最近の大谷翔平さんの打球を伝える際に飛距離に加えて打球速度が話題になることが増えた。
昨日は、ピッチャーの山本由伸さんが打球速度169kmのピッチャーライナーを神業のごとくキャッチしたと話題になっていた。
速度というのは単純に人を熱狂させるのだ。
20世紀のテクノロジー競争はスピードアップによる時間短縮が大きなテーマだった。
飛行機や鉄道のようにほとんどの人にとっては自ら操縦するわけではない物のスピードアップに熱狂する人は多かったし、ましてや自ら操縦運転する乗り物に関しては言うまでも無い。
スピードには魅力がある。
スピードという基準は単純明快で比較がしやすいという特徴も備えている。
つまり、速いことは偉いし立派なのだという暗黙の前提が成立しやすいのだ。
しかし、速度の速さは度が過ぎると興醒めでもあるということももう一方の現実なのだ。
余談めいた話だが、スピードの延長線上の価値観にファストフードやファストファッションが存在している。
興醒めにつながる要素としては大きく二つに分かれる。
一つは、速度というのは単なる情報に過ぎないと気付くとどうでも良くなるという点、一例としては地球の自転速度は赤道では時速1500km南極や北極では0kmだが、日常生活では実感はまるでない、その程度のもの。
もう一つは、危険であるとか独り善がりという迷惑系の臭いが強くなるという点。
スピードの魅力は体感できると魔力になり、さらに嵩じると麻薬になる。
しかし、少し考え方や価値観が変わると、途端に魅力が失せるし、楽しみとして持続可能性が低いということに気付かされる。
スピードに取り憑かれると、人は攻撃的で排他的になる。
人間は180度反対の価値観との相性は実は悪くない。
スピードに魅力を感じる人ほどスローとの相性も悪くないはず。