違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

サバイバル能力があったほうが良いかも

サバイバルが流行っているように感じる。

 

流行ってるとまでは言えなくても、意識する人が増えているような気がする。

 

地震や大災害を目の当たりにすると、公共のインフラが機能しない時にどう乗り切るかと考えるとサバイバル能力が必要だなと感じる。

 

しかし、実際にはそれに向けて行動したりはしない、時々思い出しては忘れの繰り返しばかりを繰り返してる。

 

直接のサバイバル能力とは、

 

  1. 正しい知識
  2. 必要な道具を作れる
  3. 体力と行動力
  4. 運(必要な場所や材料を見つけられると言う意味で)

 

などが思い浮かぶ。

 

こういう一連の能力を身につければ、何があっても生きていけるだろうなと思えるだろうから、日常の不安の多くが解消するような気がするなと感じながら思いついたことを書いてみたい。

 

サバイバル能力が究極に高まると、一人で生きることが可能になる。

 

そう考えて、改めて気付いたのが、我々が生きていく上で大前提の考えが『人は一人では生きられない』ということにだ。

 

一人ではできることが限られてるから他の人と協力しなければいけない。

 

大昔だったら、この協力は明確な役割分担の上に成立し、誰が何の役に立ってるかがはっきり見えていただろう。

 

一人では困難なサバイバルを、集団で行っているという意識があったかもしれない。

 

良い悪いは別にして、「ムラ社会」なんていうのはそういうサバイバルの中から生まれた集団の知恵だったかもしれない。

 

 

そして時が流れ、我々が仕事と称してやっていることは”誰のために”、”何のために”を考えるとすごく曖昧なものになっているような気がする。

 

誰のためには、お金を払う人のためにとなり、何のためには、お金を手に入れるためになっている。

 

歴史を遡ると、お金という仕組みができたからお金至上主義になったわけではない。

 

お金の世界に”金利”という概念が導入され、お金は増殖するものだと認識されてからだ。

 

その時期は、聖書の時代に遡り、金利や利息は悪徳であるとされたから、宗教的な、哲学的な課題となるが、貨幣経済の浸透が徐々になし崩しにしていった。

 

英語で金利は”interestで、一般的には「興味、関心」を意味するのが面白い。

 

金利を享受するのが一部の人の時代には、集団の秩序が最優先され、群れのルールに従ってサバイバルしていたが、この流れは長期間続き、現代社会の主要なインフラの基礎となるものは、集団の秩序を最優先したから作れたと言えるだろう。

 

そして、現代に至ると金利だけでなく、個人の「興味、関心」の追求が盛んになると、集団の秩序は形だけになり、実際には法律が秩序を支えるようになるが、実行部隊は警察、検察、裁判となり、集団としての一体感や連帯感は感じられなくなる。

 

多くの人にとってサバイバルは、国や自治体など役所がやることで、実行部隊は警察、消防、自衛隊だと思っているかもしれない。

 

岡本信人さんという野草取りの名人で有名になった俳優がいる。

 

バラエティ番組で見た人も多いだろうし、彼が野草を取って食べる姿は笑いを誘うが、私はその食べれる野草と調理法に対する知識にサバイバルを感じ、自分を含め現代人に欠けてる能力だと理解させられた。

 

同じくバラエティ番組の「0円生活」も笑い話としてテレビで見てるが、立派なサバイバルだ。

 

サバイバルではないが、自らの手で行うという意味で感心するのが「鉄腕ダッシュ」。

 

持続可能性(sustainability)という言葉が、地球環境を守るという意味で、地球にも限界があるという意味で用いられている。

 

昨日の衆議院選挙の結果を見ていて、小さな単位での生活(家族や個人や仲間など)を守るための保険として、サバイバル能力を高め、最小限の装備で自給自足できる知識と能力を高めたほうが良いかもしれないと感じた。

始まりは『重厚長大』で徐々に『軽薄短小』になりながら『高付加価値』を求めていく

「重厚長大」ということばが生まれたのは、石油危機に起因する高度経済成長の終焉期である。

 

その後、「重厚長大」という方向性が2つに分かれ、新たに生まれた方向性が「軽薄短小」と「高付加価値」だ。

 

一般的に捉える場合、IT産業はこの流れに含まれない。

 

以上のようなことが、Wikipediaに書いてある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/重厚長大

 

 

産業における重厚長大とは、エネルギーであり素材であり、それらを活用し組み合わせて”ものづくり”が産まれ、社会の基盤を為す広い意味でのインフラの整備に役立ってきた。

 

これらは、試行錯誤を繰り返し、より良いものを目指すが、誰かのための仕組みではなく全体最適を目指すものというのが特徴となる。

 

