福岡や大分での集中豪雨が大きな災害をもたらしてる。
長崎から大分にかけて九州を横断するように連続的に雨雲が発生しているからだ。
そのような雨雲は、線状降水帯と呼ばれている。
線状降水帯という言葉が用いられるようになったのは、2014年の広島での大雨以降だと言われてる。
つまり、最近使われるようになった言葉ということだ。
上記のpdfも2016年の9月に出されたものだ。
今のところ、”線状降水帯”と言う言葉は、現象を説明するための言葉に留まっており、それ以上のことはわかっていないようだ。
線状降水帯がもたらす豪雨は長時間に及ぶため、それなりの治水対策が行われていても大きな被害をもたらすので、地元のお年寄りが「こんな大雨は生まれて初めて」と表現したりする。
狭いエリアでの集中豪雨を意味するゲリラ豪雨と言う言葉は既に馴染みがあるが、ウィキペディアによると初めて用いられたのは1969年の読売新聞らしい。
ゲリラ豪雨という言葉が一般的になったのは2006年からと言われてるが、当初は都市部で発生することが多いことからヒートアイランド現象に起因する都市型の気象のようにも感じられたが、熱帯のスコールにも似ているので地球温暖化に起因する熱帯化という印象も与えていた。
知識や経験の蓄積が技術を発達させるが、それらは全て過去をお手本にしたものになる。
過去の蓄積がお手本にならない時代になってきてるように見える。
過去がお手本になる時代では、受け身で勉強することに意味があったが、過去がお手本にならないとなるとどうすれば良いのか?
昨年は不漁だったサンマだが、今年はどうなるだろうか。
サンマ不漁で食卓に変化 :NHK NEWS WEB 2016_0824.
不漁の背景としては、海水温の上昇などのほか、日本の沖合に来る前のサンマを海外の船が公海で大量に漁獲する、いわゆる“公海サンマ”の問題の影響など、さまざまな要因が指摘されています。
過去をお手本にすることを当然だと考えていると、起きた変化の原因を表面的なところに求めるようになるのではないだろうか。
地球温暖化を気温が上がることだけだと勘違いする人が多いが、一番怖いのは”水の循環”が変化することだ。
日本では、豪雨被害が目立つし、海外のニュースでも豪雨被害の方が報じられやすいが実は地球規模で砂漠化も進行している。
世界では今、“砂漠”という名の不毛の地が広がり続けています。砂漠とは、水が少なく植物もほとんど生えていないところ。そんな砂漠がなぜ、広がっているのでしょう? 降水量の減少や地球温暖化による気温上昇など、砂漠化にはさまざまな原因があります。しかし、その原因の多くは私たち人間が作り出したものなのです。
世界の砂漠は毎年6万平方キロメートルものスピードで広がっています
地上で発生している水の循環の変化が、過去をお手本にすることを困難にしていることを、多くの人が気付いている。
だとすれば水の循環の変化は、海の中でも発生してると考えるほうが自然だろう。
穫れるはずの魚が獲れないのは、過去をお手本にした場合いるはずの場所にいないだけで、別の場所に移ってしまったと何故考えないのだろうか?
答えは簡単で、難しいことをしたくないだけだから。
魚が別の場所に移ったとすれば、ゼロからの手探りとなる、また温暖化は進行中であることを考えると、新しい場所を見つけても長続きしない可能性が高い。
知恵や知識を高めた人間は高度な技術を身に付けたが、替わりに”勘”を失った。
過去がお手本として通用しなくなったとすると、勉強が出来ることよりも勘が冴えてることが重要になる。
勉強ができなくても良いのではなく、勘が良いけど勉強も出来る人が活躍する。
最近やたらにエビデンスという専門家のお墨付きを求める傾向があるが、専門家は過去の出来事や過去の事実についての専門家で、未知のものや変化している現象に関してはただの素人だということに気付く必要がある。
これからは、一番使えないのが、勉強しかできない人になるだろう。