違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

データサイエンスという擬似餌

自分が高校生だったらたぶん意識したかもしれない。

 

5年前だったらもう少し印象が違ったのかもしれない。

 

そんな見出しが踊っていた。

 

データ系学部に人気、国公立大2次試験の志願倍率3.9倍 日本経済新聞

データを活用して課題解決策を探るデータサイエンス分野は私立大も含めて学部・学科の新設が相次いでいる。2023年春は少なくとも17大学で誕生する。人手不足の解消が課題となる中、全国の定員は約1900人増える見込みだ。

 

 

『データを活用して問題解決策を探るデータサイエンス』という表現は、すでにいい歳になった私には、自分で考えない人には魅力的に感じるんだろうなとしか思えない。

 

翻って考えると、受験生を取り巻く人間関係の中でも親や教師を含めた大人には魅力的に感じられるのかもしれない。

 

この記事を読んでデータサイエンスに興味を持つ人は残念ながら残念な未来が待ってるんだろうなと思うとともに、歴史は本当に繰り返してるなとも感じる。

 

 

バブル景気の頃だと『営業は嫌です、企画がやりたいです』という学生が多かったことを思い出す。

 

ITの時代になると、やっぱり外回りの営業よりも内勤のデスクワーク(PCワーク)をしたがる者が増えた。

 

営業と呼ばれる世界はその世界なりに変化してるが、人と向き合うことだけは変わらない。

 

人と向き合うことをストレスに感じる人にとっては、データと向き合うというのはカッコいい言い訳に映っているとすると、データサイエンスをしたいと思う人のほとんどは、収集されたデータをいじくりまわすことしか考えてないだろう。

 

分析のためにどんなデータが必要で、そのデータを収集するためには何が必要か、そのための試行錯誤には場合によっては人に対する深い洞察力が必要になる。

 

それが備わってる人や素養がある人は、おそらくデータサイエンスなんて呼び方にはまったく興味ないはず。

 

すでに、そういうことを十分にやれてる人だと、データサイエンティストと呼ばれることを嫌がるはずだ、そんなに薄っぺらいことはしてないと。

 

データサイエンスを合言葉にして生徒を集めることはとりあえず成功するのだろうが、一体誰が教えるのだろうかという不思議で一杯になる。

 

データサイエンスの現場で有能な人が大学で教えることが可能だろうか?

 

それが簡単ではないならば、一体教える人はどんな人になるのだろうか?

 

少子化の時代だから大学も生き残りに必死なのは理解できるが、これはこれで詐欺の香りが漂うが、別の表現をすると擬似餌に食いつく魚にも見えてくる。