違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

予測力を高めても儲からない

 

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

  • 作者: フィリップ・E・テトロック,ダン・ガードナー,土方奈美
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
 

 

超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を役30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

計算できるものやことのことを線形性があると言う。線形性があるとシミュレーションが可能となり、その延長線上に予測が成立する。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/線型性

線型性をもつことで、物理学や工学においては初期値を与えてやればその後の挙動の予測が単純化できるという利点がある。

 

線形性が成立する分野に関して、人間は高度に技術を高め発展してきた。

 

今行き詰まりを感じさせている世界は、この線形性が成立する世界だ。

 

これに対し、予測が不可能な世界をカオスと言う。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/カオス理論

カオス理論(カオスりろん、chaos theoryChaosforschungThéorie du chaos)は、力学系の一部に見られる、数的誤差により予測できないとされている複雑な様子を示す現象を扱う理論である。

 

カオス理論のわかりづらさを説明する時に用いられるのがバタフライ効果。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/バタフライ効果

気象学者エドワード・ローレンツによる、がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する。

 

これからの時代は、予測が困難なあるいはできないことを予測することが求められる。

 

予測には大きく二つの種類がある。

 

人間にはどうしようもない大自然や宇宙の理屈で動いている事柄と人間の利害関係や活動に起因する事柄。

 

地震や大災害は、起きることや起きた場合の規模は予測できても、いつどこでが予測できない。

 

人間活動では、予測を求めるのは政治経済のリーダーだ。

 

一般社会では会社経営者もリーダーに含まれるので、かなり多くの人がリーダーとして存在してる。

 

リーダーには断定する強さと、一旦断定したらそれを貫く強さも求められる。

 

それができるから皆リーダーに付いて行く。

 

一方で、リーダーには先を見通す高いレベルの予測力が求められるが、予測は新しい判断材料が得られるたびに修正されなければならないということは、一回断定した判断を、条件が変わるたびに変えていかざるを得ないというリーダーの資質と矛盾する行動が要求される。

 

あまりにも複雑な現実を踏まえ、超予測者になるために必要とされる資質は「謙虚」。

 

だから、予測者として優れたリーダーは、リーダーとして優れてるとは評価されないかもしれない。

 

絶えず予測の修正が迫られる現場では、意思決定の判断は現場に委ねられねばならない、だから「司令官は部下に目標を伝えるが、その達成方法は支持しない」という戦争や軍隊に見習う戦術が適用される。

 

これを聞いて思い出したのがディズニー商法。

 

これがディズニーの哲学!アルバイトのキャストが取った行動

ディズニーリゾートで働くスタッフの9割がアルバイト

東北地方太平洋沖地震が起こったあの日、キャスト自らが判断し行動したことに、ガチで感激しました。

 

こんなこと、アルバイトが判断できるとは到底思えません。でも、彼らはそれを自らの判断でやってのけたんです。

  • パーク内のおみやげ用お菓子を食料としてゲストに配る
  • ダッフィーの大きなぬいぐるみを防災ずきん代わりに配る
  • おみやげ用のビニール袋を寒さ対策に配る
  • いつ落ちるかわからないシャンデリアの下に立って、「私は、シャンデリアの妖精です。」とゲストを安心させる。
  • おみやげ用の袋に隠れミッキーがいますとゲストを楽しませる

 

 

ディズニランドでは自然な流れで9割を占めるアルバイトですら判断できることは、ディズニランドだからできると例外扱いを受ける。

 

ディズニーが見事なのは、現場で要求される判断が高度で特殊なものにしてない点だ。

 

現場で事態に直面したキャスト(ディズニーのスタッフ)がやりやすい行動が正解になるように仕組みづくりがされてることだ。

 

このディズニー流のやり方を真似る企業が思い浮かばない。

 

わかっているだけではできないのだろうし、多くの経営者が予測力を持ち合わせてないことを示しているように見える。

 

いや予測力を持ち合わせてないのではなく予測の仕方が身についていないのだろう。

 

『超予測力』のなかで、超予測者を目指すための10の心得が挙げられている。

 

  1. トリアージ(努力が報われそうな質問を選別し格付けするという意味)
  2. 一見手に負えない問題は、手に負えるサブ問題に分解せよ
  3. 外側と内側の視点の適度なバランスを保て
  4. エビデンスに対する過小反応と過剰反応を避けよ
  5. どんな問題でも自らと対立する見解を考えよ
  6. 問題に応じて不確実性はできるだけ細かく予測しよう
  7. 自信過小と自信過剰、慎重さと決断力の適度なバランスを見つけよう
  8. 失敗した時は原因を検証する。ただし後付バイアスにはご用心
  9. 仲間の最良の部分を引き出し、自分の最良の部分を引き出してもらおう
  10. ミスをバランス良くかわして予測の自転車を乗りこなそう

 

 

2016年10月に日本語版が出版されたこの本で一つだけガッカリだったのは、イギリスのEU離脱やトランプ大統領誕生(大統領選の最中)には全く触れてない点だ。

 

予測は日常生活のなかにも政治経済の最先端でも行われている。

 

正解は結果で示されるという意味では、

 

当たるも八卦当たらぬも八卦であり、

 

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるでもある。

 

