次の記事を見て反対語や反対概念は辞書とは違う意味に変わることが珍しくないなと思った。
大食いはオワコン?テレ東番組トレンド入りも批判ズラリ 不満は「もったいない」だけじゃない
今の時代に放送したらコンプラ的にアウトな昔の番組達が消えていく中で、大食い番組だけはまだ残ってるのが正直謎
記事とは直接繋がらないかもしれないが、高度成長が実感できていた昭和の頃だと目標や好きや楽しいを追求したければ別のことに関して(勉強や仕事など)努力やガマンがセットで必要とされていて、それは当然だと受け止められていた。
しかし、現代ではセットで要求される努力やガマンは『〇〇ハラスメント』と呼ばれるようになり、表立って要求できなくなりつつある。
だからと言って要求自体が消えるわけではないから忖度が注目されるようになる。
中国で生まれた忖度は日本には平安時代には伝わっているとされている。
しかし、多くの日本人にとっては比較的最近馴染んだ言葉で。Google Trendsで見ると2017年の3月が境目だ。
この時何があったかというと、
実は「忖度」という言葉は、2017年3月6日の参議院予算委員会で福山幹事長が森友学園問題を追及するときに取り上げたものです。いまだに解明されない国有地の払下げ問題、税金の使い道を、忖度せずに今後もしっかり追及していきます。
— 立憲民主党 (@CDP2017) 2017年12月1日
忖度は無言の圧力によって起こるものとはいえ形式的には自己判断の自己責任の行動になる。
昭和の頃の、努力やガマンがセットで要求されたことが世間に受け容れられたのは、ひとえに見返りが確実だったからだが、セットで要求される努力やガマンは必ずしも見返りが確実とはいえない時代に入ると、努力やガマンの要求はハラスメントとしか映らなくなる。
目標や楽しいや気持ち良いを積極的に追求する時代には、努力やガマンはセットで通用したが、現代では追求されてるのは『不快の排除』になっている。
個人レベルでは多くの人が感じているだろうが、社会全体でとなるとまだまだ声は小さいので影響力があるとはいえ中途半端なレベルに留まっているので政治を動かすレベルには至ってない。
冒頭の記事を見て、これまではあまり思うことがなかったことが考えとして浮かんできた。
個人レベルでは確実に『嫌なことはしたくない』『嫌な人とは付き合いたくない』、『どうせ見返りは大したことないから』と考える人は増えこそすれ減ることは当分無いのだ。
コロナ禍は確実に追い風に作用してるはず。
このような状態は、ある種の人には日本の衰退や崩壊とリンクして見えるかもしれないが、通過点として確実に必要なプロセスが始まったとも言えるのだ。