自然界の掟とでも言うのだろうか。
ほっておくと、時間が経つと、何事も分散するのが常である。
命があるものには、死が。
「形あるものは崩れる」という言葉もあるくらいだ。
硬い大きな岩も、やがては砂粒のようなレベルまで分解していく。
科学的に説明する言葉としては下記のような物がある。
- エントロピー増大
教科書レベルでは、こんなのもあった。
少し文学的に表現されると、こんな言葉に思い当たる。
- ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
- 万物は流転する。
ギリシャの哲学者ヘラクレイトスのことばで、流転しないものは「火」であるとした。
地上にも、砂漠のような、分散が行き着いたような場所がある。
砂漠は、これ以上分散、分解することはあるのだろうか?
地上における分散化の究極が砂漠ならば、他の地域も砂漠になっていくのだろうか?
一方、生き物は、自然の分散化に逆らうかのように生きている。
すべての種が、”増えること ”を目指すが、それを阻むように食物連鎖が存在し、特定の種が増えすぎることが無いようにできてるように見える。
そんなバランスを崩すように増え続けている人間は、食物連鎖の頂点に位置してる。
人間の増殖と繁栄を支えてるのが、エネルギーだ。
自然エネルギー以外のエネルギーは、地球から掘削したものばかり。
化石燃料に代表される地球の掘削物とは、時間を掛けて分解、分散の途中のモノではないだろうか?
大自然が、時間を掛けて分散させるより、人間に消費させた方が、より速く分散させる事ができると判断して、人間にさせてるのではないだろうか?
そのトレードオフとして期間限定の繁栄を成立させながら。
その繁栄の結果のトレードオフの1つが見え出だしてる。
地球温暖化だ。
暑くなることばかりに目が向いてるが、水の循環が変化することの方が問題だ。
雪が降ったり凍ることが支えた水源に依存する地域の、砂漠化が進む。
人間は、繁栄のトレードオフとして居住可能な場所を失い出してるように見える。
もっとも地球目線で見た話なので、人間から見たら何世代も先の話だろうが。
最近、世界中で都市部の居住者が増えてる。
都市機能を充実させ、効率を良くするには、都市人口が増えるほうが良いとされている。
分散が自然の摂理だとすると、自然への抵抗のようにも見える。
しかし日本の場合、個々の人の結びつきという目で見ると、
- 3世代同居の大家族が少しづつ分散し、複数の核家族化し、世帯数が増える。
- 核家族の中の、成人した(進学した)子が一人暮らしをし、世帯数が増える。
出典:http://www.garbagenews.net/archives/1953859.html
結果として、世帯当たり人員は、減少し続ける。
ついでに、少子化と晩婚化と非婚化も進む。
これは、自然の摂理の分散化ではないだろうか?
だとすると、・・・・・
しかし、ここに来てシェアという概念が出てきた。
まだ試行錯誤の段階に見えるが、人間のささやかな抵抗にも見える。
揶揄してるのではない。
油断すると、大自然は分散化を仕掛けてくる。
この分散化は、プライバシーの尊重や束縛を嫌う流れとシンクロし、結果として人間関係が利害関係にシフトした。
簡単に結びついたり、切れたりする関係になった。
必要になるのは、束縛ではなく、簡単に切れない関係性だ。
大自然が仕掛ける分散化に対抗するのは、新しい結びつきかもしれない。