この重厚長大を支える技術や仕組みを、社会全体からもっと小さい単位にも活かせるように目指す時パラダイムシフトが起こり、個人の充実を目指すという価値観が生まれる。

 

社会インフラを支えることが「仕事」と呼ばれることに対し、個人の充実を図ることは「勉強・趣味」と呼ばれる。

 

「重厚長大」の後に産まれた「軽薄短小」や「高付加価値」は、個人の充実を図る動きを普及拡大させることに欠かせない道具や機材の発達につながった。

 

個人の充実を図るために欠かせないのが、コンテンツと呼ばれる著作物だが、それらは専門家やその道のプロと言われる人のみが作ることを許されていた。

 

 

少しダラダラになったが、ITが出てくるまでは、社会インフラを支えるものは「重厚長大」になり、個人レベルに普及すると「軽薄短小」になり、そこからプラスアルファで「高付加価値」が求められるようになったと言える。

 

 

IT化が顕著になったのは、Windows95以降で、更にインターネットが普及した後と捉えるならば21世紀の初頭になる、このネットの普及期までは通信事業は設備投資も多く、またPCを製造するメーカーや関連機器メーカーも「重厚長大」化していた。

 

この普及期を過ぎたITの世界は、スマホの登場で決定的に各種デバイスのモジュール化が進み「軽薄短小」化が加速し出した。

 

そしてスマホの普及が豊富なアプリの出現を促し、SNSという新しいコミュニケーションを産み出したことで、従来はコンテンツを発することは専門家やプロに独占的に許されていたのだが、名も無き個人が低コストで情報を自由に発する場を得ることになった。

 

アプリが産み出したコミュニケーションは多様化し、(人材の)多様性を意味する「ダイバーシティ(diversity)」は流行り言葉になった。

 

従来の専門家やプロが産み出すコンテンツは「重厚長大」なものだったが、名もなき個人が発する情報は「軽薄短小」化し、現在では専門家やプロが発する情報も「軽薄短小」化している。

 

では、「高付加価値」はどこへ行ったのだろうか?

 

専門家やプロだけでなく、名も無き人々まで大量のコンテンツを産み出すようになると玉石混淆となり、かつ情報としての賞味期限が短くなるので、コンテンツは次々と産まれては消え(流れ)て行くので、リアルタイムでの評価は人気の有無になる。

 

しかし、情報はデータ化するので長期間(半永久的)保存され、検索可能になるので、遡って検証可能となる、これが「嘘がつけない」あるいは「なんでも探せば出て来る」となり、付加価値と言えるかもしれない。

 

情報がデータ化し、「重厚長大」から「軽薄短小」になると、小さな狭い世界を表現するか、想像に委ねる要素が増えるか、になる。

 

 

想像に委ねられたことは、考える対象にはなるが、答えにはならないので、むしろ感情を刺激する風情と情緒が色濃くなる。

 

「重厚長大」が求められる場合は「正しい」ということが重要だが、「軽薄短小」にシフトすると「共感や同意」が大切になる。

 

 

ITの世界はプログラムや通信システムに目を向けるならば、厳密で解釈が1つしか成立しない世界だが、そこで産み出されるコンテンツは多様性が売りになる。

 

 

 

ITの世界は、現在「軽薄短小」でありながら「高付加価値」を求める段階にあるが、この状態はあとどのくらい続くだろうか?

 

AI(人工知能)や自動運転など次世代の「重厚長大」が始まり出している。

 

「重厚長大」の段階は、資本力と規模が問われるが、普及が進みだすと「軽薄短小」の段階が見えてくるだろう。

 

イノベーションがもたらすパラダイムシフトも、それらが産み出すコンテンツも賞味期限を縮めながら一定のサイクルで、初期段階では「重厚長大」に展開し、そこから徐々に「軽薄短小」化が始まり、「軽薄短小」でありながらも「高付加価値」を求めてシフトしていくだろう。

業界の常識は世間の非常識

ホリエモンの下記のツイートが炎上した。

 

 

 

この炎上に対して、1週間後ホリエモンが真意を自身のサイトで説明したのが下記だが、文章を見ると本人ではなくスタッフ(?)が書いてるようだ。

 

ホリエモン、“保育士ツイート”の真意「大変だから給料が高くあるべきってのは間違い」

保育士に限らず、誰でもできる仕事で大変な仕事はたくさんあるだろう。

そしてそういった仕事は、保育士に代表されるように、今後給料は高くならないことが予想される。

この切実な状況に、感情論ではなく、現実的な対処法や考え方をホリエモンは提案している。

 