しかし、予測の的中率が高くかつその予測理由が理にかなってる人には見習う点があるのは確かだろう。

 

予測を当てるということを真実を見抜くという意味で使うならば、障害になるのは嘘や間違った情報であり、それらの元になる雑音情報だ。

 

予測とは、雑音情報の消去から見えるものは何かを当てるゲームだ。

 

しかし、雑音情報は無くても、そもそも情報自体が少なければ何も見えてこない。

 

だからといって、情報を多く求めると雑音情報が増えるというジレンマも生まれる。

 

雑音を含めて情報はすべてポジショントークだ。

 

歴史を振り返ると、人間は同じことを繰り返しているように見える。

 

含蓄のある先人の知恵である諺には、それどっちが正しいいのと思える正反対の意味の諺がある。

 

ことわざの反対語

・「善は急げ」⇔「せいては事を仕損じる」

 

・「三人寄れば文殊の知恵」⇔「船頭多くして船山に上る」

 

・「渡る世間に鬼はなし」⇔「人を見たら泥棒と思え」

 

・「二度あることは三度ある」⇔「柳の下のどじょう」又は「三度目の正直」

 

・「一石二鳥」⇔「二兎を追うものは一兎を得ず」又は「虻蜂取らず」

 

・「危ない橋を渡る」⇔「石橋をたたいて渡る」

 

・「瓜のつるになすびはならぬ」⇔「とびが鷹を生む」

 

・「おぼれる者はわらをもつかむ」⇔「鷹は飢えても穂をつかまず」

 

・「果報は寝て待て」⇔「まかぬ種は生えぬ」

 

・「好きこそものの上手なれ」⇔「下手の横好き」

 

・「立つ鳥後をにごさず」⇔「旅の恥はかき捨て」又は「後は野となれ山となれ」

 

 

 

まだ諺にはなってないが、こんな言葉もある。

 

 

・欲があるから騙されるが、欲がなければ儲からない

 

・宝くじは、買わなければ当たらない

 

 

そもそも、超予測者とはこういう人だったということを思い出す必要がある。

 

 

超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を約30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

超予測者が手にするのは、予測を当てたという名誉だけなのだ。

 

 

神様はやっぱり平等のようだ、超予測力はアマチュア精神の持ち主に宿り、予測の的中率で儲けようとしたら的中率が下がるのだ。

 

予測力を高めることは、間違いなく人生の役に立つが、たぶん儲からない。

 

投資の世界で儲けてる人は、予測が当たっているのではなく、きっと別の理屈があるはずだ。

今起きてることを予測できてたか?  これから起きることを予測できるか?

うまくいってるビジネスは、新規顧客とリピーター顧客の両方を満足させる。

 

一見ビジネスのように見えないエンタメの世界もビジネスの理屈で動いている。

 

リピーターと新規顧客を獲得コストで比較する :音楽活動のヒント

ライブ集客に限らず、あらゆるビジネスの世界でも、リピート客の獲得は新規顧客の獲得よりも、必要なコストが1/5以下であると言われています。

 

 

表面上の数字だけを見ると需要が喚起されてるように見えるが、実はそうでもないこともある。

 

オフィス大量淘汰時代が到来する 見かけの空室率改善の陰で「テナントドミノ倒し」が始まっている - 牧野 知弘

ここ数年で、都内の既存オフィスビルが建替えにあたって取り壊され、ビルを追い出された大量の「テナント難民」を生じさせているのだ。難民の多くが既存ビルの空室に収まったがゆえに、既存ビルの空室率が大幅に改善する。このシナリオで計算すると、実は、ここ数年における空室率の3%以上の改善は、ほぼ説明ができてしまうのだ。

 

リピーター顧客を増やせとよく言われるが、増えるのが良くないと言われる業界もあるようだ。

 

大東建託現役社員が「経営陣の総入れ替えを」と悲痛な叫び

ところがリーマンショック以降、そんな顧客層に異変が生じている。新規顧客とリピーター顧客の比率が逆転し、今では受注の65%以上がリピーター頼りとなっているのだ。

 

提供するサービスは、自社で完結するというのが一般的な時代が長かったが、ネット上で価格比較サイトなどが増えてくると、比較検討が簡単にできないと検討対象にすらならないという動きが当たり前になりつつあるようだ。

 

この流れに抵抗できるのは、日常的にリアル店舗を活用する業種や分野だけになるかもしれない。

 

日常の買い物は、実際に現物を直接目で見てから選びたいと思う人や思わぬものとの出会いを楽しむという気持ちがある人にとっては、リアル店舗が優位だったりする。

 

しかし、頻度が少ないものや高価なものは、失敗したくない失敗できないという思いで見てしまうので、第3者の評価が重要になる。

 

この場合の第3者として機能するのが2種類ある。

 

1つは、利用者としてのユーザーの評価だ。

 

リピートする商品に関してはユーザー情報は、信頼性の点で強い(鵜呑みはできないが)。

 

もう1つは、プロや事情通の比較による評価だ。

 

一度買ったら長期間使用するものは、ユーザー体験が参考にならないことも多いので、多様なユーザーを知っているプロの目線が参考になることがある。

 

商品やサービスに関しては、ユーザー自身が調べればわかるが、アフターフォローまで考える場合は、事情通の意見を聞かないとわからないことがある。

 

新生活に伴うサービス、利用者目線で提供 リベロ・鹿島秀俊社長

同社は全国の優良業者と提携することで、利用者の立場からサービスを供給している。鹿島秀俊社長は「『リベロに頼めばすべてやってもらえる』という信頼を得たい」と話す。

 

類似のビジネスは、保険業界などが先駆的だったが、提携企業と顧客の相反する利害の落とし所を見つける必要があるという意味では、現場では顧客を心地よくさせながら騙すビジネスとなってることが多いかも。

 

最近の新規ビジネスには一定の傾向が見られる。

 

「ビジネスは発明ではない」新しいビジネスモデルは誰でも生み出せる!

