さっそく4月入社の新人の退職の話題が記事になっていた。
理由の一つとして飲み会がイヤだというのが挙げられていた。
いまだに一発芸を要求するという文化もあるようだ。
そこで飲み会に限らずざっくばらんな集まりの場で流れる空気について考えてみた。
一緒の時間を過ごす以上有意義な時間にしたいとは誰しも思うだろう。
悩みや近況を含めて聞いてほしい話や言いたいことがある人にとっては悪くない時間になるはずだ。
そうではない場合はどういう時間を過ごすことになるだろうか?
共通のテーマや話題がある場合も悪くない時間が過ごせるだろう。
共通のテーマや話題が無いのにざっくばらんな時間を共に過ごそうとするのは改めて考えるとおかしな話だ。
しかし、日本には昔から多い、いや昔の方がはるかに多かったはず。
共通のテーマや話題が無いのに話題を探そうとすると、その場にいない人の人事情報や個人情報やウワサだったりという共通ネタが便利だろう、中にはその場にいる人の中にネタにされる人が出るだろう、ネタにされた人がそのことを楽しめるなら楽しい時間になるだろうが、そうでなければ苦痛なだけ。
日本でざっくばらんと称される集まりや飲み会文化は、浅い関係性によって支えられているような気がする。
浅いというのは、心の底では相手に対して興味がないが何らかの利害が発生している関係だ。
利害の中には上下関係や主従関係や血縁関係も含まれる。
浅い関係性というと今が旬の事件でもキーワードになっている。
「官兵衛」子役逮捕 赤星憲広氏は容疑者間の薄い関係に驚きと私見「弱みを握られている関係性なのかな」
「正直、関係性が結構浅いんですよね。今年になって知り合ったとか、この2人に関しても年末からとか。たとえばこの短いスパンで知り合いになって、お酒を飲む仲だったとして、こんなことをお願いして実行できるような関係性かといったら、そんなに深い関係じゃないはずなんです」
~~引用ここまで~~
浅い関係性があるならば深い関係性もあるだろうが、改めて考えると深い関係性って社会からどんどん消えてるような気がする。
深い関係性とは関係の濃密さゆえの束縛の強さとセットのはずで、それは血縁など断ち切れない関係性を意味していたが、そういう意味ではとても薄い関係性にも関わらず共犯関係あるいは依存関係のような逃げられない関係性ゆえの束縛の強さにシフトしているとすれば、浅い関係性というのはとても怖いのだ。
浅いはずの関係性が人生を台無しにする底なし沼になることが珍しくない時代になっている。
浅いからと簡単に足を踏み入れてはいけない世界があるのだ。