 

 

言ってることに間違いは無いが、人の感情を逆なでするのがホリエモンの特徴であることが伺える。

 

ホリエモンの話には頷けることも多いが、反発したくなることも多い。

 

頷ける時は、内容に同意してる時であったり、そんな考えもあるのかと感心したりが背景にあることを自覚できるが、反発したくなる時は意見が正反対というよりも、同意に近いがそれは嫌な考え方だと思ってる場合に感じる気がする。

 

よく人は自分と考え方が似てる人に好感を持ち、自分と考え方が違う人に敵意を持つと言うが、嫌な部分が似てると強い嫌悪感を持ち反発したくなるということもありそうだ。

 

 

ところで、誰でもできそうと言えば引っ越し業界だが、そもそも引っ越し需要とはどのくらいあるのだろうかと思って調べると、多くの場合総務省統計局が発表する住民基本台帳人口移動報告を参考にするようだ。

 

この資料の中に昭和29年以降の長期時系列表というExcelがあり下記からダウンロードできる。

 

住民基本台帳人口移動報告 長期時系列表(昭和29年~)

 

このデータを使って引っ越し業界を考察するサイトがあるので引用すると、

 

【SPEEDA総研】引越業界の現状と課題をみる 2016/10/8

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最近の引っ越し需要を支えるのは単身需要であることが伺えるデータが下の表。

 

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上記サイトには、引っ越し業界を他に料金の点で捉えたりという分析もあるが、宅配事業と構図は似ていて、1番のネックは作業者の確保であり、その人件費だ。

 

だからだろうかブラック話題に事欠かないが、そのブラックぶりに新しい話題が加わった。

 

ブラック情報が表に出る時は、とんでもない事として世に伝えられるが、それらの話は世の中にはこんな世界があるんだという新鮮な驚きももたらす。

 

 

 

一方、引っ越し業界のブラック話題をリードしていたアリさんマークの最近の話題が下記。

 

「ガイアの夜明け」再びブラック企業特集が話題に 「アリさんマークの引越社」が出した和解案は「自転車で営業職しろ」 キャリネコニュース 2017.7.26

「ガイアの夜明け」(テレビ東京)が7月25日、再びブラック企業問題を放送しネットで話題になっている。長時間労働などで今やブラック企業として名高い「アリさんマークの引越社」。現役社員が同社を訴訟を起こした様子を追った2016年2月の放送は大きな反響を呼んだ。

 

 

 

 

 

保育士の話から引っ越し業界を連想したが、両者の共通点として、外野から見ると誰でも出来る仕事と見られる割には気遣いが凄く要求されるし、体力も問われる点があり、また利用者として全く接点のない人も大勢いるので、身近には感じるが全く知らない世界という人も多いという点が挙げられる。

 

情報が多い現在では、全く知らないのに知らないという自覚を持ってない世界がいっぱいありそうだ。

 

炎上したり、ブラック化したりは、当事者の間で通用する『正論』が極端化したものではないだろうか。

 

狭い世界で通用する「正論」は、「業界の常識」と呼ばれる。

 

 

 

だからこの言葉とセットで「業界の常識は世間の非常識」という言葉が生まれた。

 

 

業界の常識に振り回されないようにするために、自分の常識と世間の常識を合わせた方が良い。

最初に覚えたこと

アシェットの戦艦大和のダイキャストモデルのTVCMを見ていると、「充実したギミック」というナレーションが入る、このナレーションに違和感があった。

 

戦艦大和ダイキャストモデルのリンク先はここ

 

私が最初にギミックということばを知ったのは20年位前だろうか、レプリカ(複製)をギミックと称する文に遭遇したことがキッカケで、別に辞書を引くわけでもなく、文脈の流れから「ギミック=偽物」と覚えてしまったので、商品のCMでわざわざ偽物アピールする必要ないではないかと感じた違和感だった。

 

その後、ギミックと使われる文を解釈する時に「偽物」と当てはめても大きな不都合を感じることが無かったのでそのままにしていたが、改めて調べてみると。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ギミック

ギミック(gimmick)は、英語で仕掛け、策略を意味する。

 

特定分野の用語

模型、玩具などの仕掛け、自動車ならドアや窓の開閉、ハンドル操作など。

マーチングバンドにおいて、曲調やキメを表現するための動作。

ギミック - プロレスラーの触れ込みのこと。設定された履歴や出身などのこと。

ギミック - SFXなどで用いられる撮影技術。

 

 

日本語に訳しづらい言葉のようで、ニュアンスとして「人目を引く仕掛け」という感じを持っているようだ。

 

