みんな前向きに悩んでいるんだなと感じられるツイートを見かけて懐かしさを感じた。
機械設備製作で海外メーカーに勝つにはどうすればいいのやら
— こうちゃ@機械設計ブログ (@MC_CRAFTOR) 2021年10月1日
価格では太刀打ちできないから、完成品精度の良さに重点を置くか…
でも海外メーカーだからといって、精度がそこまで悪いかというと、そうでもない気もするしなぁ🤔
有効な手を打てないからと言って、決して手をこまねいてるだけではないのだ。
このツイートを見て25年くらい前の話を思い出した。
仕事で車のエアロパーツやチューニングをやってる会社の社長と付き合いがあった。
その界隈では超有名人で日本だけでなく世界で通用する人だった。
その社長がデザインしたパーツのコピー商品が東南アジアで作られ市場に出回ってることに頭を痛めていた。
わたしが『形が似てるだけの粗悪な劣悪品なんじゃないですか?』と言うと、『そういうのもある』と。
実際に粗悪品に対する訴訟も起こされたことがあるらしいが、そういうのは実際に作ってるものとの比較で偽物認定されるので排除出来たらしい。
しかし、厄介なのは特にタイで作られるモノだと言っていた(25年くらい前の話、念のため)。
素材の品質は全く問題ない上に、デザインに対する忠実度も加工精度も全く問題なく、自分(社長)が見ても悪い商品だなんて思えないものが格安で出回っていて恐ろしくなる、と。
まだ、モノづくりの現場ではアナログな手法が多かった頃でもこの有り様だったのだ。
アナログ時代の日本の優位は、日本人の手先の器用さと生真面目さに負うものが大きかったのだが、それが武器にならなくなり、さらに時代が変わると日本人は手先が器用でもないし生真面目でもなくなってしまったように感じられる。
持ってた武器が武器として通用しなくなり、持ってたはずの武器すら失ったのだと考えると妙に納得できる。
権利関係や良識はさて置き、何でもかんでもコピー可能な現代ではオリジナリティを持たない人や企業の武器はコピーしかないのだ。
コピーが武器とは、巧妙な後出しジャンケンが勝つためには有効だということだ。
訴訟を避けて上手にコピーするか、コピーしたくても簡単には出来ないような仕組みを作るか。
オリジナリティを作り上げることと並行してコピーしたりされたりを常に意識しなければいけないが、おそらくコピーの比重が増しているのが現代だろう。
ごくごく一部の勝ち組以外は、あらゆる分野でオリジナリティがまるでない生き方を強いられているのだ。
大きなスーパーや量販店に行けば同じような商品が多数あり、大きな本屋に行っても同じようなタイトルやテーマの本が多数ある。
きっとみんなアイデアが出ないんだろうなと思えてくる。