違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

循環するように起きる『下克上』!

人間は生態系というヒエラルキーの頂点にいると思っているが、それは現在の社会では天敵がいないということだけの意味しかない。

 

日本では火葬がほとんどだから気付かないが、死体を分解するのは虫やバクテリアなどで、襲われるわけではないが最後は食べられるのだ。

 

本来の生態系は決してヒエラルキー構造ではなく、そうした循環が成立するシステムなのだ。

 

ただ部分を捉えると弱肉強食に見えるだけで。

 

同じことが、人間活動にも当てはまるのではないだろうかと考えてみた。

 

歴史を振り返ると、弱肉強食に通じるヒエラルキーが人間社会には常にあった。

 

武力や権力や財力というものが、ヒエラルキーの大元にある。

 

技術力なんかも入るだろう。

 

ヒエラルキー構造の場合、頂点と底辺は接点が生まれないため争いを含めてコミュニケーションが発生しないように感じるが、その間では上下に挟まれたグループがグラデーションを描くように接し、争いを含めてコミュニケーションを取っている。

 

現在の人間社会のヒエラルキー構造を支える前提になっている要素は、エネルギーとお金だ。

 

前提でありながら、それ自体が目的化している。

 

エネルギーの大半が、石油と石炭に依存している。

 

使い勝手が良いのは石油だが、

 

石油はこれから「正味エネルギー」が急減する
採掘の複雑・高度化が示唆する石油経済の早期終焉
中田 雅彦=石油経済研究会 2018年3月5日

原油の「正味エネルギー供給量」は、2000年頃から減少し始めている。

 

「正味」とはどういうことか。

 

原油を地下から回収するには、油田の探索を行い、発見できれば地下から回収するための設備や機器類を設営し、採掘する。これら全工程で直接あるいは間接的にエネルギーが消費される。当然だが、原油というエネルギー源を回収するには、外部から何らかのエネルギーを投入しなければならない。

ある油井で、原油1バレル(159リットル)相当のエネルギーを投入して、10バレルの原油を採掘できたとする。この10バレルが「見かけ」の入手量である。そして、「正味」は投入したエネルギー分を差し引いた9バレル相当ということになる。正味部分のエネルギーが経済社会で追加的に利用される量であり、経済にプラスの効果をもたらす。

見かけの原油入手量10に対して、正味では9しか入手していない場合、正味エネルギー率は90%となる。

だが、多くのエネルギー統計では、上記のような場合も10バレルの石油が生産されたとカウントされる。

 

 

以前から埋蔵量の限界が見えているとは言われていたが諸説あり、まだまだ大丈夫という説もあったが、これまで言及されなかったトーンで石油の危機が伝えられ始めた。

 

お金に関しても、資本主義の限界が近づいているという話が増えている。

 

前提が維持できなくなると、その上に成り立っている構造は壊れてくる。

 

なんだか強固に見えた人間社会のヒエラルキー構造も、実は生態系と同じ循環構造で、これまで見えなかった動きが現れてくるかもしれない。

 

この動きは、ヒエラルキーの上に位置してる人には脅威だが、底辺に位置してる人にはとてつもないチャンスになるかもしれない。

 

インプットよりもアウトプットが大事とはよく言われるが、人間が行うアウトプットとは、『つくる』だ。

 

漢字で当てはめると様々あり、何をやっても行動は全て『つくる』に行き着くと言って良い。

 

作る

 

造る

 

創る

 

做る

 

 

 

 

昨年ブレイクしたことばの一つに"フェイク"というものがある。

 

フェイクニュースでお馴染みになったことばだ。

 

フェイクの反対で、あるべき正しいものとしてクローズアップされたことばが、"ファクト"や"エビデンス"だ。

 

もちろん、ウソは良くないのだが、

 

私には、この過剰にアピールされる"ファクト"や"エビデンス"の喧伝が、下克上を恐れるヒエラルキーの上位に位置する立場から発されてるように思えてしょうがない。

 

ヒエラルキーの上位と言っても頂点ではなく、二番手、三番手の存在だ。

 

二番手、三番手は、底辺から見ると安泰に見えるが、実は今その地位を大きく脅かされている。

 

そんな下克上は、"センス"に関して起こる。

 

スポーツ選手だったら身体能力に当たり、センスは基礎体力に近いとも言える。

 

