豊かな時代になったと思う。
豊かになることは、良い事しかもたらさないと思っていた。
減った産業は、役割りを終えつつあるということだろう。
今という時代は、どこへ向かっているのだろう。
目の前で消えていく様を見たのは、本屋とガソリンスタンドだ。
気が付くと無くなっていたのは、小さなお店だ。
代わりに、スーパーやドラッグストアやホームセンターやコンビニが増えた。
この変化は、お客という立場で接していて不便を感じなかった。
しかし地域の個性は薄らいだ。どこも似たような景色になった。
また、お弁当屋もすごく増えた。いかに自炊が減ってるかだ。
これらの変化が、人の行動を変えたのか?
人の行動の変化が、もたらした変化なのか?
行動が変わると、ライフスタイルも変化する。
この一連の変化は、豊かで便利を追求して産まれたものだ。
良い変化のはずだ。
犯罪も平成14年をピークに減り続けている。
犯罪に関するものほど統計データが充実してない。
表面では、便利や豊かが進行してるがその裏で何かが起きている。
格差が大きくなりつつあることも関係してるだろう。
一見豊かにみえるけど、人間の感情とシンクロしていない。
犯罪は減ってるから悪い時代ではないはずだが、心の病が増えてるということは、時代が変化する過渡期に生じたギャップ(格差)のせいかなとも感じる。
過渡期のギャップならば、いずれ解消するだろう。
問題は、どの位の時間がかかるかだ。時間がかかるほど苦しむ人が多くなるから。
第二次大戦後の日本は、”一億総貧乏”だったがやがて高度経済成長期に入り、”一億総中流”になって行った。
おそらく一億総中流になりきるまでの間に、今言うところの格差は生じていただろうが、右肩上がりの経済状況は人々の心をイライラさせず、自分のところに中流が訪れるのを待つことができたかも。
この時代にあって、今の時代に無いものは ”等しく行き渡る感”ではないかと感じてる。
- 赤信号では止まりましょう。
- 人の嫌がることはしないように。
- 頑張れば良いことありますよ。
これらの言葉は、意味を共有し正論だと理解されていたが今は、上から目線を感じさせる言葉になった。
正論は、トラブルの元になってしまった。
これからは、”等しく行き渡る”を望む価値観からのシフトが求められる。
”みんな一緒 ”から”ひとりひとりそれぞれ ”へ。