「一箇所に集める」「シームレスにする」「定額化する」

 

ごく一部のすべて手作り、すべて手作業で作られてる商品やサービス以外パッケージ化し、モジュール化し、機械化され、どこの誰が関わったかが意味を持たない時代になっている。

 

純粋に新しいモノやサービスを作るというよりは、既存のモノやサービスの見せ方を変え、必要なものを薄利多売化し、それにプラスして不必要なものを高く売るという詐欺的オプションを設定する傾向が強まり、安くしても独占できれば売上が上がるし、不必要なものを買わせることでさらに儲けるという考え方に集約していく。

 

 

だからだろうか、モノやサービスの見せ方の要となるデザインがおかしくなる。

 

日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について

なぜここまで酷いデザインに帰着するんでしょうか?

 

僕が一つ思うのが

「ソフトウェアを軽視したハードウェア優先の設計」です。

 

 

 

「作り手のセンス」を生み出しているのは、「消費者のセンス」ということになるわけです

 

 

日本人の持ち味は、お手本になるものに改良を加えたり、あるいは改善したり、足りない機能を補うために付加機能を付けるような場合には発揮されるが、最初のお手本となるグランドデザインを描くような作業は苦手に見える。

 

先を予測出来る資質を持った人が、日本社会では中枢部から弾かれてしまうからだろう。

 

今読んでる途中の本がある。

 

 

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

  • 作者: フィリップ・E・テトロック,ダン・ガードナー,土方奈美
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
 

 

 

超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を約30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

 

今こういう予測が出てきている。

 

今後14年以内にエネルギーと食料は無料になる

ラウンドテーブルでは、シンギュラリティー研究の第一人者であるカーネギーメロン大学工学系学科ディスティングィッシュフェローのヴィヴェック・ワファ教授と、経済産業省経済産業政策局参事官の伊藤禎則氏を中心に、NIIの喜連川優所長、ヤマトホールディングスの木川眞会長、三井住友フィナンシャルグループの谷崎勝教取締役専務執行役員など20人が参加した。

 

「日本の多くの企業はこうしたことが起こることを知らない。米国の企業の経営者のほとんどもそうである。SFやファンタジーのように感じている人たちばかりである」

 

いまあるAIはExcelのバージョン1.0のようなもので、まだまだ初期段階のものでしかない。

 

「破壊の波」が訪れていることは多くの経営者にとっての共通認識だろう。だが、その波の大きさと、波が訪れる速度への予測は、人によって異なる。

 

 

 

これからの時代を生き抜くためには予測する力が重要になる。

 

予測力を高めるためにはどうすれば良いと言われてるのかを次に書いてみたい。

情報(データ)と感情(感覚)を一致させることが大事

日常生活で何気なくきちんとこなしてるつもりの情報処理の数々がある。

 

ところが、簡単だと思っていることが、思いのほか難しいことを思い知らされることがある。

 

病気や体調不良の時にそう感じる事が多い。

 

サインを見抜いて早めに対策!判断力が低下したときの対処法

判断力が低下する原因で最も多いのがオーバーワークによる疲労の蓄積です。体に疲労がたまってくると、集中力の低下と同時に頭がうまく回らなくなり、正常な判断が困難になります。判断力が鈍ってきたなと感じたら、それは肉体からの危険信号かもしれません。

 

やってるのは一つのことでも、その時処理してる情報は複数あるのが普通だ。

 

【野球科学】正しいバッティングのメカニズムと成功するため秘訣

①見る(ボールを認識する・捉える)

②選択(考える)、判断(決定する)、反応(動く)

③スイング

④ボールの追跡

⑤コンタクト

といったサイクルを一打席ごとに行っているのです。

 

 

球速が120km/hの場合、ホームベースにボールが到達するまでの時間は、約0.51秒になります。

120km/hの球速でもたった0.51秒で目の前を通り過ぎる!!

