違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

「世界の果てまでイッテQ!」が気付かせてくれたこと

住所や電話番号や生年月日という個人情報が、ほぼ公だった時代があった。

 

学生時代、石原裕次郎の家から車が盗まれるという事件があった。

 

新聞に、詳しく住所が出ていたので、友人と家を探しに行ったことがある。

 

それがきっかけで、高級住宅街を散歩と称し、有名人の家探しを友人としたことがある。

 

今だったら、この行為は非難される行為かもしれない。

 

昔の小説の巻末を見ると、著者の連絡先が明らかに個人の自宅と思しき場所であることは当たり前だった。

 

昔、著名な人に弟子入り志願する人が自宅を訪ねられたのは、住所がオープンに扱われる情報だったからできたことだろう。

 

 

個人情報が秘匿性を有する情報と認識され始めたのは、犯罪やビジネスのターゲット設定に利用され始めたのがキッカケだ。

 

昔の家の表札は、家族全員の名前が書いてあることが珍しくなかった。

 

それがいつの頃からか、名字だけの表札になり、一戸建て以外では表札を出さない家が増えてきた。

 

これは、増え始めたDM(ダイレクトメール)や訪問販売に対し、家族構成や家族情報を知られたくないということがキッカケだろう、1980年頃だ。

 

またこの前後の頃から訪問者に対し、玄関を開けるのは当たり前だったのが、ドア越しの対応になり、インターホンの普及が進みだした。

 

外部と遮断する場合の家側の情報を、個人情報と呼ぶが、その家の内部でもプライバシーと言う個人情報が遮断されている。

 

子供に勉強するために個室を与えることが生み出した、意図しない情報遮断の発生を起こした。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/プライバシー

プライバシーに関する議論の論点は、以下のようにカテゴライズできる

  1. 放っておかれる権利(the right to be let alone)
  2. 他人による個人情報へのアクセスを制限する選択肢(the option to limit the access others have to one's personal information)
  3. 秘匿、すなわち他人からの任意の情報を隠す選択肢(secrecy, or the option to conceal any information from others)
  4. 自分に関する情報を他人が利用する事へのコントロール(control over others' use of information about oneself)
  5. プライバシー状態(states of privacy)
  6. 人間性と自律(personhood and autonomy)
  7. 自己のアイデンティティと人間的成長(self-identity and personal growth)
  8. 親密な関係の保護(protection of Intimate relationships)

 

 

 

 

 

もともとプライバシーや個人情報という概念がない日本人には、ムラ社会という束縛関係があったが、これは悪いことのように捉えられることが多いし、私自身も好きではないが、関係を持ってる人の面倒を見ると言う意味で突き放さない関係性があるのは良い点だ。

 

個人情報やプライバシーが守られない替わりに、ムラ社会という束縛関係で脱落者を出さない仕組みがあった日本で、プライバシーや個人情報を守るようになったらムラ社会は成り立たなくなる。

 

プライバシーや個人情報は、好ましくない利用をされないために保護することが重要だとされたが、保護することで『自由』を加速させたが、同時にあらゆる分野で関係性の遮断を促進した。

 

「ムラ社会という束縛」から「自由」への移行に見えるが、ムラ社会が面倒見ていた人間関係が行き場を無くしただけだとすれば、しわ寄せが出るのは当然だ。

 

自由とセットで進められるべき「流動化」が進まなかったことの不都合が、日本の閉塞感につながっているかもしれない。

 

だからなのか今の人々は、新しいムラを求めてるように見える。

 

ムラの定義は様々できるだろうが一言で言うなら「帰属先」といえるかもしれない。

 

「勝ち組・負け組」と騒ぎ立てる人のイヤらしさ
楠木建の「好き」と「嫌い」――好き:出たとこ勝負 嫌い:勝ち組・負け組

勝負とか勝つとか負けるとかいうのは基本的に自らの能動的な行為でありその結果である。にもかかわらず、話が集団への帰属にすり替わっている。自分はその「組」に入っているだけ。勝負が自分の意思による選択や行為ではなく、どこか受動的というか、他人事になっている。

 

 

まんざらでもない顔をして「俺は勝ち組だから……」とか悦に入っている輩は、その時点ですでに負けている。実際のところ「負け組筆頭若頭補佐代理」のようなものだ。いまは勝ち組にいるにしても、未来永劫安泰であるわけがない。個人の地力がなくては、いずれは負けてしまう。で、負けたら負けたで「どうせ俺たちは負け組だから……」と「組」に責任転嫁する。

 

 

こんなことを考えるキッカケになったのが、キムタクだ。

 

芸能界の圧倒的な勝ち組だったキムタクこと木村拓哉は、圧倒的な人気を誇り、人気者の常としてアンチも多く抱えていた。

 

そんなキムタクがsmap解散を巡り一人悪者扱いを受けることで、日本中を敵に回した。(チョット大げさ)

 

キムタクと言う存在は、ある意味日本人の男が描く理想像かもしれない。

 

常にカッコイイ存在であることを求められ、自分自身もカッコイイことを認識できている。

 

だから演じる役回りは常にヒーロー役。

 

しかし、ヒーロー像は多くの場合ワンパターン化する。

 

長年に渡るワンパターンが、予定調和をつくり、独特なうんざり感が出てくるからアンチも増える。

 

