インバウンド客で盛り上がる次のGWの話題、事の是非を語りたいわけではない。
「富士山ローソン」黒幕設置 対面歯科が長文声明「考えられないマナーモラル違反」「残念」
撮影スポットとしての口コミが、外国人観光客やタイの俳優らによって拡散。観光客が殺到した結果、ローソンや車道をはさんだ同医院の近隣で、交通の危険やごみの問題などが発生し、店舗営業や住民生活に悪影響が出ていた。
~~引用ここまで~~
コロナ前からずっと世界的にモノ消費からコト消費へ関心は移っていると言われていたが、記事のような行動はモノ消費なのかコト消費なのか。
直接の動機が富士山を直接見て写真に撮りたいという意味ではコト消費に感じられるが、近隣への迷惑としてゴミの散乱があることからはモノ消費のようにも感じられるからだ。
コト消費やモノ消費と区別する必要などないし実際にはどちらの要素もあるのだろうが、少し突っ込んで考えてみたくなった。
物質的な豊かさを求める気持ちがモノ消費を支えたが、モノが溢れるようになると、さらなる差別化のためにあるいはより豊かな気持ちを得たいと体験や経験の方に価値を感じる方向にシフトしているとされている。
体験や経験はそれだけではモノではないからカタチで示せないが、写真や動画のような記録があればモノに代替できると考えると、コト消費はモノ消費と切り離せないなと感じられる。
最近の推し活は従来のファンとどこが違うか?
メンタリティ的には違いはありそうだが、活動や行動を比較するとさほど違いを感じない、コト消費とモノ消費の混在によって推し活もファンも成り立っているからだ。
ところで〇〇ブームと呼ばれる現象はしばしば起きるが、ブームが終焉する際に暗くなるのはモノ消費の場合で、過剰な在庫が経営を圧迫し株価が下落などと話題になる。
コロナ明けでは、終わったブームとして聞いたのがスニーカーブームや自転車ブームやアウトドアブーム。
自転車ブームやアウトドアブームは体験型のコト消費のようでもあるが、どちらも在庫や値下げが話題になるという意味では課題はモノ消費として起きる。
よくよく考えるとコト消費と呼ばれるジャンルで、コトのみで成立するものはどのくらいあるのだろうか?
モノ消費に対するコト消費と別ジャンルのように扱うことで、新たなブームが発生し関連するモノが市場で売れる。
ブームが終焉すると関連するモノは中古市場に流れてくる。
ブームに乗って手に入れたモノを手放すからで、ブーム終焉後だと価値は二足三文になるので尚更終焉感が強くなる。
ブームの前には新しく消費を刺激するキャッチフレーズが有効だ。
コト消費に代わる何かはすでに準備されていて出番を待ってる状態かもしれない。