 

 

 

コンタクトの瞬間(バットにボールが当たる瞬間)は、「視覚能力」の限界(追跡できない)を越えてしまい、見ているつもりでも見えていません。

実際は、周辺視で白いものがぼんやりと見えていますが、バットにボールが当たる瞬間が見えたり、縫い目やマークなどが見えるということは絶対にあり得ません。

眼から得た情報をもとに正確にバットでボールをとらえるためには、ボールの追跡力やスイングフォームの正確性が必要です。

 

人は選択肢が多くなると、その分、意思決定する時間が長くなることが明らかになっています。(ヒックの法則と呼ばれています)

 

 

つまり多くの選択肢があると、選ぶのに困るということです。

球速が150km/hにもなれば、プロの打者でも全ての球種やコースを待って打つのは困難です。

そこで、投球前からそれまでの配球や投手の調子、カウントなどから予測範囲を絞っています。

予測を行うことで判断する選択肢を限定し、素早い反応を可能にしています。

 

 

 

プロ野球を事例に挙げたのはわかりやすそうだからであり、同様のことをごく普通の人が、日常生活やビジネスの場で行っているが、予測で行動してるという自覚を持ってる人は少ないだろう。

 

多くの人が、その都度状況を見極め、判断して、行動してるつもりで、その判断が無意識のうちに自分が行っている予測に基いているとは理解してないかもしれない。

 

日常生活で予測が外れた時は、大前提が崩れたような感じで軽くパニックになることがある。

 

個人的な体験だが、オートバイが好きでよく乗ってた時期の体験を二つ挙げると、

 

当時乗ってた車種にはハザードランプの機能が付いてないのでウインカーは右か左かのどちらかしか点灯しないのに、走行中ウインカー操作をしてないのに両方のウインカーが同時に点滅することが発生しだした。(かなり心はビビってる)

 

メカの知識も乏しい頃だったので、もはやオカルト現象にしか思えなくなってきて途中のコンビニで休憩を取り様子を見るがよくわからない。停まってウインカーを操作しても右と左が同時に点いたりはしない。

 

少し休んでまた走ろうとすると、全く反応せず、動かすことができなくなった。

 

たまたま近くにバイク屋があったので、押して行き、経緯を伝えると、心当たりがあるらしくバイクをいじりだした。

 

結局、バッテリーのプラスのターミナルのボルトとナットが脱落し、通電しなくなっていただけだったのだが、バッテリーが走行中に通電しなくなるなんて全く予測できないことが、事を大げさにしていた。

 

もう1つはある日、大通りの車も多い中で、流れに乗って60キロくらいで走っている時、何の前触れもなくスピードメーターが0キロに落ちた。

 

????

 

明らかに後輪にはパワーが伝わっているが、その感覚が信じられなくなり、後続車が突っ込んでくるんじゃないかと恐怖したが、すぐに路肩に寄り停まり確認すると、スピードメーターが作動しない以外正常だった。

 

結局メーターケーブルが切れただけだったが、普段スピードメーターなんてあまりあてにしてないつもりだったのにすごく依存していたことに気付いた。

 

値の正確さには期待してないのに、スピードメーターが動いてないだけで、正常な判断ができなくなるということを経験した。

 

いずれもレベルの低い笑い話なのだが、この経験以来、大前提が覆ることは結構簡単に発生するという思いを常に持つようになった。

 

何が起きるかわからないという思いを常に持ってると、なにも起きないことが平和でありがたいと思えるし、何が起きるかわからないと身構えてるから、普通の人が退屈するようなときでもちっとも退屈しなくなったし、何か起きても最初に、そもそもという原則に立ち返ることが習慣になった。

 

なぜ人間は退屈に耐えられないのでしょうか?

「人間の生は苦悩と退屈の間を往復している~」(「意志と表象としての世界Ⅲ.ショーペンハウアー。中央公論新社)

この本の3P~25P第57節に退屈や苦悩のことが、詳しくでてます。

困窮や苦難から解放されると、今度は別の重荷である「退屈」が襲いかかる。この重荷から逃げ出すべく、

暇つぶしへと邁進する。著者によれば人生はどう転んでも重荷(退屈)か苦難でしかないということらしい。

なぜ退屈に耐えられないのかの答えには不十分かもしれませんが、この本の第57節はおおいに参考になります。

厭世的なようですが、苦悩地獄と退屈地獄の間を往ったり来たりしているのが人生という指摘は的を得ていると思います。

 

 

 

我ながら良い習慣を身に付けたと思っている。

 

 

予測が成り立つのは、変化やハプニングが少ないからで、そんな状態は安定してると言われるが、そんな安定はやがて予定調和化し、退屈へつながっていく。

 

人類が戦争をしてきたのは、脱退屈だったのかもしれない。

 

戦争や大災害など非常事態を総称して”有事”という。

 

有事の反対語は”平時”と呼ばれ、多くの人間活動や自然活動が予測可能となる。

 

人間活動だけを見ると、社会を支える技術が高度化し、退屈を加速させ、戦争に向かっているようにも見えるが、その一方で地球温暖化や地球活動そのものに起因してエリアは限定的だが有事が発生している。

 

それぞれは、多くの人にとって一見無関係なのだが、発生頻度の増加ぶりが”明日は我が身”を感じさせる。

 

だから、退屈する余裕はないとも言えるのだが、明日は我が身と思えなければ、平和な世の中は退屈を感じさせる。

 

歴史を振り返ると、人の言うことがデータだった時代が長かった。

 

人間が手作業で行う観察しか拠り所が無かった時代が長いから当然だ。

 

 

 

退屈はデータに基づかない感情を拠り所にするから生まれる、その際に有名人や有力者の発言に依存する、そしてそんな行動を合理的だと勘違いする。

 

 

 

データ自体が少なかった時代は、多数決に意味があったかもしれないが、現在では多数決よりデータが重要だし、データをどう解釈するかという個人の判断力が重要になった。

 

 

