新しい何かが始まる時と、古い何かが終わり始める時期は、基本重なるし、その重なりは比較的長期間に及ぶことも多い。
始まる何かは、生まれたばかりの赤ちゃんのように弱々しいが、生きていれば確実に成長する。
古い何かが終わりを迎える前には、老化による弱体化が進むが、老化の初期段階では、見ようによってはまだまだ元気いっぱいで、生まれたばかりの赤ちゃんに比べれば、遥かに強さを感じさせるが、弱体化は日に日に進む。
アメリカが"世界の警察"と呼ばれるようになった時期やきっかけには諸説があるようだが、時期は概ね第1次大戦と第2次大戦を終えたあたりからで、そのきっかけは、アメリカの帝国主義的な理由と見る意見もあれば、2つの大戦でそれまでの覇権国だったヨーロッパ諸国が弱体化したから故のパワーシフトと見る意見もあるが、、戦後約70年日本では"アメリカは世界の警察"と言うのはを社会の授業で教わることでもあった。
しかし、そんなアメリカが"世界の警察"の地位返上を宣言したのは2013年9月10日で、当時のオバマ大統領の口から発せられた。
「世界の警察官」を返上 オバマ政権、曲がり角に 2013/10/1
9月10日午後9時、オバマ大統領はテレビ演説でこう語り始めた。
「化学兵器による死から子どもたちを守り、私たち自身の子どもたちの安全を長期間確かにできるのなら、行動すべきだと信じる」と大統領は、化学兵器の禁止に関する国際ルールは維持すべきだと強調。
しかし、武力行使に対しては、驚くような考えを明かした。
「米国は、世界の警察官ではない」
オバマ大統領は演説の中で、退役軍人や連邦議員から「米国は、世界の警察官でなければいけないのか」という書簡を受け取ったことを明らかにした。米国民がいかに戦争に疲れているかを示す事実だ。
アメリカが、"世界の警察"を返上したことが、終わらせようとしてる価値観は、自国の外にフロンティアを求めることで活路を見出すという価値観だ。
アメリカが、外向きから、内向きに転じたのは2013年なのだ。
トランプ大統領の誕生を、"わけがわからないことが起きた"と捉える人が大勢いるが、オバマ大統領が宣言した"外向きの終焉"への流れを受けて、内向き政策を打ち出したトランプ大統領が誕生したことは、今振り返ると必然以外の何者でもない。
アメリカが"世界の警察"であり続けた時期は、生産と消費が共に拡大することでバランスを成立させていた。
このバランスを維持させられなくなったことが、"世界の警察"の返上に繋がってるとすれば,、拡大を目指すことが終了したと言える。
エネルギーをふんだんに使い、動力を活用し、テクノロジーを発展させることで拡大路線を歩んできたが、この拡大路線が実現したことは、相対的な地球の縮小化でもあった。
だがもはや、これ以上地球のサイズを縮小させても、便利でもなければ快適でもない、そうなりつつあるのだ。
このような捉え方をすると、テーマが大きすぎてピンとこない話になるので、身近な話で、終わって行ってる分野を見てみたい。
日本では、終戦後、家族のあり方が大きく変わった。
国民も増えたが、世帯数の増加と世帯当たりの家族数の減少が著しく進んだ。
いつの頃からか、コンビニは、単なる小売店舗としてだけの存在ではなくなり、生活全般に関係する地域の情報ステーション的役割を果たすようになり、公共料金の支払いや公的および各種サービスの提供場所になったりしている。
その店舗数の増加は、劇的に伸びたことがわかる。
2016年度の世帯数は、熊本地震の影響で熊本県が除外されていても5000万世帯を維持している。
それに対して、2016年度のコンビニ数は57800軒で、1軒あたり約865世帯となる。
業界トップのセブン-イレブンは、1日の1店舗あたり平均売上が65.3万円で客単価620円と発表している、つまり1日あたり1店舗に1053人が来店してることになる。
セブンイレブンの事例をすべてに当てはめるのは無理があるとしても、単純計算で1世帯当たり1.2人が毎日コンビニを利用してることになる。
学生だったらわかるが、学校に毎日行っていても、学食には毎日行くわけではない。
どう考えてもコンビニは、どれだけ便利を提供しても、これ以上の出店は無理があるだろう。
現在は、コンビニとスーパーとドラッグストアがパイの奪い合いを行っているが、その先の価値を提案しているようには見えない。
今現在は、コンビニもスーパーもドラッグストアも、いづれも出店意欲を失ってるようには見えないが、アメリカが"世界の警察"を辞めたように、ユーザーの便利を考えるのはもう嫌ですと言い出す日が近づいているのかもしれない。
セブン、深刻な客数減サイクル突入…ファミマ、経営統合失敗で客数減地獄 2017/12/13
生産や消費の現場がビジネスの中心だった時、主役だったのは"お客様"だったが、時代が代わり、生産や消費の現場で主役が投資家や出資者に移りだして久しい。
今や、コンビニの独立開業を促すサイトが、サブリースを勧めるサイトと同じ匂いを醸し出してるのは偶然では無いだろう。
終わり始めたものは、なんとなく見えてくるのだが、今ひっそりと弱々しく始まっているものも出てきてるはずだ。
それは一体何なのかを考えるのは、ワクワクする。