ビジネスの世界では、自社に有利な状況を確保しようと皆躍起になる。
そのために、新しいコンセプトや新しいカテゴリーを打ち出す。
今ある(存在する)ビジネスの特徴をキーワード的に表現すると、
- 市場が顕在化している
- 顧客の属性が顕在化してる
- 有効なマーケティング手法が顕在化してる
- 顧客とのコミュニケーションを通じてのフィードバックがある
1つ流行りのビジネスができると、市場が顕在化し、顧客の属性が見え出す。
そして、参入してくるライバルが増える。その中で売り方の工夫の競い合いが起こるが、やがて同質化をもたらす。
本当は差別化したいのに。
先発企業は、顧客とのコミュニケーションで得られたフィードバックを活かして差別化が可能だが、差別化したものが顕在化したとたんに同じ無限ループに入り、行き詰まる。
ビジネスや商品を見ていて感じることだ。
ビジネスに従事しているのは人間だ。
どういうものが売れるのか?
どうやったら売れるのか?
を、いつも考えている人がいる。
その人は、別の所では顧客として存在している。
同質化の無限ループが、ビジネスを行き詰まらせてるならば顧客の反応は、どうなるだろう?
私自身が買う時は下記のように反応してる。
- どれも似てるなら安いもので良い
- どれかを選ぶならば、評判の良い物を
- 違いを確認して納得して
- 担当者の対応が気持ち良いから
- 担当者の説明が上手(知らないことを教えてくれたり)
ビジネスを仕掛ける側の人は、同時に顧客目線も持っている。
その上で差別化を仕掛けたいのに同質化のせめぎ合いに終始する。
差別化のつもりでやってることが差別化になってないのだ。
同質化の無限ループは、人にも当てはまるかも。
”100人いれば100通りの人生”や真の意味で多様化が実現してれば、差別化は自ずと産まれてくる気がするが、なかなかそうはならない。
合言葉のように”価値観の多様化”等と言いながら多様化しないと言うことは、実際は単一化、画一化、集中化してるのだが、表面だけ多様性を装ってるということか?
人も企業も行き詰まってるように見える。
日本には、”察する”という空気を読む文化が根強い。
歴史的な背景が感じられる。DNAにインプットされてるような。
KY(空気を読まない人)という言葉が使われだしたのが2007年らしい。
このKYは、2007年当時も今も良い意味では使われてない。
日本が ”空気を読む資本主義”に思える。
資本主義だから、ルールに基づいた自由競争が原則だ。
でも空気を読んで行動することが要求される。
行き詰った企業(法人)は、KYになりつつあるが、人は空気を読んでる。
経営者はKYだが、社員は空気を読もうとする。
だから企業のブラック化が目立つのでは?
何かが飽和状態に達しつつある感じがする。
KYが、心理的束縛からの開放を促すならば、KYは歓迎かも?
この2007年が、空気を読む文化を拒否しだした元年となるかも。
そう考えると、やっぱり時代は動き出してる。