情報(データ)と感情(感覚)が一致しない時に、多数決を拠り所にすることは感情で行動することになる。

 

そういう時代が終わろうとしている。

試行錯誤や工夫を楽しめる女性が時代を変える

売る(作る)側が発する情報は、買ってもらうための情報となる。

 

だから最初は、商品やサービス自体に関する情報になる。

 

そしてその商品やサービスが陳腐化しライバルが増えてくると、その商品やサービスを使うとこんな良いことがあるというライフスタイルを情報として発するようになる。

 

そこからさらに一歩進もうとすると、一気に広告代理店臭がしてくる。

 

若者向けのドラマが青春ドラマと言われていた頃は、登場人物の年齢は設定上10代から20代が中心だが、その生活ぶりは実際の同世代と大差ない生活をドラマ内でもやっていた。

 

それが変わりだしたのが若者向けドラマがトレンディドラマと呼ばれだした頃からだという気がする。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/トレンディドラマ

都会に生きる男女(ヤッピー)の恋愛トレンドを描いた現代ドラマ(ゆえに「トレンディ――」)。

 

基本的に、バブル景気時代の女性の願望を具現化した作品群であり、恋愛主体の少女漫画の王道に準じた点もある。

 

ドラマ内での設定が20代にも関わらず、ファッションや生活が身の丈に合わない高価なモノや環境で固められたライフスタイルが表現されるようになり、この傾向は現在も続いている。

 

そしてその傾向は、更に度合いを強めているが、高価を良しとする価値観が若干シフトし、”リア充”と言われる、他人の目に自分の生き方が充実してるように映ってるかを意識するというライフスタイルに縛られるようになってきた。

 

このリア充という価値観は、女性目線が強く、そんな女性に男性が振り回されているように見える。

 

リア充でない人は、非リア充と呼ばれる。

 

リア充 VS 非リア充! 女子のクリスマスの過ごし方あるある

f:id:chigau-mikata:20170707164607j:plain

 

 

  

 

f:id:chigau-mikata:20170707164623j:plain

 

しかしながら、非リア充は2つのタイプに分かれます。「クリスマスを意識しちゃう女子」と「クリスマスは一切気にしない女子」です。たいていの人は前者ではないでしょうか。私も前者です。そして前者の多くが、後者を演じがちなのです。私もです。

 

だって!!! 悔しいんだもん!!!!!!!!(嫉妬)

 

だからこそ「リア充爆発しろ!」とか言ってしまうんですよね! 実際そんなこと思ってないのに!

 

 

 

このような情報に長期間晒され続けると無意識のうちに影響されるのが、お金の使い方だ。

 

 

風俗嬢46歳。稼いでも稼いでもホストと酒に消えてゆくお金…

長い間、私が風俗で働く中で、周りを見ていて感じるのは、彼女達はなぜかお金をぞんざいに扱う傾向があることです。

 

身を粉にして、心を削って稼いだお金。なのに、貯金をしているという風俗嬢は稀(まれ)なのです。そのお給料は一体どこ行ってしまうのでしょうか。

 

 

 

 

セレブを偽り借金1000万円に GENKINGが落ちた“SNSの闇”|芸能|芸能|日刊ゲンダイDIGITAL

「や~よ!」のセリフでブレークしたタレントのGENKING(年齢非公開)が、28日放送のテレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演。SNSやテレビなどで見せていた“セレブぶり”が、全くのウソだったことを告白したのだ。

 

 

 

借金苦で自己破産急増中 「銀行カードローン」の落とし穴

住宅ローンを組んでいる顧客に対し、カードローンの契約を勧めるのが常套手段です。

 

 

14年度に、銀行カードローンの貸付残高は4.6兆円と、消費者金融の貸付残高4.5兆円を初めて上回った。15年度はカードローン5.1兆円に対し、消費者金融は4.4兆円と差が拡大。16年度はカードローンの貸付残高は5.6兆円と、さらに拡大している。

 

 

 

「隠れ貧困」家庭が増加 高収入だが将来への貯蓄せず

特に今の五十代は、若いころにバブル時代を経験し、女性は条件のいい男性と結婚して専業主婦になるのが理想とされた世代。夫の給料が右肩上がりになると信じて家や車を買ったものの、景気の悪化でボーナスや給料は下がり、逆に消費税や社会保障費などの負担は増加。それでも、妻は生活の質を下げたことを悟られないよう見えを張りがちで、高級ランチや海外旅行の写真などをネット上に投稿して私生活の充実ぶりをPRする人も多い。

 

 

実際の理由は様々だろうが、共通してるのが身の丈に合わない生き方をすることのように見える。

 

間接的に身の丈に合わない生き方を推奨してきたのが、テレビや映画だったかもしれない。

 

キーワードは”夢”だ。

 

視聴者の側にとっての夢は、テレビやスポンサー等発信する側にとってはお金だ。

 

しかし、そんなテレビですら新しい動きが見えてきた。

 

「好き」が高じた専門家ブロガーがメディアに重宝される理由

「今、メディアで活躍しているブロガーさんは、1つのことに特化しているので情報も早く、内容も深い」

 

「彼らはブログで常に読者を意識しているため、リスナーが本当に知りたい情報を知っています。写真がなくても、味や形などを細かく表現し、なおかつすべて自分自身で試しているため、嘘偽りがない」

