ライバルは同じフィールドにいるとは限らない。
90年台の後半当たりから使われ始めた言葉だ。
携帯電話が高校生に普及し始めた頃、それまで高校生を主要な顧客にしていた分野の多くで売上の減少が起き始めた。
お小遣いの大半が携帯代で消えていたからであり、その時に用いられた言葉だ。
日本でガラケーが独自の発達を見せたのは、この時期に売上を奪われた業界や業種が、携帯電話会社と提携してコンテンツを携帯に集め、電話料金として徴収するビジネスモデルを作り上げたことが大きいだろう。
しかし、この独自の発達は世界標準には至らず、iPhoneの登場で衰退を余儀なくされた。
これに比べると、自動車産業は輸出相手国の事情に合わせて生産するというスタイルが奏功し、世界標準として通用しているように見える。
一方、輸出相手国の事情には合わせていたのに衰退したのが家電メーカーだ。
自動車と家電の違いはどこにあったのだろうか?
おそらく、参入障壁となる要求技術レベルの高さの差が明暗を分けたのだろう。
要求技術レベルが高い自動車は、ノウハウを持たない新規参入が困難だったので既存メーカーが淘汰再編されながら生き残った。
それに対し、生産がモジュール化した家電は新規参入が容易で、コスト削減要求が強く高コスト体質の日本企業は衰退している。
ちなみに日経BP社の長田公平社長は、「メディアの苦悩」のなかで、
家電は価格決定権を量販店に委ねてしまったから衰退し、自動車はディーラーという身内に販売をさせたことで価格破壊を起こさなかったと言っている。
いろいろな可能性が語られながらも未知の要素が大きいのがこれからの変化だ。
圧倒的なテクノロジーが変える世の中になるだろう。
要になるのは、商品や製品ではない。
変わるのは社会インフラだ。
バックグラウンドでAI(人工知能)が動く社会インフラ。
AIがそのレベルになってる頃は自動運転は当たり前になる。
そして、様々な履歴を必要とする取引や契約がブロックチェーンで管理監視され、基本的に悪事ができない世の中になるだろう。
そんな世の中になるまでのつなぎ期間が今だ。
どれだけ続くかはわからないが、それまで我々は何か(誰か)をライバルとしながら、しばらく生きる必要がある。
商品や製品や著作物や無形のサービスは、そのものだけでは価値を生まない。
客のもとに届いてはじめて価値が出る。
前者はコンテンツと言われ、後者はデリバリーと言われる。
インターネットが、デリバリーの価値を大きく低下させている。
デリバリー分野で働く人がブラック化を余儀なくされるのは、付加価値を生まないからコスト削減要求だけが強まるためだ。
宅配業界が待遇改善の動きを取ってるが、それだけでは衰退の勢いは止まらない。
その一方で、コンテンツは質が求められている。
作れば売れる時代はとうに終わっている。
テレビの視聴率は20%いけば大ヒット、apple製品だって思ったように売れない時代。
質が高くても多く売れるわけではない。
しかし、質を高めるしか拠り所がない。
強いて言うなら、ライバルは自分自身だろう。
多くのビジネスが再びライバル不明の時代に入っている。
「ものづくりの時代」を経て、「投資の時代」を迎え、その「投資の時代」が終わろうとしている現在、次世代のキーワードは何になるのだろうか?
次世代に備える前に「投資の時代」のツケを精算する必要がある。
投資バブルが崩壊する時に最も被害を受けるのは、最後にババを持ってた人になる。
投資には回収期間が生じる。
回収期間の長い投資をしてる人は爆弾を抱えてるようなものだろう。
とりあえず身軽にしておく必要がある。