偽物と言えば偽物だが、ニュアンスは全く違う。

 

 

間違えて覚えたと言えば、こんな思い出がある。

 

幼稚園の頃、私は果物のバナナのことを「バラナ」と覚えたのだ。

 

母親の発音がそう聞こえたからだ。

 

その後、その間違いを指摘されないまま小学校に入り、バナナを目の前にして友達とバナナかバラナかと喧嘩になったことがあり、圧倒的多数決で私が負けたのだが、納得できず家に帰って母にバラナが正しいよねと同意を求めたら、「バナナよ」と言われ、すごく突き放されたようで、傷ついた思い出がある。

 

バナナが正しいことはわかったが、その後しばらくバナナと発音することに生理的な違和感を感じ続けていた。

 

 

ギミックにやバナナの話は、最初に間違えて覚えてしまうと、正しいことに違和感を感じるという例として上げてみた。

 

 

最近、日本企業の不正や不祥事が続々と表に出て来る。

 

直近のお騒がせ企業は神戸製鋼だが、不正は40年前からやってるという社員や元社員からの証言が出ている。

 

神戸製鋼「不正40年以上前から」証言で注目すべきソ連との関係

覚えている方も多いと思うが、神戸製鋼がソ連の研究者や技術者と親交を深めていた80年代、当のソ連ではさまざまな分野での「粉飾」が横行していた。

 

なぜこうなってしまうのかというと、「計画経済」が骨の髄までしみついている弊害で、「自社の利益を得る」という「目標達成」だけしか見えなくなってしまい、自由主義経済の基本ともう言うべき「顧客」や「社会からの信頼」なんてところにまで考えが及ばないのである。

 

最初にこのようなやり方にシフトし始めた時、当時の社員は違和感ばかり感じながらやっていただろうが、その後新入社員で入ってくる人は、最初に覚えるのがその間違ったやり方で、それが40年間続いたら、誰も違和感を感じてないだろうし、自浄能力も発揮しようがないだろう。

 

似たようなことが日本のあちこちで起きているのだろう。

 

 

 

かつて日本のものづくりが手作業中心に行われてる時、作り手は職人と言われ、新人職人はベテランを横目に見ながら技を盗むことで成長していた、決して教えてもらえなかったし、教えようにもベテランも自分が何故出来るのかわかってなかったかもしれない。

 

新人は形だけ真似るが、容赦なくダメ出しをされ続ける、そこには効率の良さなどない。

 

客の要望を受け、客のために作っているのだが、ベテラン職人はきっと自分のために作業をしていただろう。

 

だから妥協しない代わりに素晴らしい品質が保てた。

 

時が流れ、新人が中堅になる頃には、新人時代どこにダメ出しをされてたがわかるようになっているだろう、わかるというより感じるものかもしれない。

 

 

今の時代のキーワードの1つにコストパフォーマンスというのがあるが、その特徴は、不特定多数の人に向け、そこそこの品質とリーズナブルな価格を実現する汎用性にある。

 

こうしてものづくりは誰のために作ってるかわからないものばかりが作られるようになってしまった。

 

ものはいっぱいあるのに、ほんのチョットこだわりを見せるとどれもこれも「違うだろう〜」となる。

 

だからだろうか、DIYが流行ってるし、女性も多く取り組んでいるようだ。

 

 

ところで大事なことは、覚えていることややっていることが間違っているということがわかった時の対処だ。

 

今年9月に世界は一気にEV(電気自動車)に舵を切る動きが出たが、どうやら丁度2年前に発覚して騒ぎになったVW(独フォルクスワーゲン)の排ガス不正事件が引き金らしい。

 

「ディーゼル神話」崩壊、ドイツがEVへ急転換 トヨタはハイブリッド車が欧州で絶好調 2017年08月07日

従来、試験値と実走行値の乖離は専門家であれば把握していた。だがドイツでは、自国の産業を保護したいロビイストや政治家が多く、見過ごされてきた。「欧州勢は法の網の目をかいくぐって、ディーゼル車を売ってきた」(日系メーカーの技術者)との批判は多い。ただ欧州委員会は、VWの不正発覚を境に態度を硬化。大気中のNOX量削減を各国に要請し、ドイツには、自国産業への甘さについても警告した。

 

 

 

まだ通用するものに見切りを付けることは、イノベーションや新しい価値観を見出すためには必要だが、慣れ親しんだものを手放すにはキッカケが必要だ。

 

多くの場合、キッカケは躓きや失敗だが、”最初に間違って覚えたこと”が原因のことがある。

 

躓いたり失敗した時に、何もしないでほとぼりが冷めるのを待つことに慣れると、イザという時に動けなくなる。

 

