クラスター、英語ではcluster、の意味は「果実や花などの房・塊」「生き物や同種類のものの一団・塊」となる。
なんとなく音の響きからクラスターの“クラス”がclassを連想し意味も通じそうだが、実際にはそうではない。
最近では、コロナウイルスに集団感染した場合の、感染者や感染源になった共通点を指す場合に用いることばになり、非常にネガティブなニュアンスを感じさせることばとして定着したように感じられる。
このクラスターということばは、コロナ前はIT用語として、複数のコンピューターを統合してシステム化させることを表現するためのことばとして聞くことが多く、語尾を伸ばさずにクラスタと用いると、人の属性を示す用い方が多かったように記憶している。
人間の属性を示す…、と思い出していると、そうだマズローの欲求5段階説の中に『所属の欲求』というのがあったなと思い出した。
5段階の真ん中に位置する欲求で、愛の欲求とも社会欲求とも呼ばれる。
一般的には下位の欲求が満たされると上位の欲求を求めるようになると解釈されるが、必ずしもそうではなさそうだ。
マズローの欲求段階説を見ると、大人になってからもわざわざ勉強している我々はめちゃくちゃ上位欲求が強いのではないかと思います。
— タイニー@診断士勉強中 (@tiny_study1987) 2020年4月28日
下位欲求が満たされているのかは分からないけど…笑#中小企業診断士#企業経営理論 pic.twitter.com/0cNbgrxsYS
コロナ前は、誰しもが上位欲求とされる『承認の欲求』や最上位に位置する『自己実現の欲求』を実現することに夢中だったような気がするのは、下位に位置する下から順番に『生理的欲求』『安全欲求』『所属欲求』は、既に満たされてるからだと解釈されていたように記憶するが、それが遠い昔のことに思えてくる。
わずか2〜3ヶ月で、コロナは世界中のほぼ全員に、より下位の既に達成済みだと思われていた生命や安全の欲求を根底から揺さぶっている。
生命や安全が脅かされると、簡単には拭えないトラウマが生じるかもしれない。
このような事態になると、性格として楽観的か悲観的かで大きな違いが出るだろうが、それぞれに一長一短がある。
楽観的だと油断や軽率と背中合わせになりやすい反面で心の安定は保ちやすい、悲観的だとこの逆になる。
マズローが欲求5段階を唱えたのが1960年代、21世紀に入るとマズローの欲求5段階は時代遅れと言われたり、根拠が薄いと言われることも増えたが、一般の人にとって皮膚感覚として馴染みが良いように感じられる。
コロナ対策としての自粛活動のせいで、多くの人たちが個人的に積み上げた資産を減らし、それに伴い負債を増加させる中で、心の拠り所にしていた安全や安心が砂上の楼閣であったことを実感させられている。
マズローの欲求5段階の『生理的欲求』及び『安全欲求』や『所属欲求』がコロナで揺さぶられると、急速に人は不安や恐怖に囚われるようになる。
不安や恐怖は、持っていたはずのリテラシーにも変化を加える。
理論武装してるつもりで感情武装をし始める。
マスクに対する反応も不安や恐怖の現れだし、PCR検査の不足を責める背後にも動機としての不安や恐怖があるのを見てると、『生理的欲求』及び『安全欲求』や『所属欲求』を通じてリテラシーは培われていたのだなと感じられるとともに、理論で武装していたリテラシーが感情で武装したリテラシーに静かにシームレスにシフトする。
コロナは、人生経験を積み重ねて身に付けたはずのリテラシーをいとも容易く揺さぶり壊している。
コロナ対策として優等生扱いをされていたシンガポールが、ここに来て東南アジア最悪とまで言われるようになっている。
シンガポールの誤算は、身に付けたリテラシーに基いて外国人労働者を無視したため大規模なクラスターが発生したと解釈されている。
【コロナ禍】シンガポールの危機 テドロス称賛から一転、30万人規模の大クラスター 2020年4月28日
コロナは、理論で武装していた人々のリテラシーを、感情で武装させる方にシフトさせているように感じられる。
現代人は、今静かにマズローの欲求5段階を逆行し始めている。