インターネットが普及した初期の頃、ネットの世界は無限感にあふれていた。
ブログやSNSは、オープンさの度合いに若干違いはあるが、向こう側に広い世界があることを感じさせるのに充分だった。
感じさせられる広大さは、夢や希望を感じさせるとともに、広すぎることで感覚が麻痺するようなところもあった。
感覚の麻痺は、悪い形で現れやすい。
プールでおしっこをするのは良くないと誰でも理解してるが、海でするのはあまり抵抗ないだろう、ましてや宇宙だったらというのがネット界のマナーに影響を与えているだろう。
良くも悪くもオープンであるがゆえというのがネットの世界だった。
それから10年。
ネットは世界に開かれてるが、日本語で発信してる限り、日本語が出来る人にしか届かないし、時事ネタや芸能ネタを絡めたら、日本に住んでる日本語が出来る人が対象となる。
広い世界ではあるが、無限ではないし、よく考えるとネットが普及する前と広さは同じだということに気付く。
ネットの普及が変えた最大の違いは、リアル社会で知り合うことができなかった人同士が、コミュニケーションを取り合えるようになったことだ。
ネットが普及し出した初期の頃からマナーの問題はあったが、その中の1つにノイジーマイノリティと言われる存在があった。
最近評判が悪い長谷川豊さんが「ノイジーマイノリティ」を上手に説明してくれてます。
しかし、「正論」を唱える人間には「それにまとわりついて、正論を利用するだけのバカ」が必ず湧き出てくるのです。
このノイジーマイノリティの反対の存在がサイレントマジョリティと呼ばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/サイレント・マジョリティ
アメリカのニクソン大統領が、1969年11月3日の演説で「グレート・サイレント・マジョリティ」とこの言葉を用いた。当時、ベトナム戦争に反対する一部の学生などにより反戦運動が行われており、メディアなどから注目を受けていた。
実際に1972年アメリカ合衆国大統領選挙ではニクソンは50州中49州を獲得し、圧勝している。
ネットの普及が可能にしたリアル社会で接点がない者同士のコミュニケーションの一部に、ノイジーマイノリティの存在が目立つようになった。
当初のノイジーマイノリティは、正論を武器に有名人に絡むという図式だった。
絡まれる有名人側も炎上マーケティングと言われる、ノイジーマイノリティを誘うような手法をよく取っていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/炎上マーケティング
炎上マーケティングが用いられてのは、炎上したり、ノイジーマイノリティに絡まれるとアクセス数が増えるなど、データとして悪くないものが見えていたからかもしれない。
しかし、炎上したり、ノイジーマイノリティに絡まれることはストレスでもあるので許容範囲を越えると受け入れ難くなる。
だから最近のSNSは、ブロック機能を持っている。
「ブロックするという行為そのものがカジュアル化し、気軽に行われています。ブロック大会の開始と終了を知らせるためのテンプレート画像が広まっているほどです。若い世代の場合、一回会っただけだったりTwitterで意気投合した会ったことがない人とも気軽に登録して友達になるので、友達を把握しきれなくなりやすいという事情もあります。
夏休みや年度替わりなどの節目がきっかけになりやすいですが、毎月のように『ブロック大会』を宣言している人もいます。ブロックされる前にブロックする側になりたい、自分への反応を確かめたい、などの気持ちも働いているのでしょう。mixiやFacebookでも、ときどき似たような投稿を見かけます。若い世代に限らず、大人でも同じことをしている人はいますね」
よく炎上させることで有名で、ノイジーマイノリティのあしらいなんてお手の物に思えていた人達もブロックを多用している。
池田信夫、獣医の仕事を軽視した発言に反論されて即ブロック!「器小さすぎ」とネットで非難が集まる!
【ちきりんブロック】元マッキンゼー伊賀さんが激しく炎上していると聞き火事場見物に行ったところブロックされていたでござるの巻
そんな”ちきりん”さんは、池田信夫さんをブロックしているようだ。
ちきりんこと伊賀泰代氏は私をブロックして批判を黙殺しているが、彼女をコンサルとして雇っている会社は考え直したほうがいい。「国内消費以上に生産したら『生産超過』だ」というのだから自給自足するしかない。これは貿易どころか資本主義の否定だ。
— 池田信夫 (@ikedanob) 2017年1月31日
この二人2011年の「BLOGOS AWARD 2011」で並んで受賞して、その後ブログやツイッター上のやり取りを見てるとお互いをリスペクトする感じが受け取れてた時期があったのだが・・・。
アゴラが「BLOGOS AWARD2011」で「ブログメディア賞」を受賞
少しゴシップ気味に話を展開してるが、本当に書きたいのはここから。
オープンな場に思えたネットの世界が、時間の経過で成熟を見せ始めた時に、ブロックという閉鎖性が広まりだした。
SNSの中心をなすfacebookやLINEも大勢が参加してるが、内輪の世界を囲い込むという閉鎖性が特徴だ。
閉鎖的に囲い込むということが、日本におけるキーワードになるかもしれない。
そしてもう1つのというか、真のキーワードは、老若男女問わず「儲かりたい」だろう。
ネットの世界が注目を浴び出した当初は、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」というスタンスでファンを増やすためにコンテンツの中身を意識していたのが、時間の経過でPV(ページビュー)が評価軸として確立したことがわかると、スタンスが「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」に変わり、コンテンツよりPVを重視に変化したのが今だ。
この流れを改めるべきという世間の認識は共有できてそうだが、すぐに変わりそうには見えない。
オープンに見えた場にブロックが持ち込まれたのは、オレの(わたしの)商売(儲け)のジャマをするなという気持ちの現れかもしれない。
もうひとつ気になる点がある。
少し前まで、PVを増やすために炎上が利用されたが、今は炎上させるとPVが下がるようになってるのではないだろうか?
そのことが、データとして見えているのではないだろうか?
だから、炎上上等な人達ですらブロックを使いだしたのではないだろうか?
スタンスの違いを戦国武将に例えたが、この見方が正しいとするなら、戦国時代とは逆行してる点がおもしろい。
信長(1534~1582)「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉(1537~1598)「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康(1543~1616)「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
そうこうしてると、新しい評価軸を求めているが見つからないネット界の迷える子羊を惑わすビジネスがでてきた。
VALUって本当にやばい?はてなブログで「VALUというサービスがやばいんです」が公開されて以降の流れ
VALUが単なる「ねずみ講」になるのを防ぐには、上場者が他の上場者のVAを購入することに一定の制限を加える必要がある
VALUは株じゃないし、投資ですらないです。だから「リターンがある」、「利益」、「投資」などの単語を使って投資を促すと、法に抵触する恐れがあります。
個人の株をビットコインでやりとりするVALUが流行っているが、それが本当に金融規制をくぐり抜けているのなら、個人よりも、企業やベンチャーの資金調達の方に使いたい。なぜなら今の円ベースの株式発行・IPOは煩雑すぎるから
— 山口揚平 (@yamaguchiyohei) 2017年6月14日
VALUという金山があると煽り、道の途中でツルハシ(ビットコイン)を売るビジネス。
今は、ホトトギスを無理やり鳴かせようとするビジネスが旬を迎えている。