そんな時は、DIYで手作りしたり、運動をすると、違った世界が見えることがある。

 

現代社会で生きてると、ビジネスの分野では自社のことしか考えないが、プライベートでは思った以上に自分自身をないがしろにしてるかもしれない。

 

『人には添うて見よ馬には乗って見よ』

「良い悪い」のどちらを選択するかと問われれば、「良い」を選びたいのは当然なので、ビジネスの場では良いと判断してもらえるように理詰めに展開されるが、実際の現場では、「良い良い」あるいは「悪い悪い」の中から選択を迫られるケースが実は多い。

 

中身は同じだが、ほんのちょっと見え方が違うだけで評価がぜんぜん変わる場合がある。

 

男女の理想がどれだけ違うか一瞬でわかる比較画像
石原さとみさんに、本田翼さん、有村架純さんなど…。男性誌と女性誌でこんなに違っていました。 2017/10/15

みんな大好き石原さとみさん。こちらは女性誌「mina」と男性誌「smart」の表紙です。どちらもかわいいですが、なんだか雰囲気が違いません?「smart」に出てくる石原さとみさんは、チークもほとんどしてないし、ふわふわ感が全体的に消えている。男性誌と女性誌でこんな変化があるとはビックリです。

 

どちらが好きかと同性や異性の好みを問われたら、ほとんどの人が自分の独断と偏見で選ぶだろう。

 

しかし、どちらと付き合うかという選択を迫られたら、いろいろな煩悩が湧いて、自分以外の誰かに意見を求めるかもしれない。

 

 

中身が同じではないが判断材料が多いという意味では、株に投資するなんて言うのも似てるかもしれない。

 

この場合、選択してるのは2つだ。

 

  • どの銘柄を選ぶか

 

  • 売り買いのタイミングをいつにするか

 

この場合も、誰と付き合うかの場合と似ていて、儲けたいという極めてパーソナルな欲望を満たすのに、他人にアドバイスを求めたりする。

 

しかしこの場合、「本当に儲かる銘柄と売り買いのタイミングが分かるならば他人に教えるわけがない」し「そもそも分かるのか?」という禅問答が頭のなかでは繰り返されるだろう。

 

だから投資の世界には、自己責任という考えがある。

 

「投資は自己責任」はプロの責任放棄
金融発「顧客本位」の波は不動産に届くか

金融各社は今、それぞれ「フィデューシャリー・デューティー宣言」を打ち出し、実態もそれに合わせて変えていこうとしている。それは、素人に対して「情報格差」を利用して儲けることはしないという決意の表れでもある。不動産業界にもその波が及んで初めて、日本の資産運用ビジネスが健全化したといえそうだ。

 

投資という勝負事の世界でもイコールコンディションが求められてるようだが、本来イコールコンディションが大前提のスポーツの世界ですら、ルールや用具、トレーニング方法や食事を巡って水面下で”より有利”を得ようと色々な動きが続いている。

 

 

ビジネスの世界の3大モチベーションは、「収入」、「地位」、「周囲の賞賛や感謝」の要素だと言われてる。

 

昔は、成功や出世は、この3つを同時に得るものだったが、今はこれらの3つは両立するほうが少ないかもしれない。

 

収入と地位は、比較的結びつきやすいが、周囲の賞賛や感謝には結びつかないことが多いような気がする。

 

東日本大震災が発生するまでは、収入と地位にこだわることを選択することが多かったような気がするが、最近は、周囲の賞賛や感謝を得ることが、収入や地位より関心の上位に位置するようになっていて、生き方の選択も変化してるように感じる。

 

 

選択肢があることは素晴らしいというのは、封建的な”従うことを強制する”考えが反対側にあるからだろう。

 

選択肢があり、その中から好きなものを選べることを自由と呼ぶが、この自由が時々パンドラの箱に最後まで残っていた罪悪である「希望」と似てるような気がすることがある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/パンドーラー

パンドラの箱の物語は多分に寓意的である。特に箱に残ったエルピスをどう解釈するかで物語の理解が分かれる。古典ギリシャ語のエルピスは、「予兆」とも「期待」とも「希望」とも訳され得る。ちなみに、英語圏ではエルピスは「Hope」(希望)と呼ばれている。

 

子供の頃に思い描く自由は、何をしても許されることだと思っていたが、大人になってわかったのは、選ぶのは自分であるというのが自由を意味し、これは他人が選んだことに従うという封建的なものの反対に位置する。

 

自由に選択して始めたことは、自由に終わらせることができる。

 

生き方や仕事や遊び、そして人間関係も自由だ。

 

