スポーツをする時、最初にルールを覚える(教えてもらう)。
最初に覚えるルールは、ごく大まかに覚える(教えてもらう)。
レベルが上がるに連れて、細かいルールを付け加えるように覚えていく。
プロが存在する競技では、ルールだけで辞書サイズの本ができる。
ルールに設定されてないことは、ペナルティが課される。
そのペナルティも、発生が予想されてるものは、ルールに明記される。
競技が高度化すると、ルールに明記されてないケースが発生することがある。
すべての人間活動はゲームであるとする「ゲーム理論」が生まれたのは約100年前。
人間の、あらゆる考えや行動はバックグラウンドで「言葉」が機能している。
ゲームにはルールが存在し、ゲームとルールが一体となってゲームが成立する。
ルールが言葉で作られるので、ゲームの中では、言葉の要素が重要な位置を占める。
言葉自体が、ゲーム化するとも言えるかもしれない。
スポーツやビジネス等の行動をイメージするとわかりやすいが、これらのゲームは目的に向かうという性格を持つ。
- 勝つ
- 売る
- 開発する
- 目標を達成する
など、望む結果を求めるという「志向性」が生じる。
価値観が多様化している現在、大勢の人が、同時に異なるゲームを繰り広げている
会社内では、隣の人は同じゲームに参加してるかもしれないが、街で隣りにいる人は、ぜんぜん違うゲームをしている。
また、気がつくと、さっきまでやってたゲームと違うゲームをしてるかもしれない。
最近、トラブルの発生が多いのは、お互いのルールが違うことに起因してるのではないだろうか。
隣の人は、違うゲームをしてるのか、同じゲームをしてるのかを意識する必要がある。
デジタル化の進化が著しい現代では、言葉を考える時、2種類あることを意識する必要がある。
1つは従来通りの言葉で、もう1つがプログラムだ。
言葉が織りなす言語ゲームが「志向」するのに対し、プログラムは「指定」する。
「志向」は、不安定で不確定な要素が発生するかもしれないかわりに柔軟性を持たせたり、創造性が発揮されたりする。
「指定」は、不確定な要素を排除し安定するが、画一的になる。柔軟性を持たせようと設定すれば曖昧さを作ることになる(これで充分なこともあるが)。
多くの場合外見で、参加してるゲームは推測可能だが、外見からはどのゲームに参加してるかを知るのは難しい場合もある。
ゲームはルールと一体だと書いたが、わかりやすく説明してる本があった。
ルールリテラシーの原則として10のことが挙げられてる。
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1.ルールはゲームの一部
2.ペナルティによってルールを守らせることはできない(バレなければ良いと考えるインセンティブが発生)
3.社会的カテゴリーと言語ゲームの結びつきが論理的強制力を持たせる(社会的カテゴリーとは社会的属性のようなもの)
4.ルールは参照されなければ効果はないので、必要な場面で実際にルールを参照できる可能性がルールを左右する
5.免責されなかったルール違反は、反ルールを正当化するか、もしくはルール違反したものを社会的カテゴリーから切り離す
6.ルールを維持する方法としては、参照可能性を高めることと、ルール違反に対して「免責」「排除」「赦し」という対応がある
7.ルールを維持するためには、メンバー全てがルールをルールとして提示し、ルールとして読み取るコミュニケーション能力を持たなくてはならない
8.「常に」しなければいけない直接ルールと、「その都度」の間接ルールの違いを理解して使い分けなくてはならない
9.禁止のルールをルールとして運用するためには、禁止されてることをしない代わりに、
何をしなければいけないのかが明確にイメージできなければ成立しない
10.ルールは他者に行為を強制するものではなく、他者とゲームを共有する技術である
出典:佐藤裕「ルールリテラシー 共働のための技術」
(一部表現を変えたり、付け足しを行ってるが、補足のつもり)
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そんな時必要なのは感じ取る能力だ。
リテラシーを活用して意識する必要があるのは、
出典:https://jp.pinterest.com/pin/476677941794107415/
世界中から名品を目利きのバイヤーが買い付けてきて、「ウチでなければ買えませんよ」というのが本来の百貨店の商売だった。
「百貨」にモノ以外の付加価値を足すことができなければ、個人が世界中から越境ECで価格比較して購買してしまう時代に百貨店という業態は衰退するしかない。
これなんかは、店と客で同じゲームをしてるつもりなのに、そもそも従ってるルールが全然違ってるように見えないだろうか。
ルールが変わってるというのは、現在進行中だ。