希少性の価値
100人に1人と言われて何を想像するか?
勉強でもスポーツでもなんでも良い、営業成績などもあるだろうが100人の中で1番と考えると希少価値が感じられる。
しかし、何を食べたいかという質問に対し1人だけが答えた食べ物があったというような場合を考えると、それはたまたま発生したしたことであり、誰にでも起こりうるということなので希少価値はない。
しかし、どちらも100人に1人で確率1%だ。
優秀であるという希少価値は、今後も存在するだろうが、多くの人に求められる価値ではなくなるだろう。
替わりに、他の誰とも違うと言う意味での希少性が、万人に求められる時代になるのではと感じられる。
高い頂点を皆が目指す時、頂に手が届くのは100万人に1人位の確率になり、1万人に1人クラスの優秀さの人が掃いて捨てる位存在するようになる。
100人に1人だとその他大勢扱いだろう。
資本主義が高めたのはそんな頂の高さだ。
良いこともいっぱいもたらした資本主義は、生活を豊かにすることはできたが、同時に生き辛さも拡大させた。
この生き辛さは、貧困がもたらす生き辛さとは少し違う。
生活の豊かさと反比例するように心の豊かさが減っていった。
つい、いつもの癖で資本主義を悪く言おうとしたが、チョット違うかもと思い始めた。
ふと浮かんだのは、そもそもすべての社会システムにおいて人間の寿命の設定の間違いが原因で、生き辛くなるのではないかということだ。
人口の問題
人間に関しては、寿命の前に人口増加という問題があり現在も継続している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/人口爆発
1年間当たりの世界の人口増加は減少する傾向にあるものの、中東やアフリカ地域の出生率は依然高く、急激な人口増加は続いており、西暦2050年までには90億人を突破、以降同世紀末までに世界の人口は100億人に達することが見込まれている。
人口の増加を政策で何とかしようとした中国だが、大きな問題を2つ抱えてしまった。
実質的に人口増をコントロールできずに、戸籍のない子供を増やし、いびつな男女構成比をつくってしまった。
増えては困るから行った「一人っ子政策」だったが、2015年に撤廃した、これによって人口がどうなるか不明な状態に突入した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/一人っ子政策
中華人民共和国における紆余曲折を経た人口政策の歴史と[1]、とりわけ1979年から2015年まで導入された厳格な人口抑制策
https://ja.wikipedia.org/wiki/黒孩子
中華人民共和国において、一人っ子政策に反して生まれたために戸籍を持つことができない子供のことである[1]。俗称として闇っ子(やみっこ)
中国、今後30年間続く一人っ子政策の後遺症 3000万人「男が余剰」 結婚望まぬ女性多く、さらに深刻 誘拐や性犯罪の背景にも 2017年2月
中国英字紙チャイナ・デーリーは、中国では多くの女性が結婚を選択しなくなっており、結婚できない男性の数は予想よりもさらに増える可能性があるとの専門家の予測を紹介。単なる男性の結婚難だけでなく、女性・子供の誘拐や人身売買、性犯罪などの社会問題を引き起こしていると指摘されている。
一方、先進国における少子化は、地球という受け皿の規模に対応する一種の自然淘汰のはじまりかもしれない。
(下記は、この出生率が継続すると人口が減少し始める可能性が高い国)
人口の増加は、食料やさまざまな問題を生むが、社会保障を賄うという意味では望ましいとされていた。
しかし、増えた人口が皆納税する前提で成り立つ仕組みだ。
社会保障を人口増で賄うというのは、未来には通用しなさそうだ。
人間の寿命が起こす問題
人口の問題にめどがつかないのに、長生きという問題がクローズアップされはじめてる。
世界の寿命
日本の寿命の推移
年金や各種社会保障は、制度設計が人生50〜60年という時代のものだ。
人間の余生は短かったのだ。
伸びた寿命の分だけ、少子化が進んだ分だけ、机上の計算はどんどん狂っていく。
どう考えても制度自体に問題がある。
改めるというレベルの問題ではないだろう。
今、日本で起きてる問題の多くは、日本人の寿命が短かった頃の日本の思想に根ざした価値観が、時代に合わなくなってるために噴出してるようにみえる。
忘れてはならないのは、森友問題の思想的な背景です。むしろ、それこそが森友学園問題の本質と言えるのかもしれません。
内閣人事局の写真 安倍日本の構造問題を、森友問題は、戯画的に可視化。
安倍首相が発足させた『内閣人事局』
審議官級以上の約600名の人事権を官邸が握ることになり、安倍首相の方針に従わない者は幹部登用の道が閉ざされる事となりました。
それは、火山の噴火や地震が起きるように、発生してるとしか思えない。
たぶん止めようとしても止まらないだろうし、生じた亀裂は塞いでもすぐに別の亀裂に繋がるだろう。
起こることは避けられないこと。
Чему быть, того не миновать.起こるべきことは起こる。必然的にそうなるようなことは、どうやっても回避不可能。
今壊されてるのは、「その他大勢の中のひとり」という生き方だ。
今後変化していく時代に対応するためには、自分の希少性を高めることだ。