このことが悪いことではないのはよく判った上で、自由になった結果、”長続きしない”文化を作り上げたような気がする。

 

"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

 

・子どもには、きれいごとではなく、人間関係の現実を教えるべきだ。

・小中学校の交友関係など、長い人生においては大して重要ではない。いじめてきた相手は容赦なく反撃してもいいし、学校から逃げてもいい。

・居場所はいまいる場所以外にいくらでも見つかるし、本当に大切な人だけ大切にすれば、きっと幸せになれる

 

 

 

結婚が恋愛結婚が当たり前になったら離婚が増えたように。

 

離婚することや友達関係が続かないことが悪いと言いたいわけではなく、そういう選択を簡単にできるようになっている、ということが言いたいこと。

 

今日こんなことを書いてみようと思ったのは、NHKの朝ドラ「わろてんか」でこんなシーンがあったから。

 

主人公てん(葵わかな)の母(鈴木保奈美)が父(遠藤憲一)の第一印象が良くなかったのに、どうして結婚したのかということを答えるシーンで、祖母(竹下景子)から「人には沿うてみよ」と言われたからと答え、「その言葉に従って良かった」と答える。

 

自由に人間関係を選択できるようになると、小池都知事のように「排除します」と人間関係を整理したり、されたりする。

 

小池百合子をリセットした「排除」発言 引き出したジャーナリストが語る真相

小池氏自身も10月13日に出演したテレビ番組で「きつい言葉だった」と悔やんでいる。

 

横田氏がこう振り返る。

「小池氏には、会見場は自分のフィールドだという油断があったのかもしれませんね。結果的に小池氏のホンネが早い段階でハッキリしたことで、枝野幸男氏らの立憲民主党の結党が公示前に間に合ったのは良かったのかもしれません」

 

 

この発言の後、小池都知事が率いる「希望の党」は一気に支持を失いだした。

 

 

私自身にも思い当たることが多いので、自戒の念を込めて書いてみた。

 

 

 

選択肢に加えたいのは、

 

『人には添うて見よ馬には乗って見よ』

すべては『場』を提供するビジネスから始まる

時代はどこに向かうのかということに興味があれば、投資家の動向に目を向ければ分かるという話は、完全に昔話になったのかもしれない。

 

株式市場は未来を予見できない 2017年10月14日

もう一ついえるのは、株式市場はバカだということである。

 

投資家がマクロ経済を予見しているわけではなく、その必要もない。彼らは他の投資家が買うと思う銘柄を買うので、自分だけ経済を理解していてももうからない。彼らはつねに景気を刺激する政治家を好むが、その効果はいつまでも続かない。経済が正常化して損するのは投資家の自己責任だが、政府がそれに一喜一憂するのは愚かなことだ。

 

 

しかし、そんな株式市場のプレイヤーは、未来を見るのではなく駆け引きに余念がないようだ。

 

 

投資家は、”信用”という言葉が好きで、自分勝手な理屈で”信用”できるものをつくり、それを拠り所にしてるようだが、長期的な取り組みと短期的な取り組みの2つに別れる。

 

 

最近、近所に大東建託のアパートの建設が始まった。

 

大東建託の営業マンからの手紙が恐ろしいと言われて久しい、チョット検索すると良くない噂はたくさん出るのになぜ契約したのだろうか?

 

幹線道路の近くであることは良い点だが、めぼしい施設や企業や学校が近くにあるわけではない只の住宅地なのに。

 

貸家の着工数が急増。その背景とは?~平成28年度建築着工統計調査~

貸家の新築着工戸数が伸びた背景の一つが、2015年1月に施行された相続税の改正である。

そんな相続税の節税に有効とされる一つの方法が「賃貸経営」である。

 

 

相続の発生が目前に迫っているという決断なのだろうか?

 

税金は現金納付が原則なので、資産はあるが現金を持たない人には悩みのタネになる。

 

生命保険はこんな時便利な商品だが、相続が迫って保険加入しようと思っても健康状況で加入できなかったり、保険料が高すぎたりというジレンマもあるだろう。

 

そんなジレンマを持つ人にとっては、賃貸住宅経営は相続税対策として魅力を感じるのだろうが、向こう30年は続けなければいけない事業だという意識に欠けるのかもしれない。

 

先をどう読むかで判断が変わる。

 

今でも流行ってるのだろうか、かって節税と銘打てば経営者がよろこんで飛びついたのがバブル景気の頃だったが、バブル崩壊後徐々に盛り上がりに欠けるようになり、手元のキャッシュを最大化するためには、小細工するより税金をきちんと払う方が良いという考えが多くなっていったのだが、それは経営者としてキャリアを積んだから辿り着く境地でもある。

