『5000日後の世界(ケヴィン・ケリー)』を読んでいる。
2021年の10月に出た本だからちょうど1年前になる。
まだ半分読み終えてないが、とてもおもしろいので印象に残った部分を備忘録的に抜き出してみたい。
こんなことばで始まる。
インターネットが商用化されて5000日(約13年)後、ソーシャルメディアという新しいプラットフォームがよちよち歩き始めた。そして現在は、ソーシャルメディアの始まりからさらに5000日が経ったところだ。いま、インターネットとソーシャルメディアは二頭の巨像として君臨し、われわれの暮らしに多大な変化をもたらしている。では、次の5000日には、何が起きるのだろうか?
著者のケヴィン・ケリーは、過去2回の5000日の間にデジタルテクノロジーの世界で起きた変化を予測し的中させた人物。
予測のために意識してることは、
『テクノロジーは何を望んでいるか』を問いかけること。
例として挙げられていたのが、
電気の発明は必然的に電波につながり、電波はWi-Fiへつながる。
zoomに代表されるビデオ会議システムは肝になるテクノロジーは20年前のものだが、それが非常に安価で使い易くなったことと、コロナ禍というキッカケで一気に普及した。
そしてSFの作家アーサー・C・クラークのことばも引用されている。
オートメーションを想像するのは非常に簡単だ。
全てが自動化される、例えば馬車が自動車になるというようなことを想像するのはいとも簡単なことだ。
しかし、オートメーションによって真に重大なインパクトがもたらされたのは、車の登場による副次的な効果だ。
例えば道路の渋滞、あるいはラッシュアワーの発生…などなど、そういう副次的な効果、つまり最初の導入から波及していくものを想像するのが難しいんだ。
次の5000日を考えるためには、意志を持ったかのような存在としてのテクノロジーがどこに向かいたがっているかを考えると共に、その方向の先ではどのような副次的な効果が起こり得るかをイメージできることが必要になりそうだ。
こんなことも書いてある。
これからの最新のテクノロジーにきちんと向かい合えるなら70代の人は経験が豊かな分だけ20代を負かすかもしれない、それが心配だ、と。
FacebookがMetaになったことをバカにしてるようでは次の5000日を無駄にしてしまうかもしれないと自分を戒めている。