一致することを重視すればするほど許容範囲は狭くなり、最後は許容範囲がなくなり、一致以外を許せなくなる。
些細な違いが原因ですれ違いが生まれる場合のキッカケは、相手の側が許容範囲を逸脱するケースもあれば、自分自身が許容範囲を知らず知らずのうちに狭めているようなケースもある。
一致する、と感じると簡単にくっ付き、すれ違いを感じると簡単に別れる。
現代の関係性はこのようなものになりつつある。
一致やすれ違いの判断基準が単純化してるのだ。
周りを見てもだが、自分もだ。
自分が持ってる前提を、相手も同じだと感じているから起きるような気もする。
この場合の前提は、常識などと置き換え可能だろう。
例えば、小室圭さんの28枚の文書。
宮内庁の反応を見ると、おそらくこの文書によってしゃんしゃん総会のように一件落着となるシナリオでも組んでいたのだろう。
ところがどっこい、世間は燃え上がってしまった。
各界の論客も一斉に参加し、わたしの私見では9:1で否定派が多いように感じられる。
前提の食い違いを見誤ったせいだろう。
現代では、文章が書かれてる場合、全文を読む人がそもそも少ない。
わざわざお金を出して買った本ですら読まないで、コレクションしてるだけという人や、写真に撮った後で転売するケースが増えているらしい。
そして、本は読まないかわりに、その本のレビューや書評に目を通し、手っ取り早く自分の感想をでっち上げて読んだことにするという人が増えているらしい。
本を買うのは、『本当に読んだんだよ』というアリバイ工作のためらしいとも聞く。
こうなると、昔から言われている文脈を読み解くや行間を読み取るといった術は遥か遠くに行ってしまっているのだろう。
そうなると、見えすいたキーワードが都合よく利用されるだけになるはずだ。
これって、人間が中途半端にAI化してると言えるかもしれない。
YouTubeでの「チェス談義」が、“人種差別”として削除された事件の真相
著名なチェスプレイヤーによるYouTube動画が、人種差別発言を含むヘイトスピーチであるとして削除される“事件”が起きた。研究結果や実験から見えてきたのは、動画の内容をチェックするアルゴリズムが「黒」「白」「攻撃」「防御」といった言葉を誤判定した可能性である。
この記事を全部読めばわかるが、現在のAIアルゴリズムはいわゆる文脈を十分に読むことができないし、ましてや行間を読むなどはもっとできないので、キーワードを抜き出して反応するだけなのだ。
部分を切り取って都合良く(=誤解される側にとっては都合悪く)利用することは、今や避けられないのだ。
これに対抗するために法的手段に訴えるというのは一部で有効性が認められるようになってるが、時間も手間もかかり過ぎるし、依頼する弁護士の当たり外れも大きいという欠点がある。
文脈や行間が読み取れなことと、詐欺の増加は確実にリンクしてるはず。
詐欺師の側は、嘘の許容範囲を広げるために文脈や行間に工夫を凝らしてるはずだ。
全文を読まないと言えば代表格は取扱説明書。
そのせいだろうが、説明書がなくても使える商品が売れるし、それらは直感的に操作できるなどと持ち上げられる。
余談だが、日本メーカーの商品がガラパゴスになった理由として、高級品ほどスイッチが多く、使いこなしが難しいことを付加価値としていた時代を忘れられないのだろうと思うと妙に納得できる。
良くも悪くも時代は表面的にはシンプルな方向にシフトしている。
時代がどのように変化しようと、私たちは『許容範囲』と『一致』の間に存在するギャップに振り回されるのだ。