違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【ワクワク・ドキドキ】隣で起きているドラマ!

小説やテレビドラマや映画など、よくできた作り物の世界が私達の身の回りには溢れている。

 

悪く言えば、偽物の世界だが、本物以上のリアリティを感じることもある。

 

リアリティがあるものには、関心がそそられ、感情移入が起きる、感情移入は時にゲスの勘ぐりにエスカレートする。

 

最近は、カフェで面接をしてるケースが多いので、たまたま隣で面接が行われているシーンに出くわすことがある。

 

自然と、聞いてないふりして聞き耳を立ててしまう。

 

隣でビジネスの打ち合わせが行われていることも多い。

 

取引先との打ち合わせもあれば、社内の打ち合わせもある。

 

これはすごいという話に出くわしたことはないが、それは私の琴線に触れなかっただけで、同業者が聞いていたら大スクープもあったかもしれない。

 

デジタル情報の漏洩が懸念されることが多いが、案外情報はアナログな形で漏洩してるかもしれない。

 

 

推理小説やサスペンスが好きな私は、小耳に挟んだ会話が、事件の始まりになったらと勝手に想像してワクワクするタイプなので、暇つぶしに苦労することがない。

 

 

たまたま偶然出くわしたと思ってることの中には、実は自分が呼び込んでいるのかもしれないものがあるかも。

 

 

 

 

 

今日は、Twitterから「それは偶然だろう、たまたまだろう」と思うかもしれないが、ドラマは身近に転がっているという話題を集めてみた。

 

 

 

2時間ドラマの香りが漂ってきそうだ。

 

 

 

 

救急搬送されながらも、少し心が傷ついているところに笑いと涙のドラマが感じられる。

 

 

 

 

よく考えると、分は60しかないから、46分に発生する事件や事故の確率は1/60でしかないのだが、文字にすると「魔の46分」というドラマを感じてしまう。

 

 

 

この事件の場合、登場人物3人は三者三様の驚きのドラマがあっただろう。

 

 

 

「詐欺の現場を見たかもしれない?」と思っていたら、

 

 

 

見間違いもあるけど、詐欺は本当に多いし、むしろ加害被害で関わったことない人の方が少ないくらいかもしれない。

 

だからかもしれないが、自意識過剰や被害妄想というドラマは誰にでも起こる。

 

 

 

次のなどは、ドラマと呼ぶには最も芸がない部類だが、目撃した方にとっては驚きのドラマだ。

 

 

 

 

 

いつかは訪れるのに、最も恐ろしいドラマがこれだ。

 

 

読むと分かるが、当たり前の事実が二つある。

 

 

死はいつでも突然だということ、余命宣告されてる人でも突然だし、まして若ければ心の準備すらできていない。

 

もう一つは、前兆現象に気付いていても上手に対処することが難しいということ。

 

嫌なことから逃げるように早めに対処すると、評価を下げることにつながりやすいという強迫観念が働きやすく、逃げるタイミングを間違うと取り返しがつかなくなるというジレンマの狭間でもがくことになる。

 

 

ドラマは、いつでもどこででも起きている。