何が花を開かせるかわからないという意味では、"やってきたことに無駄がない"という時代になり、"何もしなかった"というのが最悪になるだろう。

猫から学ぶこと(追記あり)

3月3日NHKで放送されたネコメンタリー 猫も、杓子も。特別編「養老センセイと“まる”鎌倉に暮らす」は、音楽と映像と自然音が中心の番組だったが、ときおりしゃべる養老先生のことばは示唆に富んでいた。

 

著作の中でもたびたび言ってることだが、のんきなネコの番組で聞くとひと味もふた味も違って聞こえた。

 

そんな養老先生のしゃべりの書き起こし。

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<ホールで講演してる養老先生の声>

 

 

朝起きて隣で寝てまして

 

声をかけるんですが

 

返事しません

 

 

ネコがしゃべれない理由は極めて簡単で

 

彼らは、絶対音感だから

 

だから、音の高さが違うと、違う音なんですよ

 

私が猫と言った時と司会の女性が言った時では

 

音の高さが違います

 

当然ですね

 

音の高さが違った瞬間に、それは違う音だから

 

違う音と判断したら言葉になりません

 

 

調べられた限り

 

全ての動物は絶対音感なんです

 

皆さん方が例外なんです

 

 

 

 

<自宅にて>

 

(女性の声 ):本当に良いところですね(鎌倉自宅周辺の事)

 

 

以前はね、どこでも日本はこんなもんだった

 

 

ぶっ壊したんだよ

 

人間むちゃくちゃ増えて、ビル造って

 

マンションにしてね

 

近所付き合いなくしてね

 

しょうがないんでしょうね、人が増えて

 

 

 

 

また戻るんじゃないですか?

 

 

 

 

それがイヤだって言う人は少ないと思うんだよ

 

 

会社の社長さんなんかもそうだけど

 

お金持ちになったら

 

別荘に行ってゴルフやってるじゃないですか

 

若いうちから外行きゃいいのにね

 

 

みんなやりたいけどできないんです(女性の声)

 

 

そりゃおかしい、できないっていうのが

 

何のために生きてるかって話なんで

 

 

 

犬も猿も飼ったことありますけど

 

だいたい同じですよね人と

 

猫、社会性ないもんね

 

全然ないかというと少しあるからいいんでしょ

 

あとはフンていう顔してるから

 

なんか大事なところつかんでるんですよね

 

 

 

あんまり皆さん人間と動物

 

どこが違うか考えないからね

 

 

感情はだいたい

 

基本的には同じなんですよ

 

 

理屈がわかんないんだよ、猫は

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根本にあるのは感覚的に生きるか

 

理屈で生きるかの違い

 

動物は違いの世界に生きている

 

違いは何かっていうと感覚が捉える

 

人を見たら、全部違う人です

 

おそらく臭い嗅いでも全部違う

 

犬なんか人間の嗅覚の一万倍ある

 

 

なんで一万倍も嗅覚が良くないといけないんですか?

 

 

違いだけで生きていこうとすると

 

そういうことになるんです、おそらく

 

感覚を通すと絶対同じものはない

 

100個大量生産品が並んでいても

 

置いてある場所が違うんだから、違うに決まってる

 

 

どうして、SMAPは「世界にひとつだけの花」と歌うんですか?

 

学生が歌ってるから、

 

世界に二つある花があったら持ってこいと、いつも言ってる

 

 

どう思います?

 

 

何気ないけど実は

 

現代社会に生きていると、世界は同じになってくる

 

それがグローバリゼーションの根本でしょ

 

 

 

スターバックスのコーヒーって

 

マレーシアの田舎で買っても

 

新幹線の品川駅で買っても

 

ものは同じだよ

 

 

人は同じにしようとするんだよ

 

 

 

もういいかげん世界の人が疲れてきたんじゃないか

 

猫見ると少しわかる

 

絶対同じじゃないですから

 

日々新た

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<自宅近くを散歩しながら>

 

 

みんなソメイヨシノで面白くない

 

ソメイヨシノあんまり好きじゃない、揃うからね

 

全部一緒に咲くでしょう?