 

 

『アメーバブログ』を統括するサイバーエージェント・プロデューサーの若村菜摘さんは、トップブロガーの条件を次のようにまとめてくれた。

 

●読者目線で書いている

●ひとつひとつ丁寧に書いている

●グルメならカロリーまで載せるなど、細部までこだわりぬいた情報

 

 

 

長い期間メディアが発する情報は、売る側や作る側(つまりスポンサー)に都合の良いものが中心で、時には買う側や使う側に不都合な真実が隠されたりしていた。

 

しかし、売れない時代に売れるものは、使う側に評価の主導権が移る。

 

高く評価される”使う側の発する情報”には、試行錯誤や工夫や失敗談も含まれる、その結果辿り着いた満足感は共有可能に感じられるから信頼を得る。

 

そんなエンドユーザーの話がブログの世界にはいっぱいあるだろう。

 

もちろん読む側に一定のリテラシーが求められるのは当然だが、それ以上に試行錯誤や工夫を楽しめるという資質が要求されるだろう。

 

こういう資質の持ち主は、最短距離を最短時間で移動することにはあまり関心が無いはずで、途中が楽しめるルートを選択する。

 

途中を楽しめない人が、必ず言う言葉がある。

 

彼らの特徴は、「プロに任せるのが1番」と言いつつ自らは何もしないという点で、こんな日本人の男性は本当に多い。

 

しかし、ようやくビジネス的な生産性や効率重視からは生まれない”回り道を楽しむ”や”自分でやる”という価値観に目が向き始めた。

 

カギを握るのは女性だ!

 

女性が変われば男性も変わる!

勘が良くなきゃ生きていけない時代になった

福岡や大分での集中豪雨が大きな災害をもたらしてる。

 

長崎から大分にかけて九州を横断するように連続的に雨雲が発生しているからだ。

 

そのような雨雲は、線状降水帯と呼ばれている。

 

線状降水帯 新用語解説:日本気象学会.pdf

f:id:chigau-mikata:20170706110112p:plain

 

 

線状降水帯という言葉が用いられるようになったのは、2014年の広島での大雨以降だと言われてる。

 

つまり、最近使われるようになった言葉ということだ。

 

上記のpdfも2016年の9月に出されたものだ。

 

今のところ、”線状降水帯”と言う言葉は、現象を説明するための言葉に留まっており、それ以上のことはわかっていないようだ。

 

線状降水帯がもたらす豪雨は長時間に及ぶため、それなりの治水対策が行われていても大きな被害をもたらすので、地元のお年寄りが「こんな大雨は生まれて初めて」と表現したりする。

 

狭いエリアでの集中豪雨を意味するゲリラ豪雨と言う言葉は既に馴染みがあるが、ウィキペディアによると初めて用いられたのは1969年の読売新聞らしい。

 

ゲリラ豪雨という言葉が一般的になったのは2006年からと言われてるが、当初は都市部で発生することが多いことからヒートアイランド現象に起因する都市型の気象のようにも感じられたが、熱帯のスコールにも似ているので地球温暖化に起因する熱帯化という印象も与えていた。

 

知識や経験の蓄積が技術を発達させるが、それらは全て過去をお手本にしたものになる。

 

過去の蓄積がお手本にならない時代になってきてるように見える。

 

過去がお手本になる時代では、受け身で勉強することに意味があったが、過去がお手本にならないとなるとどうすれば良いのか?

 

昨年は不漁だったサンマだが、今年はどうなるだろうか。

 

サンマ不漁で食卓に変化 :NHK NEWS WEB 2016_0824.

不漁の背景としては、海水温の上昇などのほか、日本の沖合に来る前のサンマを海外の船が公海で大量に漁獲する、いわゆる“公海サンマ”の問題の影響など、さまざまな要因が指摘されています。

 

過去をお手本にすることを当然だと考えていると、起きた変化の原因を表面的なところに求めるようになるのではないだろうか。

 

地球温暖化を気温が上がることだけだと勘違いする人が多いが、一番怖いのは”水の循環”が変化することだ。

 

日本では、豪雨被害が目立つし、海外のニュースでも豪雨被害の方が報じられやすいが実は地球規模で砂漠化も進行している。

 

砂漠化 :地球温暖化白書

世界では今、“砂漠”という名の不毛の地が広がり続けています。砂漠とは、水が少なく植物もほとんど生えていないところ。そんな砂漠がなぜ、広がっているのでしょう? 降水量の減少や地球温暖化による気温上昇など、砂漠化にはさまざまな原因があります。しかし、その原因の多くは私たち人間が作り出したものなのです。

 

 

世界の砂漠は毎年6万平方キロメートルものスピードで広がっています

 

 

地上で発生している水の循環の変化が、過去をお手本にすることを困難にしていることを、多くの人が気付いている。

 

だとすれば水の循環の変化は、海の中でも発生してると考えるほうが自然だろう。

 

穫れるはずの魚が獲れないのは、過去をお手本にした場合いるはずの場所にいないだけで、別の場所に移ってしまったと何故考えないのだろうか?

