『監視』ということばから何を想像するだろうか?
警察や探偵などが、マークした人物などを追跡するイメージがあり、小説やドラマや映画でよく出てくるシーンだ。
浮気調査なども監視の一つだろう。
これらの監視には、知られたくないことや隠されていることを見つけ出すという目的がある。
一方、実生活に身近な監視としては、夏のプールや海水浴場の監視員というのがある。
こちらの監視には、何かあったらすぐに対処するためという安心安全という目的がある。
安心安全は、できて当たり前だと考えられがちなので、脅かされると訴訟を含めて揉め事の原因になりやすい。
そう考えると、目的がどうであれ、監視の陰には揉め事の種が潜んでいると言えそうだ。
Google Trendsで"監視"を検索可能な2004年以降で見ると、
2006年の6月に大きな山があるのは、駐車監視員が制度として始まったから。
『監視』という行為は、人間が行うことが多かったが、そこに監視カメラが導入されるようになり、監視は24時間年中無休が可能になり、また録画とセットであれば過去が映像として検索可能になった。
やがて、『監視』は『防犯』というジャンルに繋がり、予防や抑止という価値観を生み出した。
予防や抑止という価値観は、健康や医学に通じるものと共通で、事が起きてからあわてるよりも何も起きないことが一番良いという考えに通じる。
カメラを使うことで『監視』が身近になっていったが、多くの人にとっては『監視』は非日常だった。
そんな『監視』が日常になったのは、スマホが登場してからだ。
カメラだけでなく、通信ネットワークが身近になったからだ。
『監視』は、起きた出来事を解明するためには役に立つが、最も貢献するのは不都合やトラブルを発生させない事ができることによってだ。
最も望ましい『監視』は、不都合の発生前に行われるべきなのだ。
こんなことを考えたのは、今朝の読売新聞の一面にこの記事があったから。
巨大IT企業、情報開示を義務化…政府検討https://t.co/KL9XBGtYEE#経済
— 読売新聞YOL (@Yomiuri_Online) October 27, 2018
記事の中心を占めるのは、『監視』だ。
『監視』は、いまやネットワークに依存するものになった。
今年起きた北海道でのブラックアウトは、発電所が原因で起きたことになってるし、日本では発電所が最も要(かなめ)だと捉えることが多いが、要(かなめ)は送電網ネットワークであり、発電所ですら末端の設備に過ぎないのだが、そのことを意識した運用が日本では行われない。
同様にこれから、ネットワークに関連して起きる課題に『監視』で対応することは多分無意味だ。
そもそも、行われる『監視』は巨大IT企業が牛耳ってるインフラやネットワークを使って実行されるとすれば、お釈迦様に挑む孫悟空にしかならない。
https://blogs.yahoo.co.jp/gonaburato/61095866.html
ネットワークを牛耳ってる巨大IT企業は、国家よりも上位に位置していて、国家ですらネットワークにぶら下がっている個人と同じ末端に過ぎない!