 

あれは種ができないんですよ

 

雑種で

 

だから、挿し木とか、それでやるんで

 

クローンですよ、いわゆる

 

だから、開花が揃うんですよ、全部一緒に咲くの

 

 

それイヤ

 

 

猫じゃないけど、勝手に咲いてるのがいいんだよ

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世の中がガラッと変わった時に、

 

それを見ていた子供っていうのは、

 

人の世の中よりも自然をよく見るようになる

 

 

 

ああいうものはウソつかないから

 

それはよく知ってる

 

戦争中育ってるから

 

 

 

つまり、何を信用してよいか?

 

世の中信用してると180度変わっちゃうし

 

 

まるの方がよっぽど信用できるよね

 

 

そういう思いを今の人はしてないから

 

何を信用するか迷うだけだと思う

 

でも、それは自分で判断するしかない

 

そうなっても変わらないものとはなんだろう

 

意識するんじゃなくて、

 

ひとりでにそう思うんですね

 

当てになるものはなんだろうって

 

・・・・・

 

・・・・・

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<以下ナレーション>

 

「あなたにとってまるって何ですか?」

 

今の人は、そういうことをよく聞く癖がある

 

しょうがないから、

 

ものさしですよと答える

 

なんのものさしかって?

 

生きることのものさしである

 

必要なものを手に入れて

 

後は寝ている

 

昼間は縁側に出て

 

外を見張っている

 

別に変わったことは起きないけど充分なのだと思う

 

リスが来たり

 

近所の野良猫が来たり

 

たまにはハクビシンが来たりする

 

その程度の変化に、気分の上でだけ対応して

 

後は寝るだけ

 

 

これで充分じゃないか

 

東京から帰ってきて、そう感じる

 

 

まるも横になったまま、私の顔を見るとノビをする

 

わたしも背中を伸ばして、それでおしまい

 

 

おたがいに生きてますな〜

 

 

それを確認して、ことばのない会話が終わる

 

 

それ以上何か言うことがありますか

 

 

やかましい理屈を言わなくても

 

顔を見ていれば、それでいい

 

それが

 

猫がいる生活の

 

良いところじゃないかと思う

 

 

<ナレーションここまで>

 

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(猫)うらやましいでしょ

 

これでいいんですよ、生きていくの

 

どっちみち大して変わんないんだから

 

追記

 

この番組で流れる音楽が印象的なので紹介

最初にかかる曲

 

www.youtube.com

Jacques Tati - Soundtrack Music from 'Mon Oncle'

 

検索して出てくるのは答えではない

検索されるということは、興味があるとともに、それが悩みや心配事でもあるということを示している。

 

 

タイトルの割に中身は真摯『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』 2018/3/4

グーグル検索は、他人に言えない悩みや疑問が露わになる場所でもある。

 

数々の事例を通して意識させられるのは、何が有効なデータになるかわからないことの興味深さである。

 

Facebookですら、大量のデータだけでなく、数百人規模の小さなアンケートを行って得たフィードバックを活かしているのだ。

 

データが示す結果は時に残酷ですらある。始めに挙げたような、良心的演説がかえってヘイト感情に火をつけてしまった話なども一つの例だろう。

 

 

検索することは、多くの人が正解を求め彷徨っている行動だと思っていたが、自分の主義主張の確認に使われることが多いということを上記の本では示している。

 

自分がたどり着けてない"正しい答え"を求める行動であるとともに、自分の答えが正解であるという確信や裏付けが欲しいのだ。

 

しかし、正解が不明の時代になった。

 

それは、悩みや問題が最初に発生するが、その悩みや問題に対しての"問い"の立て方を間違うことで、正解が違ってくるということを意味する。

 

悩みにもピンからキリまであるが、"飛行機が墜落したらどうしよう"的な悩みは、悩んでもしょうがないということがわかっているらしい。

 

心配事・不安の96%は起こらないことが判明―アメリカの調査

しかも、4パーセントは「準備のしようがない」たぐいのものです。つまり神ならぬ人間の身では、この出来事のためにやれることはなにもナイんですよ。

 

しかし、現代人が悩むのは、答えがありそうなことや現に起きていることで悩んでいる。

 

難病で悩み苦しんでるのとは違い、カッコよく、カワイイを求めて"美容やダイエットや整形"で悩んだり、美食や運動不足が原因の病気で悩んでいたりが多かったりする。

 

あるいは、どの投資が一番儲かり、リスクが少ないかという悩みも、検索される大きなテーマだが、儲けを求めながら返済義務が発生する広い意味での借金に手を出して悩む人も多い。

 

