初対面にはカジュアルな場とフォーマルな場がある。
初対面の場では自己紹介や簡単な質疑応答が付きもの。
カジュアルな場でもフォーマルな場でも共通して使える問いに『趣味は何ですか?』があるが、この質問は今やフォーマル化している。
万能過ぎるがゆえに真意を伝えきれない。
カジュアルな場では、『推しは何(誰)ですか?』の方が一般的になりつつあるようだ、年齢等の壁や境界はあるだろうが。
よくよく考えると、『推し』に相当する名詞化された表現は長らく無かったような気がする。
『趣味』では表現しきれないニュアンスが『推し』には感じられる。
わたしは〇〇のファンです、わたしの趣味は△△です、のように文で表現していたはず。
ごく一部では名詞化した表現としてオタクや撮り鉄のようなものがあり、わたしはオタクです、趣味はオタクです、わたしは撮り鉄です、趣味は撮り鉄です、と言えばほぼ間違いなく伝わるというものは以前からあったが。
今やすべてを引っくるめて応援してる人や趣味や好きなものは『推し』で代替可能になっている。
違和感がつきまとうとすれば語感や響きに対してだろう。
ところで、『推し』という概念が生まれたことによる最大のメリットとして、これまで何となく存在していた推される側にならないといけないという呪縛からの解放があるように感じられる。
『推し』が一般名詞化したことでファンとの関係性が対等になったように。
それまで推し的存在にあったヒエラルキーの上位という概念が薄らぎ、推しの側も意識が変化したのではないかと感じられる。
その変化を受け入れられないとアイドルであっても推しにはなれず、活路は風俗や反社になるのかもしれない。
推しが一般名詞化したことで、ヒエラルキーの下位に位置していても何のコンプレックスも無ければ、むしろその方が充実してるとさえ思えるようになったのかもしれない。
推しは、自分がその気さえなれれば何にだって当てはまり、そのことで心が安定するのだ。
推しは独り占めするものでもなければ奪われたりもしないから。
あなたの推しは何ですか?