テクノロジーが発達しながらも、その処理がアナログ的だった20世紀は、ビジネスだろうと遊びだろうと根幹をなすのは人間関係であることに疑いはなかった。
人間関係は損得や好き嫌いを基本にしながらも、その判断に気まぐれが介入することも多く、肝心要のところで番狂せが起こることは珍しくなかった。
21世紀に入り、ITやインターネットが普及定着すると、テクノロジーはアナログからデジタルへ移行した。
人間関係よりも、基幹システムとしてのプラットフォームの方が注目されるようになり始めた。
乗るプラットフォームを間違えると、人間関係を駆使しても浮かび上がることが難しいと感じる風潮が出てきた。
人間関係という根幹が細くなり始めたように感じられる変化だ。
アナログ時代だと学歴が輝かしいことは大きな武器になったが、デジタル時代では実際にできることは何かが問われるようになった。
とは言っても完全な結果主義というよりは、どちらが良さそうかを比較して選ぶというプレゼン主義になったのだ。
そしてそのプレゼンは、最初の3秒で印象が決まり、最初の3分で判断される、と言われる。
つまり、判断には気まぐれや感情が大いに入り込む余地があるのだ。
アナログ時代もデジタル時代も、これまでのところは厳密さや確実さを求めてるようでいながら、あやふやな要素の介入を排除できずにいる。
このあやふやさは諸刃の剣でもある。
あやふやなものは普段は影を潜めてるが、肝心な時にはひょっこりと顔をだす。
消えた、無くなった、と思ってるものが突然現れるのだ。
探し求めていたものならば大歓迎だが、消えてくれた方が良かったものほど現れるのだ。
アナログ時代とデジタル時代の最大の違いはロンダリングだと感じる。
マネーロンダリングが有名で、犯罪など悪意に基づいて手に入れたお金を犯罪で得たお金だとわからなくしてしまうことのように、洗浄を意味する。
罪を償う禊とは違い、ロンダリングには反省や償いはない。
最近また飲食店での迷惑行為が目立つようになってるが、この種の罪が「一生ものの罪」となり自己破産しても免責されない損害賠償を負うなどとも言われ始めてる。
過去に似たようなことをして世間から吊し上げられた人の中には、そういう風潮に異を唱える人が多いが、大多数のそんなことはしない人たちからは反撃されている。
悪いことをするとデジタルタトゥとしてネット上に消えない記録が残り簡単に検索される。
大多数の人の記憶からは消えてしまっても、興味を持った人からはいつでも簡単にほじくり返されてしまうという意味でロンダリングは不可能となる。
昔だったら取り巻く人間関係の中で許容されればそれは免罪符を手にできたという意味でロンダリングが成立したが、現代ではロンダリングできない旧悪に対しては取り巻きの人間ほど拒否反応を示すし、知り合って間もない頃に身近な誰かに検索されることはザラだろう。
そこに誠意や償いの有無はおそらく関係ない、デジタルタトゥがあることが問題になるのだ。
鋼のメンタルを持ってない人は、悪事や悪ふざけはやってはいけない時代になった。