これはキムタクが悪いわけではなく「ヒーロー役」の宿命だろう。

 

とアンチの気持ちを察しているようなことを書いたが、これは私自身の気持ちだ。

 

smap解散を巡りキムタクがバッシングを受けるのに慣れてきた先月こんな記事が出た。

 

キムタク カンヌ国際映画祭「重大マナー違反」で大炎上 :東スポweb

 

キムタクに対してアンチの気持ちが芽生えてしまうと”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”となり、この記事も字面だけで「キムタクってそういう奴だ」と納得する自分がいた。

 

しかし、6月11日の「世界の果てまでイッテQ!」を見て猛省した。

 

キムタク、カンヌ「空手ポーズ」真相 やっぱり「パパラッチ出川」へのサインだった

すると、名前を呼びながら空手ポーズをする出川さんに気付いた杉咲さんと木村さんは、出川さんに向かって空手ポーズで応答。その直後、木村さんは出川さんのもとへ駆け寄り、左腕を出川さんの肩に回して笑顔で一緒にセルフィーに納まった。

 

 

テレビを見てると、キムタクも杉咲花も三池監督も皆が笑顔だった。

 

その場に、幸福感がある良い時間が流れているのは明らかだった。

 

あの場で取材をしていて、「重大マナー違反」と書けることが不思議だ。

 

今回の反省点は、よく知りもしないのになんとなく身についた先入観に合致する情報が与えられると、勝手に信じ込んでしまったことだ。

 

日頃こういう事がないように気をつけたいと思っていたはずだが、完全に毒されていると気付いた。

 

 

もう一点は、反省点ではなく注意点として、嫌いな人に対して欠点を探そうとしてしまうこと。

 

意識的な悪意をもちろんのこと、注意すべきは無意識の悪意だ。

 

勝ち組を目指す気持ちが「自意識過剰」を生み、負け組を嫌悪する気持ちが「被害妄想」を生む。

 

この二つの異なる意識が心のなかに同居しているのでおかしな行動取ることがあるが、それはムラという帰属先を無くした状態で勝負しようとしてるからかもしれない。

 

 

いずれにせよ、自分で勝負に出ていないことには変わりはない。

「勝ち組・負け組」とか言っている連中に言いたい。

勝ち負けぐらいで「組」になるな。勝負は一人で勝手にやれ!

「勝ち組・負け組」と騒ぎ立てる人のイヤらしさ
楠木建の「好き」と「嫌い」――好き:出たとこ勝負 嫌い:勝ち組・負け組

 

「役に立たない」ということが価値を持つ

相次ぐ金塊の盗難事件が世間を騒がせてるが、これらの事件について考えていると幾つかの点が気になってくる。

 

犯人たちは、お金を得るのが目的だが、今どきの時代は高額な現金取引は行われない。

 

そこで、時価での現金取引が基本の”金”に目をつけたのだが、”金”のネックは重量だ。

 

博多窃盗事件の金塊の重さは?7.5億円分を色々なものと比較してみた!

金塊7.5億って何kg?

 

報道によると160kgって言われてました^^;

ってことは、1g4700円弱くらいが当時の相場ですね。

実行犯は6人だったらしく、

一人あたり26.5kg程度を運んだ事になりますね。

26.5kgって結構重くないっすか?

では、実際に26.5kg前後のものを調べてみました!

 

ビール:中身が入った大瓶1本1.25kg程度なので中身が入ってると20本。外ケースとあわせると約26kgなので1ケース

 

 

f:id:chigau-mikata:20170608155114p:plain

 画像の引用:田中貴金属のホームページから

金塊1kgは、市販の板チョコの箱のサイズより1周りから2周り小さいサイズなので移動手段を確保すれば運びやすいが、サイズと重さがアンバランスだから運び方を考えないと不自然になる。

 

一連の事件の犯人にとって、”金”にはさまざまな狙う理由につながる価値があったのだろう。

 

 

 

と考えていたら、普通に使われる『価値』とはなんだろうかと不思議になってきた。

 

一般的にあまり誤解を生む言葉とは思われてないが、改めて考えると奥が深そうだ。

 

 

社会の教科書ではお金が出来る前は、物々交換だったと教えるが、今生きてる人に物々交換をイメージさせても「わらしべ長者」的な童話の世界を描いてしまうだろう。

 

経済効果を生み出す物々交換がイメージできない。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/価値

価値(かち)とは、或るものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質、あるいは真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとってプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。

殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質や程度を指す。何に価値があり、何には価値がない、とするひとりひとりのうちにある判断の体系を価値観と言う。

 

 

は有用だが通常は安価であり、宝石はさほど有用とはいえないが、非常に高価である。これは「価値のパラドックス」と呼ばれ、これを説明することは、初期の経済学の難問であった。

 

これを解決するため、交換価値使用価値をはっきり区別し、直接の関連を否定して考えるようになった。すなわち、水は使用価値は高いが、交換価値は低い。また、宝石は使用価値は低いが、交換価値は高い。古典派経済学では価値の大小の理由として、希少性が考えられた。近代経済学(限界効用学派)では、全部効用と限界効用の区別により二者を消費面から統一的に説明することでこの問題を解決した。

 

 

上記のように事例として「水」や「宝石」を挙げないとピンとこないのが『価値』についての説明。

 

