違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『正解』の無い時代になる!

巷で流行ってる筋トレにはいくつかの理由がある。

 

ダイエットのために基礎代謝を上げようと筋肉をつけるため。

 

運動不足や老化に抗うため。

 

 

始めるキッカケは様々でも、継続に繋がる理由は、ほぼ一択。

 

結果が、右肩上がりを実感できるからだ。

 

勉強でもスポーツでも何かに一生懸命取り組んだ人の多くが、得られる結果に満足できないという思いを味わったことがあるだろう。

 

右肩上がりの伸びを期待するのに、全然上がらなかったり、時には下がったり。

 

それでも続けるか、だから止めるか、結構大きな分かれ道となる。

 

 

 

 

 

時々引用することがあるマズローの欲求5段階説。

 

現在は『承認の欲求』の時代で、次の段階の『自己実現の欲求』にシフトしつつあることは多くの人が感じている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論

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  • 自己実現の欲求 (Self-actualization)
  • 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  • 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  • 安全の欲求 (Safety needs)
  • 生理的欲求 (Physiological needs)

 

 

『承認の欲求』を満たすためにの鍵は、自分自身の外側にある。

 

自分自身がつくりだす結果に対して"自分の外側から得られる評価"を求める行為になるからだ。

 

厄介なのは、外からの評価を気にするが、評価されるのは自分自身の内面で動機づけされた行動でもあるからだ。

 

自分が満足できることを目指し、それなりの達成感を得ても、外からの評価が得られなければ、結局満足できない。

 

逆もあるだろう。

 

自分が出した結果に全然満足できてないのに、外からの評価が高い場合などだ。

 

『承認の欲求』が高い場合、結果として得られる評価が高くなければ満足できなくなり、ジレンマを生む。

 

ジレンマは、行動の原点である『動機(モチベーション)』に影響を及ぼすようになる。

 

 

 

・得られる評価に関係なく、自分の内側の動機に基いて行動する(自分を貫く=要領が悪い)

 

 

 

・評価が得られるような行動に、動機をシフトする(自分を曲げる=要領が良い)

 

 

 

 

承認の欲求は、報酬を求める欲求と同じで、結果と費やした努力(やったこと)の関係性がイコールとはならない。

 

運やタイミングという要素が大きく関係するという意味では、神様のイタズラと言える、筋トレは神のイタズラが少ない稀有な例である。

 

承認の欲求に取り憑かれると、動機(モチベーション)を安定維持させることが難しくなり、心を不安定にする。

 

心を病んだ人が増えるのは当然といえば当然なのだ。

 

承認の欲求とは、ネズミ講に似ていて、ある程度枠がいっぱいになれば閉塞感しか漂わない。

 

強い立場の人や企業も、弱い立場の人や企業も、皆が迷走している。

 

まるで、教祖の教えが通用しなくなった宗教のように。

 

 

外に向けていた意識を、内に向ける時代が来てるようだ。

 

『自己実現の欲求』が新しいルールになるだろう。

 

と言っても、わがままで好き勝手なことをして良いわけではない。

 

『承認の欲求』の時代では、相対的に上位にいることが求められるので、他人と競うことが求められた。

 

『自己実現の欲求』の時代では、絶対性の追求が求められるので、競う相手は自分自身となる。

 

筋トレにハマる人は、自己実現の世界に入っていると言える。

 

 

相対性と絶対性という対立概念とは別に、もう一つキーワードになりそうな対立概念が、フローとストックだ。

 

情報がタイムラインを流れ、あっという間に陳腐化するのはフローのなせる業だが、そんなフローは流動性が活発であるとも言える。

 

流動してるものは腐らないという良さがある。

 

そう考えると、ストックは腐ることがあるということを忘れてはならないと思い出す。

 

経済用語のストックは、フローの大元を意味し、社会全体ではフローが増えればストックが減るものだと解されてる。

 

一般的な意味で言うと、将来の不安に備えての貯蓄はストックだ。

 

最近は、断捨離やシェアが流行っているが、これはアンチストックとなる。

 

『自己実現の欲求』に時代がシフトすると、現在解釈されているフローとストックの意味に新しい要素が加わるような気がする。

 

良いとか悪いとかと言う違いではなく、個性やコンセプトの違いとして価値を持つようになるだろう。

 

どう行動してよいかわからない時と言うのは、自分がやりたいことと、自分がやらなければいけないことの間で悩んでいることが多く、さらに突き詰めるとフローとストックのどちらを選択するのかという問題でもあることが多い。

 

先入観や固定観念に縛られている時は、ストックの問題が起きている。

 

そんな時は、流動性を与えて、解釈を変えると視界が開ける。

 

逆に、自由に考えすぎて収拾がつかなくなるような場合は、どこか一点に焦点を当てることでうまく納まることがある。

 

フローとストックを考える時、ダムの水をストックと捉え、流れ出る水がフローと考えるが、この捉え方だと雨を忘れている。

 

 

現在は、承認や報酬の欲求の方が圧倒的に強いので、フローとストックの使い分けは、要領の良さや悪さで捉えられていて、フローをものにした方が有利だと見えるが、その関係性に新しい解釈が生まれてきたら『自己実現の欲求』の時代へシフトしたと言えるだろう。

 

フローに分がある時は、才能もアイデアも枯渇するまでが勝負だと考えがちだが、エコシステムには、"循環"がある。

 

 

相対性が重視される『承認の欲求』の時代には、フローとストックは対立概念だが、絶対性が重視される『自己実現の欲求』の時代では、フローとストックは類似概念になるような気がする。

 

『自己実現の欲求』の時代には、才能もアイデアも、気が付いたら補充されるだろう、自然界で雨が降るように。

 

多様性やダイバーシティという言葉が増えてきたことは、正解が限定されないということを示している。

 

"正解を求めることが間違い"となり"正解"が持つ排他性が人間活動からなくなる。

 

具体的にどういうことかは、時代が教えてくれるだろうが、エコシステムのような"循環"を意味するようなものが似合いそうだ