 

答えは簡単で、難しいことをしたくないだけだから。

 

魚が別の場所に移ったとすれば、ゼロからの手探りとなる、また温暖化は進行中であることを考えると、新しい場所を見つけても長続きしない可能性が高い。

 

知恵や知識を高めた人間は高度な技術を身に付けたが、替わりに”勘”を失った。

 

過去がお手本として通用しなくなったとすると、勉強が出来ることよりも勘が冴えてることが重要になる。

 

勉強ができなくても良いのではなく、勘が良いけど勉強も出来る人が活躍する。

 

最近やたらにエビデンスという専門家のお墨付きを求める傾向があるが、専門家は過去の出来事や過去の事実についての専門家で、未知のものや変化している現象に関してはただの素人だということに気付く必要がある。

 

これからは、一番使えないのが、勉強しかできない人になるだろう。

知っているのに、考えるだけでは気付かないこと

「考える」と「気付く」の違いについて考えていると、「考える」は、その前までわからなかったことがわかったり、自分なりの答えにたどり着いたりという、出発地と目的地の関係に似てるように思える。

 

それに対し「気付く」は、知ってる(見えている)のに忘れていた(認識できない)が何かをキッカケに知っていた(見えていた)ことを再確認するような場合に用いることが多いような気がする。

 

人生には、答えを自分自身の外側に求めて一生懸命考えても考えてもわからないことが、ひょんな事から自分自身の内側にあったことに気付くことがある。

 

気付くのは、莫大な借金や重篤な病気という過酷体験がきっかけになることが多い

 

「360日外食」のTBS木村郁美アナ、その理由と壮絶人生を初告白

「あの頃を思い出すとぞっとします。あなたは大きな荷物(借金)を背負わされて、生きた心地がしませんでしたね。今度は僕が心肺停止で、ほぼ絶望。ギリギリで幸運だったのは、お互いがほぼ同じタイミングで人生最大の危機を迎えたことでした。それ以来、ぼくらは考え方がシンプルになりました。おいしいものを食べて、おいしいお酒を飲んで、他愛なく笑って一日を過ごせれば、それだけで幸せ。これからもそんな尊い時間を積み重ねていきましょう」。

 

字面だけ見ると、贅沢な外食が良いというリア充話かと勘違いしそうだが、そうではないのは言うまでもない。

 

 

 

一方で過酷な状況に陥る前から自分の内なる声をはっきり意識してる人は、過酷な状況でも軸がぶれない。

 

借金50億円を返済した「全裸監督」の話術

――こう言っては失礼かもしれませんが、なんて“しぶとい”人なのかと。

 

【村西】いつもそう言われるんですよ。借金が50億円あって、自己破産も自殺もせずに生きていられたなんてタフですねと。でも、本当はそんな人間じゃないんです。死んだら楽になると思ったことは何千回もあります。ただ、状況が許さなかった。

 

 

お金を儲けたくて、商売をやっていたわけじゃないんです。私はとにかく人に感動を与えたい。それが人生の充実になると信じています。あのね、感動にはレベルもラベルもないんですよ。

 

 

こういう軸がぶれない人の生き方は圧倒的に少数派だろうから、感銘を受けても参考にはならないかもしれない。

 

矢沢永吉、さだまさしなど、億を超えるものすごい額の借金を完済した芸能人

 

しかし、こういう人がいるんだということを知っておくことは、我々のような迷える子羊には励みになる。

 

生き方に関わる重大な何かに気付くのは、多くの場合不幸中の幸いが起きている。

 

幸いをもたらすのは、心の底で眠っている、元から持っている自分自身の価値観に気付くことがキッカケになる。

 

気付けたことが自らを助けるのだ。

 

人生観が変わる瞬間。ネット上でシェアされ続けている21人の体験メッセージ

1. 階段を使えるうちに階段を楽しもう

2. 「許し」は過去を変えることはできない。だが、未来を変えることはできる

3. 人生は決して短くなんかない。生きている限り人生はあるのだから、一生かけてや  ることが人生である

4. 「愛している」という言葉のマジック

5. 人生はどれだけ勝ち続けられるかじゃない。負けたときにどれだけ前に進むかだ

6. 一番大事な力

7. 父親というもの

8. 我が人生に悔いなし

9. 大切な人の死に比べたらどうということはない

10. 脳は人を支配しようとする

11. 怒りのはけ口に使っていいよ

12. 自分は何者でもない

13. 決して学ぶことをやめるな

14. 人生の秘密は3人のグアテマラの小さな女の子の手にあった

15. 隣の芝はいつだって青い

16.例え身内にでも嫌な奴になるな

17. 賢い言葉

18. 親子の絆

19. すべては物の見方である

20. よい1日にすることは、悪い1日にすることと同じくらい簡単

21. ママに必要なのは助けてもらうこと

 

 

 

 

上記で紹介した全裸監督である村西とおるさんはこんなことも言っている。

 

この世に普遍的なものの見方なんてないのです。同じ黄色といっても、私とあなたではイメージする度合いが違います。私の価値観がある、あなたの価値観がある。しかし、ものの見方を変えれば、お互いの価値観がクロスオーバーできるところがあります。そこを探るのです。

 

「考えること」が足りないと言われる最近の日本人だが、むしろ「気付く」ことの方が大事ではないかと感じる。

 

人間が人間である限り「欲」からは逃げられない。

 

だから、自分を有利にするためのポジショントークの応酬となる。

 

有利不利ばかりを争うポジショントークは、相対的な位置を競うだけで疲弊するが、ポジショントークに自分らしさという価値観が入ってくると、相対的な位置の争いから絶対的な位置を目指す側面も生み出すので、競争に伴う疲弊にも充実感が伴うようになる。

 

そのためには、自分の心の内側に既に持っているけど眠っている何かに気付く必要がある。

日本語しかできない日本人は残念!