言葉は難しくないのに、ビジネスにも関連しそうなのに、あまり深く考えない『価値』。

 

たぶん『価値』を一番考えてるのは、美術や芸術の世界かもしれない。

 

 

 

一般的には、価値は価格で表現される。

 

そして需要と供給のバランスやその時々の生産量や生産原価との兼ね合いで、価格が決定される(変動する)。

 

ところが、美術や芸術の世界では、多くの人が納得できるような価格決定の仕組みがない。

 

多くの人に買って貰う必要がないし、ごく少数の分かる人だけを相手にすれば良い。

 

だから『価値』とは何かを常に考えてなければならない。

 

 

われわれは日常生活では全く意識してないが、不思議な使いかたをしてるものに”お金”がある。

 

1万円札は、製造原価23円。

 

お金の原価を調べてみました。

 

 

このサイトには、一万円札につぎ込まれてる印刷技術についても書いてあるが、これだけの技術が詰め込まれても、そして紙質も良い一万円札が1枚23円であることを考えるとコピー代についても考えさせられる。

 

アートは、このお札を造るのに似たことを常にやっているのだ。

 

 

アートは資本主義の行方を予言する (PHP新書)

アートは資本主義の行方を予言する (PHP新書)

 

 

 

著者は、銀座にある「東京画廊」の二代目。

 

アートの世界の面白さを丁寧に説明している。

 

著者はごく普通の感覚を持っているように見えるが、お付き合いしてる人や周りにいる人がすごい人ばかりだ。

 

著者の母親は、首相官邸でタイピストをしていて、玉音放送の終戦の勅の文章を記録したらしい。この時記録した文章を天皇陛下が読んだとのこと。

 

さり気なくすごい話が出て来る面白い本だ。

 

 

 

一万円札が価値を持つのは、原価23円の紙切れに一万円の価値を保証している日本国の価値なのだ。

 

原価が知れてる絵画に値がつくのは、作者の価値もあるが、贋作が多い世界であることを考えると、仲介する画商や画廊が持つ信用に対する価値でもある。

 

だから、解説し、評論することも、新しい価値を生むことに役立つ。

 

近代アートが現代アートに移り、アートの世界にもグローバル化が起こっている。

 

アートの世界というと過去の大作に目が行くが、評価が確定している過去の作品はともかく、新作に関しては、価値は画廊や画商という第三者が付ける時代から、作者本人が自らの言葉で表現することがセットで求められるようになっているらしい。

 

ビジネスの世界でも、アートの世界でも、スポーツの世界でも、なぜ世界で評価されるのかわからない日本人がいる。

 

そんな日本人はたいてい雄弁だ、ナルシストのようにも見える。

 

だから、あまり好ましくは映らなかった。(わたしの目には)

 

その反動のように、日本人は黙ってることに美徳を感じることがあるが、それはガラパゴスかもしれない。

 

アートの世界でも、自分の作品や目指す世界観を、自分の言葉で定義し、自分の言葉で説明することができないと評価されない時代に入ったことと、AIの台頭や自動化の加速は無関係ではないような気がする。

 

 

『価値』の定義が変化し始めているかもしれない。

 

資本主義は、役に立つものを求め、必要に応じて育てるということを続け発展してきた。

 

そんな資本主義は、もっと役に立つもの求め始めた。

 

なぜなら、尺度にしている利回りが落ちてきたから。

 

もっともっとを求める資本主義は、育てることを無駄だと感じ始め、即戦力を求めだして、今に至っている。

 

 

日本発のノーベル賞は減っていく……」 科学界に不安が広がる理由 2016/10/06

今年、ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典さん(東工大栄誉教授)の発言が注目されている。基礎研究についての発言だ。

「『役に立つ』ということが、とても社会をだめにしていると思っています。科学で役に立つって『数年後に起業できる』ことと同義語のように使われることが、とても問題だと思っています」

 

 

 

行き詰まった時には、反対方向に活路が開けることがある。

 

「役に立つ」という価値が行き詰まり始めてるとすれば、「役に立たない」が価値を持ち出しているかもしれない。

 

これからは、「役に立つ」ことの多くは、機械化され自動化され、大勢の人間が関与しなくても成り立つようになるだろう。

 

「役に立つ」という価値から「役に立たない」へのシフトは、究極のパラダイムシフトだ。

 

「役に立たない」代表がアートだ。

 

この場合は、拡大解釈しても良いだろう。

 

機械ではなく、人間にしかできないことに、そして、その人にしかできないということに価値が集約していくのではないだろうか。

 

難しいことが求められてるのではなく、一人一人が「自分にとってのコロンブスの卵」を定義し、つくることが求められるようになるのではないだろうか。

 

最大のハードルは、「役に立たない」けど売れなければいけない点、売れるの部分は、評価されるでも良いだろう。

 

このために、言葉で表現する能力が欠かせなくなる。

 

ビジネスとアートの共通点は、売れなければいけないことだが、アプローチは全く異なる。

 

これから評価を得ようとするスタート段階では、ビジネスは不特定多数を顧客として設定するが、アートでは客が想定できない、具体的に想定するような場合、その相手は途方もない目利きで、努力したくらいでは評価してもらえないだろう。

 

つまり、アートは客を想定しても意味がないということになる。

 

 

拠り所は、自分の外側ではなく、内側にあることになる。

 

 

