違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

最短ルートという遠回り、遠回りという最短ルート

目標や目的が明確な人はモチベーションが高くなる。

 

モチベーションが高くなると、結果を得るための最短ルートを求める。

 

そういう場合に最短ルートに感じる方法や手段には大勢の人が集まる。

 

 

そんなこと考えてるのは自分だけだろうと思っているような人が大勢集まるのだ。

 

そういう人が得ている情報がほぼ同じだからだ。

 

最短ルートを求めるとは、最短時間で結果を得ることを求めるということ。

 

ここから先は、最短ルートに関する抽象論。

 

ごく日常的な通学や通勤のルートはほとんどの人が想像し得る最短距離もしくは最短時間のルートに固定化されてるはず、徒歩だろうと自転車だろうと車だろうと。

 

最初は複数の選択肢があったかもしれないが、やがて一つに固定化される場合が多いはず、そして一旦固定化されると違うルートに対しては違和感しかなくなる。

 

違うルートを選択するには強いモチベーションが必要になるが、このモチベーションが習慣化されない限り違うルートの選択は続かない。

 

単なる通り道に関してだけでなく、進学や就活その後の出世や転職その他様々な人生の岐路でのルート選びにも通じるはずだが、人生のルート選びに関しては最短ルートを選んでるつもりなのにとんでもない遠回りをしてる場合も少なくない。

 

脳内で描かれる最短ルートのイメージは人による差があまりないので共通化共有化が行われやすい、結果マニュアル化らしきものを作ることも容易。

 

それに比べたら遠回りのマニュアル化がいかに難しいか。

 

 

 

冒険の分野では最短ルートはチャレンジングな行為として評価されるのに対し遠回りは楽をしてるようですあまり評価されない、しかし考え方を変えると遠回りも極めればとてもチャレンジングに感じられるはず、掛けた時間やエネルギーの持続が必要なのだから、それに加えて遠回りしたことで目的外の何かを得ることもあり得るからだ。

 

 

最短ルートを目指す人は得てして人生の遭難者になりがちなのに対して、遠回りを目指す人は遭難することすら楽しめる。

 

 

人生においては、最短ルートと遠回りでは逆転はよく起きるのだ。