「あなたの10年後をどうしたいですか?」。
「今のままでは、こうなります」という話をするビジネスがある。
占いではない。
「ファイナンシャルプランナー」と言われる資格を持った人達だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイナンシャル・プランナー
1990年台の半ば過ぎから急に増えてきた。
主に、銀行、証券、保険と言った金融機関の人達だが、業種は問わないだろう。
この資格ができた当時は、いわゆる年功序列と終身雇用が成立していた。
年金制度や医療保険の存続を危惧する声もあったが少数派だった。
「人生は一寸先は闇」ということわざは知りながらも、社会の仕組みに対する盲目的な信頼感が上回っていた。
それから20年、ファイナンシャルプランナーが建てた計画に沿って人生設計していたけれど、予定が大きく狂った人も多いだろう。
ファイナンシャルプランナー自身の人生も大きく変わっただろう。
最近の金融機関のテレビCMを見てると「相続」に関するものが増えている。
金融機関が、相続税の支払いが発生する層の人をターゲットにしてるようだ。
金融機関が、どんな業界と提携し、どんな商品やサービスを展開するかを見てるとおもしろいことに気付くだろう。
基本は、「晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」業界だから。
「付加価値」に活路を求める
このファイナンシャルプランナーが普及し出した90年台半ば過ぎ頃、ビジネスの世界で盛んに言われたのが「付加価値をつける」だ。
「なんでもあるのに、欲しいものだけがない」と言われていたダイエー的な状態から抜け出るために生まれたのが「付加価値をつける」と言う考えだと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダイエー
だが、失われた20年が始まる1990年代後半から業績悪化が表面化。大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きる。
たぶんダイエー以外も似た状況だったと思うが、ダイエーが象徴的に取り上げられていた。
本来の機能に何かをプラスする「付加価値をつける」。
電化製品で、やたらに「マイナスイオン」が出てきたのはこの時期だ。
自己啓発やビジネス関連の書籍では、
- 商品ではなく「自分」を売り込め
- 商品に物語を付けろ
と主張し始めた。
実演販売や通販が、よりパフォーマンス重視でエンタメ化していった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャパネットたかた
社名のインパクト
1999年に現社名に変更したが、この社名は「日本全国ネット」という
「ジャパンネット」ではインパクトがなく、「ジャパネット」で社長が
納得したことからつけられた。
キーワードとして「限定!」が定着していった。
希少性を付加価値にする考えもこの時期に生まれた。
ことばだけの希少性で実際に希少なわけではないのに。
こうして、商品の差別化から、「売り方や見せ方」の差別化にシフトしていった。
これらはすべて売る側が、直接、買う側にアプローチする方法だ。
そして現在、「興味・関心」がない
日本の消費者は製品・サービスに対して「比較・検討しない」「興味・関心がない」
という状態になっている。
理由としては、
- 情報過多で、正しい情報がわからない
- どうせ何を選んでも同じ
などが挙げられるだろう。
つまり、売る側が主導権を取れなくなってきてる。
売れないものは、ダメなものというよりは、情報として届いてないのだ。
買う側に主導権が移っているのだが、問題は主体性の有無だ。
買う側には、大きく2種類の人がいる。
- きちんと調べて、納得して買う。
- なんでも良い。
この2つの中間に位置する人が極端に減ってるのだ。
きちんと調べたい人には、インターネットが強い武器になる。
内容を確認し、価格を比較でき、他の利用者の意見を知ることも出来る。
この手の人は、どうやら少数派のようだ。
多くの人が、自分が何を欲しいのかがよくわからないのだ。
豊かさの弊害だろう。
腹が減ってないのに、食べるものを考えるのに似ている気がする。
だから食べ過ぎてしまう。
欲してないのに買おうとしてるのだろう。
買うという行為が何らかの代償行動になっているのだ。
代償行動ならば、心に原因があり、買うという行為では解決しない。
そのことに気付いたら、売る側は、心の隙間を攻めてくる。
心の隙間に潜む感情を表に引っ張り出す。
悩みや不安や寂しさなど一般的にはネガティブと言われる感情が潜んでる。
ネガティブな感情は、体温を下げるので、温かいものを求める。
「ちょっといい話」、「心温まる話」に商品やサービスがくっついてくる。
商売の基本はリピーターを創ること。
こうして、買っても買っても買い足りない顧客が出来上がる。
世の中は結果オーライだから、結果が良いなら問題はない。
こうやって考えていくと、買う側の「考えない」が諸悪の根源のような気がする。
たぶん「考えてない人」は「考えてない」とは思ってないはず。
考えないのは感じないから
「考える」の前段階にある「感じる」能力が欠如してるのだろう。
「感じる」は、プラス方向には「信用する」があり、マイナス方向には「疑う」がある。
両方正しく判断できて「感じる」は正常といえる。
「感じる」能力の欠如、「感じる」センサーの異常が、現代人の問題点だ。
しかし、元々持ってる日本人のメンタリティが過剰な反応をしてるとも言える。
ふとこんな話を思い出した。
もう随分前、知人に聞いた話。
「最近(当時)の子供の家庭教師は成績を上げることが目的じゃなくて、子供の遊び相手を務めることが目的なんだって」
親が、子供に友達を作らせなかったのか?
子ども自身が、友達を作れないのか?
今は、そんな子供たちが大人になっている。
そんな子供を育てた親が老人になりつつある。
「感じる」センサーは、ずっと前からおかしかったのだろう。
おかしくなった「感じる」センサーの代わりをするふりをするビジネスが新たに誕生してる。
最近では「コンシェルジュ」「キュレーション」などというジャンルを形成し、優しい顔をして心の隙間に忍び寄ろうとしている。
対抗するには、「感じる」力を取り戻すしかない。
追記
嘘のつき方が巧妙化している。
「感じる」センサーの鋭敏化が必要。