 

素人を、相続税対策を餌にして、にわか経営者に仕立てることで活路を見出すビジネスはもうしばらく続くかもしれない。

 

 

 

評価の尺度に売上が用いられてた時代は、不動産ビジネスは、売買が花形で、賃貸は日陰のイメージがあった。

 

しかし、売上より利益が重視されるようになると、1回だけ大金が動く売買より、毎月収入が発生する賃貸も魅力が増した。

 

このような場所貸しビジネスは、店舗運営の世界では革命が起きている。

 

古くは、デパートに始まる売場貸しは、やがてショッピングモールが主流になっていったが共通してるのは、来店型の施設であり、お客は商品を手に取って選べるという点だ。

 

このリアルな場を、ネットという仮想空間に移していったのがAmazonであり楽天で、ネットビジネスと言われてるが、実態は場所貸しの不動産ビジネスなのだ。

 

ネット上の場所貸しビジネスは、事業者に提供されていたが、個人にも提供するようになったのがメルカリだが、事業者が看板を背負っててはできないグレーなことを行う場にもなっている。

 

 

 

ところで最近は、リアルな不動産事業者は日銭が上がるビジネスとしてのホテルに魅力を感じているようだが、ホテル運営は委託という形で丸投げし、あくまでも上前をはねることが目的だということで、目指すところは変わってないということがわかる。

 

野村不、ホテル運営に参入 オフィスより収益高く
2017/10/3 日本経済新聞 電子版

不動産サービスのCBRE(東京・千代田)の17年7月の調査では、不動産の期待利回りは地価が高い東京・大手町のオフィスの平均3.55%に対して東京主要5区の運営委託型ホテルの平均は4.75%と高い。

 

 

場所や立地環境の影響を大きく受けるビジネスの世界でも、価値観のシフトが始まっている。

 

 

背景にあるのは「BtoB型事業」への業態シフト:
TSUTAYAが最近やたら閉店している件について 2017年10月16日

会社や学校の帰りについでに寄ってもらっては小銭をちゃりんちゃりん稼ぐのではなく、わざわざそのために来てもらう滞在型の施設で1人頭の消費金額・消費時間を最大化する方向。

 

 

どうやら、時間に課金するためにどういう仕組を作るかにエネルギーが向かいだしているように感じる。

 

不動産ビジネスが、1回で大金を売り上げる「売買」より毎月売上が上がる「賃貸」に価値がシフトし、そのシフトは毎日「日銭」が上がる「ホテル」に向かいだしているようだが、面白いのは、時間売という形態のラブホテルは衰退傾向にあることだ。

 

瀕死のラブホテル業界、政府が異例の「積極的活用策」を実施…なぜ中国人はお断り?

「私が知っているラブホテルには、『中国人客は絶対お断り』というところもあります。中国人旅行者は部屋を汚す上、大騒ぎしてほかの客の迷惑になり、料金トラブルやキャンセルが生じることも珍しくありません。こうしたトラブルや、それに伴うコストがかかるなら、『マナーのいい客だけを宿泊させたい』と考えるホテル事業者も多いのです」

ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2016/09/post_16723_3.htmlCopyright © Business Journal All Rights Reserved.

 

 

短時間に課金するビジネスモデルは回転率が問われるので、不特定多数を相手にすることが課題になるということが感じられる。

 

利用者であるお客の側も、お気に入りの場所探しに夢中だ。

 

ノマドワーカーの仕事場所はカフェだけじゃない!おすすめ9選まとめ

 

 

 

 

一方、時間課金を極めたように見えるのが駐車場業界だが、この業界は今価格破壊が行き渡り、さらに今後車が減少すると言われる時代を迎えるにあたって、資本力がある会社はカーシェアに始まり駐車場自体をシェアするという「シェア」という考えにシフトしている、新しい価値を提案してるように見えるが、キーワードはコスト削減だ。

 

時間に課金するビジネスモデルは新鮮に感じるものもあるが、売上や人口が減少する時代の過渡期のビジネスモデルのようにも感じる、普段あまり意識しないが、場があるからあらゆる活動や行動が成立するということに気付くと、ビジネスのネタは尽きないのかもしれない。

快適を実現するためには『ホーム』が必要!

