最初の15分くらいを見て残りを録画していた番組を見た。
【えーと、こっそり質問】
— NHK広報局 (@NHK_PR) September 16, 2019
聞 オ 誰
い | の
て ル
ま ナ
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た ト
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17(火)夜9:00[BSプレミアム]https://t.co/LFyUGxs3HH
この番組の印象に残った部分を記したい。
1967年から始まったオールナイトニッポンの制作者であり後にニッポン放送の社長になる亀渕昭信は次のようなことを言っている。
「亀渕さん、オールナイトニッポンをずっとやってて、優秀なパーソナリティに共通点はありますか?って聞かれるんです。」
「たった一つだけあるんです。」
「聴く人に対して優しいということですね、本当に優しいんです。」
「何か人の心をちゃんと分析して読み取ってくれて、ちゃんと心添えてくれるというか、優しい気持ちというのがみんな持ってると思うんです、パーソナリティは本当に優しいということがとても大事なキーワードだったように思います。」
ラジオの深夜放送は受験生が多く聞いていた番組だが、受験以外の悩みを抱えるリスナーも多いし、そもそも深夜ラジオを聞く者は昼間はくすぶった存在であることが多いので、そういう意味でも優しさは大事な要素だった筈だ。
そんなパーソナリティの優しさをぶち壊したのがビートたけし。
「ラジオのお客さんは、オレらが飲み屋で話してるのを同じカウンターで聞いてるって状態になったんだとは思うんだよね、ただそのオレみたいな面白い、自分で言うのもなんだけど、変な生き物がいて、それをみんなに見してやるってだけ」
当時漫才ブームの頂点にいたビートたけしは、自分の中では漫才ブームに飽き始めていた。
そんなタイミングで放送作家の高田文夫が「深夜ラジオやらないか?」って声をかけてきた。
それがビートたけしがオールナイトニッポンに出るキッカケになった。
1981年1月1日の第1回の放送の中でビートたけしはこう言った。
「これは、ナウい君たちの番組ではなく、ワタシの番組です」
若者に寄り添わない本音のトーク。
「死にたいの?」
「じゃあ死ねば!」
そんな本音の応酬がパーソナリティとリスナーの間で繰り広げられるようになると、ハガキ職人と呼ばれる面白い話を投稿するリスナーが現れ始めた。
ビートたけしは、そんな現象を現代のSNSの役目に近かったのではと述懐している。
そんなハガキ職人の一人だったのが秋元康。
秋元康は自分の原点はハガキ職人であることを自覚し、その強みはリスナー(視聴者含む)の気持ちが分かり、パーソナリティ(番組制作者含む)の気持ちが分かることで、それが現在のプロデュース業に役立っていることを感謝している。
若い人が見ても面白い番組ではなかったかもしれない。
現代の受験生は深夜ラジオなど聞くのだろうか?
昔の深夜ラジオには現代のSNSが持つ以上の不思議な力があったような気がすることを思い出した。