コロナで大きなダメージを負ったことを嘆くフェーズから転じる時期に来ている。
こんな時どうするかには基本の3パターンがある。
- 信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
- 秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
- 家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」
プロ野球が無観客で試合が始まることになったが、日本のプロ野球は成り行きに任せる家康タイプに感じられるのに対し、ドイツのサッカーでは秀吉タイプに感じられる施策が報じられていた。
客席に1万3000人の「厚紙ファン」登場 独サッカーの無観客対策https://t.co/YgD4N8pvt3
— AFPBB News (@afpbbcom) 2020年5月24日
プロジェクトを取り仕切ったボルシアMGサポーターのトーマス・ルートウィヒさんは、「今回作ったのは1万3000人分だったが、注文は2万件あった」「試合前日のボランティアは忙しかった」と話した。
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新型コロナウイルスによる中断から2か月ぶりに再開したブンデスリーガだが、感染拡大を防ぐためにファンのスタジアム入場は禁じられている。そこでボルシアMGのファンはチームを後押しする画期的な方法を考え出し、年間チケット保有者が自分の姿の切り抜きを普段座っている席に置けるようにした。
〜〜引用ここまで〜〜
良くも悪くも突っ込みどころはありそうだが、それを差し引いてもチームとファンの間に心が通った一体感が感じられる。
ファンサービスと収益の両立を目指す手探りの方法としてはおもしろいと感じられる。
野球ファンには感じられないこのような行動はサッカーファンにはあるようで、日本でも起きていた。
次の話はコロナとは全く関係ない2016年の話。
現代版“偽兵の計”か スカスカのスタンドを偽のサポーターで埋め尽くす「Jリーグ水増し部」のチーム愛がすごい 動員に苦労する、アウェー戦のための苦肉の策として生まれました。
こういうことを先見の明とでも呼ぶのだろうか?
本来の意味とは離れてそうだけど、今求められてるのはこのような感覚なのかもしれない。
福岡のローカルラーメン店に過ぎなかった一蘭では、隣の客との間に仕切りを設けた簡易個室的な空間をつくってラーメンを提供している。
一蘭では味集中カウンターと呼び、ラーメンに集中して欲しいという思いから採用されたのだが、最も大きい動機として女性が一人でも入りやすいラーメン店にするというものがあり、結果的にこれが海外のインバウンド客にも支持されていたのだ。
そして、このスタイルは感染防止対策の先見の明にもつながったのだ。
一蘭って新型コロナ対策の追加設備投資がほぼ不要なところがすごい pic.twitter.com/QOZVTMiUDR
— Nobuhiro Funakushi (@nobu2794) 2020年5月23日
コロナでダメージを負っているのは、時代の波に乗ってまるでサーフィンをするように進んでいた分野であり、効率化と称してマージンを削り続けて来た業界だ。
時代の波に乗ったり効率を追求することは、先見の明の芽を摘んでいたのだと思えてくる。
ほんのちょっとの想いを大事にしたり拘ることが、先見の明につながるのだろうが、それは意図したものでは全くないし、最初は決して歓迎されてさえいなかったと考えると、人間が多数決で決定することはほどほどに留めるべきだと思えてくる。
「こんな派手なものは金沢に相応しくない!」
— 西輝望見 (@westnozomi) 2018年6月7日
昔、駅舎新築するとき大いに揉めました。しかし当時の市長は「古い文化を守りながら新しい空気を入れる。そうすることによって街に活気が戻るのだ」と。
あれから20年…
不評だった建造物は地域の誇りになった。それがいまの金沢駅である。 pic.twitter.com/bbBTERDTOk
ジョブズが言った『点と点は後からつながるが、最初からつなげることはできない』の最初の点こそが先見の明の芽なのだろう。
心に秘めたものを持つ人は、これからはその拘りを大事にした方が良い!