 

 

 

懐かしく感じるワードがあった。

 

帝王学。

 

昔はよく聞いたような気がするが。

 

優秀な人にするのが英才教育なのに対し、家柄や出自を含めて選ばれた人にする教育が帝王学。

 

英才教育は幅広く共有が可能だろうが、帝王学は幅が超狭いはず。

 

 

支配者として普通の人より上に立つ者として、過去を模範とする所与(性)の究極が帝王学なのだと突然閃いた。

 

所与性が強いとすれば、未来に向かってイノベーティブであるよりは、守りの意識が強くなるのは当然。

 

帝王学が似合うのは王家や名門貴族で、イメージとしては古いヨーロッパで、ノスタルジーを楽しむには良くても、現代流のイノベーティブな革新には対応できないのは当然だと思い当たった。

 

 

帝王学にも種類があるだろうが、伝統的であればあるほど閉鎖性が強くなり所与性も強くなる。

 

冒頭で紹介したツイートにある、

 

必死だな 謝ったら負け 帝王学

 

が沁みる。

 

 

Twitter上では、次の内容で賛否が大きく入り乱れてる。

 

是々非々の議論というよりもポジショントークの応酬で盛り上がっている。

 

枝野氏「防衛省は意味不明」 朝日と毎日に抗議を批判 5/18(火)

「システムの欠陥を指摘したメディアに『早い段階で気付かせてくれてありがとう』と言うのが本来の姿だ。意味不明な対応をしている」と述べた。

 

 

 

 

 

帝王学は学と付いてるが学問ですらなく、言語明瞭でありながら統一感があるわけでもない、中身はバラバラながら狭い範囲に通用する支配者論として受け継がれた意識で、基本的には排除が中心だ。

 

得にならないもの、禍をもたらすように見えるものを排除することが中心だ。

 

 

帝王学を学んだ者は排除したがるが、最近では帝王学を学んだ者を、帝王学なんか学んでない世間が、排除したがっているように感じられる。