メルカリが開くかもしれない新しい未来

故障が少なく、完成度の高さが高評価を得るが、そのかわり"好きで魅了する力"に欠けるのが、日本のモノづくりだった。

 

評価されるのは、コストパフォーマンスの高さ。

 

 

日本人気質とものづくり

外国人から見た、日本人の特徴がどんなものかを見ていくと、わかりやすいかもしれませんね。日本人のイメージは、礼儀正しい、親切、秩序だっている、冷静で感情的にならない、誠実で嘘をつかない、完璧主義、きれい好き。ステレオタイプですが、外国人が日本人を褒めるとすると、こんな感じですね。逆に貶めると、表面は礼儀正しく親切でも、腹の中は読めない、融通が利かない、日和見主義、といったところでしょうか。いい意味でも悪い意味でも、こうした日本人の特徴は、ものづくりに必要なものです。完璧主義の日本人は、独創的なアイデアを生み出しはしませんでしたが、実用化できずにいた技術を商業ベースにのせることに成功し、大きくて扱いづらい製品を小型化させ、代替技術を生み出して、ものの形を変化させてきました。

 

 

 

 

クレームが出ないことを第一に考えるから、日本ではメーカーがユーザーを啓蒙しない。

 

だから品質の高いものを作っても、文化が感じられないので、新しい物が出るとジャンク化する。

 

 

結果的にメードインジャパンが獲得したのは、「故障が少なく、長持ちする」という「クレームが少ない」というクオリティだけだった。

 

 

 

これは製造の現場に人間がいた時代には差別化として成り立っていたが、その後製造現場の機械化、自動化が進むと、日本と日本以外でクオリティに差がなくなっていった。

 

 

 

日本で生産される製品は優れているのに、生産性が低いと言われる日本。

 

それらしいキーワードで検索すると色んな考えが出て来る。

 

日本特有の背景が理由に挙げられたり、そもそも指標としてどうなんだ的な意見も出て来る。

 

「日本の生産性は先進国に比べて低い」という数字を疑って見る~1人あたりという罠~

物凄く単純に考えると、金持ちを増やせば、国における1人あたりの労働生産性は上昇するようです。金持ちが平均を押し上げてくれるからです。

 

こうした背景を無視した「日本は生産性が低い!」という議論に、私は違和感を抱かずにはいられません。それは散々忌み嫌われた地方の東京化ではないでしょうか?

 

 

日本では、国の運営も、企業(規模が大きいほど)の運営も、どちらもコンサル的皮算用化が進んでいるように見える。

 

日本の生産性の低さは、現場の非効率性にあるように捉えられてるが、実際は経営側の非効率性にあるのではないだろうか。

 

 

 

 

だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」 (4/5)

「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。

 

だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」 (5/5)

「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを刎(は)ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。

 

 

しかし、この話はしょせん昔の「資本家」VS「労働者」の図式で、どちらが悪いか合戦をしてるだけにしか見えなくて、おもしろくない。

 

 

そう思ってたら、これはおもしろいかもという動きを感じさせるものがあった。

 

新しい市場を創ったアプリとして有名になった「メルカリ」だが、伝え聞く話はあまり良いものではなかったが、良い傾向も生まれ始めていた。

 

 

62%の「好き」が、新しい経済と社会をつくる

そんなフリマアプリ。実際にどんな商品が売られているのか見てみると、出品者のほとんどは、自分が使わなくなった中古の物品を売りに出しています。もちろん「フリマ」なので、それは当たり前といえば当たり前。ですがそんな中にあって、自分が手作りしたアクセサリーなど、いわゆる「ハンドメイド品」を販売し、収益を上げている人たちの姿もちらほらと見受けられます。

 

f:id:chigau-mikata:20170605165227j:plain

 

得られる金額の多寡はありますが、小遣い・副収入の存在は個人の消費意欲にポジティブに作用するでしょう。そして何より、自分の「好き」がお金に変わった(=誰かにとっての価値として認められた)という実感は、生活者に気持ちのハリや充足感、活力をもたらしてくれるでしょう。

 

日本型資本主義が新たな活路を見出すためには、これまでにない流れが必要になる。

 

日本人の多くは、これまで「好きでもない仕事」をお金を得るためだけに続けてきたという歴史がある、少なくとも戦後は。

 

商品やサービスに興味があって好きで始めても、好きになれなくなるのが日本型資本主義ビジネスだった。

 

 

売るのも買うのも個人という市場がきちんと確立すれば、「好き」を価値の中心に置くことが出来る。

 

ルールや運営を巡っての混乱も発生するだろうが、多くのビジネスが詐欺化してることを考えたら、悪くはない、リテラシーを高めれば良いだけなのだから。

 

クレームがない事は良いことだが、クレームがないだけでは心を満足させることはできない。

 

満足は好きに宿るとするならば、クレームがないというだけでは価値がないということになる。

 

メルカリが定着させるかもしれない「売るのも買うのも個人」という市場は、日本の救世主になるかもしれない。

『パリ協定を離脱したトランプ大統領が一枚上手』

トランプ大統領がパリ協定離脱を表明した。

 

トランプはバカで地球温暖化を理解できてないという意見をよく聞くが、単純にそういうわけではないだろうと思う。

 

トランプ政権のキーマン的役割りを果たすであろう娘のイヴァンカやその夫のクシュナー氏はどちらもパリ協定残留派なのだから。

 

また、地球温暖化に限らず、これから起きる問題の多くは、国の枠を超えて地球規模で影響を与えることになることは、すべての人が薄々感じているはずだ。

 

だから、当然トランプ大統領もわかっている。

 

では、トランプ大統領は何を考えているのか?

