あまり深く考えずに使ってることばがある。
改めて考えてみたいのは多様化、分散化だ。
多様化分散化のイメージは、枝葉がどんどん伸びて広がる姿とダブるが、枝葉が伸びて広がっても幹は一つなのに対し、多様化分散化はその数だけ幹も多様化分散化してるように感じられるという違いがある。
多様化するから分散化するのか、分散化するから多様化するのか、ということに興味があるが、今となっては同義語に近いように感じられる。
多様化や分散化を、良し悪しや、好き嫌いという尺度で捉えるのではなく、起きてることは避けられないから起きる、という観点で捉えた方がしっくり来る。
ついつい理由を求めたり探りたくなるし、それらしい理由や原因らしきものは見えそうにも感じるが、それが分かったところでたぶんなにも変わらないし変えられないはず。
それでも多様化や分散化を促進させたのが、表裏一体で存在するストレスやリスクであることは分かる。
そしてもう一つ多様化や分散化を促進する要素があるとするならば、それはアンチ中央集権となるような気もする。
権力に限らず、情報や人やモノやカネ、あらゆるものが中央集権化したことの反動や、トレードオフを求めての動きが、多様化や分散化の背景にあるとするなら簡単に止まるものではないだろう。
ちなみに意味があるかは不明だが、GoogleTrendsで『多様』『分散』の推移を見ると、なんとも意味あり気だった。