宋文洲さんのメルマガを購読してるが最新号で面白い事を言っていた。

 

魅力より快適  宋文洲メルマガ 2017.10.13

投資の経験を持つ方なら実感で分かると思いますが、同じ金額でも儲かった時の愉快な気持ちよりも、損した時の嫌な気持ちのほうがずっと大きいのです。心理学者の研究によればそのインパクトの大きさは後者が前者の3倍にも達するそうです。

 

「三倍原理」によれば毎月一回でも不快な喧嘩をすれば積み上げてきた幸せな記憶を全部破壊してしまうだけの威力があります。特に喧嘩の尾を引く相手だともう苦痛の記憶しか残らないはずです。

 

男女だけではありません。よく観察してみると魅力的な人よりも感じの良い人、つまり嫌味のない人はよく集まりやパーティーに誘われるのです。一見存在感の無い人だと見られてしまいますが、長い目で見ると定期的に人を不快にさせる人よりずっと他人に良いイメージを与えています。

 

 

このメルマガに対するコメントも面白いものがあるので是非見て欲しい。

 

世の中は詐欺ビジネスばかりになり、ずっと以前からビジネス書では、良い人であることより、少し狡いくらいな人でないと経営者には向かないなどと言われ続けてきたが、経営の最前線にいるそれなりの著名人が、従来型のビジネスの王道論である「リスクを取れ!」に異を唱えだしたところに時代の変化を感じる。(勝手にそう解釈させて頂いた)

 

快適だと居心地が良い、その居心地の良さに甘んじてると進歩は得られないというのが従来の価値観で、その価値観では居心地の良い環境にいることは、「甘んじてる」と表現され、怠けてることと同じ扱いを受けていたし、過去に遡れば、居心地の良さに満足してる人には向上心が無さそうに見える時代が確かにあった。

 

時代の変化の有り様を、様々に例えることができる。

 

振り子が振れるように、右に行ったり左に行ったり、バネが振れるように上に上がったものが下に落ちまた上がるのように、上下左右の動きで捉える見方があり、ある部分(時期)だけ捉えればそのように見えることもあるが、実際には螺旋階段のように上下左右の移動はあるが、決して同じところは通らない、そのような変化を辿っているような気がする。

 

「日進月歩」のようでありながら「温故知新」であり「栄枯盛衰」を繰り返す、人間はそのように生きている。

 

ところで、どこまで当てに出来るかは不明だが、ビジネスや企業の寿命や賞味期限は30年だとよく言われる。

 

Googleで「30年周期」と検索すると、

 

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と出て来る。

 

多くの人が、その30年の節目が今、もしくは間もなく迎えると感じてることが伺える。

 

 

日本に関しては明るい話題が少ないが、日本人として皆が一つの螺旋階段を歩いているわけではなく、一人一人が自分の螺旋階段を歩いているはずだ。

 

30年前というのは、日本が空前のバブル景気を迎えるその前夜で、バブルは5年保たなかった。

 

30年前に日本にはびこった、金持ちになりたいという”魅力”が、その後もずっと続いているのが今の日本だが、時代は”快適”にシフトしている。

 

 

今年の年明けのブログに矢沢永吉の生き様を書いた。

 

矢沢永吉が「ホーム」と呼ぶ居心地の良い居場所

居心地の良い居場所のことを、矢沢永吉は「ホーム」と言ってる。

 

矢沢永吉の著書「アー・ユー・ハッピー?」に以下のように書いてある。

 

~~ P267 ~~

面白いことを最近発見した。世の中には、ホームを持ってるやつと持ってないやつに分かれるんじゃないかと思うね。ホームっていうのは自分の帰るうちだ。家庭じゃなくてもいい。仕事かもしれない。 矢沢のホームは、ものをバーンと見せられるところだ。コンサートの快感もそうだし、CDもそうだね。オレはホームをちゃんと持っている。これを持っているから、ドーンと構えていられるんだな。アウェイばかりの人生は、人間という生き物には、難しすぎる。

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2001年に刊行された「アー・ユー・ハッピー?」。

 

2003年に「『アー・ユー・ハッピー?』の読者のみなさまへ」を加筆し文庫化された時に、上記のことばが追加された。

 

 当時、矢沢永吉は35億円の詐欺に遭い裁判中で、その判決が出たことで 追加されたのが「『アー・ユー・ハッピー?』の読者のみなさまへ」だ。 

 

 裁判には勝ったが被害にあったお金は戻ってこない。 

 

しかし、ずっと生き方は変わらなかった。 

 

そんな時に気付いたのが上記のことばらしい。

 

「アー・ユー・ハッピー?」には、「アー・ユー・ファイティング?」の意味が隠れてるかもしれないとも書いてある。

 

「居心地の良い居場所」って贅沢のためでなく、生きるために必要。

 

 

アー・ユー・ハッピー? (角川文庫)

アー・ユー・ハッピー? (角川文庫)

 

 

 

 

 

  快適を実現するためには『ホーム』が必要!