 

そんな話を書いてみたい。

 

パリ協定離脱に関して多くのニュースが出てるが、はっきり書いているのは産経新聞系列だった。

 

パリ協定離脱 トランプ米大統領、中国を名指し批判 不公平性に強い不満 2017年6月2日

トランプ氏は声明で「中国は今後13年も望み通りのことをできるのに米国はできない」と主張した。

 

どうやら、パリ協定の趣旨に反発してるというよりは、世界最大の二酸化炭素排出量の中国が、途上国という位置づけ故に実質負担が軽くなってることへの不満のようだ。

 

この実質負担が軽いには二通りの解釈が成り立つ。

 

  • 負担額が少ない
  • 削減の実効性の曖昧さ

 

このどちらに不満なのか、両方なのかは報道ではよくわからない。

 

 

一方中国は、

 

EUと中国、気候変動対策で共同歩調 パリ協定離脱示唆の米政府を尻目に
BBC 2017年06月1日

気候変動対策に国際社会が合意したパリ協定からの離脱を米政府が検討していると言われるなか、中国や欧州連合(EU)の首脳はパリ協定の重要性を強調する共同声明を近く発表することが分かった。BBCが草案を確認した。ブリュッセルで2日に行われる首脳会談で、共同声明を発表する見通し。

 

この記事だけ見ると中国も温暖化対策に取り組む意欲があるように見える。

 

しかしEUと中国が連携を取ることに少し違和感もある。

 

イギリスのEU離脱などEU内部が不安定なことが、中国と結びついた理由に感じるのは勘ぐり過ぎだろうか。

 

 

地球温暖化は、中国が真剣に取り組まなければ意味はない。

 

そして中国は、温暖化以前に、化石燃料の使用に起因して大気汚染という深刻な問題を抱えている。

 

大気汚染を改善する方法は全て温暖化対策にもなることを考えると、中国も温暖化対策は必要だと認識してるだろう。

 

 

アメリカがパリ協定から離脱することは歓迎できない中国は、3月末にアメリカを牽制した。

 

米国は温暖化対策継続を…トランプ氏をけん制 毎日新聞2017年3月30日

「パリ協定」について「他国の政策に変化があっても、中国は責任ある発展途上国として目標や政策、行動を変えない」

 

 

ここに、中国の本音が見えている。

 

中国は、あくまでも発展途上国だから下駄が必要だと主張しているのだ。

 

この中国の主張に対して「アメリカファースト」という大義名分に絡めてトランプ大統領が反発しているのだろう。

 

今回のアメリカのパリ協定離脱がどう落とし所を見つけるかはまだ不明だが、1つはっきりしたことがある。

 

かっての京都議定書の頃の温暖化対策は、やりたくないものだったが、パリ協定になって、やらないと大変なことになる、避けられないという認識を新たにしたことだ。

 

深刻な大気汚染を抱える中国に、発展途上国という言い訳を許さないという揺さぶりをトランプ大統領が仕掛けているのだろう。

 

 

「時間の猶予がないのはお前の方だろ、中国よ」と。

 

 

こういう揺さぶりは、トランプ大統領しかできないだろうし、今という時代が彼を必要としてると改めて感じた。

活路を見出したければ、悪口を止めよう

多すぎる情報が混乱を招くと言われるが、情報には直接表現されてる内容と、それとは別に間接的に伝わるメッセージがあるので、結果的に現代人は膨大な情報に接することになる。

 

そんな間接的に伝わるメッセージは、メタメッセージと呼ばれてる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/メタメッセージ

メタメッセージ(: metamessage)とは、メッセージが伝えるべき本来の意味を超えて、別の意味を伝えるようになっていることを指す社会学用語

 

メタメッセージは、テレビの普及が招いた現象でもあるだろうが、最初は洗脳に利用されたと思われる。

 

国民を戦争に駆り立てたりする時には、どこかにメタメッセージが仕込まれてる。

 

メタメッセージの多くは、意図しないように意図され、伝わるものだ。

 

最近では、広告宣伝のテクニックとして仕掛けられてるものもあるだろうが、必ずしもうまくいくわけではないだろう。

 

 

今回は、普段意識しないメタメッセージについての話を書いてみたい。

 

 

テレビで繰り返される「大食い・早食い」の番組が伝えてることはなんだろうか?

 

直接的には、より多く食べるのは誰か、より早く食べるのは誰か、を競っているが、見ている人には何が伝わっているのだろうか?

 

大食い動画が流行る理由を心理カウンセラーに聞いてみた

「お腹がはちきれるまで、美味しいものを食べたいと一度は抱いたことがあると思いますが、実際には体力的、金銭的に限度があるものです。そのため、『大食い』というのは、夢の実現として優先順位はあまり高くはないと思います」(近藤先生)

 

 

無自覚のストレスを軽減させるために大食い動画を観て、スカッとした気持ちになる。実際、過食をすると「あんなに食べてしまった」という罪悪感が生まれ、それがストレスになるという悪循環に陥りやすい。大食い動画は、ストレスで過食をしてしまいやすい人にとっては、ヒーリング効果があるのかもしれない。

 

ダイエットに関心のある女性は、常に食欲を自制しながら生活している。思いっきり食べたい気持ちを満たしてくれるのが、大食い動画である。しかもスレンダーで、可愛く、食べ方も綺麗となれば、見ていて不快にもならず、憧れを抱きやすいのだろう。

 

大食い動画は、現代の一家団欒!?