悩んでる人の悩みを解決するというビジネスがある。

 

うまくいけばwin-winの関係となる。

 

しかし、実際は"その悩みを解決します"あるいは"その悩みの解決を手助けします"と看板を掲げた人は、直接解決するのではなく、間接的に役立ちそうなものを売るだけの人であることが多い。

 

こういうのを、『ツルハシビジネス』と呼ぶ。

 

歴史には数度、ゴールドラッシュと呼ばれる金鉱に採掘者が殺到した時期がある。

 

そんな金鉱の近くで一番儲けたのは、金を掘った人ではなく、採掘者にツルハシを売った人だと言われたのが、『ツルハシビジネス』の由来だ。

 

採掘者に必要だったのは、どこに金があるのかという情報だったのだが、それが分かるくらいなら、金鉱の所有者が自分で掘っていたはずだということになぜか気付かない。

 

この『ツルハシビジネス』は、詐欺ではないところがややこしい。

 

ツルハシを売ってる人々が賢いのは確かだが、ツルハシを買ってる人々が残念なのだ。

 

ツルハシビジネスの特徴は、悩みや問題点を解決しますということを売りにするために、『悩みや問題点』の命名と告知がセットになる。

 

病名を診断された瞬間に、その人は「病人」になる。鬱症状と低血糖症の関連性を知ることで、あなたの悩みは劇的に改善される!

述べたような症状がある場合低血糖症を知らないために、

あなたは心療内科・精神科の門を一旦叩くと、「鬱病」と、病名をつけられます。

 

そして「精神の病は治りにくいので一生飲み続けるように」と医師から言われるのです。

 

あなたは自分が「うつ病」であることを信じて疑いません。

なぜならお医者さまからそう言われたのですから。

 

結果、低血糖症の症状でうつ病と診断されたら生涯を投薬の毎日で過ごす可能性がとても高いのです。

 

 

ついつい検索することで答えを求めてしまうが、そんな行為が"患者になりたくないのに患者にさせられる"に見えてくる。

 

『問い』の立て方が重要になる。

 

『問い』は、答えを求めるためでなく、どう行動するのかのためにする方が良い。

 

USJ再生の森岡毅が語る「マーケティングの知識、経験、予算がない企業がすべきこと」 2018/2/7

(1)貴社は自分が戦っている市場を理解していますか?

(2)貴社の消費者を理解していますか?

(3)貴社の強みを理解していますか?

 

マーケティングにおいて大事なのは「本当に消費者が買っているものは何か?」を突き詰めることです。私は「what」と表現をしますが、消費者が買っている本質的な「what」を考えることが重要なのです。

 

そして、その「what」が見えてきたときに、これまでと違う結果を求めるならば、取るべきアプローチは2つしかありません。

 

・これまでと違うことをやるのか?

・これまでと同じことを、違う方法でやるのか?

 

端的に言えば、これだけです。

 

 

 

とても含蓄のあることばで、多くの人が「what」を突き詰めずに、検索で答えを求める行動を取っている姿が見えてくる。

 

テクノロジーの発展と出回る情報の膨大さ判斷を誤らせられている。

 

テクノロジーを理解し、最新の機器を使いこなすという小手先が過大評価したりされたりで、膨大な情報の取捨選択ができず振り回される、本当に大事なことの手前で多くの人が四苦八苦している。

 

しかし、上記のことばはなんだか懐かしさも感じさせる。

 

彼を知り己を知れば百戦殆うからず

『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。

 

新しいことや未知のことは、これからいくらでも起きるだろうが、人と人のコミュニケーションに関する部分は、既に出尽くしているかもしれない。

 

コミュニケーションで悩みがある時は、諺を振り返ることも悪くないはずだ。

春はすぐそこまで来ている

最近少し運動不足を感じていたので、軽く山登りに出かけた。

 

近所の、標高600m弱の市民憩いの山で、自宅から歩いて山頂まで登って降りてで約14km、3時間半程度で往復でき、身近な運動コースとして非常に重宝している。

 

山歩きをしてるとよく目にする光景だが少し引っかかったこともあったので、その辺を少し書いてみたい。

 

最近暖かい日もあり、確実に春が近づいているが、山の麓では梅が満開(?)だった。

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麓から少し登るといつも目にするのが放置されてる間伐材。

 

