2、3日前に話題になっていたのがラーメン評論家の1人語り。
独特な表現や言い回しは構文と皮肉られていた。
これを読んだ世間は『気持ち悪い構文』という反応以外に、『昔はそうだった』『こういう文体は懐かしい』という反応も少なくなかった。
ラーメン評論家の反論を「おじさん構文気持ち悪い」で片付けちゃいけない。それは中年男性への差別でしかなく、差別に差別でやり返すことになる。
— トイアンナ//恋愛と就活のプロ (@10anj10) 2021年9月28日
問題はあくまでセクハラを酒のせいにして逃げる無責任さや、女子供の言うことと被害を矮小化する態度。許してはならない。https://t.co/A9U3np5w4k
構文と呼ばれるのは定型化されてるから。
代表例としておじさん構文が4つ挙げられてる。
How to おじさん構文 改#おじさん構文 pic.twitter.com/1CrFf90TO9
— おじさんbot(手動) (@Ojipimaru) 2021年9月29日
定型化がワンパターン化すると、当初は際立って感じられた個性らしきものも、没個性化し独りよがりへと変化する。
しかし、ワンパターン化を真似る人が世間に多くなければ、結果個性として通用するのだ。
例えば。
麻生構文が分かってきた。最初と最後の間『』部分に皮肉を込める。
— もじのすけ (@moji_mojinosuke) 2021年9月30日
「岸田候補が結果的に御社(テレ朝)の予想より差をつけて勝ったね。『取材が甘かったんじゃないかと反省の上にたって質問してかは別として、』これから日本の舵取りをされていく立場の総理をやるが良い方が選ばれたと思う」 https://t.co/ogpPMKvxdg
政治家と構文は切っても切れない間柄のような気がする。
そういえば構文という意味では忘れてはいけない人物がいた。
小泉進次郎さんは中国で一部から「一席話」と呼ばれている。
— jabal (@nekojaja) 2021年9月29日
中国の諺に「聴君一席話、如読十年書」があって、「今回君の話を聴けたのは(有用で)十年の読書をした如く」という意味。
それが進次郎構文として「聴君一席話、如聴一席話」で「今回君の話を聴けたのはまるで君の話を聴けたようだ」と。
現在言われるおじさん構文は、LINEの普及で顕在化したようだが、起源を遡ると、90年代半ば過ぎにガラケーが普及し始めメールが注目され始めた頃に、おじさんが飲み屋の女の子とやりとりする際に生まれた文化らしい。
しかし、使い慣れるにつれTPOの弁えが曖昧になり、使ってはいけない相手にも使い出し、やがてそれがキャラとして認知されたという現象で、当初は気持ち悪がられていたが、矛先が自分に向かなければ面白いという意味でギャグとしての存在価値を得るようになっていた、ようだ。
つまり、文章の構文にはキャラが色濃く現れるのだ。
それはしゃべりの癖と同じく、個人特定にも役立つくらいなのだ(独断)。
ブログを書いてる方の多くは、自分のキャラを活かしたいという思いと、ニュートラルでありたいが没個性は避けたいという思いの間で、その時々の自分の気分と相談しながらテーマや文章やことば遣いを選んでいるだろう。
そういうことを繰り返すうちに、自分では自覚しづらいだろうがきっと自分構文が出来上がっているはず。
わたしも、ブログを書き始めた頃、どういうことばを選んでもしっくり来ないことが多かったことを覚えている。
月日が流れて、テーマさえ見つかればルーティンワークのように書けるようになっている、これは自分構文ができた証なのだろう。
逆にいうと、ブログを継続できずに辞める方は、きっと自分構文を見つけきれなかったからかもしれない。
他人から認められる個性は欲しいが、変な色だと言われるのは嫌だと感じる人は多いだろう。
しかし、認知され始めの個性はいつも変な色なのだ。
その認知が肯定的になると、『その色もありだよね』となるのだ。
構文と個性の色は同じとまでは言えなくても、かなり似てることは間違いないだろう。