「食事をしながら交渉をすると商談がまとまりやすいという『ランチョン・テクニック』と呼ばれる手法をご存知でしょうか? 人は食事中の方が相手に対して親密感や心地良さを抱きやすいと言われています。

 

 

 

上記のような事情を全部ひっくるめて、日本人の多くは「見ていて単純におもしろい」と捉えているが、中国人にはストレス解消のためと映ってるようだ。

 

「大食い王」を見てストレス解消する日本人―中国紙

社会評論家は「自分の欲望や行動を抑えるというのが日本人の国民性。公の場で暴飲暴食することはあまりない。しかし、大食い王たちの食べっぷりは、日本人の道徳観念に反するものの、それが逆に、視聴者にとっては現実のストレスを忘れさせてくれる」と分析している。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

 

 

 

「おもしろく、おかしく」を目指して作られた番組が「下品」だと評価される。

 

「女芸人は下品」視聴者のクレームに対する、いとうあさこと長嶋一茂の返しが秀逸

長嶋一茂さん(以下、長):僕が小学校の時に母親から当時「8時だヨ!全員集合」っていうのがあって、これは「絶対に見ちゃダメだ」っておふくろが言ってたの。

 

やっぱりね、今お客様(電話してきている視聴者)と同じような感覚で、「こんな下品な人達、絶対あなた達は見ちゃダメ!」ってね。絶対悪影響だからってね。

 

(悪影響に)なるんだけども、それをお母さんが言っていると「そういうもんなんだな」って子ども達は思って、面白いものを見るのと、品位・品格が備わっててちゃんとした教養を付けるっていうのは別の方向でちゃんと両立していくんですよ。お母さんが言うとね。

 

だから、僕が何が言いたいかっていうと、女の芸人の方達が言っていることとかっていうのは、今この笑いが少ない時代においては、とても大切なことだと思うので、あんまり品位・品格って言っちゃうと殺伐とした人生になっちゃいますよ。(一同拍手)

 

 

 

やってることは同じなのに、時間の経過が評価を180度変えることがある。

 

一定以上の年齢の方には嫌われ者としておなじみの出川哲朗さんは、若い女性に大人気。

 

有吉弘行が出川哲朗の女性人気に感慨「みんなから嫌われてたのに」 2017年5月12日

客席の女性からも「カワイイ!」の声が上がり、出川は「有吉、時代は変わったろ!?」と迫ると、有吉は「本当よ!『抱かれたくない男ナンバーワン』で、みんなから嫌われてたのに。今やもうこうなっちゃうんだから!」と、感慨深げに語ったのだ。

 

出川哲朗さんのどこが好感持たれてるのか?

 

出川哲朗は好き?嫌い?それとも可愛い?育ちの良さからMCに抜擢か!2017-05-23

「人の良さが出ている」

「おぼっちゃまで育ちがいい」

「人の悪口を言わない」

 

 

 

そんな出川哲朗さんだが、15年前はこういう扱いだった。

 

女性ファッション誌『an・an』が毎年行っていた読者アンケート『好きな男・嫌いな男ランキング』で、2001年から5年連続で『嫌いな男』1位を獲得して殿堂入りするなど“汚れキャラ”の代表格だった。

 

出川哲朗さんが嫌いな男の常連だった頃、松村邦洋さんとセットで扱われることが多かった。

 

《松村邦洋さんとの出会い》

折り目正しく、謙虚で、全てを善意に解釈し、決して人の悪口を言わない、そんな松村さんが私は大好きです。

 

 

 

現在好感度が高いこの二人には大きな共通点がある。

 

人の悪口を言わずに笑いが取れるのだ。

 

このことが、好感度の高さに大きく関係してるだろう。

 

逆に言うと悪口を言う人が多いということなのだろう。

 

悪口を言う人が陥る心理というのがある。

 

悪口を言わない人たちの10の共通点

悪口を言う人の心理

 

  • 面白い話として言っている
  • プライドが高く人の悪いところばかり見ている
  • 常にストレスが溜まっている
  • 何かしらの思惑がある

 

 

直接悪口を言う人は言うまでもなく、上記のような心理状態の人が発するメッセージには、結果的にメタメッセージとしてその心理状態が伝わるのだろう。

 

背景には、今という時代が従来のように、勉強したり、資格を取ったりすることでは活路が見いだせない時代に入っていることを示しているのかもしれない。

 

活路を見出したければ、まず悪口を言うことを止めることが良いかもしれない。

 

これは、私自身にも当てはまることだ。

人間にとって二足歩行は大事

よくテレビで見ていたのに、気付くと全く見なくなった人がいる。

 

芸能人だと「あの人は今」的な話題に取り上げられることも多い。

 

たまたま、こんな記事を見て少し驚いた。

 

財部誠一 脳梗塞からの帰還
リハビリに全力、不安が増幅していく病院の夜

 

 