市民に開放されてる山であり森であり、林業をやってるわけではないので間伐材が放置されてるのだろうが、少し増えたような気がする。

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このまま登り続けると市民の憩いのスペースが出てくるのだが、そこから先の頂上に向けてのコースは、距離は短いが起伏が大きく結構キツイので良いトレーニングになる。

 

その山頂に向けてのコースの途中に、かなり太くて大きな木があったのだが、その木が伐採されていた。

 

老木で危ないという感じがあったわけではないのだが。

 

伐採された木は撤去されていた。

 

この場所のすぐ近くまで道路が整備されているので車も入るので運び出せたのだろう。

 

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ちなみに靴のサイズは28cm。

 

 

ここから山頂に向けては、移動手段は徒歩のみ。

 

狭い登山コース沿いの木が何本も伐採され放置されていたが、一際大きい木がこれ。

 

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木の高さが高い木だから分割されていたが、人力で運搬は不可能としか思えないので放置もやむを得ないだろう。

 

今まで何度も見てきた間伐材の放置だが、今日は少し気になった。

 

勿体無いような、木がかわいそうな、そんな気持ちがした。

 

 

 

家に帰って、少し検索すると、

 

 

間伐材の放置

森林整備の中で間伐作業は混んだ林を間引くことで林内に光を取り込み、残された木の生育を促す役目を持つ重要な作業です。私たちきこりにとって、近年の山仕事の多くはその間伐作業です。

 

近年、間伐した材も林内から搬出し利用するようになってきました。しかし作業道から遠いところで間伐された材や、売り先のなさそうな間伐材は伐採したままその場に放置されることも多くあります。これらの材を「林地残材」といいます。

 

 

 

前回も今回も登山中は汗ビッショリだった。

 

休憩すると体が冷えるのでほとんど休みは取れない。

 

前回登ったのは2ヶ月前の正月で、山頂に設置されてる温度計は0℃だったが、今日は10℃だった。

 

山頂からの景色。

 

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春はすぐそこまで来ている。

スポーツ界でも出始めた『#MeToo』!

今朝、こんな話題が出てきた。

 

強い人が、いじめを受けてるというニュースだ。

 

五輪4連覇・女子レスリング伊調馨が独占告白 栄和人強化本部長からの「陰湿パワハラ」 - 「週刊文春」編集部

伊調、栄氏の双方と親交の深いレスリング関係者が事情を明かす。

 

「栄さんは五輪3連覇で国民栄誉賞を受賞した吉田沙保里をはじめ、計6人の金メダリストを輩出しています。

紛れもなく女子レスリング隆盛の立役者です。

その圧倒的な実績を背景に強化本部長に君臨し、レスリング協会で絶大な影響力を持つようになった。

 

伊調への嫌がらせは2010年頃に始まり、エスカレートするばかりです。このままでは東京五輪はとてもじゃないけど目指せない。本人もそう話しています」

 

 

この事件、額面通りに受け取ると、指導者が選手をいじめてるとなり、その根底には、"選手は指導者の従属物"という考え方があるように感じる。

 

高校野球で甲子園の常連校では、監督が異様に強い権力を持ち、学校もプロのスカウトも、まずは監督にお伺いをたて、監督の了承を取り付けることで話がスタートする。

 

なぜ監督や指導者がこんなに力を持つのか?

 

高校野球強豪校 監督に求められるのは指導力よりスカウト力 2016.08.07

甲子園常連の地方の強豪校には、地元出身者がほとんどいないことが多い。

かつて日本学生野球憲章で禁じられていた「野球特待生」が横行していることが発覚し、2012年に各学年5人までとする新たな制度がスタートしたが、すでに形骸化している。

「成績優秀」などといえば、実質的には野球特待生を入学させることが可能なのだ。

禁じられている野球ブローカー(報酬あり)による斡旋入学も裏で横行している。

監督自ら選手獲得に乗り出すことも多い。

 

スポーツの世界では、"選手=商品"で、選手の場合は人間なので作ることはできない。

 

必然的に、"見つける"ことが求められ、見つけた後は"育てる"が重要になる。

 

このため、監督や指導者と選手の関係は、擬似的な親子関係に近くなり、周りの人がその間に割って入ることがためらわれる関係性が出来上がる。

 

一人の名選手だけを生み出した指導者よりも、そこそこの選手を何人も輩出する指導者の方が評価される、その方が便利で重宝だから。

 