世界が驚嘆した識字率世界一の日本

日本の識字率は、数百年に亘って世界一を誇る。

江戸時代の幕末期においては、武士はほぼ100%読み書きができたという。

庶民層でも男子で49~54%は読み書きができた。

同時代のイギリスでは下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子供は10%に満たなかった。

 

 

そもそも識字とは何なのか?

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/識字

識字は日本では読み書きとも呼ばれる。読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解できる(読解する)ことを指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)ことを指す。

 

 

国民の識字率が高い国はレベルが高く優秀であると考えがちだが、日本はどうだろうか?

 

次の記事を見て、日本語が読み書きできるだけの日本人が増え、それなりの比率に達しているのではないかと感じ始めた。

 

「もう使うのをやめる」といった声も!? 『Amazon』の配送業者「デリバリープロバイダ」と連絡がつかない事例多数報告

対策としては「時間指定だとデリバリープロバイダ以外に配送業者になります」と『Amazon』側からアドバイスされたという情報も。ただ、『Amazon』を使うのをやめるといった声も多数上がっており、信用が揺らいでいることは間違いないところなのではないでしょうか。

 

ヤマト運輸がアマゾンから撤退したことを受けて、アマゾンが独自に手配した「デリバリープロバイダ」がまともに機能してない事に対し、アマゾンが「デリバリープロバイダ」を使わない方法をアドバイスするところが本末転倒で、アマゾンが便利だったのは、アマゾンが優秀だからではなく、まともな配送業者が優秀だったからということがわかった。

 

しかし、その優秀な業者は、アマゾンのような事業者に都合よく利用されるだけの立場でしかないように見える。

 

高さを誇った日本の識字率が低下してるように見え、識字できても考えることができなくなってるようにも見える。

 

もはや日本の識字率は100%ではない!貧困が奪う、文字を読み書きできない子どもたちの未来

「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間には、すさまじく深い溝があります。社会人になって早10年ほどの私ですが、過去に部下を持った際に、あまりにも文章が書けない人が多かったことを、この記事を読んで思い出しました。

 

 

グローバル化の時代になり英語が公用語化し、また社会インフラのバックグラウンドをITが支えるようになった現在、プログラミング言語の理解が重要になると、日本語が出来るだけでは心もとない感じがする。

 

 

1980年台にこんな話を聞いたことがある。

 

世界で最後に残る言語があるとすれば、最も多くの人が使う言語がそれに当たるのだろう。表舞台で使われるという意味では英語だろうが、人口で見ると中国語とインドのヒンディー語が英語の前に立ち塞がっていた。

 

アメリカはこのことにすごく危機感を持っていたらしい、またヒスパニック系のアメリカ人が家庭では英語を使ってないという事実もあった。

 

だから英語が会話で使われる比率が下がっても、英語の重要度が低下しないようにするため、コンピュータープログラミング言語として英語が世界標準になるように務めた。

 

そして成功したと。

 

 

これで英語は、会話使用比率が減っても、プログラミングが必要とされる限り重要度が低下することはなくなったと言われてるらしい。

 

 

 

日本は国家として、日本語をどう捉えているのだろうか?

 

日本人にとって、日本語とはどういう存在なのだろうか?

 

私を含めて大勢の人が、あれだけ勉強しても英語が身につかないのは何故だろうか?

 

日本人には英語は必要ないのかもしれない。

 

やっぱり島国根性なのだろうか?

 

島国に住む人の、その地域(国家)特有の住民性を指して島国根性(insularism)と呼ぶ場合がある。一般に、排他的であり、多様性異文化を許容せず、自国の民族、資源、思想などに依存している様子を指す。端的には、こせこせして視野が狭い様子を指す。島国気質、島国的とも言い、特に政治・経済がグローバル化する現代においてはネガティブに受け取られる事が多い。

 

 

言葉は文化を伝える、文化は言葉を通じて伝わる。

 

 

中学生定期テストでこんなことがありました。 :発言小町

今回、いつも通り社会の点数が悪く落ち込んでおりました。ところがその後の授業での解説で、一カ所、正解にも関わらず×を付けられている問題があったそうです。(国名を答える問題です)自己採点でも何故×なのか不思議に思っていた問題でしたので安堵し、教科担任に採点ミスとして提出したそうです。

 

これで2点アップすると喜んでいたのですが、先生から戻って来たテストは、なんと8点マイナスになっていました。

 

 

他の言語圏では、どのように伝わるのだろうか?

 

同じようなケースが日本以外で発生するのだろうか?

 

発生した場合、同じように悩み、同じように回答(幅はあるが)するのだろうか?

 

日本語しか話せない日本人だから、こんなことで悩むのかもしれない。

 

私を含めて、日本語しかできない日本人はすごく狭い世界に閉じこもっているかもしれない。

 

残念!