テレビでよく見ていた、ジャーナリストの財部誠一さん。

 

f:id:chigau-mikata:20170531123649p:plain

2015年2月10日深夜、就寝前に歯を磨いていた私は、突然めまいを感じた。慌てて居間に戻り、ソファに座りこんだら、右腕がだらりとなって力が入らず、舌がもつれ、救急車で病院に運びこまれた。脳梗塞との闘いの始まりだった──。

 

その後も継続してリハビリに取り組み、私は社会復帰を果たしたが、その過程で脳梗塞という病気についての知見や経験も飛躍的に増えた。

 

 

入院中にこんな光景も目にした。

私と同世代の男性だったが、全身麻痺で話すこともできない。目の動きだけでかろうじて意思の疎通を図るという重度の麻痺で、私の胸は張り裂けた。当然の事ながらリハビリも寝たきりで行われていた。ところがある日、ストレッチャーに乗せられてリハビリルームに現れた。すると理学療法士が4人がかりで、彼の体を起こし、床に立たせたのだ。理学療法士たちは汗だくになりながら、時間にして30秒か1分か、決して長い時間ではなかったが、とにかく彼を自分の足で立たせたのだ。

 

それがどれほどの意味を持っているのか? 私はその中の1人の理学療法士に尋ねてみた。

「二足歩行が人間の特徴です。寝たきりの状況であっても、自分の足で立ち、足の裏から刺激を入れることがとても重要なんです」

 

普段の生活で、人間と接することが多いと案外人間の特徴に気付かないし、場合によっては誤った捉え方をすることも多いかもしれない。

 

以前ブログで人間の特徴をテーマに書いたことがあり、二足歩行がその大きな特徴になることはわかっていたつもりだが改めて感じたことを書いてみたい。

 

 

人が直面する課題は3種類、答えは必ず見つかる!

生物学的に、人間を人間たらしめてるのは「大脳の増大進化」らしい。

 

 

人間にとって大きな要素は3つと言えそうだ

 

  1. 二足歩行
  2. コミュニケーション(文化を含む)
  3. 道具

 

 

 

上記ブログを書いてる時点では気付いてなかったが、それぞれの要素はつながっているということに改めて気付いた。

 

二足歩行は、四足歩行より劣るかもしれない替わりに、脳が発達し、脳が発達することで手を器用に使え道具を作ったり、使ったりできるようになったし、言葉を使いコミュニケーションを高めることができた。

 

時代の進歩や変化は、コミュニケーションや道具を大きく変えるだろうし、現在は変化の途中の真っ只中だろう。

 

だから、人間の有り様も変化してきている。

 

変化するものを拠り所にするのは不安定に繋がる。

 

現代人は、人間は二足歩行の生き物であることを再認識するほうが良いかもしれない。

 

長生きが最大のリスクであり、且つ100歳まで誰でも生きる時代が来ると言われる今、大切にすべきはお金よりも二足歩行の能力の維持かもしれない。

憲法改正は、日本初の革命になるかもしれない

松本人志を批判した中田敦彦に反響 吉本の社長らが「謝れ!」

ことの発端は、脳科学者の茂木健一郎氏の発言にある。茂木氏はかねてより、日本のお笑いについて「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」「日本のお笑いは空気を読み過ぎなんじゃないか。大御所が面白いと言うか面白くないと言うかで価値が決まる」と持論を展開していた。

 

より詳しく書いてあるのが下記。

 

オリラジ中田が松本人志を「暗に批判」 「吉本が全社をあげて大騒ぎ」

「あの松本人志さんを批判する吉本の若手っていなかったじゃない」とした上で、騒動の発端となった茂木さんの主張にも言及。茂木さんの「日本の芸人オワコン」論の中には、「固定化された力関係を見せられてもつまらないっていう部分もあったと思う」

 

 

 

この話を聞いて頭に浮かんだのは、”自由化”、”規制緩和”だった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/自由化

自由化という概念や過程はしばしば規制緩和と同様の意味で用いられる事がある

 

 

規制緩和(きせいかんわ、deregulation)は、経済学公共政策などの文脈で、ある産業や事業に対する政府の規制を縮小することを指す。市場主導型の産業のあり方が望ましいと考えられる際にとられる基本的な政策手段のひとつで、市場競争を促進し経済活性化を果たすために採用されるが、導入による弊害の解決のため、セーフティーネットなどの構築が必要とされている。

 

最も自由であるように思えるお笑いの世界が、空気を読まなければいけない閉鎖社会で、常に序列を意識させられてるというのが、日本という国のトホホ感は本物だなと思える。

 

ダウンタウンの目指す「笑い」

かつて、やすきよ絶頂期の頃のマネージャーを勤め、一時期は吉本興業の取締役にも就いていた木村政雄は、ダウンタウンの芸についてこう語っている。

 

 

「例えば、オール阪神・巨人やら多くの漫才師は『上方お笑い大賞』をとるのが最高の芸人と考え、

それをとるために漫才の稽古を積んで、それだけを目標として地道に努力している。

しかし、ダウンタウンはそんなものは別に欲しくない。

そんなものよりも、もっと自分達がやりたいことをやって客を笑わせたい。という考えでやっている。」

 

 

 

ここで語られてるのと全く同じ話を木村政雄さんの公演で聞いたことがある。

 