ビジネスの世界でも、年に1回だけ大きな成績を上げる社員より、毎月コンスタントに安定した挙績を上げる社員の方が、上司や会社からは受けが良い、同様に大きな買い物をするけどいつ買うかわからない客よりも、常に買い物をしてくれる客のほうが有難がられる。

 

現代は、予測や予想に基いて計画を立て行動するので、"当てに出来る"ということが何よりも求められる。

 

 

プロスポーツの場合、選手寿命が短いので、選手自体よりも、次々に選手を輩出する指導者の方が評価されやすい、と言うのが業界の考え方で視聴者や観戦者としての目線と決定的に違っている。

 

スポーツの世界で、監督や指導者が権力を持つことで、選手を従属物化できるのは、スポーツ業界がスポーツが持つダイナミズムと正反対の予定調和を求める気持ちが強いことが起こしている。

 

色んな分野で、未だに人間の従属物化がまかり通っている。

 

そういうことは、内部の人しかわからず、表に出にくい。

 

昨年末から急激に盛り上がった"#MeToo"は、そんな従属物化に『No』を突きつけているのだ。

 

おそらく、伊調選手や支持者は相当悩んだだろうが、この期を逃してはいけないという思いがあったのだろう。

 

#MeToo運動は、男性社会に虐げられる女性ということで顕在化した。

 

さらば「男支配」#MeTooは女性のピューリタン革命だ 血祭りに上げられるセクハラ男 どうする日本

1990年代に、個人主義や多様性を尊重する第三の波が起きたという指摘もあります。

今回の「#MeToo」運動の本質は、男女平等の社会を実現しようと思えば、その中核にある男支配を絶たなければダメだと女性が覚悟を決めたことにあるのかもしれません。フェミニズムが最終段階を迎えるという意味で非常に大きな意味を持っています。

 

家父長制が色濃く残る日本では伊藤詩織さんの実名レイプ告発、はあちゅうさんのセクハラ告発への風当たりが強いようです。

 

日本は海外の動きに呼応するのでしょうか。アメリカやイギリスの「#MeToo」運動がどんな形で、どこまで突き進むのかますます目が離せなくなってきました。

 

 

伊調選手の問題は、女性の問題として顕在化したわけではない。

 

男だって納得できない#MeTooがあるということが表に出始めた。

次は、『今』が狙われる!

初めて買うものや、よくわからないものを買う場合や、似たようなものばかりの中から選ばなければならない時に、何かを参考にする。

 

自分なりに考えても、考えてなくても、何かを参考にしている。

 

広告宣伝業界は、心理学も駆使しながら、そんな"何か"を仕掛けてくる。

 

“2ツイートで200万円” 元インフルエンサーが語るステマの実態がヤバイ「正直めちゃめちゃちょろい商売です(笑)」

定義としては、だいたいフォロワー1万人からがインフルエンサーと言われていて、一般人なんだけどファンを抱えている芸能人未満みたいな人が多いですね。私は1万人以上のフォロワーがいるインフルエンサーという部類で仕事をさせてもらうこともあります。

 

たとえば商品を紹介してほしい会社がいます。間に私とその人をつなぐ代理店があって、だいたい代理店から受け取る形になっています。大元は商品の会社が出しています。

 

結局、自分のことを好いてくれている人たちを騙す行為じゃないですか。そういうのに心が痛んだっていうのと、「お前ステマだろ」「死ね」っていうメッセージがたくさん来て心が病みました。報酬の200万円以上に心が傷つきました。

 

 

ものにも様々あるが、生き様やライフスタイルと関連するものは、身近な人が奨めるモノや、好きな有名人や一目置いてる人が奨めるもので揃えたいと思うのは人情だろう。

 

次のツイートはテレビ業界やメディア業界の"裁量労働制"に関して連続投稿されたものの一つだが、業界の事情には"広告宣伝"が絡むので、おもしろいことが書いてある。

 

 

 

 

 

これからの時代は、広告宣伝に関しては知識とスキルがあると無いとでは、とても大きな差が付く、個人でも必須になる。

 

広告宣伝が仕掛けてくるのは、法に触れない"搾取"だ。

 

 

 

 

