違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

生きることはやっぱりサーフィン?

個人が独立する場合、比較的簡単に始められるイメージがある飲食店経営は、その分だけ過当競争に晒されやすいので長続きさせるのは容易ではない。

 

資本力がある企業が展開する多店舗チェーンは没個性にはなりがちだが、安心感や安定感や価格を総合的に考慮するとコスパが高いので最後はチェーン店の一人勝ちになりそうだが、世の中はそう単純ではない。

 

今日次のような見出しが目についた。

 

 

店舗数激減の「いきなりステーキ」と「東京チカラめし」、消えた外食チェーンの共通点 9/28(水)

 

 

この記事によると、売り上げが順調に伸びてる時に出店した店が仇になる、いわゆる過剰出店になったということとブームや流行が陳腐化して失速するのが早いからと指摘している。

 

外野から見てると当たり前のことが指摘されてるだけに感じるが、改めて考えてみた。

 

 

過剰出店というのは飲食や小売の世界ではありがちな失敗パターンだが、過剰出店は、運営会社だけの意向では実現できないので、必ず金融機関や投資家との共同作業になるし、どちらかというと金融機関や投資家の意向の方が強くて実現したのが過剰出店なのかもしれないが、経営判断の誤りを責められるのはいつも運営会社だというのが気になる点だ。

 

投資家から資金を募ったり、上場でもさせようものなら、経営者は心が休まる時間が持てないと言われるのが現代で、昭和はそんなことなかったのだ。(昭和なりにはあっただろうが)

 

昭和の上場企業は社員が大事だったが、現代では投資家や株主のご機嫌を取ることが最優先で、望む結果を出せない社員(おそらく半数以上)には辛く当たるはず。

 

投資家や株主が望む会社の成長を実現するために最も手っ取り早い皮算用の成立が多店舗展開で、出店攻勢を掛けてる最中は強気な見通しを熱く語ることができるので、その方向に流されやすいのではと想像する。

 

 

多店舗展開する意欲を生み出す背景には、ブームや流行を作ったという自信や自負も大きく影響してるだろう。

 

展開がゆっくりで呑気だった昭和では、ブームや流行が過ぎ去ると、その後に定番という安定期があったような気がする。

 

この安定期というボーナスがあるおかげで次の挑戦のための意欲が担保されるのだが、そこで問題になるのがその定番の持続期間だ。

 

時代と共に定番の持続期間はどんどん短くなり、現代では定番の期間そのものが消滅し、下降に転じた瞬間に次のブームや流行は他社に拐われてしまうので、結局次の手が打てないままになるのだ。

 

 

出来上がったプラットフォームの上で展開するすべてのことがこの展開を余儀なくされるのが現代で、だからこそ皆プラットフォーマーになりたがるのだが、残念なことに日本や日本人はプラットフォームを作った経験がない。

 

つまり、どっしり構えていたいと思いながらも、次々と発生する流行やブームという波に一喜一憂しながらその波でサーフィンするしかないのだが、やっと乗ったと思ったその波は、次の瞬間には消えてしまう、私たちはそんなことばかりを繰り返しているのだろう。

 

 

 

上記の記事は、波から落ちたサーファーの話のように思えるが、この記事を読んでる人の大半(もちろんわたしも)は、波に乗れずに海にぷかぷか浮いてるだけの、波に乗りたいけど乗れない、サーファーですらない人種なのだ。

 

まあ、サーフィンがダメならSUP(サップ)という手もあるので、必ずしも波に乗る必要はないのかもしれないが。