お笑い界に新しい価値を切り開いたコンビとしてダウンタウンを最大限に評価していた。

 

話を聞いたのは2000年前後の頃だった気がする。

 

革命を起こしたように見えたダウンタウンは、結局お笑い界のしきたりに則ってるだけで、革命はおろかお笑いの自由化や規制緩和もできずにいたということだろうか。

 

 

 

革命はwikipediaでは下記のように説明されてる。

革命(かくめい、英語Revolution、レボリューション)とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われること。対義語は保守改良反革命など。

また漢語の「革命」の語源は、天命が改まるとの意味で、王朝交代に使用された。

 

 

多くの人が指摘するように、革命とは、「権力の移動」を伴う大きな変化が起きることを意味する。

 

革命前の弱者が、革命後権力を手にし、強者となる。

 

最も新しい革命は、「IT革命」と言われたものだと思うし、これから「AI革命」などが起こるのだろう。

 

 

ところで、歴史上日本で起こった革命にはどんなものがあるのだろうか?

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の革命

山本七平は著書「日本的革命の哲学」で、よく「日本には革命はなかった」と言われるが、呼称ではなく行った内容が問題、と記した。

 

日本における革命として挙げられてるのは次の5つ。

 

大化の改新

 

承久の乱

 

明治維新

 

昭和維新

 

第二次世界大戦の敗戦

 

 

ピンとくるのは、明治維新と第2次世界大戦の敗戦だ。

 

他は全くピンとこない。

 

明治維新にピンとくるのは、明らかにそれ以降建築物が変わった気がするからだが、権力の移動という意味では??となる。

 

 

第2次世界大戦の敗戦は、日本における初めての革命かもしれない。

 

しかし、国内で自発的に起きた革命ではなく、敗戦で占領されたことを革命と呼んでるだけだ。

 

だから、日本人のDNAには革命はインプットされてないはずだ。

 

革命と無縁で生きてきた日本には、下克上という文化がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/下克上

下剋上 / 下克上 (げこくじょう)とは、日本史において下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して身分秩序(上下関係)を侵す行為をさす。

 

下克上も、実際には権力の移動が起きてるのだが、立場が入れ替わるだけで仕組みやシステムは従来を踏襲すると言う意味では、一貫して保守的であり続けた。

 

こういう歴史も日本人のメンタリティの形成に一役買っているのだろう。

 

脳科学的に見た日本人のメンタリティ。

脳内には「セロトニン」という神経伝達物質がある。十分な量があると安心感を覚え、前向きな気持ちになったり、やる気が出たりするので「幸せホルモン」などと呼ばれることもある。

 

セロトニンの分泌量を左右するのがセロトニントランスポーター。セロトニントランスポーターの遺伝子タイプはSS型/SL型/LL型の3種類あり、脳科学的には、LL遺伝子を持つ人の方が楽観的、SS遺伝子を持つ人は悲観的となりやすいという。

 

米国では3人に1人いる楽観的な傾向を持つ人が、日本では20人に1人しかいない。逆に、日本人の半分以上が、モノゴトに悲観的な傾向を持つ人であるとも言えるわけだ。

 

 

 

今日本で起きてる政治を取り巻く世界で起きてることの背後にいつも出てくるのが「日本会議」。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本会議

日本会議(にっぽんかいぎ、英称:Japan Conference)は、1997年に設立された、日本の民間団体である[1]。2016年現在、会員は約3万8,000名、47都道府県全てに本部があり、また241の市町村支部がある[2]。会長は、田久保忠衛(2016年7月現在)。

日本会議国会議員懇談会、日本会議地方議員連盟および日本女性の会[3]は、日本会議の関連団体。

 

 

“美しい日本の再建と誇りある国づくり”を掲げ、政策提言と国民運動を行うとしている。

 

 

 

 

 

あまり価値を感じてないものにすごく価値があるということが後からわかることはよくある話。

 

第2次世界大戦の敗戦を根に持ってるのが日本会議およびその構成メンバーなのだろう。

 

彼らは、憲法改正という革命を起こし第2次世界大戦の敗戦前に日本を戻そうとしているように見える。

 

現在の日本が持ってる良さは、失って初めて気付くかもしれない。

 

 

 

個人的には少しワクワクしながら傍観してるのが、最近の安倍総理を巡る数々の問題がどう決着がつくかだ。

 

好戦的な民族の処世術には、望むならば闘って勝ち取れという教えが息づく。

 

革命が起きたことがない日本で安倍総理が好戦的なアプローチを取っている。

 

それに対して、ネガティブな情報が出てくるということの繰り返しが起きている。

 

今のところ安倍総理側が弱くなってる印象はない。

 

 

 

好きで、たびたび引用するロシアのことわざ。

 

起こることは避けられないこと。
Чему быть, того не миновать.

起こるべきことは起こる。必然的にそうなるようなことは、どうやっても回避不可能。

https://ja.wikiquote.org/wiki/ロシアの諺

 

 

革命の当事者になったことがない日本人にとって、これから未知のことが起こるのか、それとも起きないのかを考えると、怖いけどワクワクする。

 

これから起きることは次の2つのうちどちらかだ。

 

どちらになっても歴史の1ページに直面することになる。

 

 

 

憲法改正はどういう経緯で阻まれるのだろうか?

 

憲法が改正された時、何が起こるのだろうか?