「学割」サービスの罠、企業が若者に優しい理由

そろそろ、お気づきの人もいるだろう。携帯の学割も、銀行口座も、クレジットカードも、いったんそれになじんでしまえば、変更するのはなかなか面倒になる。「手元にあるものをそのまま使えばいいや」という気持ちになり、少なくとも更新のタイミングまではそのまま利用しているだろう。

 

 

受け身で聞いていると納得するが、消費の傾向が、『モノ消費⇒コト消費⇒トキ消費』へと変化してるという話がある。

 

モノ消費とは、"所有"に価値を置くこと。

 

コト消費とは、"体験"に価値を置くこと。

 

これらの背景には、時間軸に対する意識の違いがある。

 

所有に価値を置くということは、"いつでも"が大事だということ。

 

体験に価値を置くということは、"その時"が大事だということ。

 

 

そして、最近は"トキ消費"という考えが出てきている。

 

トキ消費とは、"再現できない『今』に参加する"ということに価値を見出す考え方に基づく消費形態となる。

 

自分を振り返っても、所有に興味があり、物欲に取り憑かれた時期があったが、最近はあまり感じない。

 

これは、進化なのか劣化なのか、はたまた老化なのか?

 

価値が、所有から体験にシフトしたと言われると、自分に照らし合わせても納得できる。

 

トキ消費という概念は、昨年後半から広告業界が定義し打ち出している消費喚起の一つだ。

 

『今』が大事だという価値は、常に即断即決を強いることになる。

 

趣味や遊びですら、考える時間を与えられないという意味では、ブラック企業や社畜に通じる終末感がある。

 

『今』を強調するというのは、広告宣伝業界にとってやりがいのあるテーマになるだろう。

 

どんな仕掛けが生まれてくるか楽しみだが、要注意でもある。

 

『知らない事』をどうやって知るか?

ブログを書いたり、何かを発信している人たちの多くが、ネタに苦労しているという話をよく目にする。

 

どうせ書くなら、おもしろいものにしたいと思うからだろう。

 

身近にスペシャルな話があれば一番良いがそんな話はあっても続くものではない。

 

だから一生懸命探すが、検索すれば何でも出てくる時代になり、自分のネタに"特別感"が感じられなくなるのだろう。

 

特別感を感じさせるネタの多くは、コロンブスの卵のように、知っているのに気付かなかったことにある。

 

"知ってた"ということを思い出させてくれるものにも価値がある。

 

わかっていて当り前なのに、敢えて考えないと気付かないことがある。

 

そういうことは、盲点になる。

 

例えば、宝くじは買うよりも売った方が儲かるなど。

 

少子化もそうだ。

 

人口動態統計に関心がありあるいは接する機会があれば、そして少し世の中に興味があれば、少子化はかなり早い段階で予測できたはずだ。

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内閣府:出生数と合計特殊出生率の推移

 

 

しかし地球規模で見ると人工の増加の方が大きな課題で、その増加するさまを人口爆発と呼ぶようになって60年以上経つ。

 

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考えるためには、気付いたり、感じたり、が必要になる。

 

そのためには"知っている"ということが必要になることが多い。

 

本当に何も知らなければ、"知らない"という状態に気付かないし、"知りたい"と思わない。

 

 

 

大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ アトキンソン氏「日本人は人口減を舐めてる」

 

増えても減っても問題になる人口問題だが、なぜ問題になるかというと、人口の推移が数値として把握され、それが『情報』として共有されるからだ。

 

"頭が良いから気付き、頭が悪いから気付かない"という理由ではない。

 

『情報』として持ってるか、持ってないかの違いが大きいのだ。

 

そういう意味では、日本の少子化の問題は、統計データがあったのに有効な対処が為されなかったところを見ると、知っているのに気付かなかったということになる。

 

 

インターネットの登場と普及が、"知る"ということを大きく変えた。

 

インターネット登場前は、何かを知ろうと考えたら、新聞や雑誌やテレビや図書館を使うか、物知りの誰かに聞くしか無かった。

 

このような時代の"広告宣伝"は、貴重な情報であったことが想像できる。

 

 

しかし、インターネットが普及し、情報は広告宣伝に頼らなくても自ら発信することができるようになり、広告宣伝のありがたさが大きく変化した。

 

インターネット普及期には、ホームページを持たない企業は時代遅れだと感じられたが、多くのホームページは自社商品(サービス)のカタログ置き場であり、どれもこれも同じようなもので、新しい何かが始まった感じは受けなかった。

 

徐々にインターネットの活用法が進化し、洗練されてくると、情報の入手はまずインターネットで検索することが当り前になり、スペックに関することはメーカーや発売元のサイトで調べ、使い勝手に関してはユーザーのレビューや個人ブログで調べるようになって行った。

 

検索すれば何らかの確度の高さを感じられる情報を入手できるようになると、広告宣伝が鬱陶しいものに感じられるようになっていったのが今だ。

 

現代の"検索するだけで評判の良いものだけ選ぶ"が、簡単にできるようになったことが"知る"の魅力と価値を変化させている。

 

菊地成孔の北欧美食巡り総括 タコツボ化した東京の食事情を問う SNSを回避することによって一種の人体実験をやっているわけなんです

それこそスマホを持ってたりすると、世界中のことは、もう全部知ってるみたいな気になっちゃうけど、まだまだ世の中、実はあまり知られてないことが多いというか、実際に足を運んで「食」も含めたカルチャーを知るっていうことに関しては、やや遅れているようなところがありますよね。

 

でも、それは一種の地獄でもあって。学校行ったら、クラスの女子が全員可愛い……なんて、ある意味地獄じゃないですか(笑)。

ある程度、凸凹があるなかで、あの子が可愛いと思えるのが、やっぱり嬉しいわけで、誰に声を掛けようと、もう全員可愛いっていうんじゃ、生きている甲斐がないというか、ダイナミズムが消えちゃうんだよね。

 

世の中は二極化してるとよく言われるが、検索して得られる情報も、"魅力と価値がある情報"と"どうでも良い情報(詐欺的なうそ臭い情報を含み"とに二極化の様相を見せている。

 

知ってもらうための最初の一歩としての広告宣伝費は、現在でも伸びてるが、その効果に関しては賛否ある。

 

 

企業の広告費、6兆3907億円に増加!ネット広告が27%アップ!SNSや個人連動の広告に 2018/2/25

 

 

ユニリーバ、ネット広告やめるってよ…!?

2018年の世界の広告市場は5895億ドル(約64兆円)のうち38%がネット広告が占め、テレビを初めて上回ることが予想されています。ここからもわかる通り、まだまだSNSを使った広告媒体は発展していくことでしょう。

各社、AIを駆使してフェイクニュースや不適切コンテンツの撲滅に力を入れている事もあり、広告主の信頼を回復していく公算です。

 

 

Facebookフィード改変、有料広告の値上げへの影響はどうなるのか?

Facebookは、報道機関ではなくソーシャルネットワークに戻ろうとしているようだ。ポストトゥルースの政治(客観的事実より、感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を意味する)に対する、Facebookの影響を巡る議論において、同社はメディア企業であることを絶えず否定してきた。今回のアルゴリズムの変更は、ウォールやステータス機能のアップデートに注力していた時代に立ち返るための第一歩なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

検索すれば簡単にわかるようになると、ブランド価値も変化する。

 

良いものが売れるのではなく、売れるものが良いものと評価される。

 

ビジネスをやる側にとっては、売れれば理由はどうだって良いかもしれないが、買った人はリピートしたいとは思わないだろう。

 

だから、売ってる人々は常に『一見客』を求めることになる。

 

しかし多くの人は、良いものの『常連客』になりたいと思っている。

 

『常連客』になるためには、検索するだけでは何かが足りないのだ。

 

 

 

検索するだけではわからないことに魅力が生まれるのは、試行錯誤の結果かもしれない。

 

 

スナック女子急増中——ネットにない「自分をさらけ出せる場所」「ママや良いおじさんは希望」

30代、40代になると、鎧を着てしまい、今さら自分をどう解放したらいいか、わからなくなっている。スナックはその手ほどきをしてくれ、解放できる現実の世界

さらに、働き方改革により、「残業をせずに生産性を求められるので、社内のコミュニケーションが減っているんじゃない」と加える。

 

 

スナック(バー、キャバレー、ナイトクラブ)の店舗数は、総務省の経済センサス基礎調査によると、2009年から2014年に2割が閉鎖した。一方、カラオケ白書によると、業務用のカラオケの台数は、カラオケボックスよりも「酒場市場」の方が導入台数が多い。

 

 

『知る』ということは、検索してわかるとは違うニュアンスを持ち始めている。

 

『知る』ということが、近くて遠いものになりつつある。